日歓上人祥月御命日総講

報恩の気持ちを込めて
昨日、世田谷別院において佛立第八世講有・乗泉寺第18世住職日歓上人祥月御命日総講が2座奉修されました。

第1座10時:寺内信徒代表参詣
第2座11時半:信廣会(乗泉寺門末御住職方)

第1座は、本堂に入りきれないお参詣者一同で日歓上人への報恩の気持ちをこめ御題目口唱行をさせていただきました。次に執事長より日歓上人を偲んでと題して、日歓上人の御誕生からこの大乗泉寺をお築きになられた経緯が述べられました。
 

①私は日本国中誰にも負けないように御弘通させて頂こう。
②私は日本国中誰にもまけないように沢山御看経をさせて頂こう。
私は、大尊師の御教えの通りの信念で通させて頂こう。 

日歓上人は、上の三つのお誓いを立てられて御弘通に励まれたことなどが述べられました。

御法門

 

続いて御導師より御法門をいただきました。
御教歌に
けふまでも無事につかへておしことを
みのりのかげと思ふしらずや
 


恩を知ることは大切なことですが、知るだけでなく、その恩に報いる行動をしなければならない。
つまり、御題目口唱や朝参詣やお助行、お教化などに励むことが大切とお教えいただきました。 

お焼香信廣会

その後、日歓上人の御墓前へ移動し、御導師はじめ参詣者一同で御題目口唱、お焼香をさせていただきました。第二部では信廣会の御導師方による法要がつとまり、また今後の御弘通について話し合いがなされました。 

みな日歓上人の御祥月にあたり御弘通への決意を新たにしました。


宇宙旅行

ただ一つの地球5月といえばゴールデンウィークです!今年は最大10連休ということで海外に行かれた方も多かったと思います。皆さんはどこに行かれましたか? 

いま私が気になっているのは宇宙旅行です。ついに民間宇宙旅行が可能な時代がやってきました。


運行開始はもう少し先ですが、すでに旅行会社では申し込みを行っています。実際に無重力体験や、宇宙から地球を見ることができるそうです!1人あたりの費用は20万ドルという高額ですが、可能ならいつか行ってみたいですね。
 

以前、宇宙飛行士の体験談で、宇宙から眺めた地球の美しさは、人生観が一変するほどのものだったと聞いたことがあります。その宇宙飛行士の方は、地球の真の美しさに気づいたことで、これからはもっと地球を大事にしなければと、博愛の思いに目覚めたそうで、ちょっと素敵なお話だと思いませんか? 

きっと私達の日常でも同じように、自分の心がズーッと高いところまで上るなら、物の見え方とか考え方が変わるのかも知れませんね。そうしたら友達の美点などにも気づいて、相手のことをもっと大事に思えるはずですよね。 青年会T・K


今があるのは

「僕は本門佛立宗というご信心をしています。これからお寺にお参りするので一緒に行って下さい。」これが主人との初めてのデートで言われた言葉です。

当然ですが、私はビックリしたのと同時に、何か怪しいツボでも買わされるのかなという不安な気持ちで一杯になりました。そしてお寺に着くなり「隣に座っているだけでいいよ」と言われたので、側で様子を伺っていると「南無妙法蓮華経」と唱えているので、またビックリです。

宗派は違いますが私は小さな頃、祖母に仏壇の前に座らされ「南無妙法蓮華経」と手を合わせていました。何かあった時には「南無妙法蓮華経」と唱えるといいんだよと言っていた祖母の言葉や、金縛りに合う度に「南無妙法蓮華経」と必死で唱え、体がスッーと楽になった事などを思い出しとても親近感が沸きました。

しかし、いざ結婚するとそんな甘い気持ちはすぐに吹っ飛びました。主人とご信心中心の生活が始まったからです。勿論私には全然理解が出来ず、何度も反発しやりたくないと訴えました。しかし、主人の応えは「君を幸せにしてあげられるのは僕じゃない。御法様なんだよ。」と返事はいつも同じでした。

主人は、何とか私をお寺へ足を運んで貰おうとご奉公の後には友人の夫妻を巻き込んで飲みに行くとか、夕食作りの免除とか、あの手この手を使って奮闘してくれました。友人夫妻には、ご信心の悩みから夫婦喧嘩の仲裁まで、多方面にわたりお世話になっていたので飲み会はいつも楽しかったけれど、正直それでもご奉公や御講参詣は苦痛でした。

