今があるのは

「僕は本門佛立宗というご信心をしています。これからお寺にお参りするので一緒に行って下さい。」これが主人との初めてのデートで言われた言葉です。

当然ですが、私はビックリしたのと同時に、何か怪しいツボでも買わされるのかなという不安な気持ちで一杯になりました。そしてお寺に着くなり「隣に座っているだけでいいよ」と言われたので、側で様子を伺っていると「南無妙法蓮華経」と唱えているので、またビックリです。

宗派は違いますが私は小さな頃、祖母に仏壇の前に座らされ「南無妙法蓮華経」と手を合わせていました。何かあった時には「南無妙法蓮華経」と唱えるといいんだよと言っていた祖母の言葉や、金縛りに合う度に「南無妙法蓮華経」と必死で唱え、体がスッーと楽になった事などを思い出しとても親近感が沸きました。

しかし、いざ結婚するとそんな甘い気持ちはすぐに吹っ飛びました。主人とご信心中心の生活が始まったからです。勿論私には全然理解が出来ず、何度も反発しやりたくないと訴えました。しかし、主人の応えは「君を幸せにしてあげられるのは僕じゃない。御法様なんだよ。」と返事はいつも同じでした。

主人は、何とか私をお寺へ足を運んで貰おうとご奉公の後には友人の夫妻を巻き込んで飲みに行くとか、夕食作りの免除とか、あの手この手を使って奮闘してくれました。友人夫妻には、ご信心の悩みから夫婦喧嘩の仲裁まで、多方面にわたりお世話になっていたので飲み会はいつも楽しかったけれど、正直それでもご奉公や御講参詣は苦痛でした。

そんなエサにつられて嫌々させられていたご信心でしたが、ある事がきっかけとなり気持ちが変わっていったのです。

4年前、椎間板ヘルニアで2週間程入院しました。その時、乗泉寺あゆみ会の方々が中心となりお助行をして下さいました。その当時お受持ちだった御講師と沢山のご信者さん方が私の為のお助行をして下さいました。「とても良いお看経があがったよ」と主人から聞いた時には素直に嬉しく、有り難くて涙が出る程でした。

勿論、祖父の代から続く、家のご信心があったからこそなのですが、大勢の方々が私の為にお看経をあげて下さった事が入院中の私には何より励みになったのです。そして皆さんのお助行に報いる為に、自分はどうすべきか考えました。

その答えは、私もお看経をさせて頂き、御宝前にお願いをして一日でも早く元気になり、ご奉公をさせていただくことなのではないかと思い当たったのです。もうこれが私の生きる道なのだ!どうせなら少しでも楽しくさせていただこう。そう気付いた時逆に気持ちが楽になりました。今になってみると、あの時のお助行には当病平癒のお願いだけでなく、色々な想いが込められていたのかなと思わずにいられません。

宗外者の嫁をもらった主人は、苦労が多いと思います。でも、私の頑張る姿を見て自分も頑張れる、私に折伏しながら自分自身にも言い聞かせていると主人も言っていますのでそれはそれで良かったのかなぁと思っています。

栃木と東京、運命的な出会いをしてしまったのですから、そう簡単に投げ出すことは出来ません。結婚11年目、夫婦揃って毎日お寺参詣が出来ること、二人とも健康でおいしいお酒が飲めることや、いつも支えて下さる方々に出会えたことを御宝前に感謝しています。ありがとうございました。(R.A)

あゆみ会大会信行体験談発表


オーストラリアでの助行体験

私の娘は、オーストラリアの方と結婚し、ゴールドコーストに家庭を持っています。その娘が第2子を出産するので、その立ち会いに昨年の7月から10月まで、オーストラリアに行ってきました。その際に、心洗われる信行体験をしましたので、本日はその体験談を御披露させていただきます。

以前にもお話しましたが、娘夫婦の間には、3年ほど前に出産した心臓が半分しかない長男がおります。その子の出産の際、医者から諦めるように言われましたが、娘は何としてでも産みたいと、医療技術が進んでいるメルボルンにある病院を見つけました。

