開導会予告

夏のお会式開導会が、6月7日(土)、8日(日)の両日にわたり、合計8座奉修されます。この開導会は日扇聖人のご恩に報いるために全信徒が願主となって奉修させていただくものです。

①土曜日の第2座(10時)は支庁巡教「班長大会」を、葛飾・信立寺 川手日成導師のもと奉修いたします。
②土曜日の第3座(11時半)は函館・信照寺 夏井日韻導師のもと奉修いたします。
③日曜日の第2座(10時)は「信寿会参詣強調の座」を小松川・清秀寺 岡本日苑導師のもと奉修いたします。
④日曜日第4座(13時)より「青年の一座」を玉川・信行寺 指田日行導師のもと奉修いたします。

早いもので、夏のお会式がやってまいりました。門祖会のお参詣数を上回るように部内班内将引助行に励み、ご披露を徹底して、部内全戸参詣、家族総参詣をすすめましょう。


第4ブロック野外お講

去る5月11日に第4ブロックあゆみ会・青年会・くんげ会の野外御講で、神奈川県にある谷太郎川マス釣り場へ行ってきました。

朝参詣終了後、4台の車に分乗しお寺を出発しました。1時間半ぐらいすると、都会の風景から一変して民家もほとんどない杉林に入りました。車1台分しか通れない湿った空気の薄暗い山道を進んで行くと「熊出没注意!」と書かれた看板があちらこちらに見えます。「おいおい大丈夫か・・・。」と不安な声が青年会員の中からしつつも、さらに山の奥へとつき進んでいきますと、目的の渓流釣り場を発見。 

当日は天気もよく、最近はだいぶ暑く感じる日が多くなってきましたが、緑や川に囲まれたとても気持ちのよい場所でした。車をとめてみんなで手分けしてイスやテーブル食材などを降ろしバーベキューのセッティングに取りかかります。

あゆみ会員の男性陣が火おこしに取りかかり、くんげ会の子ども達は、借りて来た釣り具にエサのイクラを付けて、怖っかなビックリでしたが、お昼には要領をつかんでお父さん、お母さんと楽しく釣っていました。

子どもたちと一緒に悪戟苦闘しながら釣ったマスや、準備していたお肉はみんなでバーベキューでいただき、あっという間に時間が過ぎました。

最近は少し足を伸ばさないときれいな川や緑に触れられなくなり、また日々の忙しさからあまり野外御講などで外に出かけることも少なくなっていましたが、また来たいという声もあって、今回のようにどこかへ行く機会を作りたいと思いました。

青年会 I.M


日歓上人祥月御命日

日歓上人5月30日(金)は世田谷別院において佛立第八世講有・乗泉寺第18世住職日歓上人祥月御命日総講が奉修されます。

日歓上人は、昭和19年5月30日、法寿75歳にして、ご遷化あそばされました。

朝早くから「そうめんが食べたい。早く持ってこないと間に合わないよ」と申され、看護にあたっていた弟子をまさかと驚かせたそうです。

その数時間後、ご遷化のお姿は冷厳そのもの、離れたところからでも、白いお肌が目にしみるように拝されたそうです。

日歓上人が乗泉寺ご住職にご就任なされたのは、明治三十四年、御年三十三歳の時、当初の信徒数は法華宗の檀家が四十五軒、仏立講の信者が僅か七戸からスタートしたご弘通が、大正十三年までのおよそ二十年間で、信徒数は二千五百戸にまで教勢が拡大しました。また大正十二年までに得度された徒弟が七十二師の多きに達しています。

日歓上人は当時荒廃していた乗泉寺を、名実共に日本第一のお寺にまで発展させられ、佛立第三世講有日随上人から、「日本一の弘通家」と激賞されました。上人はあくまで不言実行の人、理屈よりも信心、勉強よりもまず口唱、これが上人日頃の信条であり行住坐臥にただ口唱あるのみでした。

日歓上人は、何事にも自分を律することは厳しく、弟子の教務にも厳格でしたが、その反面、信者をはじめ一般の人には、つねに優しい思いやりを示され、人情味溢れるお方であったそうです。

たとえば夏ともなれば、雇いの老婆には蚊帳を与えられ、ご自身は枯れ葉によって蚊をいぶして眠れぬ夜をすごされました。また、飯炊きの老婆を早朝に起こすのをふびんに思われご自分で飯炊きをして失敗したりもしたそうです。

日歓上人2乗泉寺門末の各寺院が、盛んにご弘通が出来たのも、先師上人方のおかげを忘れなかったからです。日歓上人は日教上人をいつまでもお忍びし、日晨上人は日歓上人を後々までお慕いされました。そうした御恩報じの思いこそが、ご弘通の力になったものと拝されます。

