7月17日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 ◎御教歌:かはるなり おなじみのりを いのれども 人のこゝろの 深さあさゝに

当宗の法要儀式は必ず、「無始己来」の御文で始まり「久遠偈」の御文で終わります。また、当宗は「ありがとうございます」で始まり、「ありがとうございます」で終わります。

ご信心をさせていただく上で大切なのは、元気・陽気・勇気です。ご信者は陰気ではいけません。また、健康維持の為には、食事・運動・睡眠が必要です。

ご利益感得はご信心の目的ではありますが、やはりお折伏によって罪障消滅をさせていただくことが肝心ですから、生々世々に渡ってしっかりと御奉公をさせていただくということを忘れてはなりません。

 (所感)
御法門に「健康」とありますが、医療技術の進化が今日の長寿社会を支えていると言われています。しかし その一方で、医療技術では解決できないもの(例えば精神的病など)も数多く存在する訳で、やはりご信心も私達にとってかけがえのないものであることは間違いありません。

そう考えますと、医療技術とご信心のどちらかに偏るのではなく、両方を大切にすることが肝心で、本当の意味での健康とは、医療技術とご信心の相乗効果によってのみ得ることのできるものだと私は思います。(S.M)


6月17日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 ◎御教歌:何事も 友が大事ぞ よき友は わがおこたりを せむるものなり

 良き友、悪い友とはどういった友でしょうか?良き友とは、明るく、素直で、感謝する事の出来る友です。反対に、悪い友とは、暗く、筋を通さない、不平不満の多い友です。

 また、ご信心上の良い友は功徳になる事、罪障になる事をしっかりと教えてくれます。こうした良き友は大きな宝ですから、大切にしなくてはなりません。反対に悪い友とは、信心のない人です。こういう人と深く付き合いますと自分の信心まで台無しにされてしまいますから、注意が必要です。

 (所感)

 学校・社会生活においてもそうですが、特にご信心においての友達選びは大切です。ご信心上の友達を「信友」と呼びますが、「類は友を呼ぶ」と諺にもありますように、自分で信友を選ぶというより、相手の方から自然とやってくるものかもしれません。 

そう考えますと、周囲に対して不平不満をこぼすより、自分から率先して懺悔改良をさせて頂き、自分自身を磨き上げる事によって、良き信友が周囲に集まり、不平不満も自ずと減ってくるものだと思います。(S.M)


5月13日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 ◎御教歌:たのしみは よのうきわざの 中にしも たへのみのりの つとめなりけり

 御教歌の「うきわざ」とは「はかない世の中」という意味です。この世の中は無常で、常に物事は移り変わっています。変化することのないものは、仏様のみ教えだけです。

 トラは死して皮を残し、人は死して名を残します。私達佛立信者は、仏様のみ教え通りに信行御奉公に励み功徳を残すことが大切です。言い換えれば、自身が御題目口唱の味を知り、それを他の人にもお勧めする御弘通御奉公に励ませていただくということです。

 心は言葉に表れますから、特に「お陰様」「ありがとう」「すいません」の3つの言葉は大切にしていかなくてはなりません。

 (所感)

 御法門の最後に「言葉」についてのお話をいただきました。私はご信心をさせていただいてから、「言葉の力」というものを感得させていただいた様に思えます。上行所伝の御題目を口にすることは、他の文字の朗読とは全く異なります。何故なら、御題目以外の文字をいくら口に出しても状況が変わることはないからです。御題目口唱によって御利益をいただいた時に初めて、私達は「言葉の力」の存在をはっきりと感得することができるのです。(S.M)


4月17日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

◎御教歌:わすれては 又解にづるの わるい癖 所詮は信の 一字なるもの

「忘れる」というのは、仏様が私達に授けてくれた大切な能力です。年齢を重ねると、友人・知人の名前を忘れたり、ものの置き場を忘れるということも少なくありません。「忘れる」にはそういったマイナス面もありますが、嫌な思い出を忘れさせてくれるというプラス面もあるのです。

しかしながら、ご信心のことに関しましては常に握って離すことなく、お互いに叱咤激励する必要があります。万一、御奉公を忘れてしまっても、ただ言い訳をするのではなく、懺悔改良に心掛けなくてはなりません。

