懺悔・改良・百本祈願

昨年風邪をこじらせて、心不全をおこしてしまい、医者から、苦しくなったら直に救急車で病院に飛び込めと指示されていました。出来るだけ安静にしていたので、家事もまともに出来ない状態が続きました。今年に入ってその心配はなくなりましたが、体カが回復せず、食欲もなく、そんな状態が四月頃まで続きました。 

それでも教区内のご奉公は何とか頑張っていました。でもお寺に行けません。夜、薬を飲むもので、夜中、七、八回トイレにおきます。やっとお寺に行けても居眠りばかりです。お導師の「一日に一度はお寺に来るように」とのお折伏にも、気特ちはお落ち込むばかりでした。もう体カの限界を感じもう何もしたくない。と諦めかけておりました。 

そんな時、定期検査にひっかかり、膝の恥骨の処に、三、四センチ大の腫瘍が見つかり、癌の可能性あり、とのことです。ほっておいていいものではないが、簡単に手術出来る場所ではないとの事、手術しても、七割は歩けなくなるとか、人工肛門をつけるとか、後遺症が残ると言います。 

実は、ここに至るまでには、私に一つ気になることがありました。一年半程前から謡曲のお稽古を始めました。若い頃より謡曲の調べは好きでしたが、まさかそれを習う機会に恵まれようとは思いませんでした。私に向いていたのか、楽しくて、このうえないストレス解消でした。でものめりこまない様に気をつけていましたが、性格的にそうはいきませんでした。 

何か体調も、ご奉公でもスムーズにいかない事が続きます。“気のせいよ!一つぐらい好きな事やってもいいじゃない!”と自分にいい訳をしながら、心のどこかで「まずい!まずい」と思いながら続けました。そして、結果がこうです。 

私は、頭を殴られた思いがいたしました。でもとても手術する気力も体力も無いと思え、御法様におすがりするしかないと、心を決めました。医者には、悪性でも良性でも、手術はしないです。痛くなったらよろしくお願いしますと伝え、医者も承知してくれました。 

私は御宝前にお懺悔をして、検査の傍ら、五月一日より百本祈願に入りました。主人もそれしかないと思うならと、全面的に協力してくれました。開門から午後一時、二時まで、ひたすらお題目をお唱えしました。最初の一週間は、つらくて、つらくて、文字通り、這うような思いでお寺に行きました。家へ帰りつくと、倒れるように横になります。十日も過ぎる頃、不思議と身体が軽くなっていくのが分りました。段々と食欲も出てきました。 

気が付くと教区のご奉公も中断することなくやっておりました。ご祈願も最初は自分の身体の為のみでしたが、何時の間にか自分の身体のことよりもご奉公成就しますようにと願っていました。五月二十日百本祈願成就。検査の結果、何処にも癌はありませんでした。後は肉腫の心配ですが、年令的にその確立は低いとのことでした。 

ご祈願が終ってもずっとお寺に来られます。御法様は諦めかけていた私に、このような形で信心決定をさせてくださったのだと思います。「そうしたいと思う」とかではまだ決定ではなく「思い切る、こうさせていただく」様々ないい訳はなしで身体を動かしてしまうとこにご法様のおカを頂けることをお教えて頂きました。(K.T)


青年会スキー旅行

スキーツアー3月22日、23日に青年会で旅行に行かせて頂きました。旅行計画の際、場所を何処にするかで迷うかと思われましたが、温泉好きのとある青年会のお講師が、群馬県の万座を力強くお勧めいただいたことで、スムーズに計画は進んで行きました! 

当日は晴天で皆スノボーやスキーを満喫していました。

しかしとあるお講師は温泉が大好きなため、スキーなどには全く興味を持たず、必死に温泉に入っていました! 

