ありがとうございます。
今日は主人の母が教化になったことをお話したいと思います。その前に主人を教化した時の話からかいつまんでお話させていただきます。
結婚して十三年が経ちます。出会った当時主人は公務員として勤務していました。いざ結婚が決まると次々に障害が出てきました。一番はこのご信心でした。宗教ご法度の教育を受けた主人には、ご信心など到底受け入れられる問題ではなく、とにかくやめてくれの一点張りでした。
ご宝前に向かって物を投げつけたり、ご奉公を邪魔されたり、あらゆることに反発され、結婚そのものを解消するころまで話が進みました。宗教を全否定していた主人が教化に至るまで五年かかりましたが、その間は気の休まる時はなく、教化一筋、何とか少しでも解ってもらいたいとご祈願させていただき、信心をめぐり何度も何度も主人とぶつかりました。そのたびに主人をとるか宗教をとるかの選択を強いられ大喧嘩になったことは昨日のことのように鮮明に覚えております。
逆縁という縁の中、結婚をし、苦労は試練と受け止め、ご法様におすがりする毎日でした。結婚生活の中では病気があったり流産があったり、親類・友人の死があったりといろいろありましたが、主人の実家が千葉歓照寺のすぐ近くというご縁と、お導師との出会いがあり、現在主人は歓照寺の役中として御奉公、私は乗泉寺の御奉公と、所属は違いますが、それぞれに楽しく御奉公をさせていただいております。
そんな中、入退院を繰り返しておりました主人の父が、昨年9月に亡くなりました。父が生前、主人の折伏により歓照寺のお導師と二度ほどお目にかかれるお計らいをいただいておりました。中山家は先祖代々他宗の檀家であり、当然親戚一同そちらでの葬儀と思っていたようでしたが、お導師のお慈悲により、本門佛立宗のお題目で送ることができました。
葬儀には千葉のお講師方はじめ、たくさんのご信者さんがお焼香に来て下さり、一心にお題目を唱える姿にはじめて触れ、親戚一同驚き、感動したようでした。父が亡くなったその日に主人の折伏により主人の母が入信となり、お戒壇を購入、唱題寺お導師のご染筆による護持ご本尊をおまつりし、お戒壇開き御礼お講、乙の願主になりお講席も受けさせていただくことができました。義母は信心をわからないながらも、毎日朝参詣を欠かさず、教区の方々の温かいご指導により、感謝の気持ちで御奉公させていただいております。
教化子が教化してはじめて教化と習いましたが、主人を教化して七年、やっと私の教化が成就いたしました。そして主人の御奉公の姿と教化への思いと、また結婚してから十三年間、八戸の私の母と二人毎日一日も欠かさずあげさせていただいているご祈願・ご回向がご法様に届き、義母の教化につながったと随喜しております。
主人と結婚した意味、お寺に自宅が近いという意味、様々な試練とも思える出来事の意味は決して偶然ではないと思います。義母を見習い、初心に帰り、日々信心改良をして、教化・育成ご奉公に精進させていただきたいと思っています。(K.N)
御教歌 さかさまに 結ぶゑにしも 法の花 そしるにさへや 香にうつるらん