日歓上人祥月御命日

日歓上人5月30日(金)は世田谷別院において佛立第八世講有・乗泉寺第18世住職日歓上人祥月御命日総講が奉修されます。

日歓上人は、昭和19年5月30日、法寿75歳にして、ご遷化あそばされました。

朝早くから「そうめんが食べたい。早く持ってこないと間に合わないよ」と申され、看護にあたっていた弟子をまさかと驚かせたそうです。

その数時間後、ご遷化のお姿は冷厳そのもの、離れたところからでも、白いお肌が目にしみるように拝されたそうです。

日歓上人が乗泉寺ご住職にご就任なされたのは、明治三十四年、御年三十三歳の時、当初の信徒数は法華宗の檀家が四十五軒、仏立講の信者が僅か七戸からスタートしたご弘通が、大正十三年までのおよそ二十年間で、信徒数は二千五百戸にまで教勢が拡大しました。また大正十二年までに得度された徒弟が七十二師の多きに達しています。

日歓上人は当時荒廃していた乗泉寺を、名実共に日本第一のお寺にまで発展させられ、佛立第三世講有日随上人から、「日本一の弘通家」と激賞されました。上人はあくまで不言実行の人、理屈よりも信心、勉強よりもまず口唱、これが上人日頃の信条であり行住坐臥にただ口唱あるのみでした。

日歓上人は、何事にも自分を律することは厳しく、弟子の教務にも厳格でしたが、その反面、信者をはじめ一般の人には、つねに優しい思いやりを示され、人情味溢れるお方であったそうです。

たとえば夏ともなれば、雇いの老婆には蚊帳を与えられ、ご自身は枯れ葉によって蚊をいぶして眠れぬ夜をすごされました。また、飯炊きの老婆を早朝に起こすのをふびんに思われご自分で飯炊きをして失敗したりもしたそうです。

日歓上人2乗泉寺門末の各寺院が、盛んにご弘通が出来たのも、先師上人方のおかげを忘れなかったからです。日歓上人は日教上人をいつまでもお忍びし、日晨上人は日歓上人を後々までお慕いされました。そうした御恩報じの思いこそが、ご弘通の力になったものと拝されます。

お互いご信者は、そのような日歓上人のお徳を頂戴し、先師上人の御恩に報いて、志篤く報恩塔婆を建立させていただき、思いやりの心を起こして人助けの菩薩行に邁進し、報恩お供え教化成就を心懸けましょう。


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