心の御利益

御教歌 くるしみの海にしづむと見えつるも 御法の浪にうかぶ諸人 

ありがとうございます。身読会と言う所は何をしているか分からない方がいらっしゃるのでチョットお話させていただきます。月に二回の十六日と三十日の御総講の時に、境内、洗濯、掃除機のゴミの処理等その他諸々の御奉公です。 

私が会員になって長くいつの間にか八十歳を過ぎましたので、これからは若い方に入っていただき頑張ってやって欲しいと思っております。 

私が身読会に入って楽しく御奉公を続けて参りましたが、主人が病気になり三、四年が過ぎた頃から、介護疲れのせいか、気の重い苛立つ日々を送るようになって行きました。投げ出したくなる気持ちになる日も有りました。 

月二回の御総講の日だけ娘が主人の世話をしてくれるので、お寺に出かけ身読会の御奉公をする事で気分転換になりましたが、日が経つにつれ、益々心が晴れなくなってしまいました。 

お看経を毎日あげていましたが、主人の事を考えると、集中できずにいたので、これではいけないと一生懸命いつも以上に口唱しました。いつの間にか少しずつですが心が穏やかになって行く事が分かりました。

そのお陰で長い介護生活を経て主人を見送る迄、腹を立てる事も少なく一生懸命主人の世話が出来たのも「心の御利益」をいただけたのだと思います。一人になると今度は寂しい日々になりましたが、八十を過ぎた今でも身読会の人達と楽しく御奉公が出来るのも御利益に違いないと信じております。 ありがとうございます。(E.K)

平成24年度夏期参詣信行体験談集「涌出」より


お助行で現証が

ありがとうございます。今年の二月に急に左足の大腿が痛くなり、歩行困難になりました。立ち上がって歩き始めの一歩が出ません。この痛みは何だろうと思いました。 

私はこの年まで足には自信がありました。歩く事が大好きでこんなことは初めてのことです。心配した家族に勧められ病院に行きレントゲンを撮ってもらいました。結果は「足はもとより腰にも骨にも異常はありません。きっと、疲れが出たのでしょう」との診断でした。年齢的なものかなとちょっとホッとしたものの痛みは一向に取れず、このまま歩けなくなりお寺参詣ができなくなるのではと四、五日悶々としていました。 

これではいけない何としてもお寺参詣だけはと思いました。今迄より一台早いバスに乗り、時間をかけてお寺に向かいました。普段は清瀬駅からお寺まで歩いて十分でいけた所が二十分以上かかりました。前方に西武池袋線の踏切が見えるとその先はお寺です。私は御題目を唱えながら一生懸命歩きました。朝参詣で御講師、信者さん方と唱える御題目はとても気持ちが良く、思い切って参詣して良かった。又、明日も頑張ろうと勇気づけられました。 

そして五月に入り、各教区との交流助行が始まりました。まだまだ痛みがある足ですが、お助行に回りたいと強く思いました。先ずは清瀬教区です。三席のうち一席でもと思い、足を気にしながらお参詣しました。 

歩いたりバスに乗ったりしながら、なんとか三席お助行ができました。家に帰り「歩きすぎたかな」と足を気にすると何と、痛みはほとんど感じませんでした。嬉しくなった私は我が家でお席をいただいた村山教区を除いて久留米、所沢、新座、田無教区の全席お助行をさせていただく事が出来ました。 

それからは、一日一日と足の痛みは和らいでいきました。お助行と沢山いただいた御題目が私を又、元気な身体にしてくださいました。そして、いつも御法様にお守りいただいていると身をもって感得させていただきました。これからも朝参詣と御題目口唱を心がけ、明るく元気に御奉公に頑張りたいと思います。ありがとうございました。(C.S) 

平成24年度夏期参詣 信行体験談集「涌出」より


高祖会御利益談②

私は4年ほど前に諸事情により乗泉寺に所属させていただいたおります。私自身、信者の家に生まれ、縁あって青年会同士で結婚を致しました。お陰様で19歳になった娘も青年会で御奉公させていただいております。 

