信心相続と御利益

御教歌  妙法は  信心をもて  相続し  御利益をもて  人をたすくる

〔開化要談・八、扇仝13巻207頁〕

信心は自分一代だけで終わらせず、後続者養成が大事です。たえず信心相続を考えて御奉公に励みましょう。それには御利益をもって人助けの信行に気張ることが肝心です。

信者にとって最も大切なことは御利益のいただき方を知ること。逆に最も恥ずかしいことは御利益のいただき方を知らないことです。御利益は信の一字に徹して御宝前から授かるのでして、仏の慈悲の恵みです。まずはお寺のお詣りが基本です。

「御利生うくる傳授・口唱に心をつくせ、身を労して日参せよ」

                                                    (長松堂毎日行法記・扇仝6巻46頁)

御利益をいただく秘訣は何か。これはお寺参詣に徹し、心をこめて口唱の一行にはげむ。「お詣りできない」理由をならべるより、「お詣りできる」ことを考ゝえ、実行に移しましょう。

理屈と膏薬はどこにでも張りつくと申しまして、いいわけと弁解に終始するより、まずはお詣りさせていただきましょう。親からいただいた二本の足をつかっての日参、これが基本中の基本です。生涯参詣という言葉があります。

この世に生きている限り、お詣りをたやさない。この決意と信念とを持って下さい。頭で理解したものは崩れやすいですが、身で憶えたものは離れがたく、これが身付きの功徳で、信心は気孔から入ると申します。

お寺は弘通の道場で、道場である以上、信心を鍛え信心を磨く場所です。お詣りして生きる勇気なり希望なりが湧いてこなければなりません。特にお寺参詣した時は他を思いやる口唱行が大事。

部内の信者の一人一人が信心を改良して御利益をいただきますようにという弘通の思いのこもった口唱が大切です。更に信心の喜びと尊さを自信と勇気をもって人に説くことができますようにという願いをこめた口唱行に徹して下さい。

善悪の基準は弘通にあり、弘通に役立つことは善、弘通に役立たないことは悪です。ところが怠け出しますと、怠けぐせがつきやすく、一日おこたると、翌日もおこたり、これがたび重なりますと、怠っても何とも思わなくなります。

我々の心は坂道においた球のようなもので、そのままにしておいたのでは、自然に坂道をころがります。従ってたえずくい止める、これが折伏の一行で、お互いに励まし合うことです。信者が集まったら信心の楽しさなり喜びなりを話し合いましょう。

功徳になることは考えにくいですが、罪障になることはすぐに思いつき実行に移しやすいです。人に施せば施すほど、与えれば与えるほど、増えていくもの、これが功徳です。

信心の智慧がついてきますと、功徳になることと、罪障になることがはっきりと分かり、功徳の大切さ、罪障の恐ろしさが理解できてきます。たえず、御法門聴聞に心がけ、信心の智慧をつけて下さい。信心増進の糧は御参詣と御法門聴聞にあります。

特に善聴参詣に励んで良い話を聴く耳を持つことです。御題目にて人助けの御奉公に励むという菩薩行が当宗の信心の本筋です。逆に罪障が頭をもち上げてきますと、良い話を聞いてもすぐにはじきかえします。

 「菩薩とは教化の事也。教化とは弘むる也。利益廣大」

                                                                           (本尊抄曾讃・扇仝6巻134頁)

 「信心で相続する信心宗也。御利益で弘まる経力宗也」

                                                           (開化要談・八、扇全13巻207頁)

泣いて暮らすも一生ならば笑ってすごすのも一生です。人生には賞味期限はありません。終わりは次の始めで、歳を重ねれば重ねる程、光り輝いてこなければなりません。予想もつかない出来事が次から次と起こってくるのも事実です。

「一寸先は闇が良い」とも言われますから、油断は禁物です。上り坂、下り坂、まさかの連続、それだけに毎日を大切に生きて下さい。信者の一日は朝詣りから始まります。


納涼祭ステージダイジェスト2014

8月9日に世田谷別院にて納涼祭が開催されました。

1週間前から台風が近づいている予報があり、毎日天気図を見ながら気をもんでいましたが、当日は多少の雨は降りましたが、何とか無事に全てのプログラムを行うことができました。これも仏天のお計らいを頂いたことと、関係者の方々の日頃の行いのお陰でありましょうか(^^)感謝感謝でございます!

