年末年始御奉公のご案内

■諸奉納のご案内

「年末お炭代」御宝前へのお歳暮、1年間のお礼のため。

「お鏡餅料」「お供酒料」新しい1年の無事息災、ご奉公成就を祈るため。

「本山初灯明料」本山宥清寺の御宝前の荘厳料。

■ご有志と寄付

「寄付」とは、公共事業や福祉施設のために、自己の善意で、お金や財産などを無償で提供することです。

「ご有志」とは、執着心を捨てる修行。御宝前(仏さま)のために、世俗に対する欲の心を捨てて、仏道修行に志し有る(有志)思いを、財という形に表して、納め奉る(奉納)布施行の1つです。

■ご有志の心得

ご有志の心得は、喜んですすんでさせていただく、「喜捨」の精神が大切です。

人から強制されて、シブシブ出すのは喜んでいることにはなりません。お金が不要で捨てるのではなく、「惜しむ心を捨てる」のが、ここでいう「捨てる」という意味です。

■お初の取り方

「会社員」お給料をいただいた日に、一番先に取る。

「自営業」月の一番初めの稼ぎを、御宝前のためのお金としてそっくり取る。

「子ども」おこづかいをいただいたら、一番先に御宝前のためのお金を取る。

「特別収入」思わぬ収入を得た時も、必ず初めに御宝前のためのお金を取る。

お初は、一番初めに、御宝前のためのお金を別にしておく。惜しい気持ちに負けずにお上げすれば、欲の心に勝ったことになります。財布に残っているお金から、場当たり的にお上げすることはいけません。

■ご有志の功徳と果報

①先祖のご回向のためにすれば、先祖が喜びます。

②ご弘通のためにすれば、諸願成就のご利益をいただきます。

③ご法さまのお守りをいただいていることへのお礼の功徳が積めます。

■ご有志のすすめ方

◯すすめる前に

どんな目的、どのような使われ方、納入の仕方・期限を理解する。

相手が「喜びの心」で受けてくれるようにご祈願する。

どんなに親しい人でも、ご有志をすすめる前にお看経する。

◯すすめる時は

「いくらにするの」玄関や立ち話ですすめない。

「これくらいでいいの」本当はできるのに、ご有志を止めない。

「これぐらいにしなさい」相手のご有志の金額を指定しない。

■さいごに

週に1度、月に1度、年に1度でも、タバコ1箱分、缶ビール1本分、外食1回分、コンビニ1回分で使うお金を、御宝前のために貯めて積み重ねれば、必ずご有志はできるものです。できるには、どうしたらご有志ができるのか考えて実行すると、お金に困らない果報が身につきます。

■元旦会のご案内

平成28年1月1日(金・祝)0時 渋谷・乗泉寺本堂

西洋の詩人シラーは「時の歩みは三重である。 未来はためらいつつ近づき、 現在は矢のように早く飛び去り、 過去は永久に静かに立っている」と言っております。

新しい年を迎えることは「めでたい」「ありがたい」とただ言っているだけでは、また1年をアッという間に時の流れに飲み込まれてしまいます。

開導聖人の御教歌に

「新しき年もろともに信行の 改り行く春ぞ目出度き」

生活もご信心もともに改良することによって、初めて正月はめでたいものだと教えられた御教歌です。

来年も、心を一新して、御宝前にご祈願を立てて、その実践の一歩を踏み出しましょう。お互いに新年をめでたく迎えるために、元旦会のお参詣をオススメします。深夜ですから、目や足に自信のない方は、31日午後4時の年末御礼お看経、または、1日午前6時半の初お看経にお参詣させていただきましょう。


お塵払い・大掃除のすすめ

今年も残す所、あとわずかとなりました。

この時期になると、何かやり残した事があるような、このままじっとしていてはもったいないようなソワソワした気分にさせられます。みなさんはいかがでしょうか。

年が改まるといっても、何か特別良い事が向こうからやってくるわけではないのですが、

だからこそ年の切り替えと共に、気持ちを新たにし、来る年に希望を持ちたい。そんな風に考えます。

 

そこで、皆さまにおすすめしたいのは、大掃除です。

今年一年で溜まった不要なものを整理し、机やタンスもどけて、見えない所まできれいにする。これにより、心も頭もすっきりし、自分にとって本当に必要なものが見えてくるような気がします。

そして何より大切なのは、御宝前の御掃除です。

「今年一年、お護りいただき、どうもありがとうございました。及ばずながら、みこころに沿うよう精進しますので、来年もどうぞお見守り下さい」

こうした気持ちで、丁寧にお給仕させていただくことが大切で、ご家族のいらっしゃる方は、皆で手分けして、子どもやお孫さんにも佛立信者としての姿勢を教えてあげていただきたいと思います。

 

京都の長松寺(開導聖人の御晩年のお住まいでもある)の御戒壇は、桜材の美しいものですが、百数十年前のものとは思えないほどつやつやとした光沢を放っています。これは当時の女性信者さんたちが、心を込めて磨き上げたものだそうです、