ゴールドコーストからメルボルンまでは、車で2日間かかる遠いところにありますが、私は、メルボルンと聞いて、不安よりも助けていただけるとの希望の方が大きかったことを憶えています。

それは、メルボルンには、八王子清流寺別院があるからです。娘はメルボルンの病院に入院し、そして病院から1時間のところにある清流寺別院にも頑張ってお参詣に励みました。別院の御信者さんにも沢山のお助行をいただき、お陰様で、現在3歳半、心臓に不安はあるものの元気で腕白な子供に育っています。

そして、この度は、第2子を無事に出産することもできました。また出産の際、臍帯血(さいたいけつ)という母と子を結ぶ臍(へそ)の緒に含まれる血液を確保することも出来たのです。臍帯血には、心臓を回復させる細胞があるようで、長男の病気が良くなるきざしも見え、2重の喜びでした。これも御法様のおかげと改めて随喜しております。

とはいえ、まだまだ安心できる状態ではありません。もっと御法様のお守りをいただきたいと考え、私は、以前メルボルンの御信者さんに、ゴールドコーストから車で1時間のブリスベンで、毎月一回お講が奉修されている話を聞いていたので、娘にお参詣することを勧めました。

私も一緒にお参詣させていただき、お参詣者は皆日本の方で、4、5人ほどですが、皆さんとても一生懸命に御題目をお唱えしておりました。翌月には娘の家でも御講を奉修させていただき、その翌月には清流寺の御住職に御講を勤めていただき、みな大変喜んでおりました。

私は、みなさんの頑張っている姿に感動し、そして、それぞれのお宅にお助行させていただきたいと帰国間際に思い立ちました。娘と一緒にお助行をさせていただくと、みなさん、それぞれの問題を抱えながら御信心されていることが分かりました。家庭の事情で懐中御本尊のみで御信心をされている方や寝室に御本尊をおまつりしている方。また、お亡くなりになられた方の御回向のために御信心をされている人などさまざまでした。

それでも、みなさん一生懸命に御信心に励まれており、娘も息子の問題を抱えておりますが、この輪に入っていれば大丈夫だと感じました。そして、何か起こるかわからない海外でも、仏立宗の御信心をさせていただけることを心強く思いました。

私は、このオーストラリアでのお助行を体験して、自分はとても恵まれた環境で御信心をさせていただけることに改めて気付かされ、もっと御信心に励んでいかなければとも痛感しております。日々の御題目口唱の時間を大切にし、そしてお教化やお助行の菩薩行に励んでいきたいと思っております。(T.S)

御教歌
助行には つれてあるけよ 新教化 現証を見て 信心をます

平成25年寒参詣発表


お助行で頂いた私の御利益

ありがとうございます。高校受験で第一志望の推薦入試に合格することが出来ました信行体験談をお話させて頂きます。

昨年の十二月、もうすでに自分の行くべき進路が決まっていなければイケナイ時期なのに、私は『特に行きたい高校もないし、この先どうすればいいのだろうか。』という気持で一杯でした。

回りの友人はそれぞれに進路を決め、いきいき勉強している姿を見るとよけいに焦りを感じてしまいました。そんな中、やっと自分の納得いく志望校を決めることが出来たのですが、『果たして私は本当にこの高校に進むべきなのか』と最後の最後まで悩んでしまいました。

そして、年が明けた推薦入試の前日、世田谷別院で青年会担当のA.wa師をはじめ、青年会の皆さん、ガールスカウトのリーダーやメンバー、水魚会の方、沢山の方々に『無事合格成就』のお助行をして頂きました。

とても、有り難く感謝の気持ちで一杯でした。更に当日には、青年会のY.Kさんが入試の時間に合わせ、実力発揮のお助行をして下さいました。

試験の当日は、そういった皆さんのお陰で、御法様のお力添えを頂いて、普段だったらとても緊張してしまうはずの面接も、不思議と緊張する事なく、大きなミスもしませんでした。