ステージの様子をダイジェストにしてみましたのでご覧下さい。

 

ご出演いただいた方々、どうもありがとうございました。お陰様で地域の方々にもお喜びいただくことが出来ました。来年もご協力いただけたら嬉しく思います。合掌


子どもお会式の様子

去る7月21日、渋谷乗泉寺に於いて第14回子どもお会式が開催されました。

第1部は本堂において法要が行われ、パンダさんが率いて子ども達が法鼓を叩いてのお看経。続いて、くんげ会の音楽隊による演奏があり、小さな子ども達が楽器をもって、一所懸命に歌っている姿に、参詣者の心を和ませていました。そして、10歳を対象とした2/1成人式が行われ、20歳の自分へメッセージを送りました。

最後に御導師より法話を頂戴致しました。子どもにも分かる優しい言上など、子どもお会式ならではの法要となりました。

第2部では境内において、プール、玉入れ、バルーンアート、ストラックアウトなどの青年会による各種ゲームコーナーや鉄道模型があり、みなさん色々な場所を回っておりました。天気も早朝は少し雨が降っていたのですが、昼頃には絶好の天候となりました。

教務部では、毎年恒例のフランクフルト、焼き鳥ブースに加え、本年は本格的な特大蒸し器とせいろを使った山菜おこわが作られました。他にも今年は各ブロックが担当して、かき氷、サモア、ポップコーン、お惣菜、ワッフル、たこ焼き、カットフルーツ、冷やしキュウリ等々たくさんの食べ物が充実しておりました。 

更に、本年は「文化の道」と題して茶道、華道、書道、香道、仏道など日本の古き良き伝統文化を体験していただけるコーナーを設けました。普段接することのない伝統文化に触れることで少しでも興味を持ってもらえたのではないでしょうか。

そして、子どもお会式の締めくくりの大イベントとして紙ヒコーキとばし大会が開催されました。紙ヒコーキ作り名人を新座からお招きし、自分達がつくった紙ヒコーキを誰が一番遠くに飛ばすことが出来るかと子ども達は競い合っていました。

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協力ということ

協力から生ずる力は、相当の威力を発揮します。ですから信者は仏に協力を求め、実業家は協力体制を築く事に苦心と努力を払います。根の弱い木も、支柱が堅固なら、大風でも安心です。

自主独往とか、独立自尊とかいう言葉は、依頼心の強い弱虫を叱った言葉で、実際は、一人で仕事は出来ません。独り立ちに見えるのは、主役が目立ちすぎるからか、こちらの眼力が未熟で、脇役の働きを見出す力がないからです。

世の中は、万事が相より相助ける相関的関係で成立していますから、自力と他力の協力を考えないで暮らそうとするのは乱暴な話です。

異体同心という協力の方法は、各自がそれぞれの分野で働きながら、中心の大目標をめざして協力することで、同志的、信仰的協力とでも申せましょう。

三人寄れば文殊の知恵という協力方法は、相互に不足の箇所を補充し合ったり、考えを噛み合わせたりして、より以上に向上進歩しようという相互的、練磨的協力といったらよろしいでしょう。また、一本では弱いが、数本まとまれば強くなるという補強的協力の方法もあります。

要するに、いずれの方法による協力でも、独力より大きい力が出るのは事実です。ただそれを悪用すると大悪を犯し、善用すれば大善が積めるのだと心得て、かりそめにも悪事の協力は用心し、信心上も、生活建直しも、信心第一で、よき協力者を得ることに努めるべきです。

私どもはいわゆる凡夫ですから、ときどき、協力の功徳を忘れて、それを破壊する同破の罪をつくったり、ご弘通の邪魔になることに付和雷同したり、協力の煩わしさを嫌って独り信心に走ったりするときがあります。または他の協力を要求しながら、自分は非協力という、はなはだ手前勝手なときもあります。

当宗で異体同心という場合は、日蓮聖人に心を合わせることです。それが親しい教務員とか、役員を中心にした結合になると、党派争いが起こったり、分裂したりして、協力の弊害が多く出ます。

それで個人から家族、それから社会、個人から国家、それから世界で、信心では、家から寺、寺から本山、宗門というふうに、協力の範囲を、常に拡大しなければいけません。歴史家の指摘するところでは、文化の躍進は、異種の文化の接触するところに起こるといいますが、これも一種の協力の効果と申せましょう。

