初めての教化親

去年の11月、降って湧いたように突然、教化親になり、皆さんから「お教化できて本当によかったですね。おめでとう」とお声をかけていただきました。実は特別なことは何もしていないのに、どうしてそうなったのか、これからお話ししたいと思います。 

もともとこの御信心に入ったのは、明治生まれの義祖母で、主人が小さい頃から体が弱く、大人になるまで生きられないだろうとまで言われていたためでした。毎日お題目を朝夕に唱え、私が主人と結婚してからも「無事養育成長の御願い」は続きました。 

何も知らない私の勤めは、毎日お初水をとることと御宝前のお花を絶やさないことであり、40数年たった現在も続いています。結婚後、私も働いていたので、2人の子育てと家事に追われ、主人ともども御宝前には朝の「おはようございます」と仕事から帰った時の「ただいま」、夜の「おやすみなさい」の挨拶をするだけでした。 

御信心の3代目となる主人がお題目を唱えるようになったのは、母親が97歳で帰寂してからのことです。昨年の8月に3回忌を行いましたが、亡くなった当日から今日まで、お看経を朝晩に唱え、時には酔っぱらって帰ってきても「今日は短くてごめんなさい」と一日も欠かしたことがありません。これには一緒にいる私もびっくりしています。 

2人とも退職してからは、お寺の行事にも参加するようになり、初めての団参は一昨年の青森で、昨年はロサンゼルスまでお参りさせていただきました。寒参詣や夏期参詣にも励ませていただき、昨年、初めて主人は夏期参詣で皆参賞をいただきました。 

私たちをよく知る皆さんからは「2人が元気でお参り出来ることがお計らいで、御利益なのよ」と言われました。そう言われると、最近はそうかもしれないと思うようになってきました。 

このように夫婦で御信心に励ませていただいている中、私の所に寺務所から一本の電話が入りました。それは、「以前、御信心に励まれていた方が、再び御信心をしたいと寺務所を訪ねてきています。住所が私の家の近くなので連絡しました」という内容の電話でした。 

後日、その方とお会いしお話をお聞きすると、お母様が主人の祖母と一緒に御奉公されており、乙のお講も一生懸命に励まれていたようで、共通の話題もあり、これもご縁と受け取り、教化親にならせていただきました。 

石の上にも三年、導かれるように、御法様にも信者として認めていただいたような今の気持です。しかし、教化親となっても形だけで、本当の御信心のことは、まだほとんど分かりません。お講師からは「今後は教化親子ともども勉強し、御奉公に頑張って御利益をたくさん頂いてください」との励ましのお言葉をいただきました。 

子どもを教え育てられるような親になりたい、ならなければいけないと考えています。また、今年の初総講の時の御導師のお言葉、「明るさ・素直さ・感謝する心を持つ人」が教化出来る人の条件であることを知りました。この三つの条件は御信心だけでなく、実社会で働いてきた者として、また日常の生活をしていく上でも、とても大切な事であると思っています。 

現在、ブロックの皆さんがとても親切にいろいろと教えてくださり、総祈願にもありますように、これからの人を育てようとしていることが本当によくわかります。皆さんのお心遣いを学び、御法様からのお力をいただきながら、今後も主人ともども頑張りたいと思っています。(M.O) 

平成25年寒参詣発表


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