相手の過ちを見たときは

相手が罪障(ざいしょう)になるようなことをしているのを見ても、その行為に対して当たり障りの無いことばかりを言っていたら、それは相手を見放すのと同じで、無慈悲な行為と申せます。

例えば、お店に行ったときに、友人が商品を万引きしている場面に遭遇したとき、皆さんならどのように対応するでしょうか?

そのまま見て見ぬ振りをしたり「お金がないなら仕方ないね」等と、その行為を認めるような事を相手に言ったりする人はいないはずでございます。

「万引き」という罪を犯した友人は、警察に捕まってその罪を償うことになりますから、どんなに相手が望んでいることでも、それが誤っている場合は「やめなさい」と言って止めるのが本当の慈悲なのでございます。

ご信心でも同様で、自分の子どもが信行相続をしたがらないからと、「神社のお守りは持っていても良いから、佛立信心をしなさい」等と言うのでは、相手は功徳を積めず、却って罪障を積んでしまい、幸せの道から遠ざかる事になってしまうのでございます。

また、他のご信者さんが謗法を犯している場合でも、相手に反発されて憎まれるのが怖いと思ったり、退転したらどうしようと、当たり障りのない事ばかりを言う事も、無慈悲というものでございますから、しっかりと相手の過ちを言って伝えてあげることが大切でございます。

御教歌

折伏も当らぬ様にする時は やはり無慈悲の随他意となる


お参詣の功徳

お参詣の功徳は大きく分けますと、四つございます。

一つ目は、親近礼拝(しんごんらいはい)の功徳と申します。
お祖師様は御妙判に
「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となる。」
という御文(ごもん)をお残し下されてございます。

須弥山(しゅみせん)とは、仏教の世界観で一番高い山のことです。
この山を目指して近づいてくる鳥は必ず、山の積もった雪の光や、太陽の光を受けて金色に輝きます。御法様の在(ましま)す御宝前のある場所に身も心も近づけば近づく程功徳を重ねる事になります。

礼を尽くしてお参詣させていただくと、仏様のお徳を頂戴させていただく事ができます。

次に、聞法(もんぽう)の功徳と申しまして、御法門には私共に必要不可欠な菩薩の心得を教えていただけるのでございますから、しっかりと聴聞させていただけば、教化折伏の思いが涌(わ)いてきて功徳を積ませていただけるのでございます。

三つ目は、菩薩囲繞(いにょう)の功徳と申します。
御看経を熱心にさせていただいているご信者さんに囲まれて、御看経をあげさせていただけば、功徳を積ませていただけると仰せでございます。

最後に供養の功徳と申しまして、自分自身の身(しん)命(みょう)財(ざい)を、お祖師様の為に使わせていただく功徳の事でございます。

・身(しん)とは、体の事であり、体を使った御給仕、寺内の清掃等をさせていただく事で功徳が詰めます。
・命(みょう)とは、いのち、即ち寿命の事であり、自身の時間をお祖師様の為に使う事で功徳が積めます。
・財(ざい)とは、お金の事でございます。

お参詣の為に使用した、電車賃(でんしゃちん)やガソリン代等は決して無駄ではなく、功徳を積ませていただけるのでございます。

これらの功徳は、お参詣をさせていただく事で積ませていただけるのであり、大変有難い事でございますから、どんな事があっても、自身の罪障に負けず、お参詣を実行させていただく事が大切なのでございます。

御教歌
信心のあるとなしとは参詣を するとせんとに顕れにけり