しかし、ここ数年は仕事の忙しさなどを理由になかなかお参詣できない状態でした。そんな私が今回乗泉寺に所属させていただいてから初めて寒参詣を皆参させていただくことができましたのは、主人の母の生涯を通じていただいたご利益がきっかけでした。 

母は、昨年の11月に4ケ月の闘病生活の上、76歳で亡くなりました。その4ケ月の間、母が何度も厳しい状況を乗り越えるのを見て、主治医である都立病院の経験豊富な部長先生は驚いておりました。思えば母は、お看経のよく上がる人でしたし、常日頃からお供水さんは有り難いと言って沢山いただいていたからだと思います。何度も持ち直すたびに主人とお計らいだねと話し、このご信心の有り難さを改めて感じた4ケ月間でした。 

さかのぼれば、母が癌の手術を初めて受けたのは20代の終りころと聞いております。それから、30数年間は再発することなく元気に過ごすというお計らいをいただきました。そして、76歳で亡くなるまでの間もお寺参詣に励む事ができ、さらに、趣味を通じて大勢のお友だちと海外旅行を楽しむことも出来るという、素晴らしい増益寿命の御利益をいただきました。本当に母は、御法様にお計らいを沢山いただいた人生だったと思います。 

なお、有り難いことに本山からは1級をいただいておりましたので、とても良い法号をいただき、母も寂光で喜んでいることと思います。そんな母が亡くなり、今まで「自分なりに」という言葉でごまかしてお参詣をしていた自分を反省し、母の分まで頑張らなければと思ったことが、今回寒参詣を皆参させていただいたきっかけです。 

私が、自分の意思で初めて皆参したのは高校生のころでした。その時は、若かったので自分の達成感で一杯でしたが、歳を重ねた今、健康でご信心させていただけることに喜びを感じ、佛立宗の発展を願い、精進してまいりたいと感じております。(A.U)


高祖会御利益談①

ありがとうございます。主人と娘がいつ頃からか言葉を交わさず顔も合わせない様な親子関係で悩んでいた折り、テニス仲間の新年会で、Oさんから頂いた新座別院のパンフレットを見て何かお守りでもあるのかしらと翌日、Oさんのお嫁さんを尋ねました。 

お題目をお唱えする信心、お寺に行きましょうと誘われ何もわからぬままに入信しました。お寺参詣やお講席に参加するうち数々の御利益をいただきましたが入信のきっかけとなった「親子関係を良縁にしていただきたい」というお願いは、なかなか叶わずにいました。 

入信8年を過ぎた頃、ひとつの転機というのでしょうか、娘が外出中にトラブルを起こし、パニックになっていた私に部内のUさんから「お寺には行ったの?」と一言、ハッと思い早速定期券を購入し、開門参詣が始まりました。 

お受け持ちのお講師からトラブルの方の正法帰入と御回向を勧められ、毎月御回向をさせていただきました。毎日のように朝参詣している私に「今日もお寺に行くの?」と言っていた主人が「行くんでしょう?」「今日は行かないの?」と言うようになりました。 

翌年2月、主人の誕生日に娘が「トラブルの件では私を信じてくれて、かばってくれてありがとう。」と手紙を書きケーキを買ってきました。その翌年もケーキを買ってきました。すると今度は、主人が娘の誕生日に食事へ誘い、それからボーリングに行きました。 

主人と娘がハイタッチをしたり「結構うまいなあ」と話しかけたりと思いもよらない光景でした。家を出たり帰ってきたりの娘でしたが、最近家に戻ってきました。内心、心配しましたが主人と娘は自然と言葉をかわしていて、ホッとしています。入信10年目に家族の絆を取り戻せたように思います。 

一方トラブルの件は一年を過ぎても、解決の糸口が見えず、どうなっちゃうだろうと言っている私にOさんの息子さんが「朝参詣続けていれば、とてつもないお計らいがいただけるよ。楽しみに、参詣してればいいんだよ」と後押ししてくださいました。その言葉通り、思いもよらない形で解決しました。我が家にとって、大難が小難、小難が無難に収まり大きな御利益を頂きました。 