そんなエサにつられて嫌々させられていたご信心でしたが、ある事がきっかけとなり気持ちが変わっていったのです。

4年前、椎間板ヘルニアで2週間程入院しました。その時、乗泉寺あゆみ会の方々が中心となりお助行をして下さいました。その当時お受持ちだった御講師と沢山のご信者さん方が私の為のお助行をして下さいました。「とても良いお看経があがったよ」と主人から聞いた時には素直に嬉しく、有り難くて涙が出る程でした。

勿論、祖父の代から続く、家のご信心があったからこそなのですが、大勢の方々が私の為にお看経をあげて下さった事が入院中の私には何より励みになったのです。そして皆さんのお助行に報いる為に、自分はどうすべきか考えました。

その答えは、私もお看経をさせて頂き、御宝前にお願いをして一日でも早く元気になり、ご奉公をさせていただくことなのではないかと思い当たったのです。もうこれが私の生きる道なのだ!どうせなら少しでも楽しくさせていただこう。そう気付いた時逆に気持ちが楽になりました。今になってみると、あの時のお助行には当病平癒のお願いだけでなく、色々な想いが込められていたのかなと思わずにいられません。

宗外者の嫁をもらった主人は、苦労が多いと思います。でも、私の頑張る姿を見て自分も頑張れる、私に折伏しながら自分自身にも言い聞かせていると主人も言っていますのでそれはそれで良かったのかなぁと思っています。

栃木と東京、運命的な出会いをしてしまったのですから、そう簡単に投げ出すことは出来ません。結婚11年目、夫婦揃って毎日お寺参詣が出来ること、二人とも健康でおいしいお酒が飲めることや、いつも支えて下さる方々に出会えたことを御宝前に感謝しています。ありがとうございました。(R.A)

あゆみ会大会信行体験談発表


因中に果あり

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラードイツの詩人、シラーの詩に次のような一節があります。

時の重みは三重である。
未来はためらいながら近づき、
現在は矢のように早く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。

時は、過去から現在、現在から未来に、一瞬の休みもなく動き続けます。私達は時の流れのなかに翻弄されております。確実に、ためらいながら近づいてくるのが死をも包む時です。

一瞬一瞬、死に近づいております。それを自覚すればする程、生きることの尊さ、すばらしさをかみしめねばなりません。今日の一日は永遠に帰ってこない一日です。その意味で、永遠なる今日です。

この世のなかを見捨てず、長い目で人生を熱愛するその心持ちがこめられております。厭になった・嫌いになった・つまらなくなったと見限ってはいけません。

私達の人生を四つの段階に分けることが出来ます。
一、この世のなかへの誕生です。
二、自己を認める青春期です。
三、社会人としての役割を果たす時期。
四、人生の最終地に開放された自己の誕生。

この時期に老いと死とを経験します。この間に、人から受けた自己と人に与えた自己とがあります。特に人の為につくす自己でありたいです。利害を離れて、自分以外のものに自分を献げる、という習慣を持ちつづけていかねばなりません。

たとえ、小さなことであっても、周囲の人に役立つ仕事を持ち続けることが、その人にとって幸せです。私達の御奉公は菩薩行です。

「上求菩提、下化衆生」と申しまして、絶えずみ仏の教えを求める一方、それを周囲の人に説きすすめることです。すすめかたを上手にすることです。これが当宗の信心です。


オーストラリアでの助行体験

私の娘は、オーストラリアの方と結婚し、ゴールドコーストに家庭を持っています。その娘が第2子を出産するので、その立ち会いに昨年の7月から10月まで、オーストラリアに行ってきました。その際に、心洗われる信行体験をしましたので、本日はその体験談を御披露させていただきます。

以前にもお話しましたが、娘夫婦の間には、3年ほど前に出産した心臓が半分しかない長男がおります。その子の出産の際、医者から諦めるように言われましたが、娘は何としてでも産みたいと、医療技術が進んでいるメルボルンにある病院を見つけました。

ゴールドコーストからメルボルンまでは、車で2日間かかる遠いところにありますが、私は、メルボルンと聞いて、不安よりも助けていただけるとの希望の方が大きかったことを憶えています。

それは、メルボルンには、八王子清流寺別院があるからです。娘はメルボルンの病院に入院し、そして病院から1時間のところにある清流寺別院にも頑張ってお参詣に励みました。別院の御信者さんにも沢山のお助行をいただき、お陰様で、現在3歳半、心臓に不安はあるものの元気で腕白な子供に育っています。

そして、この度は、第2子を無事に出産することもできました。また出産の際、臍帯血(さいたいけつ)という母と子を結ぶ臍(へそ)の緒に含まれる血液を確保することも出来たのです。臍帯血には、心臓を回復させる細胞があるようで、長男の病気が良くなるきざしも見え、2重の喜びでした。これも御法様のおかげと改めて随喜しております。