「御戒壇のお掃除に気張れば、べっぴんになる」という開導聖人の御言葉を信じて、一生懸命お掃除に努めたというその女性たちは、きっとチャーミングで、はつらつとしていたに違いありません。

どうぞみなさんも、ご自宅の御宝前をきれいにし、心にも体にもたくさんのお計らいをいただき、良い年を迎えてください。


高祖会体験談②

高祖会第二日目の信行体験談を掲載させていただきます。

以下本文

大変お世話になった方から3年前に、家を借りるため連帯保証人になってほしいと頼まれました。どうしてもお断りすることができず引き受けましたが、ある日突然夜逃げをされてしてしまいました。

裁判所から手紙がきたり、業者から執拗に電話で返済を迫られました。弁護士に相談をしながら話しを進めて参りましたが、身も心も疲れ果てて、「私たちも遠いところにいってしまいたい」と娘に愚痴をいってしまいました。

そうしたら、娘は「何のためにご信心をしているの」というお折伏です。

ハッとわれに返りました。さらに改良すべく朝参詣を開門参詣に切り替えて、自分のためのロ唱を、お教化のためのロ唱に切り替え、毎朝必死で御宝前におすがりしました。

この思いが御法様に通じたのでしょう。タイミング良く和解が成立し、わが家を売却するようなこともなく万事都合よくことが運びました。

一時はどうなることかとお先真っ暗でしたが、娘の折伏のひとことで、自力ではどうにもならないことがすっきりと解決し、災難除滅のお計らいを感得させていただきました。

このなりゆきを見ていた娘も、何か感じることがあったのでしょう。素直に信行相続教化となり5月から乙講の願主にさせていただきました。毎朝お初水をとってくれています。

親としてこれ以上うれしいことはございません。娘に信心相続をさせるために御法様がお見せくだきった現証ではなかったかと、しみじみ回想しております。

何もかも御法線のおかげでございます。


照泉院様十三回忌法要のご報告

先日、十月三十日、照泉院様十三回忌法要が世田谷別院において、厳粛に執り行われました。

照泉院様(俗名田中麗子《よしこ》さま)は、大正6年6月20日に、現在の東京都品川区大崎において、父・山内豊政、母・男爵真木長の娘アイ、その五男四女の末娘として生まれました。
山内家は由緒正しきお家柄です。その先祖をさかのぼりますと藤原鎌足で、源平時代には北鎌倉「やまのうち」を領有していました。 

戦国時代には、「一豊の妻」のお話で有名な山内一豊がおり、この方は豊臣秀吉の家臣として仕えた後、関ヶ原の戦いを経て、徳川家康より土佐国主を任せられました。

時代は下り、明治維新のときには、土佐藩主・山内容堂が薩長土肥同盟の一翼を担い、活躍をしました。

さてその末裔である照泉院様は、昭和32年11月22日に、乗泉寺御住職・佛立第十五世講有の田中日晨上人の後室として乗泉寺に入られ、上人の御奉公を日夜陰で支えられました。

その御奉公とは主に、乗泉寺、乗泉寺の門末寺院、全国、海外の御弘通や乗泉寺史編纂、宗制改正、御法門の勉強会などです。
日晨上人はある時期からお目を悪くされたため、代わりに照泉院様が本や新聞を音読されました。また海外のご巡教にもたびたびお伴され、上人の身の回りのお世話に従事されました。
ご多忙な中、暇を見つけては、日晨上人のお召しものを自ら編むなどして、文字通り、目となり、足となって、日晨上人の御奉公を陰で支えられ、私たちに「給仕第一」のお手本を見せてくださいました。
もともと、照泉院様はリウマチを患っていらっしゃいましたが、御宝前より病気平癒の御利益を賜り、この事を通じて、御法の有り難さを常に周囲の方々に話しておられました。
そして日晨上人の今日御命日と同じ日ある、平成15年10月31日、寂光へお帰りになりました。行年87歳。法号は「照泉院法勲妙信日麗大姉」とおっしゃいます。


お綿掛けの御奉公について

「お綿かけ」は、日蓮聖人の四ヶ度の大難、小松原のご法難に由来します。1264年、小松原(現在の千葉県鴨川市)で、お祖師様は東条影信の率いる暴徒に襲われ、眉間に御傷を受けられます。そのお傷を見た老女が、綿入りの頭巾をご供養申し上げたのです。その謂われから、11月から明年3月迄、寒さでお傷が痛まぬよう、ご尊像にお綿をおかけしお給仕申し上げます。
御教歌
尊像を いきていますと おもはねば 信心するも 無益也けり
ご尊像を生きてましますお祖師様とお敬い申し上げる所に、信心が芽生え育ち、御利益を感得できるのです。
お綿かけご奉公の心得
①お綿、オカトウの大きさを確認
②お筆、模造紙、おしぼり等を準備
③家族や役中後続者にお手伝いをいただき「お給仕の心」を伝える
④お給仕中は私語を慎み、手の空いている方は静かに御看経
⑤お傷やシミがある場合、受持に確認
⑥お給仕後は、御礼とお懺悔の御看経
⑦数年に一度は、受持教務にご尊像と全体を見てもらう
以上のことを心得、真心こめてお給仕させていただきましょう。


北関東・宮城県水害募金のお知らせ

先月の台風18号は、各地に甚大な被害をもたらしました。

所によっては、川の氾濫により、堤防が決壊。街中が水につかり、急流に流され亡くなる方もいらっしゃいました。

宮城県は先の大震災の記憶も覚めやらぬ中、またも被害に遭われた方もいらっしゃいます。

乗泉寺では現在、寺務所に募金箱を設置、11月いっぱいまで置かせていただく予定です。

皆様の暖かいご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。

 


2015納涼祭 今年も大盛況!