これからも朝参詣を続けさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(A.S)


百本祈願で頂いたお教化

ありがとうございます。 昨年の9月のお話ですが、知り合いのご信者さんのお伴で、北海道までお助行に行かせて頂きました。そこで拝見したのは、本現寺さんの御住職をはじめ、ご信者の皆様の一生懸命にお助行に励まれるお姿でした。 

中でも、札幌・信廣寺所属の教化子さんは、筋ジストロフィーという難病と闘いながらも、他のご信者さんと一緒になって熱心に御奉公に励まれており、私を含めた参詣者一同、一生忘れられない体験をさせて頂いたと心の底から感動し、それぞれが信心改良を誓って、北海道を後にいたしました。 

東京に帰ってきた私は、なんとかお教化をさせて頂かなければ、御弘通のお役に立ちたいという思いが次第に高まって、百本祈願をさせて頂こうと思いました。

しかし、仕事をしながらの百本祈願は、寝る時間も殆どないような状態で、思ったよりも大変辛いものでありましたが、北海道で拝見した皆様の御奉公を思い出しては、心を新たにして、なんとか二週間で百本の御祈願を終えさせて頂きました。そんな私の百本祈願でありましたが、始めて三日目のことです。二年ほど前にお寺にお連れした恩師の方より突然お電話があり、なんとお寺に又連れて行って欲しいということでした。本当にビックリ致しました。 

又、このお話とは別に、職場の方で、恩師の方と同様に、以前お寺にお連れしたことのある方がいます。その方が、お供水さんを頂きたくて、夕看経の時にお寺にお参りをなされているということも、百本祈願をさせて頂いてからお聞きして、大変ビックリ致しました。お二人は、まだお教化にはなっていませんが、近いうちに何とかお教化をさせて頂きたいと思っています。 

最後になりましたが、百本祈願を終えさせて頂いた後、以前から正法帰入の御祈願をさせて頂いた友人に電話をして、お会いすることになったのですが、するとその彼女は、ちょっと前に転んで怪我をしており、又会社のことでも悩んでいるということを知りました。 

そこで、すかさずご信心のお話をさせて頂きましたら、彼女の方から『お寺に連れてって』と言われ、本当に驚きました。実はその彼女も、以前お寺にお連れしたことがあるのですが、ご主人がご信心には反対で、この時は入信には至りませんでした。 

今度こそ、このご信心で良くなって頂きたい、彼女の気持ちが変わらない内に早く何とかしたいと思って、私の教化親の石川さんに電話を入れ、お受持ちのお講師にもお願いして三人で彼女にお話をさせて頂きました。それから五日後に、無事御本尊奉安をさせて頂く運びとなりました。 

前回の6月にお教化させて頂いた時と同様に、驚きと感激のあっという間の奉安でした。これも、百本祈願のお看経のお陰、御弘通の思いを込めたお題目口唱の大変有難い事を改めて実感させて頂きました。御法様に心より感謝させて頂き、今後もお教化に気張らせて頂きたいと思います。ありがとうございました!(T.N)

平成22年度夏期参詣 信行体験談集「涌出」より


初めての甲御講

私は、祖母が、知人の紹介で本門佛立宗に入信し、父、母、私へと法灯相続させて頂き、三代目になります。祖母の代から、乙御講の願主として、お席は受けさせて頂いておりましたが、甲御講は受けておりませんでした。 

その理由の一つに、甲御講は連合の皆さんが、お参詣に来られ、お戒壇のある部屋に、みなさんが入れるだけの広さはないので、無理ですとお断りをしておりました。ご信心の有り難い思いはありましたが、不安からか甲御講を受けさせて頂く気持ちが、今一歩踏み出せないでいました。 

母が亡くなった後、私はお参詣や御奉公に気張らせて頂く中、二年前から部長のお役を頂きました。私は部長として、お参詣将引・席主のお勧めの御奉公をさせて頂くにあたり、私自身も甲御講の願主としてお席を受けさせて頂かなくてはならないと戸惑いもある中、でもこの環境では無理と自分に言い聞かせておりました。 