言葉では上手く言えませんが、前日の皆さんの温かいお助行が、消極的な私に大きな力を与えて下さり勇気づけられたんだと、心の底から思いました。

今、こうして私が高校生になれたのは、御講師をはじめ、青年会の皆様、そしてお助行に参加して下さった沢山の方々のお陰、そしてご信心のお陰だと、深く感謝しています。   これからは、もっとお助行や御講参詣、お寺の御奉公、青年会の活動に参加させて頂いて、少しでも御法様、皆様のお役に立たせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

青年会  U.A


懺悔・改良・百本祈願

昨年風邪をこじらせて、心不全をおこしてしまい、医者から、苦しくなったら直に救急車で病院に飛び込めと指示されていました。出来るだけ安静にしていたので、家事もまともに出来ない状態が続きました。今年に入ってその心配はなくなりましたが、体カが回復せず、食欲もなく、そんな状態が四月頃まで続きました。 

それでも教区内のご奉公は何とか頑張っていました。でもお寺に行けません。夜、薬を飲むもので、夜中、七、八回トイレにおきます。やっとお寺に行けても居眠りばかりです。お導師の「一日に一度はお寺に来るように」とのお折伏にも、気特ちはお落ち込むばかりでした。もう体カの限界を感じもう何もしたくない。と諦めかけておりました。 

そんな時、定期検査にひっかかり、膝の恥骨の処に、三、四センチ大の腫瘍が見つかり、癌の可能性あり、とのことです。ほっておいていいものではないが、簡単に手術出来る場所ではないとの事、手術しても、七割は歩けなくなるとか、人工肛門をつけるとか、後遺症が残ると言います。 

実は、ここに至るまでには、私に一つ気になることがありました。一年半程前から謡曲のお稽古を始めました。若い頃より謡曲の調べは好きでしたが、まさかそれを習う機会に恵まれようとは思いませんでした。私に向いていたのか、楽しくて、このうえないストレス解消でした。でものめりこまない様に気をつけていましたが、性格的にそうはいきませんでした。 

何か体調も、ご奉公でもスムーズにいかない事が続きます。“気のせいよ!一つぐらい好きな事やってもいいじゃない!”と自分にいい訳をしながら、心のどこかで「まずい!まずい」と思いながら続けました。そして、結果がこうです。 

私は、頭を殴られた思いがいたしました。でもとても手術する気力も体力も無いと思え、御法様におすがりするしかないと、心を決めました。医者には、悪性でも良性でも、手術はしないです。痛くなったらよろしくお願いしますと伝え、医者も承知してくれました。 

私は御宝前にお懺悔をして、検査の傍ら、五月一日より百本祈願に入りました。主人もそれしかないと思うならと、全面的に協力してくれました。開門から午後一時、二時まで、ひたすらお題目をお唱えしました。最初の一週間は、つらくて、つらくて、文字通り、這うような思いでお寺に行きました。家へ帰りつくと、倒れるように横になります。十日も過ぎる頃、不思議と身体が軽くなっていくのが分りました。段々と食欲も出てきました。 

気が付くと教区のご奉公も中断することなくやっておりました。ご祈願も最初は自分の身体の為のみでしたが、何時の間にか自分の身体のことよりもご奉公成就しますようにと願っていました。五月二十日百本祈願成就。検査の結果、何処にも癌はありませんでした。後は肉腫の心配ですが、年令的にその確立は低いとのことでした。 

ご祈願が終ってもずっとお寺に来られます。御法様は諦めかけていた私に、このような形で信心決定をさせてくださったのだと思います。「そうしたいと思う」とかではまだ決定ではなく「思い切る、こうさせていただく」様々ないい訳はなしで身体を動かしてしまうとこにご法様のおカを頂けることをお教えて頂きました。(K.T)


大切な友人をお教化

私は祖母の代から数えて3代目の信者です。3年程前から乗泉寺の青年会に所属し御奉公させて頂いております。私の母は今までに何十人もの方をお教化させて頂いている大変熱心な信者です。私も小さい頃から母に連れられお寺参詣をしていました。 

仕事は、10年以上看護師として病院勤務をしており、現在は手術室へ配属されております。看護学生の頃から日々勉強に追われて、常に生死と隣合わせでいることは、肉体的には勿論、精神的にも決して楽なものではありませんでした。 