その温泉に対するがむしゃらさと必死さがとても面白くて可愛くも感じました。でも、確かに最高の温泉で、参加者のみんなもとても喜んでいるようでした。 

夜はもちろん皆でお酒などを呑んで、楽しい一時を過ごしました。会話は弾み、和やかな時間は瞬く間に過ぎていきました!2日目も雨が降ることなく無事に晴天を迎え、楽しく、そして無事に帰ることが出来ました。参加者一同、御宝前からお計らいを頂戴したねと喜んでいました。 

そんな中で、私は4月から新潟へ引っ越すため、これが最後の青年会行事となります。これから新潟へ行ったら、こんな風に皆と楽しい時間を過ごせなくなると思うと、とても淋しく感じました。 

この旅行を機にして、乗泉寺から離れることをあらためて実感すると共に、青年会の仲間達が自分にとって本当に大切な存在だったのだと、初めてつよく感じました。子どもの頃からお寺へお参りしていた自分は、日常の御奉公を当たり前の物だと感じていたのかもしれません。 

しかし、寂しいと感じてる場合ではない、とも思います。これから3年間、新潟で自分を鍛えて、その経験を青年会に活かすために、もっともっと頑張ろうと思います。 

今回企画をして頂いた方々、本当にありがとうございました。新潟で頑張ってきます。お互いに成長して、また3年後に東京で会いましょう! 

青年会 K.Y

 


HPリニューアルのお知らせ

リニューアルですよ。乗泉寺では平成21年からホームページを開設しておりますが、4月1日よりリニューアルして公開する運びと相成りました。

リニューアルでは、ホームページのデザインを変更し、また所属教務によるコラム「教務ブログ」、信行体験談や乗泉寺のアーカイブを紹介する「妙証だより」など、さらに読者の皆様にご覧いただき易いように改善いたしました。 

また、インターネットの普及に伴い、若年層に興味を引いてもらえるよう、フェイスブックやツイッターにも対応させました。今後はホームページのアップ数にも更なる力をいれ、結縁ご奉公の一助になるよう努めてまいる所存であります。 

お友達にもご信心のことを勧めたいけれども、どのように説明すれば良いのか分からない。ご信心のことをもっと知りたいけど、なかなか手がかりがつかめない。などなど、教化や折伏のキッカケとしたり、信心増進の助けとして、乗泉寺ホームページを奮ってご活用いただけますようお勧め申し上げます。 

つきましては、リニューアルに伴い切り替えのテストを近日中に行う予定です。読者の皆さま方には、ご迷惑をお掛けしますが、ご了承いただけますようお願いいたします。


春季彼岸会

お墓参り
明日は、春季彼岸会が世田谷・八王子の両別院において午前11時より営まれます。
 

お彼岸とは、日本独自の風習で、鎌倉時代以降盛んになったと伝えられております。ご先祖や有縁無縁の人を思ってお墓参りをすることは、大変素晴らしいことです。

 

春のお彼岸の期間は、毎年3月の春分の日をはさんで前後3日合計7日間です。今年でいえば彼岸入りが3月17日、お中日は3月20日(春分の日)、彼岸明けは3月23日となります。 

佛立宗では常盆常彼岸で毎日ご回向に勤めておりますが、お彼岸の時期には改めてきめの細かいご回向を志し、御題目口唱でご回向させていただきましょう。 

また墓参者は、まず本堂にお参りをさせていただいてからお墓参りをいたしましょう。真のご回向は本堂の御本尊様を通して叶います。


お祖師様ゆかりの地を訪ねて

旭が森にて第2ブロックの「れんげまつり」は毎年乗泉寺内での開催が恒例となっておりましたが、今年は初めてバスで「お祖師様ゆかりの地を訪ねて」という企画を立てました。 

2月24日(日)当日は皆様のお徳で御法様より晴天のおはからいをいただきました。 

二台のバスに分乗し乗泉寺を出発。 

バスの中では「日蓮聖人の御生涯」というお講師手作りの“しおり”を読み聞かせくださり、「お祖師様の家系について」「清澄山旭が森での決意」「千葉小松原の御法難」などを学ばせていただきました。 

お祖師様は身の丈は180㎝(六尺)がっちりした身体の持ち主で肉付きもよい方で、この体躯が人難の生涯を耐え抜き、過酷な環境の生活にも対応し得たのであろう、とのお話も伺いました。 