そのような時、連合長さんから「部屋の狭さや環境等を理由に受けられないのは、単なる断り文句であり、受けさせて頂く気持ちがないからではないかと問われ、お受けする気持ちがあれば、どんなに狭くてもどんな環境でも、皆さん工夫され、努力してお受けしているのです。」と言われ、そこで私は確かに大変さが重くのしかかり、お受け出来ない理由を自分の都合で安易に答えていたように思い、これではいけないと思い、甲御講を受けさせて頂こうと思いました。 

そして同時期に、私の生活環境が変わる出来事がありました。それは、連合の甲御講にお参詣させて頂いた時のことです。急に私の携帯に今住んでいるマンションの大家さんから連絡が入り、「こちらの事情で申し訳ないが、すぐ立ち退いて欲しい。」とのことでした。 

私は一瞬、頭の中が真っ白になり、どうしたらよいのかわからなくなり、不安でいっぱいでした。事情を連合の方に相談させていただいたところ、皆さん心配くださり、また不動産関係のお仕事をされている方もおり、話を聞いて頂き、部屋を用意してくれるというお話も頂いて、安心し気持ちも落ち着いてきました。 

ですが私は、甲御講を受けさせて頂く気持ちになって、準備をさせて頂いている中での出来事でしたので、何でこんな事になるのかと疑問をもちながらも、連合長さんのお折伏をあらためて思いだし、ただひたすら、早く甲御講を受けられるようにと、ご祈願を続けさせて頂きました。 

すると立ち退きをお願いされた大家さんから、「急なことで申し訳ないことだから、よろしければ新しく建てた所があるので。」と、部屋を用意して下さいました。私はまず第一に甲御講が受けられる部屋との思いでしたので、大家さんにその旨を伝えたところ、大家さんは大変ご信心を理解してくださる方で、部屋の環境も問題なく、すぐ決めさせて頂きました。 

最初は急な出来事で、不安はいっぱいでしたが、きづけばすんなり事は進み、連合の皆さんに支えられ、御法門聴聞で学んだこと、お折伏を素直に実行させて頂けば、全てが良い方向に導いて頂け、必ず御利益が頂ける事を感得させて頂きました。当初予定していた甲御講の日も延びることなく、私は喜びと感謝の思いで、甲御講願主になり、お席を受けさせて頂く事が出来ました。 

新たな環境の下で不安はありましたが、当日初めての甲御講は、素晴らしい秋晴れに恵まれ、御導師に奉修して頂き、玉川連合のみなさんのご協力と沢山のお参詣を頂き、亡き祖父、父、母がきっと喜んでくれていると思います。 私は正宗徒になってまだ三年足らずで更なる努力が必要であります。 

今年の総祈願には、正宗徒増加が掲げられていますように、一人でも多くの方が、喜びをもって正宗徒になられるよう、私の経験、そしてこれからも熱意をもって、周りの方々にお伝えさせて頂き、役中としての御奉公に励まさせて頂きます。(S.K)


私の信行体験談

ありがとうございます。現在、私は経堂教区2部の部長をさせて頂いております。私のご信心を中心とした生活は、2年前に世田谷別院のはげまし合のご奉公を仰せつかり、それより遡ること一年前、都合三年前より続けさせていただいている開門参詣から、元気で明るく楽しい一日が、始まります。 

本日は、入信して約八年になる私のお教化に対する気持ちを少し皆様に聞いていただければと、思っております。 

とても元気だった母親が、長い間の日課にしていた一日十時間のパチンコと夜中のカラオケを充分に楽しんで、突然八八歳で亡くなりましたのが、平成十六年の五月でした。亡くなる少し前に、世田谷別院に以前からあったお墓を、母親が突然綺麗に直して、一人娘の私に 「もし、私が死んだら乗泉寺にお墓があるので、そこに埋葬して、お墓参りに来て欲しい」と言われました。 