それに加えて大変せわしない毎日ですから、休日ともなれば、身体を休める為に昼過ぎまで寝てしまうなど、ご信心から離れた期間もありました。そんな私が乗泉寺の青年会に所属し、お寺参詣に励むようになったのは、妹に「乗泉寺の青年会は楽しいからおいで!」と声を掛けて貰ったことがきっかけでした。 

丁度その頃は別の病院へ職場を変えた時でもあり、30歳を目前にして、心機一転するには良い時期でしたし、良い加減きちんとご信心と向き合わなくてはいけないと感じていましたので、何の迷いもなく乗泉寺の青年会に所属することを決めました。 

青年会に所属してすぐの時は、戸惑いが多く「いかに今まで自分がご信心から離れていたのか」と反省もしましたが、青年会やあゆみ会の方々が親切に色々なことを教えて下さり、次第にもっとお寺のことをきちんとしなくてはと私なりにですがお寺参詣や御法門聴聞、朝と晩の御看経を頑張らせて頂いてました。 

そんな中、昨年お教化させて頂いたKさんとお寺のことをお話しする機会が生まれました。Kさんは以前勤めていた同じ職場の先輩で、慣れない私に親切で的確に指導してくれましたが、数年前に他の病院へ転職していました。職場が変わり、しばらくは会う機会も減っていましたが、ふとKさんに悩みを聞いて欲しくて一緒に夕食を食べることになった時でした。 

その日は丁度、青年会のお講でした。お講へ御参詣した後にKさんと会い、彼女から「今日は何をしていたの?」と聞かれました。いつもならお寺のことは、ちょっと恥ずかしいので友人などに話さないようにしていたのですが、その時は全く恥ずかしいと思わず、不思議と彼女なら聞いてくれるのではないかと思い、青年会のお講のことやその日の御法門の内容を話しました。 

その時の御法門が、御回向についてでした。彼女は大変興味をもってくれ「私もお寺へ行きたい」と言ってくれました。勿論今もですが、私の友人や知人にお寺のこと、ご信心のことを正確に説明する自信はありません。 

ですが、折角彼女からお寺参詣をしたいと希望してくれたので、この機会を大切なものにしたいと思い、母にも協力を願い、彼女の自宅からも近い八王子の清流寺へ母とKさんでお寺参詣をして貰い、その後すぐに乗泉寺へ参詣を致しました。 

Kさんは驚いたことに乗泉寺へ初めてお参詣したその日に、その場で入信書に記入されました。私自身は「下種」や「お教化」という言葉の意味すら理解していないにも係わらず友人をお教化をしてしまいました。 

その後は、皆さんから「お教化が出来て凄いね!」と声を掛けて頂きましたが、今回のお教化は、決して私一人の力ではなく、色んな方のお力添えがあったからだと思っております。Kさんをお教化させて頂いてから、一緒にお寺参詣や御講参詣、御奉公が出来たことは勿論、勉強熱心である彼女の方がどんどんご信心のことに詳しくなり、今では逆に私が彼女から教えて頂くことも多くあります。 

また、育成御奉公の難しさも身にしみて実感致しました。私は親の代からの信行相続ですが、Kさん自身は、目にするモノ、耳にする言葉、ご信者さんの作法など全てが初体験です。ですから、彼女が抱く様々な疑問に対して、わかったつもりでいて気がつかなかったことが多くありました。 

個人的には、新入信やご信心をオススメしたい方、青年会世代を対象にしたごく簡単でわかりやすいテキストや配布物の必要性も感じました。 

更には、私自身が本門佛立宗のご信者であることを恥ずかしがらずに友人や知人に声を掛けることの大切さに気付かせて頂きました。Kさんをお教化させて頂いてから、私の周りでは不思議なことが多く起き始めました。 

職場の同僚や私の周囲の友人や知人などに悩みを相談される機会が増え、自然な流れでご信心のことをお話しするようになりました。皆私が思っている以上に、先祖供養のことや人間関係、病気などの悩みを抱えていることが分かりました。何人かの方は一緒にお寺参詣することが出来たり、一人でお寺参詣を続けられた方や御講師とお話した方もおります。 