とはいえ、まだまだ安心できる状態ではありません。もっと御法様のお守りをいただきたいと考え、私は、以前メルボルンの御信者さんに、ゴールドコーストから車で1時間のブリスベンで、毎月一回お講が奉修されている話を聞いていたので、娘にお参詣することを勧めました。

私も一緒にお参詣させていただき、お参詣者は皆日本の方で、4、5人ほどですが、皆さんとても一生懸命に御題目をお唱えしておりました。翌月には娘の家でも御講を奉修させていただき、その翌月には清流寺の御住職に御講を勤めていただき、みな大変喜んでおりました。

私は、みなさんの頑張っている姿に感動し、そして、それぞれのお宅にお助行させていただきたいと帰国間際に思い立ちました。娘と一緒にお助行をさせていただくと、みなさん、それぞれの問題を抱えながら御信心されていることが分かりました。家庭の事情で懐中御本尊のみで御信心をされている方や寝室に御本尊をおまつりしている方。また、お亡くなりになられた方の御回向のために御信心をされている人などさまざまでした。

それでも、みなさん一生懸命に御信心に励まれており、娘も息子の問題を抱えておりますが、この輪に入っていれば大丈夫だと感じました。そして、何か起こるかわからない海外でも、仏立宗の御信心をさせていただけることを心強く思いました。

私は、このオーストラリアでのお助行を体験して、自分はとても恵まれた環境で御信心をさせていただけることに改めて気付かされ、もっと御信心に励んでいかなければとも痛感しております。日々の御題目口唱の時間を大切にし、そしてお教化やお助行の菩薩行に励んでいきたいと思っております。(T.S)

御教歌
助行には つれてあるけよ 新教化 現証を見て 信心をます

平成25年寒参詣発表


食わず嫌い

食べて見ないでいやときめてしまうことを食わず嫌いという。すべて物事を試みないで、むやみにきらうことをいうのです。信心は、実行しないで、はじめから虫がすかんとか、低級であると軽視するのも、一種の食わず嫌いといえるでしょう。 

たべものでも食わず嫌いでは自然、偏食の傾向となり、折角、おいしいものもたべずにということになったのでは、自分の世界をそれだけせまいものにてしまうことになります。

それと同様に、信心のことも、はじめから、俺は無信心だときめている人がいます。食わず嫌いの類です。むしろ、信心しないことをインテリの特徴のように考え違いしている人もいるようです。

実に浅はかな凡夫の智慧で、仏の教えを軽く見るのですから、あわれな狭い世界しか見ないことになります。広大無辺な、仏の世界をしらぬこと蟻が蟻の穴へ這入るより外、道がないのと同じ事といえるでしょう。

お教化は彼もよろこびわれもよろこぶ、無限によい果報を招く功徳の根元です。お教化をしたことがないし又、人にすすめる気はないなどと平気で公言する人は、これも食わず嫌いの一種だと思います。

お教化したあとのよろこび、御利益の味をしったひとは、お教化をやめよといってもやめられません。ドリヤン(果物)の味をしった人は、忘れることができないでやみつきになるように、お教化は信者の御利益の泉です。

お教化には、折伏がつきものです。どういう折伏をしたら、どのような反応があるか、その折伏によって、面白いように、現証があらわれるのですから、折伏の味わいを知ったら、やめられるものではありません。

やっぱり、食わず嫌いでは、それだけ自分の活躍する世界が小さいのです。大いに、教化、折伏、御奉公のうまみ味を味わってほしいものです。


弘通促進大会に参加して

講演の様子去る5月6日に渋谷本寺にて弘通促進大会がありました。埼玉県川口・照妙寺ご高職の植田日事導師の激励講演会が本当に勉強になりました。

平成29年まで展開される「佛立開花運動」をテーマに、お教化の花、正宗徒増加の花、後続者養成の花、これら三つの花を咲かせることが、今後の課題であるということです。

佛立開花を目指すには、とにかくご法様におすがりすること、失敗をくり返しながら自分なりのお折伏スタイルをつくりあげること。失敗のない人生こそ失敗だもんな~、自分もご弘通のお役に立てるように、勇気を持ってお折伏に励もうと思いました。

とにかく頭でっかちにならず、ご法様にお歓び頂けるように、彼も喜び我も喜ぶの精神が大事ということ、また現証を見せるのが一番効果的なお折伏になるということなど、色んな例えや体験談が自然と心に入ってきて、一時間を越える講演でしたが、食い入るようにお話を伺うことができました。

