宗外の方にとって、「信心」というと、なにか自分には全く関係ないことと感じられるかと思います。自分自身も三十二歳で結婚して、母親がお戒壇を持ってくるまで、縁が少ない世界でした。従って、宗外の方の気持ちも良くわかります。
しかし、入信して二十七年経つ今では、亡き母が残してくれたこの仏立宗のご信心は、何にもまして大きな財産だと強く感じています。毎朝、起きれば顔を洗いますが、心はいつ洗いますか?ご信者は、朝のご宝前への挨拶で心を整え、お寺への参詣とご法門の聴聞で心を洗い、新たな気持ちで日々を過ごします。
お導師の「平凡は非凡」の言葉に励まされ、ありがたいと感謝できる自分を確認できます。振り返るとご信者になってのしばらくは、まだまだ欲望・自力という鏡の中に閉じ込められた自分であったという気がします。
第一の転機は、四十四歳の時にありました。勤務していた、石油化学系の会社は、景気の波の乱高下のまっただ中にあり、川崎工場の技術部門にいた私は上司より、六名のチームのリーダーとして二名の部下の配置転換の指示を受け、内示をしたものの、その後人事部門からの正式な通達がなく、職場の人間関係が良くない中での超多忙な日々でした。
四月に甲のお講を受けたとき、御導師より、「Iさん、おすがりするのですよ」と当方が何も言わないのに、小声で諭されました。当時の自分の考えは、仕事は男の世界であり、人事を含めて自分でどうにかするという考えでいたものの、何も好転せず、もやもやの中で自分の負担ばかりが増える日々でした。その結果、体調を崩して、結局自分自身が本社勤務として転出することになりました。お罰を受けましたが、一方でそれは良い転機となり、出勤時に渋谷のお寺にも寄りやすくなったのです。また通勤も(少しですが)近くなりました。
それ以後いくつかのご利益を頂き、お講師や先輩のご信者の指導を受けて、信心が深まりました。義理の父のすい臓が悪くなり、黄疸症状も出て危ないといわれたときも、妻はお寺のお供水を渋谷から群馬の太田まで運び、義理の父も元気を取り戻しました。また次男の高校入試でも、十四回も青年会メンバーがお助行に来てくれて、無事目標の高校に入学できました。ふつつかながら現在青年会のご奉公をするようになりました。
渋谷の乗泉寺は、都会のオアシスとして、宗外の方も疲れた心を癒す場所として訪れてほしいものです。微力ながら、今度とも、先輩のご信者さんへの恩返しができる信者を目指して、一歩でも前に進んでいきたいなと思っています。(A.I)
御教歌 宮つ子が 神のみまへの朝ぎよめ 口唱は心の 掃除也けり