御奉公日記

日記①

 「そこのご主人が心配性で勤め先で一寸した事があったのを気にして、昨年暮から勤めに行こうとせず休んでいる」と言う。途端に収入の道をふさがれてしまい、止むなく奥さんが近所へアルバイトに行ってはいるが、「借金もあって生計が苦しい」と嘆いていると言う人がいたので、いろいろと立ち入った話をしてみた。家庭内はあまりにも複雑だ。

 しかし「仏法は身体なり、世法は影なり。身体曲がれば、影ななめなり」とのお教えもあるのだから、先づ日頃の信心から改良させようと、朝夕のお看経をどんなに忙しくてもキチンと頂くように、その口唱も、心が御宝前から離れていたり、身勝手なお願いだったらお計らいがない。お教化が出来ますようにと、ご弘通一筋に真剣に唱えなさいと折伏した。

 日記②

 一週間後、先日の奥さんに逢ったので、教えた通りしっかりやってますかと聞いたら、言われた通りの心掛けで口唱に気張らせて頂いたら、お陰様で主人が何も言わないのに働きに行きだし、またアルバイト先では一年越しの給料まで貰えるようになった。

その上、子供が素直に信心するようになったので、お教化にいってもお折伏がどんどん出来るようになったり、次から次へと素晴らしい事が起きて来て、全く不思議です。嬉しくなりました。生活に自信が沸いて来ました、と喜んでいる。

 やはり、教えに叶ったお折伏はどんどんしなくてはならないとつくづく感じた。「折伏は慈悲の最極」というみ教えが少し分かったようだ。

 (乗泉寺通信昭和44年4月号掲載)

 


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