現在こうしたご縁を頂いていることは、私の大切な友人や知人などしっかりと御題目でお救いしなさいと御法様から後押しをして下さっているようにも思えます。 

私はKさんのお教化を通して、非常に多くのことを学ばせて頂くことが出来ました。日々の御参詣や御奉公の中で色々な壁にぶつかりながらも、少しずつ信心増進をしながら成長出来ていることは、本当に有難いことであります。 

今後も楽しくお寺参詣、御講参詣や御奉公に励み、一人でも多くの友人を恥ずかしがらずにお寺へお誘い出来ればと思っています。(A.U)

門祖日隆聖人550回御遠諱御正当総講発表


70歳の節目での大きなお計らい

私は、今年72歳になります巳年生まれでございます。年はとっておりますが、にわか信者の様なところがありますので、まだまだいたらない点が多く、皆さまに迷惑をおかけしております。今日に至るまで数々のお計らいを頂いていますが、本日はその中でも最大のお計らいを頂いたお話をしたいと思います。 

昨年の9月初旬、まだ夏の暑さが残っている頃のことです。丁度妻が実家に帰省中の深夜のことで12時近くのことでした。急に胸が苦しく息が出来なくなって来ました。少し休めば落ち着くと思って休んでおりましたが、一向に胸の動悸は治まりません。 

それどころかますます苦しくなり、これはただごとではないと自分でも思い始めました。妻不在の深夜の事とて、途方に暮れていたところ、長男の在宅に気づき、直ちに救急車の手配をしてもらい、田無の病院に搬送されました。 

スタッフの判断で、ある程度の規模の病院でなければ処置できないと判断されたようでした。検査したところ、環状動脈がつまり、心臓に血液がいかなくなった急性心不全とのことで、朝まで待っていたら間に合わなかったそうです。 

翌日、カテーテルの検査の結果、バイパス手術以外にはないという事になり、心臓専門の榊原記念病院を紹介されて名医執刀のもとに手術が行われました。結果は見事大成功でした。1年後の昨年末の検査結果も良好でした。 

かえりみれば、手術の最中意識の混濁していく中で必死に御題目をお唱えしていた事を思い出します。我々信者は最後の頼もしいよりどころがあります。 

そのことが平常の安心につながっていると思います。70歳の誕生日をすぎてすぐの大きなお計らいをいただき、ますますの御奉公に邁進する所存でございます。(S.H)


佛立信者の家に生まれた喜び

私は佛立信心二代目です。母は結婚して子供を授かりましたが、初めての子供は生まれて直ぐ亡くなったそうです。そんな時、父が、教化親と成られる方から子供がよく育つからと言われて、その言葉を信じて御本尊様を頂いてきたそうです。 

今思うと御不敬は無かったのかなと思い返してしまいます。多分教化親さんと共に見えて母には何も言わずにおまつりさせて頂いたようです。次の日から、父は何もしません。御宝前のお給仕は母まかせ。母は田舎育ちで、敷地内にある神様に子供心にお願い事や、ごめんなさい等、人には言えないことを密かに参っていたようです。 

そんな信心のある母は、教化親さんから一週間毎日御宝前のお給仕等、親切に教えて頂きました。お講願主にもさせて頂きました。 この頃は添え講ではなく、各家で毎月お受けしていた様で、よく混ぜご飯を御供養としていた事を聞いています。私も生まれた時に御宝前がありましたので、朝夕のほんのご挨拶程度で、「無始已来」をさせて頂いておりました。 

又、子供心に何か御願い事がある時、お懺悔の気持ちをもった時、やはり、御宝前にお祖師様にお話させていただいて信心前をはぐくんで来たと思います。 家の柱御宝前があることは大切な事です。 

今、東日本大震災以後、信仰を考える人が多くなったと聞きます。人生25年づつ区切って計画を立てたとすると、今年77歳になる私は最後の25年です。佛立信者らしく寂光参拝をさせて頂きたいと願っておりますが、その後、私にとって初めての試練にぶち当たりました。罪障怨嫉です。今まで、あまり考えたり身に読んだ事はありませんでした。 

