言葉の重み

生まれてから死ぬまで一生の間、私達がお世話になるのに、言葉があります。言葉は生活上必要で、欠くことの出来ないもので、それだけに、言葉を磨くことが大切です。 

言葉は刃物のようなもので、人を生かしたり、殺したりします。昔から「丸い卵も切りようで四角、物もいいようで角が立つ」といわれております。ある地方の歌に「一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、一つの言葉でお辞儀して、一つの言葉で泣かされて、一つの言葉は、それぞれに一つの意(こころ)を持っている。」というのがあります。 

一、感謝をする言い方をして下さい。たとえ些細なことでも御奉公させて頂いたら、お互いに認めあって、「ありがとう」という言葉を使ってください。御奉公するのが当たり前だ、という言い方は止めることで、特に入信間もなく、まだ信心の分からない人に対しては、お互いに信心の先輩者として、思いやりのある言葉を使うように工夫しましょう。 

二、折伏は、折り伏せるという面ばかりでなく、相手の良さを認めて、それを引き出すこと。つまり、長所をのばすことです。信心はさせて頂こうと思ったら、誰でもできるものです。朝参詣・御宝前の御給仕・お教化については、お互いに勧め励まし合うことが本当の慈悲であり、思いやりであります。 

御教歌 義は強く ことやはらかに 身を下る これぞ不軽の 折伏としれ 

「義は強く」-本筋を曲げないで押し通す。「ことやはらかに」-言葉は丁寧に心を込めて。「身を下る」-いつでも謙虚な態度。ということで、これが佛立信者の態度でなくてはなりません。「法は人によって弘まる」 御法は人を通じて他に伝わっていきます。言葉の重要性を痛感する次第です。 

平成14年3月発行 慈悲廣大より


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