当宗で、生活建直し運動とか、社会福祉事業とかをご奉公の一部に併用するゆえんは、時代相応のご弘通の道を拡大強化したい念願にほかなりません。上述のごとく、「協力ということ」には、いろいろな問題が含まれています。

「気に入らぬ風もあろうに柳かな」ですから、お互いに忍辱の心で、積極的に協力の功徳を積みましょう。


2014 納涼祭

昨日、世田谷別院において納涼祭が開催されました。

出演者のみなさん、出店にご協力いただいた地域や御信者のみなさん。音響のセッティングやポスター作成をしていただいた方々。舞台作りなど設営に御尽力いただいた堅信会のみなさん。その他、会計や渉外、ごみの分別に携われた方々。本当にありがとうございました。

危うい天候でしたが、皆さんの納涼祭に対する思いが通じ、お計らいをいただき無事に開催することができました。重ね重ね感謝申し上げます。ありがとうございました。

ハワイアン

チームK・K

 

 

 

 

Yuki Hirohata

Trio De Te Quito

 

 

 

 

 

comso中島えりな

 

観客
よさこい

 

 

 

リラクシンオーケストラ

 

 


夏期参詣体験談③

ありがとうございます。今から二年前に受持お講師より、甲御講の願主をお受けするように勧められました。しかし、当時は私なりに精一杯御奉公をさせて頂いておりましたが、今ひとつご信心を決定出来ずにおりました。

その年の平成24年5月に主人の義母が96才で帰寂致しました。主人の親は昭和22年の入信です。当時、模範的な佛立信徒であった父に先立たれた後、義母はしばらく私たち夫婦と疎遠になっておりました。

その義母が平成10年83才の時です。長年住み慣れた家を離れることが決まり、家にお祀りしてあった大きな御戒壇と共に私たちのマンションに引っ越して参りました。その後、約13年間義母と共に過ごしました。

義母の葬儀は、江戸川教区のご信者の皆さま方の御参詣と御奉公を頂き大変立派に奉修させて頂くことが出来ました。

主人は、教区の皆さまの献身的な御奉公の姿に、心から感動し、感謝しておりました。それまで主人は、ご信心には全く無関心でしたが、母の葬儀の後から、仕事が休みの日には、乗泉寺へ御参詣をする日が多くなりました。

昨年、平成25年の1月で、主人は70才を迎え、勤めを退いたことをキッカケに、乗泉寺へのお寺参詣、身読会の御奉公と晩年の新たな目標を見つけ、心安らぐ毎日を送り始めました。

義母は生前、私たちに遠慮してか、余りご信心のことを話さなかったように思いますが、私たち夫婦に先祖供養と御題目口唱のご信心を遺してくれました。不思議な不思議なご信心です。御題目様のお導きを日々感得しています。

本年、受持御講師より『ご両親の回向供養の為にも、又、御導師へ直接功徳を積ませて頂ける御奉公「甲御講の願主」をお受けしましょう!』とお勧めを頂きました。

中々決定出来なかった「甲御講の願主」。主人と二人なら、御本尊様のご加護を受けて、竹之内家の御戒壇をより一層ご守護して頂けるのではと思い、今月から甲御講願主となりました。先日、無事に川口御導師より言上をして頂きました。

平成23年に正宗徒証を拝受させて頂いたばかりで、まだまだ課題は沢山あります。今後も一層健康には留意をさせて頂き、家族の信行相続をご祈願をしながら、生涯ご信心を手放すことがないように歩ませて頂きます。(M.T) 


お泊まり交流会のご案内

8月16日~17日は渋谷本寺において、14時より「くんげ会・青年会のお泊まり交流会」を開催いたします。親子で楽しめる企画となっていますので家庭内の信心充実を心がけ、積極的に参加いたしましょう。
※詳細は、下記のパンフレットをご覧下さい。

お泊りパンフ2お泊りパンフ1

 