お互いご信者は、そのような日歓上人のお徳を頂戴し、先師上人の御恩に報いて、志篤く報恩塔婆を建立させていただき、思いやりの心を起こして人助けの菩薩行に邁進し、報恩お供え教化成就を心懸けましょう。


-朝参詣-

御教歌 朝起は なる程妙な 徳がある して見ぬ人は これもわからず

信者の一日はまず朝参詣から始まります。早朝に起床、身じたくをし、自宅の御宝前のお清めをすませ、それからお寺に向かいます。元気一杯、今日という一日を無事にすごせますようにという願いをこめて、お寺参詣はげみましょう。

都合により、朝早くお詣りできない人は日中でも結構、一日に一回はお寺の御宝前に参詣しましょう。「一日一生」でして、一日のなかにその人の今日までの累積の徳と、これから先の予測とがこめられております。

まずは健康のお計らいと、それと同時に心のお計らいをいただきましょう。思いかたが上手になって、明るく前向きで、笑顔と微笑とをたやさない、陽気で物を善意に受けとり、罪障に負けずに功徳の積める一日を送ることができますように、という願いをこめてお詣りにはげんで下さい。

朝詣りはお初穂です。一日の始めに体を御宝前にささげる。人間生活の大切な水をお上げする。お賽銭などの財を奉納する。一日24時間のうちの最初の時間を御宝前に、更に御仏飯をお供えする。

などなど、体とお水と財と時間と食物などのお初を御宝前にお上げさせていただくことになります。次にお詣りしたら心をこめて御看経をいただき、よく御法門を聴聞し自分の信心改良と信心増進とにつとめましょう。善聴参詣ですので善く聴くことです。

聴きかたを上手にするには、なかなか努力が要ります。「口耳(こうじ)四寸の学」(旬子)と申して、耳から口までわずか四寸、耳から聞いて口に出すので身体に残りませんが、それでも何回も聴聞しているうちに身体にしみこんでゆきます。

そのことが分かったというのは、人に自信と勇気とをもって話ができることです。「教えるは学ぶの半ば」(書経)でして、教えることは自分が学ぶことに外なりません。更に御経文には、
「若し一人を勧めて、将引して法華を聴かしむ」(法華経随喜功徳品)と仰せです。

自分ばかりでなく、たとえ一人でも将引して御法の尊さを体得させることは大切な御奉公です。たえず、部内教区内など周囲の人々にも朝参詣の功徳をきめこまかく、丁寧に心をこめて説き聞かせましょう。お寺の御看経は御弘通が主流です。

御教化が一戸授かりますようにと、お祖師様のお袖におすがりして、心をこめて口唱行にはげんで下さい。信心修行には横と縦とがあります。横とは部内、教区内、連合などの人間関係で、お互いに切瑳琢磨し、異体同心の実をあげてゆきましょう。

信者同志はすすめはげまし合いながらも、お互いの関係がくずれない、こわれない、これが異体同心ということです。できるだけ相手の長所とつきあうようにしましょう。よく世間では、みつけよう長所、みなおそう今、みがこう己、ということを申します。

また一方、縦の面では、口唱行にはげんで御法のめぐみをいただくようにつとめましょう。当宗の信心は口唱の味を感得することにあります。

「又われと日参してみよ、いかなる願も成ぜずといふことなし」
「朝参り日参のお人は眞の信者也。早く帰りて一日の用を弁ずる人也。五年十年つづく人也」

      


乗泉寺宝物「草がくれ」

今回は乗泉寺宝物庫の中から「草がくれ」というお歌の入った掛け軸を紹介させていただきます。

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この掛け軸は、小川とそのほとりに芽を出す草の絵が描かれており、その左右に短歌を詠まれております。やはり黒墨で一筆で描かれた、迷いのない開導聖人の技術がうかがい知ることが出来る絵です。 

 

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短歌には「草かくれ 奈可累ゝ水毛 せ可れて盤 世にありかほ爾 音多てぬめり」とあり、現代の書き方に直すと「草がくれ ながるゝ水も せかれては 世にありがほに 音たてぬめり」という文字になります。

 

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現代語訳は「草に隠れて静かに流れる小川も、堰き止められると、ここにいますよ、とばかりに、音を立てるようだ、という意味となります。

 

 

このお歌は、和歌としても一級だと思われ、開導聖人の歌人としての才能もうかがい知ることができます。

 