別に家族の誰もが佛立宗のご信者でもないし、お墓参りどころか、長いこと別院の側の経堂に住んでいても、乗泉寺がどこにあるのかもよく知らなかった私たち家族でしたが、長谷川乗道師をはじめご信者の皆様がとても親切に母のお葬式をして下さいました。

それがご縁で私も、毎朝お墓参りに出向くようになり、甘やかし放任しながらの、3人の子育てと、商売だけには真剣に取り組んで生きてきた今までの私の生活ではありましたが、別院で見るポスターや、朝のご法門は、(とても失礼で生意気な言い方ですが)理に叶っていて、次第に私もこのみ教えのように、生きてみたいと思うようになり始めました。

丁度その頃、経堂教区2部の部長さんが日教上人のご本を下さいました。その本の中に『信者なら年に一人のお教化もできないなんて…』というくだりがあり、何故かその言葉にとても惹かれました。 

それならまずは娘を、次の年に親から見れば危なっかしい生活をしている次男も入信させて頂きました。その後も知っている人を見れば、まずは、さりげなくお寺の話や、私が頂いた沢山のご利益の事を伝え、ちょっとした会話の中で有難いことが話題になった時には、「お寺ではこういう時に、お計らいと言うの!」と伝えて、それからは、皆がお計らいという言葉を使い始めたり、いつも連れていっていただく団参の楽しい事等を話して、私の周りの方々に、お寺の情報を発信し続け、日教上人のみ教えを何とか毎年守っておりました。 

でも今年は、いわゆる種切れの状態のまま、第一目標の五月三十日、日歓上人の祥月ご命日が近づいてまいりました。入信した当時より私を見ていた主人の姉二人は、長年正法帰入のご祈願は続けていたものの、今までいくらお寺に誘っても全く愛想なしの状態でした。 

丁度、5月に入ってすぐのことです。月に一度大阪から上京している姉二人は、その日の会話の中で、まだ私がお寺に行っていて、以前よりも明るさが増し、溌刺としていると言ってとても羨ましがりました。 

私が、「お寺に行っているとこうなるのよ」と冗談半分に言ったら、姉たちが『何をすればいいの?』と聞き返してきました。私は自分の耳を疑いながらも、興奮してお姉さんたちに「私の行っているお寺の信者になるの?本当?」と聞き返したら、二人の姉が、『難しい事がないならやらせて貰おうかしら?』と思いもしない返事が返って来ました。「ヤッタァ!ご法様ありがとうございます。」 と思わず自宅の御宝前に御礼申し上げました。 

でも、日歓上人のご命日まであとこ十日しかなくて、私の5月の予定もほとんど詰まっているし、お忙しい金澤歓一師と姉二人の予定を合わせ果たして調整出来るのだろうかと思っておりましたが、在ったんですその一日が。今まではお寺への誘いに対してあんなに反応が悪かったにも関わらず、御奉公の当日は、穏やかに且つ、厳粛な中、御本尊様のご奉安と持参したお数珠のお開眼もしていただくことが出来、二人の姉が本当に喜んでいるのを見て、はるばる甲子園まで御奉公させて頂いた甲斐があったと感激致しました。 

娘から始まって、主人の姉まで現在十四人の教化子がおりますが、その中にはもう自分で一人歩きしている者も何人かおります。しかしながら、まだまだ、手とり、足取り育成をさせて頂かなくてはならない者がほとんどです。落ち転びなく育てながら、このご信心をお持ち出来る喜びを少しでも早く感じて貰えるよう、共に歩んで行きたいと思っております。 

お導師さま、お教務さま、皆様、私をはじめ教化子のご指導を今後ともどうぞ宜しくお願い致します。(K.H) 

竜ノロご法難記念口唱会より


あわや火災!