立教開宗の聖地、旭が森は急で幾たびにも折り重なったような坂を登り、山門からは徒歩で雪の残る参道と階段を上った頂上にあります。この地より、お題目が初めてお唱えされたことに感慨無量となりました。 

皆様もはるかに見える大海に見入っておりました。コースは旭が森→道の駅まるたけで買い物→鏡忍寺散策→カステラ工房→金谷で昼食→小泉酒造でちょっぴり(?)試飲→海ほたるを経て乗泉寺へ帰山いたしました。 

盛りだくさんの内容で二台のバスには笑い声が絶えない楽しい一日を過ごさせていただきました。(K.Y)


東日本大震災第三回忌法要

慰霊塔
昨日、乗泉寺において東日本大震災第三回忌法要が営まれました。当日は、500名を超えるご信者さんがご参列、お焼香をくださり、東日本大震災で犠牲になられた諸精霊のご冥福を祈り、本堂で御題目をお唱えしました。

11時より当山住職川口日智上人に追善法要を勤修いただき、御看経の後、第五支庁次長より被災地並びに被災寺院の現況報告がなされました。 この二年間皆さまに支援活動をご協力いただいた御礼、そしてこれからの復旧活動の進め方をお話され、最後に平成27年にむかえる第7回忌法要まで心を一つにして支援活動に励んでいきましょう。と力強いメッセージを頂きました。 

ご回向
乗泉寺震災対策室長からも、これからの復興活動の協力を皆さまにお願いされておりました。続いて執事長が御講有上人の諭達を拝読され、最後に御導師より御法門を頂きました。

 

御教歌

なきたまの 名をいつまでも しるしおきて 佛立講で とむらはんとよ 

追善法要世の中には予想もしないことがたくさん起こってきます。我々佛立信徒は、物質ばかりにとらわれるのではなく、被災者の心の問題にも目を向けることが大切です。 

御題目をお唱えして、ご回向をさせていただき、人にこの御信心を授け、御利益を頂かせて元気づけていくことが一番の支援活動になるとお教えいただきました。 

お塔婆料、ご回向料と志厚い志し厚いご奉納ありがとうございました。皆さまからのお志は、東日本大震災の義援金として納めさせていただきます。


東日本大震災第三回忌法要のお知らせ

追善供養早いもので東日本大震災から二年という月日が経ちました。皆さんそれぞれに大変な思い出があると思います。 

東北の各寺院はおかげさまで少しずつ復興に向かい、弘通再建を果たしているようですが、まだまだ現地にお住まいの方などは、日常生活が安定せず心の傷も癒えないままです。

お互いご信者は共感共苦の心をおこし、人の悲しみに深い理解を示しましょう。 

乗泉寺では、明日10日に東日本大震災第三回忌法要が、渋谷本堂にて11時より奉修されます。遠く離れた東京からも、全ての諸精霊のご冥福を祈り、上行所伝のお題目で追善供養をさせて頂きましょう。


大目標と小目標

日蓮聖人は「先づ臨終のことを習ふて後に他事を習ふべし」と仰せられ、南無妙法蓮華経と唱え死にすることを忘れるな、万一、死に際に心を迷わすと未来成仏の因縁が断ち切れ、妙法を下種されたことがむだになるから信心第一を心がけよとの御妙判です。 

この御指南には、いろいろの大切な教訓が含まれています。特に、人生の終着駅に着目して、そこへ無事にたどり着くには、どういう勉強が必要か、それを他の事より優先的に考えて実行せよという点が大事です。つまり、人生の送り方には、どこへ行くのか行き先が定まらず、ただ流れにまかせて進む型と、めざす結末を計画して、それに向かって努力する型と二種煩ありますが、その後者を選べというのです。 

元来信心とは最良の帰着点をめざして進むものなのです。その帰着点とは寂光のことで、釈尊は衆生のまことの安住所である寂光を悟ると同時に、そこへの案内書を作って私どもに示されました。ですから信心には最初から目的地がハッキリしていますが、信心以外のことは目標は立てても、それに達すれば、またその次のがあって最後の帰着点は定めがたいのです。そこが信心と世間法との違い目です。 