御加護を戴き安心立命

今年の寒参詣は七年振りの大雪と寒さの中、終盤を迎えようとしています。寒中教化成就を達成された方もおられるというのに、又しても私事の御利益談で恐縮ですが、教化に繋がる事を願うものです。

両膝関節尖症の手術を受けて三年も経とうとしているのに、皆さんから「手術して元気になって良かったですね」と声をかけられます。手術前二度と手術後一度の転倒をしましたが、左半顔がお岩さんの様に内出血したり、つい最近は右目の廻りがパンダの様に隈が出来たりしましたが、痛みは少々のみで骨折も出血もなく、病院へは行かずお洪水をガーゼに浸して、御題目で完治出来ると直感しました。

私の口癖の「御法様は決して悪い様にはなさらない。また御加護を頂いたわ」と感動し、不注意を反省させて頂きました。

 公的には両膝の手術で身体障害三級と要介護一級に守られて、リハビリと清掃を週一度受けておりますが、それにも増して近くに住む長男一家の嫁の存在が大きな支えになっております。日常的には買い物を自転車で届けてくれること、週五日間は入浴と夕食におよばれします。共働きの為、孫達の養育を続けて来た延長でもありますが。

 お講奉修の折も準備から当日休日であれば全面的に手伝って、後片付けまでしていきますので、「羨ましいわ」とお参詣の方々にも言って頂きます。

 このご信心に御縁がなかった迷い多い過去が、力強い御指南にもう迷いはありません。口唱修行によって、空中に於ける風の様に一切の障りを受けず、自分も他の人も安穏に安心立命の日々を送り、やがて土に帰ろうとお示しです。ありがたいみ教えに感動し、御本意に少しでも近づきたいと念じております。(A.T)

御教歌:あひ難き のりの縁に なぞもかく われひとりのみ なみだこぼるる


迷惑をかけるな

他に迷惑をかけない程度に飲んでいるお酒は無事ですが、家族や、他人にまで迷惑がかかる飲酒は罪が深いといえます。私どもの言葉やふるまいが、あるいは生活のしぶりが、他に迷惑をかける場合も同じ結果が生まれます。

タバコ飲みでも、契煙のエチケットをわきまえないと他に迷惑のかかるときがあります。煙草は酒とは違うと油断はできません。だいたい、他に迷惑をかけて平気でいる人に対して、世間は教養が低いと評価し、本気で相手にしなくなるのが普通です。

お看経のときの拍子木の打ち方でも、隣近所の迷惑をかまわぬようでは、低級な信心と軽蔑されるでしょうし、したがってご弘通にも障りになります。自分は力のこもったお看経ができて気持よいでしょうが、周囲に迷惑がかかっては利己主義になります。

鬼手仏心という言葉をご存知ですか。医師が手術するとき、仏様のような慈愛を患者に対して持てというのが仏心で、いざ手術というときは、苛酷に見えるはど、容赦なくやるのが鬼手という意味、つまり痛いだろうと同情ばかりしていては、手がにぶりますから、鬼手が必要というのです。

折伏も燐みの心が元で、しかも、いざ折伏というときは、うらまれても急所をグサリとえぐり出さねばいけないのと同様です。しかし、鬼手仏心とはいえなるべく鬼手の方を用いずに成功するよう工夫をこらさねば慈悲心がうすいことになります。

最近は手術の研究が進み、麻酔剤などが進歩して、無痛で手術が行なわれるようになってきました。折伏でも怨嫉は覚悟の前と強がりばかりいっていて、喜んで聞いてもらえる工夫を怠り、ワザと敵を求めるやり方は進歩的とは申せません。

お看経の仕方、助行やお講のやり方、拍子木の打ち方など、他に迷惑をかけない工夫をすることが、御法に忠なる信者のつとめです。「通さぬは、通そうための道普請」で、後々の安全をはかるのでしたら、一時の迷惑は辛抱せねばなりませんが、その一時の辛抱も最少限度にくいとめるのが、人間の善意であり努力のしどころです。

宗教でも場合によっては迷信を助長したり、文明の進歩を妨げたり、政治を曲げたりして、人々に迷惑をかけた歴史もないわけではありませんから、信仰だからといい気になって、油断したり、独善になったりして、他に迷惑をかけては相済まぬわけで、もし迷惑をかけている点があったら、適切に処置しなければいけません。

家族のことにしても、お互いに迷惑をかけるようにと努め合うのが大きな力になりますし、信心上の異体同心も、相互に迷惑をかけないと努めるところに成立します。アナタは貸借関係や男女関係で迷惑をかけていないか、後輩の進路を押えたり、所属団体に迷惑をかけていないか、お寺や会社や同僚や親や妻子にはどうか、とくと考えてほしいのです。(k,t)