あっという間に時間が過ぎていきましたが、最後に厳しくも温かいメッセージをいただきました。それは乗泉寺の先住であられた佛立第15世講有日晨上人のお言葉を引かれて、乗泉寺は宗内でも屈指の寺院であることを自覚して、御弘通に尚一層励んでください、とのお言葉をいただき、特に私の心に響きました。

乗泉寺が宗門を引っ張る寺院であり続けられるように、また門末寺院のお手本である本寺であるように、微力ながら私も頑張っていきたいと感じました。大好きな乗泉寺のために!!(K.T)


弘通促進大会

開花三カ年にわたる「仏立菩薩を育てる運動」も、無事に終了したわけですが、終わりは次の初めで、開導聖人ご生誕200年に向け「仏立開花運動」が今後展開されていきます。

 6日に開催される弘通促進大会では、宗務本庁で、弘通局長のご奉公をなされている、植田日事お導師をお迎えします。

これから先五年間の、宗門の弘通方針、全体の誓願について、趣旨説明を頂く予定です。

お参詣の呼びかけをして、一人でも多くの方がお教化に対する意識を強く持って頂き、「仏立開花運動」の第一歩を、踏み出して頂きたいと思います。 


御利益の広さ

色や形のあるものは、簡単に判断ができます。香りや味は目に見えなくとも、鼻や舌でわかります。他人の心となると、わかったようで、よくわからぬものです。眼・耳・鼻・舌などで感じ取れない対象だからでしょう。親切な人情を売り物にしていた人が、冷血漢であったり、ハイカラぶっている人が、考え方は時代遅れで意外に思うときがあります。

古歌に「落ちぶれて袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞしらるる」とあるように、人の心の奥底は特別の事情にふれないと、表面化しないので、平常はうかがい知ることが困難なのです。菩薩心なども深層にひそんでいるらしく、それが表面に出て活躍してくれたら、たちまち功徳が積めたのにと、悔まれるときがあります。

妙法の御利益も、広大無辺で、私どもの眼力で隅々まで見極められませんし、奥行きも想像できません。ただ、ホンの一部分を感得して、わかった顔をするだけです。しかも、その感得できる範囲は、病気や商売が好転したときか、災難をのがれた場合などで、目に見えるときがおもです。

中には精神的な面で感じたり、教理や、修行の道筋で、随喜する人もありますが、概して、いわゆる現証の御利益で随喜の心を起こす人が多いのです。ですから、現実に、お願いの目標を持ち、あるいは誓願のある人が、場数を踏みながら信行を重ねると、次から次へと、広く、深く、いろいろの御利益を感じます。それに反して、信心第一といいながら、日常の働き方などが安易な道を選んだり、横着だったりすると、だんだん御利益を感ずる場面が縮小されます。

月の光は、いつも変わりなく地上を照らしていますが、眺める人の立場によって感じ方に相違ができます。大海とか高山で見る月、春の夜の霞んだ月、秋空の澄んだ月、一人ボッチで見る月、愛人とでも見る月、すなわち場所や時や景物の違いで、千差万別の情趣を味わうことができるように、御利益も私どものあり方で、いろいろの妙味を体得できます。それで当宗は生活建直し運動を展開し、それを通じて、より広く深い御利益を感得しょうと試みているのです。

信者は不思議な心の持ち主であり、相手方の妙法も底知れぬ御利益の持ち主です。その信者側と妙法側の両岸を結んで御利益の受け渡しをする掛け橋が信心ですから、これまた、広げればいくらでも広がり、結び方は深くも浅くも自由自在です。

それが信心の性格ですからこれでよしと閂を入れるのは信心の本質に背きます。慢心や僻怠が御利益のいただけぬ障りとなるのも、信心増進を停めるからです。

したがって信心は、次々に目標の建直しをして、中絶することなく、精進することが大事で「願ふことなしと思へば怠りぬ」ですから、無目標になって、信心の掛け橋が痩せ細らぬよう警戒すべきです。


5月に入りました

カーネーション先月27日~29日にかけて京都本山で奉修された門祖550記念大法要に晴天のお計らいのなか、参詣者一同無事にお参詣させていただきました。今月から気持ちを新たに御奉公に励ませていただきましょう。

さて、今月の30日は、佛立第八世講有日歓上人の祥月御命日です。乗泉寺では、5月は「教化」をテーマに下種先、ご家族にもご信心をお勧めすることに力を入れる月です。積極的にお助行に励ませて頂き、30日の日歓上人祥月御命日までに、各部1戸の報恩お供え教化をさせて頂きましょう。 

5月の予定
6日(日)弘通促進大会(午前10時半~)
25日(日)信徒教養講座(午後1時~)
30日(水)日歓上人祥月御命日法要(世田谷午前10時~)