(所感)

記憶力を重視する学校教育のもとで育った私達の多くは、「忘れる」ことに対してネガティブなイメージしかありません。ところが、嫌な思い出が頭の中に留まっていたのでは、人格形成にも良い影響を与えませんから、「忘れる」ということは場合によっては大切なことだと思います。いろいろなことにおいて、一つの角度からだけで考えるのではなく、いろいろな角度から捉えることが大切だと感じました。(S.M)

 


3月17日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

御教歌:信力の 提灯もたば よの中の 一寸先の 闇はなきなり

信心の提灯に火を点けるというのはどういうことか?それは、①御題目口唱、②お寺・御講参詣、③お教化 に励ませて頂くということです。

 私達の人生は、“上り坂、下り坂、まさか”の連続です。少しの油断で、ひどい目にあうこともあります。ですから、今日が残された人生の最初の日と思いつつ、慎重に大切に毎日を過ごさなくてはなりません。

 (所感)

 世の中は一寸先は闇で、何が起きるか分からないからこそ、その闇を照らすご信心が必要になります。「治に居て乱を忘れず」と諺にありますように、今は順調でも今後何が起こってくるか分かりませんから、やはり常にご信心に励ませて頂く姿勢が大切です。「困った時の神頼み」では、いざという時にお計らいが頂けません。その時になって“しまった”と慌ててもどうにもなりません。

 毎日が信心修行です。一人信心では、なかなかお看経を続けるのが難しくなりますから、一日一回はお寺に足を運び、他のご信者の皆さんと励まし合いながらご信心をさせて頂けば、仲の良い友達もできて、毎日楽しくご信心をさせて頂けるようになるはずです。(S.M)


2月13日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 御教歌:わすれては おもひ出して はげめども をこたりがちに 成ぞくやしき

 何事においても、同じことを続けていくのは難しいものです。一時は努力することが出来ても、その後は怠りがちになることもしばしばです。しかし、ご信心においてはそれではいけません。大切なことは、ご信心(御題目口唱・お寺参詣)を常に持つ(たもつ)ということです。困った時の神頼みでは、御利益をいただくことは出来ません。

 よく「トラは死して皮を残す」「人は死して名を残す」と言いますが、私達佛立信者は死して功徳を残さなければいけません。どうかお互いに励まし合いながら、ご信心に気張らせて頂きましょう。

 (所感)

 一つの事を続けて行く為には、やはり何かきっかけが必要になると思います。惰性的に嫌々続けていたのでは、長続きしません。そのきっかけとは、例えば、喜びや生きがいであったりします。

 ご信心においても同様です。ただ人からさせられていては、ご信心を持つことは難しいでしょう。入信当初は大変かも知れませんが、御利益をいただけると信じて、自ら前向きにお題目口唱に気張らせて頂くことが肝心です。いったん御利益を頂けば、今度はその随喜心によってより積極的にご信心をさせて頂けるようになります。功徳を積むことを楽しめるようになれば、より深い信心前へと進んで行けるのだと思います。(S.M)

 


12月13日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 御教歌:わすれてはおもひ出してはげめども をこたりがちに成ぞくやしき

 “忘れる”というのは、私達が仏様から授かった大切な能力です。しかしながら、物事には忘れて良い事と、そうでない事がありますから注意も必要です。

 当宗ではお金の貸し借りは厳禁です。お金を貸した方は憶えていても、借りた方が忘れてしまうというケースもあります。そうなれば、いざこざが起こり、ご信心に大きな傷が付いてしまうからです。

 また、当宗の信者はご信心の功徳を残すことを忘れてはなりません。ことわざに、「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」と申しますが、佛立宗では「信者は死して功徳を残す」ことが大事であります。

 (所感)

記憶力は非常に大切なものですから、やはり学校のテストでも記憶力を重視する問題が多く出題されます。子供の頃に、「憶えたものを絶対に忘れない記憶力があったら、テストで良い点が取れるのに」と夢見た人も少なくないでしょう。