炊飯器家族で飲食店を始めて12年が経ちました。その間にたくさんの方にお世話になり、また何よりも御法様から数々のおはからいをいただき、今日までやってこれました。 

飲食店は昼は定食屋、夜は居酒屋を営んでおります。数年前の昼の営業時のことです。店が忙しくなるだろうと予想される日は、通常の四升釜の他に一つ上の階にある家庭用のガス釜で、もう一升炊く場合があります。 

その日は忙しいことが予想されたので、一升用の釜で追加のご飯を炊き、階下の店に戻りました。後は40分くらいしたら炊き上がったご飯を取りに行くという算段です。 

案の定、店はすぐに忙しくなり、私は調理に集中していました。その時カウンターの上にあるガス釜の内釜が一瞬目に入りました。先ほどスイッチを入れたガス釜の内釜が目の前にあるのです。釜の中にはといだ米と水が入っています。 

私は瞬時に事の重大さに気づきました。上のガス釜は空焚きだったのです。一目散に上がり、ガス釜のある部屋の前まで来ましたが、熱気を感じました。最悪の事態を想定して部屋に入りましたが、火事にはなっていませんでした。 

しかし、フタをしたままガス釜の火は付いていました。助かったと思うと同時に御法様に教えていただいたと感じました。ガス釜の火を消してすぐに調理に戻りましたが、暫くの間足がガクガクと震えていました。

ガス釜に火を付けてから10分くらいの間の出来事でしたが、カウンター側には背を向けて調理をする事が多い私の目に、よく内釜が見えたとつくづく感じました。あと5分内釜に気づくのが遅かったら、また全く気が付かなかったらと思うと、今でも背筋がぞっとします。御法様が空焚きを教えてくださいました。大難を小難に、いや無難にしていただきました。 

これからも常に御利益がいただける信者になれるよう、日々信行御奉公に励ませていただきます。(M.A)

御教歌     夜もひるも お守りあるを 疑ふな 我等凡夫の めには見えねど


突然目の前に黒い物体が!

ありがとうございます。私達家族は、お祖師様の700回御遠諱の昭和56年の5月に入信させていただてから、山あり谷ありの、このご信心生活も、今年で28年になりました。 

私は毎日の家事や雑事におわれ、朝タのお看経する余裕が少しずつなくなって朝タのお看経を数日間、怠ってしまったある日の事でした。 

幼い頃食べていた記憶のある、綿菓子の様な形のよく分からない、両手に乗せられる位の大きさの、まわり全体を薄い灰色の真綿で覆ったような物の中に黒い何か分からない物が入っている物体が、突然私の目の前に現われたのでした。 

始めは、びっくりして不思議な感覚で、その物体を見つめていましたが、家族には何も見えないとの事、けれど依然として私の目の前から消える事なく存在し続ける不気味さに、私は眼科や病院に行きましたが、眼にも体にも何も異常がないという診断でした。一時はほっとするのですが物体そのものは変わる事なく、私の中で日に日にその存在が大きくなり、不安と恐怖と苛立ちで、何も手につかず身も心もつかれはて、憔悴しきった日が数日間続き、私は自宅の居間でぼんやりしていた時でした。雲のあい間から日の光がさし込んだような明るさを、感じた瞬間、私の目の前の物体が突然、はっきりと形を現わしたのでした。 

それは何んと私の家の御宝前に奉安させていただいている御尊像のうしろ姿でした。その瞬間のおどろきは、今でも忘れる事が出来ません。無意織のうちに、お許し下さいと、深くお懺悔をして頭を下げていました。頭を上げて目の前を見ますと、うしろ姿だった御尊像が前向きのお姿に変わっていました。私は無中で南無妙法蓮華経と唱えますと目の前の御尊像のお姿は見えなくなりました。 

一瞬の出来事で、一時は茫然としていた私でしたが、すぐにこの現証は、ご信心から目をそらし、ご信心を見失いそうになっていた、私へのお祖師様からの大きな厳しいお叱りだった事に気がつきました。何とも不思議な厳しい尊い教訓を深く胸に刻みこんで、これからは、朝夕のお看経は、怠らないようにしよう、忙しくて大変な日でも少しの時間をみつけてお看経させていただこう、どうしても出来ない日には、お懺悔をさせていただこう、出来る日は出来なかった日の分迄少しでも多くロ唱させていただこう、今迄このようなロ唱の積み重ねで今日に至っています。 