したがって信者の場合は、今日の生活は寂光参拝のための手段なのです。ところがその手段である生活自体がやさしいものではなく、その中に飛び込むと、沈まぬように浮かんでいるのが精一杯で、いつの間にか目標を見失う人が多いのです。そして流れにまかせた型になって、目標をめざした信者の生き方でなくなるのです。それで目標に志向するケイコを日頃から盛んにやって、無目標の暮らし方を改良する訓練をする必要があるのです。 

そこで目標の画き方のケイコですが、二十年先、三十年先を計画するのも一方法です。老後の計画を早くから考えるのもよいことです。あるいは小キザミに目標を立てるのも一方法です。 

一ヵ年の計画では長すぎて、確実に前進するのに不向きの場合もありますから、一ヵ月ごとの計画を立てた方が、むしろ実行可能かもしれません。あるいは五ヵ年計画というのもあります。十年二十年の計画で進みたいところを、一応五ヵ年計画にして、その中に一ヵ年計画や、月別の計画を盛り込んで、その実現をはかる方法です。 

要するに目標を最初に定めて、それに向かって力を結集して進むケイコです。それでむだも少なく、効果的に日々を送ることができるわけです。以上のような目標をめざす生活をしつつ、さらに信者は大目標に突進するのです。 

臨終のことを先に習えということを、よくよく考えてください。よしや生活の目標が部分的には到達できなくとも、唱え死の大目的は達成せずにはおかぬと決定するのが信者です。生死に追われて目標を忘れたり、遊ぶ方には力を入れて肝心の目標を見失っていることに気づかぬようなボンヤリでほ前途が心配です。 

日晨上人要語録より


押しが強い

あの人は押しが強い。いいだしたらテコでも動かぬ。強情だ。ときどきそういう人を見かける。相撲の手として、押しが強いのなら、結構だが、面子や我意ばかりを押し通されては、ハタがたまらない。 

本当に押しが強いということは、面子や、我意のみが裏付けとなってはいません。むしろ、その反対ではないでしょうか。孟子が次の言葉をのこしているのを参考にして下さい。 

「自反而縮 雖千万人 吾往矣 自反而不縮 雖褐寛博 吾不惴馬」(孟子) おのれを反省してみて、正しければ、たとえ、相手が千万人あってもおそれはせぬ。 

断じて行なうが、自らかへりみて、それだけの信念がもてなければ、決して我意を押し通すようなことはしないという意でしょう。つまり押しが強いということはその主張する内容が正しければ押し通せるのです。 

その反対なら、どんなに心臓の強い人でも、そうむやみに主張できるものではありません。ですから、本当に押しの強いというのは、常に比較的正しいことを主張できる人のことをいうのであって、内容のない人が、ただメンツやていさいにこだわって我意をまげぬのは、頑迷という部類といってよいでしょう。 

古来、歴史上に残る人の中で、日蓮上人ほど押しの強い方を見出すことはできません。ということは、本当のことを主張して、一切衆生を助けずにはおかぬという慈悲心が強大であるからに外なりません。 

身に寸鉄もない一僧侶の身で国家権力をもった幕府に折伏のムチを加えたのです。これほど大担にして、且つ向う見ずの押し方は外に例がありません。然し、正しいことを主張する押しには必ず諸天善神が味方をして、不可能と思われることにも打開の道があるものと知って下さい。 

昭和44年6月発行 乗泉寺通信より


3月に入りました

すみれ今年の冬は、一段と厳しい寒さでしたが、春の暖かさを少しずつ感じるようになりました。 

とはいえ、季節の変わり目でもありますから、気温の変化に注意をして風邪などを引かないよう、健康で明るく前向きに御奉公に励んでまいりましょう。 

今月の主な行事は

10日(日) 11時~「東日本大震災第三回忌法要」(渋谷本寺)

20日(火) 11時~「春季彼岸会」 (世田谷別院・八王子別院) 

東日本大震災から2年が経過しようとしております。お亡くなりになられた全ての諸精霊に対し、追善供養の志をもってお寺参詣に励ませていただきましょう。 

また今月は、お彼岸の月でもありますから、先祖回向の大事をご家族や友人知人にお伝えさせて頂きましょう。