私は、結婚と共に準宗徒として、御奉公も言われるままにさせて頂き、もう50年になりますが、昨年通信の「慈聞抄」にも書かれておりましたが、言葉の影響、言葉一つでやる気が出たり、無くしたりする。本当の菩薩行を行ずるならば、必ず怨嫉が現れる。生かすも殺すも言葉一つ身にしみて受けました。 

これからは、更に良く御法門を聴聞して、幾多の苦難も乗り越える覚悟をして行きなさいとのご慈折と心得て頑張りたいと思います。 近年就活、婚活と言われています。私の様な老人は認知症と体力も衰えてきます。 

佛立信者は何時迄も脳活を目指し、お教化に励まさせて頂き、終活は死。これは「臨終を先に習え」と教えて頂いておりますので、化他即自行で一遍でも多く御題目を唱え、唱え死にさせて頂ければ本望です。(H.S)


初めての教化親

去年の11月、降って湧いたように突然、教化親になり、皆さんから「お教化できて本当によかったですね。おめでとう」とお声をかけていただきました。実は特別なことは何もしていないのに、どうしてそうなったのか、これからお話ししたいと思います。 

もともとこの御信心に入ったのは、明治生まれの義祖母で、主人が小さい頃から体が弱く、大人になるまで生きられないだろうとまで言われていたためでした。毎日お題目を朝夕に唱え、私が主人と結婚してからも「無事養育成長の御願い」は続きました。 

何も知らない私の勤めは、毎日お初水をとることと御宝前のお花を絶やさないことであり、40数年たった現在も続いています。結婚後、私も働いていたので、2人の子育てと家事に追われ、主人ともども御宝前には朝の「おはようございます」と仕事から帰った時の「ただいま」、夜の「おやすみなさい」の挨拶をするだけでした。 

御信心の3代目となる主人がお題目を唱えるようになったのは、母親が97歳で帰寂してからのことです。昨年の8月に3回忌を行いましたが、亡くなった当日から今日まで、お看経を朝晩に唱え、時には酔っぱらって帰ってきても「今日は短くてごめんなさい」と一日も欠かしたことがありません。これには一緒にいる私もびっくりしています。 

2人とも退職してからは、お寺の行事にも参加するようになり、初めての団参は一昨年の青森で、昨年はロサンゼルスまでお参りさせていただきました。寒参詣や夏期参詣にも励ませていただき、昨年、初めて主人は夏期参詣で皆参賞をいただきました。 

私たちをよく知る皆さんからは「2人が元気でお参り出来ることがお計らいで、御利益なのよ」と言われました。そう言われると、最近はそうかもしれないと思うようになってきました。 

このように夫婦で御信心に励ませていただいている中、私の所に寺務所から一本の電話が入りました。それは、「以前、御信心に励まれていた方が、再び御信心をしたいと寺務所を訪ねてきています。住所が私の家の近くなので連絡しました」という内容の電話でした。 

後日、その方とお会いしお話をお聞きすると、お母様が主人の祖母と一緒に御奉公されており、乙のお講も一生懸命に励まれていたようで、共通の話題もあり、これもご縁と受け取り、教化親にならせていただきました。 

石の上にも三年、導かれるように、御法様にも信者として認めていただいたような今の気持です。しかし、教化親となっても形だけで、本当の御信心のことは、まだほとんど分かりません。お講師からは「今後は教化親子ともども勉強し、御奉公に頑張って御利益をたくさん頂いてください」との励ましのお言葉をいただきました。 

子どもを教え育てられるような親になりたい、ならなければいけないと考えています。また、今年の初総講の時の御導師のお言葉、「明るさ・素直さ・感謝する心を持つ人」が教化出来る人の条件であることを知りました。この三つの条件は御信心だけでなく、実社会で働いてきた者として、また日常の生活をしていく上でも、とても大切な事であると思っています。 

現在、ブロックの皆さんがとても親切にいろいろと教えてくださり、総祈願にもありますように、これからの人を育てようとしていることが本当によくわかります。皆さんのお心遣いを学び、御法様からのお力をいただきながら、今後も主人ともども頑張りたいと思っています。(M.O) 