その当時を振り返りますと、嬉しさや、喜びや、有難さで歓喜の気特一杯にロ唱した日々、悲しみや、つらい事等で、目に涙を浮かべてロ唱した日々、又心の葛藤に苦しみながら歯をくいしばって、ロ唱した日々等、当時、このようなお看経をしている自分の姿が今では、走馬灯のように、懐かしく蘇ります。又、以前の私と現在の私とでは、客観的な物の見方や、色々な立場から物事を見つめ考え、色々な視点を通して洞察して行く事等、少しずつでも身につけさせていただいたお祖師様のお計らいを感じます。 

又、日常生活の中で以前よりも、とても穏やかに毎日を過させていただいている私に気がつきました。私にとって大切な寛容な心、穏やかな心を少しずつでも、身つけさせていただいた、お計らいの有難さ、このご信心の尊さや大切さ、このご信心にお出合いさせていただいた喜び私達にとって大切な教化親の故人、今年17回忌を迎えるTさん事等思うたびに感謝の気持でいっぱいになります。 

このごろ私は、御宝前に手を合わせ、どうぞ臨終のタ迄朝夕のお看経を成就させて、いただけますように、又、私達家族が1人1人の罪障を少しずつでも消滅させていただけますようにと、願いをこめて、以前よりも、とても穏やかな気特で朝夕ご宝前に手を合せ、お看経をさせていただいている日々でございます。 

教講の皆様のおかげでこの長い歳月、ご信心を続けさせていただいている事に、又、いつも大変お世話になっています、湘南教区の皆様と共にご信心をさせていただいていることに、とても感謝をしています。(C.I) 

平成20年度夏期参詣 信行体験談集「涌出」より


大切な人に何をしてあげられるか

ありがとうございます。本当に大好きで、大切な人のために、あなたは何をしてあげることができると思いますか?その人が好きなものをプレゼントしてあげたり、そばにいてあげたり、優しい言葉をかけてあげれば、きっとその人は喜んでくれると思います。しかし、その人がもっと幸せになれるように私たちができること、それはご信心をお勧めさせて頂くことではないでしょうか? 

仕事で活躍するために人間関係に恵まれたり、パートナーと望むような家庭を築いたり、無事故で健康でいるための原因のほとんどは、個人の努力を超えたご縁やタイミングに左右されるものだと思うからです。 

私は現在、渋谷で会社に勤務する24才です。二年前に学校を卒業、就職をしてすぐの夏、仕事の忙しさのため、勤務先近くのアパートで一人暮らしを始めることになりました。実家を出る数日前のある夜、一人で洗面所でお風呂の準備をしていて、突然の寂しさに襲われました。リビングから聞こえてくる妹の笑い声や、父が爪を切る音、母が台所で野菜を切る音、今まで二十二年間当たり前だった生活は、変わっていくものなんだ、と実感をしたからです。そして寂しさの中から、両親に恩返しをしたい、と強く思うようになりました。 

母はいつも私たちの幸せのために、御宝前に手を合わせてくれていました。ことあるごとに、「南無妙法蓮華経とお唱えしなさい」と教わり、本当にお唱えするだけで物事がうまくいく御利益を何度も頂いてきました。そして一番の御利益は、その事に対する深い感謝の持ちを自覚できるようになったことだと思います。 

これから先もまた、環境が変わったり、どんな出会いや別れを経験するか全く分かりませんが、両親に健康で長生きをしてもらい、できるだけ恩返しをさせて頂くためにも、私が御題目をお唱えさせて頂くことが大事なのかなと考えています。 

本当に大事な人のために拝むことができ、願いを叶え、今よりももっと深い感謝の気持ちを知ることができるのが、このご信心だと思います。若輩者の私の言葉では生意気ですが、まだご信心を知らない方が、少しでも本堂で手を合わせてみようと感じて頂けるとありがたいと思います。ありがとうございました。(A.K) 

御教歌     おのが身はあな有難やあなうれし 何故なれば南無妙法蓮華経 

平成22年発行 信行体験談集「涌出」より