ニコニコ美学

和顔悦色施

Sonny

原典をたしかめてはいないが、多分、雑宝蔵経に?無財の七施ということが説かれてある。その中に和顔悦色施ということがあって、ニコニコとして他によろこびの顔を見せるだけで、立派に布施の行をすることになるという意味です。

果して顔施(げんぜ)ということです。いろいろな雑誌にも書かれているので読者の方も知っていられるにちがいないと思うが、少し広く拡大して解しておきたいので、これについてのべます。

イ、お互いに顔を見合ったとき、心配そうな顔付きだと、こちらの心もそれに影響されて曇りがちとなりますが、ニコニコしていればやはりこちらまで愉快になるのは人情です。最近は車が多いのでとてもあぶないので注意しないといけないと同時に、我れ勝ちに先行しないで、人に一歩譲る気持ちで運転するのが、一種の顔施となるのです。布施行となるのです。

ロ、先輩とか同僚とかで多少、言葉の使い方のちがいはあってもよろしいのですが、朝、夕顔を見たら、先きに「お早よう」とか、「ありがとうございます」等のあいさつをしたいものです。相手よりも先に和顔を以て挨拶したら、こちらが布施の供養をしたことになるのです。内心は、俺の方が先輩だから、相手が云うまでは、知らんふりをしてようという気の小さい根性では、とても顔施の功徳はつめません。家庭内でも同様であってほしいものです。

ハ、御宝前でお看経するときの顔は、最高に、和顔を以て、口唱行にはげむのがよろしいのです。眼を閉じたり、顔をしかめたり、よそ見をしながらのお看経は、心の乱れを表現しているのです。

人間の和顔がどれほど美しいものか、そして、相互にどれ位いよい影響があるのか、ニコニコ美学を研究することを提唱します。お互いに実行いたしましょう。
(乗泉寺通信47年1月号掲載)


5月1日御総講の御法門

5月1日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

「何となく うかと心に きくものの しらず仏の 種をうえけり」

御題 御講聴聞

内容(抜粋)
「御講席とは弘通の道場です。御講とは、個人の家で行うのが原則。そのお宅で沢山御題目が上がりますから、お席を受けた家の功徳となります。また、御講席では御法門が説かれますので、お互いに信心を鍛え磨きあげるためにも御法門聴聞は大事な事です。

また、ご信者同士の雑談も大切なことです。雑談も、御利益談とか信行体験談ばかりであれば結構ですが、なかなかそうはいかないこともあります。世間話しばかりになってしまうこともありますが、そういった話しにも耳を傾けることが大事。いろいろな話しを聞く中で、信心増進に繋がることもあるものです。

人の言葉に耳を傾ける。人の悲しみに耳をそばたてる。人の苦しみに耳を貸し、人の嫌がる話しを聞き、耳の痛い話しを聞いても怒らないこと。」

私もよく、人の話を最後まで聞かず御法門も上の空になっしまう時があります。しかし、今日の御法門でとにかくどのような話しでも人の話を最後まできちんと聞き、もっと耳を鍛えて行こうと、また一つ勉強させていただきました。(K.T) 


信徒教養講座のご案内

平成26年度の信徒教養講座が4月からスタートしました。本年は毎月二回開催いたします。同じテーマの講義を平日と土日祝日の二回に分けて講義していただき、尚かつ、13日、17日、25日のいずれかのお総講の後に開催することで、少しでも参加しやすいように工夫されていますので、ぜひぜひ皆さんのご参加をお待ちしております。

本年のテキストは盛岡・廣宣寺さんから出版されました、マンガ信行テキスト「廣子さん・宣子さん」を使用しております。ご信心ご奉公の実際的なことをマンガによって分かりやすくご説明を頂けます。ただし、テキストの冊数に限りがあるため、講義の後に回収をさせていただき、11月の最後の講義が終わった後にお配りできるよう考えているそうです。

当面は、毎月の講義で使用した項目を、翌月のHPでアップしますので、こちらをご覧頂きながらご家族の皆さんでご参照いただけたら幸いです。他寺院の発刊された小冊子ですので、無断転用は厳に禁じさせて頂きますのでご了承下さい。

また、信徒教養講座は乗泉寺賞の対象になっておりますので、役中後続者の育成の意味もこめて、ドンドン新しい参加者が増えることを期待しております。今月は、15日午前9時半から、25日午後一時から、両方とも一時間半の講義時間です。内容についても大幅なズレがないようになっております。

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作画・三好春美  絵・小藤田敏子  編集発行・第七支庁弘通部   無断転写を禁ず