一昨日、8月8日(土)、恒例の世田谷別院・納涼祭を開催しました。12時半からお看経の後、午後1時から、境内に食べ物や飲み物、また、子供の遊びコーナーやバザー等の店が並び、ステージの上では、歌や演奏、踊り、マジック等、様々な演目が披露されました。

今年のプログラムには、毎年お馴染みの演目のほか、今流行の「妖怪体操」等も加わりました。別院の正門の前を偶々通りかかり入って来られた方々も少なからず居られ、最後は見事なバンドの演奏にアンコールの声もかかって、盛大裡に幕を閉じました。

また天候に恵まれ、前日までの猛暑日でもなく、風もおだやかに吹いて、まさに納涼祭という名にふさわしい天候のお計らいをいただきました。

とても素晴らしいお祭りになったのも、仏天のお計らいはもちろんのこと、ご出演いただいた皆さん、ご出店にご協力いただいた地域や御信者の皆さん。ご来場いただいた皆さん。そして、音響、照明、ポスターにお力添えいただいた皆さん。舞台作り、テント張りなどの会場設営、片付けに御尽力いただいた堅信会の皆さん。会計、渉外、ごみの分別などにご協力いただいた皆さん。多くの方のお陰をいただいたからに他なりません。

本当に本当にありがとうございました。

以下は、納涼祭のフォトギャラリーです。ステージの様子は後日、アップさせていただきます。

 

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終戦70年戦争犠牲者・仁義佛立開拓団殉難者慰霊法要

日本国中を悲しみに包んだ戦争が終わり、今年は70年目に当たります。             この戦争は国内に限らず、南洋諸島でも多くの若い命が犠牲になったことは皆さまもご存知のことと思います。                                                この他、現在のロシアに近い北方の地、満州でも尊い人命が多数失われたことをご存知でしょうか。

昭和初期、世界的金融恐慌のあおりを受けた日本経済は、その後低迷を続けておりましたが、資源に乏しく狭い国内では、大勢の国民を養う事はできませんでした。           そこで日本政府は、明治の日露戦争で戦勝の権益として、南満州鉄道を設立していた満州に着目します。その後、当地に駐留していた関東軍は、現在の中国である清王朝の女帝であった西太后の縁籍、愛新覚羅溥儀を擁立し、満州国を建国。この地に活路を求めました。   そして政府は国内の人員削減と、北方防備の必要性から、満州の開拓を宣伝し、移住者を奨励するようになりました。

こうした世情の中、当宗も大阪のご信者が満州での御弘通をすすめ、東京からは二百家族が移住。その後、関東の七州が結束して当地へ開拓団を送る事になりました。           この後、敗北を喫した日本はポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦を迎えますが、満州国内ではここからが悲劇の始まりでした。

日ソ不可侵条約を破り、満州に侵入してきたソ連軍。また日本人に反感を持っていた現地人によって、言語に絶する殺戮や暴行、略奪が繰り返され、当地に移住した人々の大半が命を落としたのです。

氷点下、銃声と爆音のとどろく中、足の裏から血を流し、飢えに苦しみ、死の恐怖におびえながら逃げたこと。                                               多くの女性は戦利品として扱われ、尊厳を踏みにじられ、自ら命を絶つ人もいたこと。     目の前で両親や家族が、無残な最期を遂げたこと。

かろうじて生き伸びた引揚者の重い口からは、およそ想像を超えた地獄のような光景が語られ、戦争のむごさ、愚かさに改めて慄然とさせられます。                       この悲劇による殉難者の数は20万人以上とも伝えられております。                佛立第二十二世講有井上日慶上人は、ご晩年もこの問題を思い出されては、殉難者のねんごろな御回向の必要性を涙ながらに訴えておられました。

 今月25日、乗泉寺では、御総講に併修し「終戦70年戦争犠牲者・仁義佛立開拓団殉難者慰霊法要」を執り行い、殉難者を追悼致します。

罪のない多くの人々が理不尽な戦争により、かけがえのない人生を奪われました。

現在の日本の繁栄は、こうした不条理な犠牲の上に成り立っています。私達はその事を決して忘れてはなりません。二度と同じ悲劇を繰り返さないため、若い世代の方にも多数お参詣頂き、共に平和への祈りを捧げていただくよう、心よりお願い申し上げます。

 ※恐れ入りますが、御供養の準備がございますため、御参詣できる方は各部部長さんを通じて、15日までに申込みをお願いいたします。たくさんのお参詣、心よりお待ち申し上げます。