 しかし、大人になると、そういった絶対的記憶力にはプラス面もあるが、同時にマイナス面もある事に気付かされます。年を重ねればそれだけ、忘れたい嫌な思い出が増えてくるものです。忘れるという能力がなければ、その思い出は生涯 生々しく私達にまとわり続けます。ひょっとすると、この「忘れる」という能力があるからこそ、私達は日々を前向きに生きていけるのかも知れません。(S.M)

 


12月1日お総講御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいた内容を、紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

御教歌 あけくれに 御法の為に 身を労し 心尽すを それがたのしみ

あけくれに=明けても暮れてもという意味です。お互い佛立信者は、御法の為の「為」という字の付く人生を送ることが大切です。この頃は「健康指向」という言葉があり、快食・快眠・快便が人間にとっての健康であるそうです。

そして、身体とは別に心の健康もあります。心の持ち方は人それぞれで、気の弱い人もいれば強い人もいる。気の短い人もいれば、長い人もいる。しかし、どんな人でも初めて病いにあうと、命の大切さが分かってくるものです。

どういった時でも、御題目口唱が大事で、どんな心の持ち主でも素直正直な心を持ち、御題目にお縋りして、一遍でも多くお唱えさせていただかなければ、お計らいが頂けないのです。

明るく、楽しく、元気に信行御奉公、口唱行に励むことが大切ですよと、お示しの御教歌でございます。

(所感)
私自身、まだ大きな病気にかかったことがないのは、大きな御利益だと思っています。しかしこの先、どんな災難にあうかわかりません。

大難が小難、小難が無難というお計らいがいただけるよう、日頃からの御看経につとめ、毎日、楽しく元気に御奉公させて頂けるよう、励ませていただきたいと思いました。(K.T)

 


11月25日お総講の御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただいたことをご紹介させていただきます。尚、内容につきましては私自身の主観も入っておりますのでご了承下さい。

 御教歌:口唱ほど 不思議に妙な 行はなし 其身はまめに 心かしこに

 長い年月をかけても御題目口唱の味を知ることが大切とお示しの御教歌です。下の句の「まめ」とは「体が丈夫」という意味で、「心かしこに」とは、「仏の智慧を頂く」という意味です。具体的には、自分の行いが功徳になることと、罪障になることの見極めができるということになります。

 また、お看経の際には下記の点に注意しなくてはなりません。

① 姿勢を正す(お腹を前に出す)
② 御題目を周囲に合わせる
③ 御題目をはっきりとお唱えする

(所感)
物質志向の強い現代ですが、必死に働いて得た財産・権力は今生限りのもので、死後の世界へ持っていくことが出来ません。その一方、財産・権力とは違い、功徳は永遠に自分の物になると教わりますから、私達佛立信者は功徳を積むことを第一優先に考えなくてはいけません。

日頃からご宝前へ近づくように心がけて、積極的に功徳を積ませていただけば、お計らいで楽しく充実した人生を送ることができますから、お寺参詣・御講参詣で御法門をしっかりと聴聞させて頂き、功徳の積み方を学ばせて頂くことが大切である、ということを学ばせていただきました。(S.M)

 


11月13日お総講の御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただき、内容についてメモを取りましたので、紹介させていただきます。尚、内容につきましては、私自身の主観も入っておりますので、ご了承下さい。

御教歌に:思ふ事 口にいはせる こころこそ うべことの葉の たねにしありけれ

  人の心とは言葉に現れて出てくるものです。思っていることが口から出てきて、言葉によって生活が変わることもございます。

お互いご信者は、心の中でしっかりと人助けの思いを持ち、その思いを言葉によって周りの人に伝えることが大切です、

そのためには日頃から心の中を鍛えると同時に、言葉使いにも気を配ることが大切です。

(所感)

私達ご信者は、軽口無駄口などを慎み、丁寧で親切な言葉使いに気を配ることが大事なことだと感じました。そして、真剣に御弘通の思いを持って、その思いを思い切って口に出すことが大事なことだと思いました。

そのためには、やはり日頃の御題目口唱に励ませていただき、心の中を良い状態にしていただかなくてはならないと思いました(k.t)