姓名判断に迷うひとに

なんにも根拠のないことに、もっともらしい理由をつけて、人を迷わせることが、世の中には随分ありますから油断できません。姓名判断というものもその一つです。

仏立宗では、法華経本門の妙法五字の中に、仏の因行果徳、一切の修行の功徳ありという教えの一筋を守るのが信条です。姓名をかえる必要は全くありません。

一切法華経にその身を任せて、金言の如く修行すれば、さわりになるものは何もないのです。これを、お経文では、如風於空中・一切無障礙とのべられてあります。

以下、姓名をかえなければ、と迷う方のために、それがどんなに無意味なことか、いくつかの角度からのべてみましょう。

①お経文では、諸苦所因、貪欲為本といって、くるしみの原因はわれわれの、貪欲がもとです。姓名が悪いのではありません。

②姓名判断で、名前をかえても、戸籍名はかわりません。まぎらわしいことは却って、不幸の種となります。

③ペンネーム、愛称(ニックネーム)、為名などを使っても、その人の本質はかわりません。体質も、血液型も同じです。勿論、過去から今日まで積みかさねてきた「業」が消えるわけではありません。「旅人の日なたを踏む影みれば、前に後ろに、離れざりけり」との歌の如しです。

④世の中には、同姓、同名の人がかなりおります。みな、それぞれの運命に従っていくのみです。

⑤これから生まれてくる人のためには、教養ある先輩、又は、お寺のお導師にお願いして、つけて貰うのがよろしい。私は依頼されたら、お経文の中から、名前にふさわしい文字を選んでいる。ローマ字が重ならぬように、読み易い字を選ぶようにしている。
(乗泉寺通信48年8月号掲載)


夏期参詣体験談 ②

私は昨年、二度も入退院を繰り返しました。一度目は、6月に「ヘルニア腸閉そく」で緊急入院することになり、医師からは、「脱腸で腸がからんで最悪の場合、腸を切る状態になっている」との診断を受けました。

しかし、お計らいをいただき、担当の医師から「無事に腸を切らずに済みましたよ」とのことで一週間で無事退院することができました。

 そして二度目は、その一ヵ月後の7月で、血尿が4,5日続いて出ることが2週間ほど続きましたので、専門医に診てもらうことになりました。すると、医師から腫瘍があると言われ、8月下旬に「膀胱ガン」の診察を受け、すぐ入院となりました。

 9月11日に内視鏡手術があり、全身麻痺をされ、無事にガンを全て取り除くことができました。手術前から、受持ちの内田照肇師にお助行をしていただき、また御講席の度ごとにご祈願をしていただきました。

手術当日にはお講師並びに大田西、大森、玉川連合の皆様にお助行をいただきました。本当にありがとうございました。 手術後一週間で退院ができ、10月頃には御奉公に復帰させていただく事ができました。

おかげさまで、現在は病気も順調に回復しており、お寺の堅信会ならびに渋谷駅前清掃ボランティアの御奉公をさせていただいております。

 この度の度重なる病気で、自分で健康に気をつけなければならないと改良させていただき、タバコもやめることができました。 これからも、身体に気をつけて、お寺や御講参詣、御奉公に気張らさせていただきたいと思います。 (K. K.)


7月17日御総講の御法門

7月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

御教歌「歌にして教へておけばいつまでも 御法門をばわすれざりけり」
御題「これは歌の徳を歌にしたる也」

歌の徳を歌にしたるとは、歌の良い所、持ち味を歌にするという意味です。

御教歌は、約3千余首あると言われていますが、開導聖人は意識的に3千余りの御教歌をお詠みになられた訳ではありません。

御教歌の他に御教句というものがあり、御教歌は、五・七・五・七・七の文字数で成り立つのに対して、御教句は、五・七・五で成り立ちます。御教句は、約二百句あると言われており、開導聖人の御教歌、御教句、それから御指南などは、後世の方々が信心を増進させたり、ご弘通の方法を示す為に残されたものでございます。

開導聖人は、御教歌をお講席の前に予め作っておられたり、その御講席の、場の雰囲気に合わせて、御教歌をお作りになられたのでございます。

御教歌の中には、矛盾しているように思えるお歌もあります。極端な言い方ですと、「ご供養をいっぱい出しなさい」という御教歌と「ご供養は程ほどにしてお講を奉修しなさい」といった御教歌もございます。開導聖人は、その人それぞれの信心前に合わせて、御教歌をお詠みになられたのです。

後世の信者の為に御教歌をお残し下されたのですから、私たち信者は、この三千余首ある御教歌を一首でも多く覚えるために御法門聴聞を心がけることが大切とお示し下された御法門でした。