平成25年寒参詣発表


母の臨終に学ぶ

私は、三代目信者の主人の元に、ご信心とは全く無縁の家から嫁いで参りました。ご信心の事は一緒に住む二代目信者の義母に、いろはから教わりました。同居生活の中で、朝晩のお看経を欠かさない義母の姿を見て、「このご信心を大切にお守りしていこう」という気持ちが自然と涌いてきました。 

義母の口癖は「このご信心を続けていると、こんな良い死に方ができるのだという姿を家族に見せたい」というものでした。そんな義母に、一昨年末期がんが見つかりました。義母は、抗がん剤治療をせず、緩和ケア病院で最期の時を迎えたいと望んでおりました。

普通なら3ケ月から半年待ちと言われた第一希望の病院に、運よくすぐ入院できるというお計らいを頂き、痛みも苦しみもほとんどない、本人の希望通りの穏やかな最期の日々を過ごしておりました。 

ところが、いよいよ危篤状態となった時、なぜか目がかっと見開き、まるで能の般若の面のような恐ろしい形相になってしまいました。私には、義母が「何か伝えたいことがあるのでは…」と思えました。 

そして、私は、義母が入院してから1ヶ月半、毎日お寺と病院の往復で家にいる時間がなく、御戒壇のお掃除は朝のはたき掛けだけになっており、元々義母に任せきりにしていたお道具のお磨きや部屋のお掃除は殆どできていなかったことにハタと気づきました。 

少し容態が安定したので、私は慌てて御戒壇のお掃除をさせて頂きに帰りました。1ヶ月半分の挨は大変なことになっており、お掃除が苦手な私は義母の倍の時間をかけて丁寧にお掃除をさせて項きました。 

御戒壇と部屋がピカピカになった日の翌朝、まるで安心したかのように、静かに息を引き取った義母の顔の相は、もう般若の相ではなく、大変穏やかな相に変わっておりました。私ども遺族は、義母が寂光参拝させて頂けたことを確信し、有難い気持ちで一杯になりました。 

義母が、命を懸けて「ご信心を続けて行くことの大切さ」と「お戒壇のお掃除を怠ってはならない」と教えてくれたことを忘れず、これからも日々の信行御奉公に励みたいと思います。(K.S) 

平成25年寒参詣発表


娘が感得した御利益

昨年の10月に次女のいただいた御利益をお話させていただきます。以前の次女は御信心の話をするたびに、「気分が悪くなるから止めて」と言っておりました。 

しかし、2年前にある挫折を経験しました。その時、私は信心の気持ちを起こすチャンスと思い、博多・光薫寺さんで出版されている「まごころ」という小冊子を毎月、娘に渡しました。その結果、娘なりに因果の道理を少し理解できたようで、それから短時間ですが、お題目をお唱えするようになりました。 

そんな折、朝のラッシュ時に、新宿駅構内の階段を登っている時、初老の男性に娘の傘が触ったのです。娘はすぐに謝りましたが、その男性は怒り出し、大きな声で娘に罵声をあびせながら、持っている傘で娘をたたきました。幸い、傘は娘のバッグに当たり、事なきを得ましたが、男性はわめき続けていました。 

そこへ、ある中年の男性が現れて、わめいている男性に「やめなさい」と言って、男性を鎮めようとしてくださいました。さらに、呆然と立っている娘のところへ、他の中年の男性がやって来て、「ここは大丈夫だからあなたは行きなさい」と声をかけてくださり、娘をその場から立ち去らせ、電車に乗るまで見送ってくださいました。この二人の男性のおかげで、娘は無事に目的地へ遅れることなく着くことができました。 

娘の帰宅後、この出来事を聞いた時、本当によかった。お二人の男性に感謝させていただくとともに、私は娘に「御法様に助けていただいた」とも話をしました。すると、娘もそう思ったと素直に言っておりました。

よく御法門で御信心に励んでいると、いざという時に御法様が変化の菩薩を使わせて、お守りをくださると教わります。お二人の男性はきっと、変化の菩薩だと感得させていただいております。これからも、御法様に助けていただけますよう、ご本意にかなった信行御奉公に精進させていただきたいと思います。(M.M)

平成25年寒参詣発表