お助行

お助行とは、読んで字のごとく、修行を助けること。即ちご信心の有難さや仕方が分からない、またお願いごとがあるご信者の修行を助成して、ご信心への意欲を高めることを言うのです。

先月7月17日、私はこのお助行について、30名程のご信者さんの前で解説、講義をさせていただきました。お助行での体験談を思い返しつつ、事前に渡されたテキストや他の解説書を見て勉強をし当日の講義に臨みましたが、改めてお助行の尊さに気づかされました。

近年の社会情勢を見ておりましても、他人がどうなろうが関係ない、自分さえ良ければいいという風潮がより強くなっています。毎日、新聞やテレビで報道される事件や事故は、自己中心的な出来事ばかりです。

そんな中、私ども佛立信者は他者の幸せの為に、自分の時間やお金、労力を厭わず、お助行に伺い、一緒になって御題目を唱えさせていただけるとは何と尊いことでしょうか。

今、日本社会が忘れつつある他者を思いやる心、親切心、慈悲心が、お助行の中にあることを感じました。お助行を通じて人が喜び、幸せになっていく様子を見ますと、何とも言えない充実感で満たされます。

仕事や家事、育児など、やらなければならない事が山積みで人のことなど構ってはいられないと思うかもしれませんが、そういう方こそ、一度お助行に行ってみてはどうでしょうか。日常では味わうことの出来ない感激や感動があなたを待っていることでしょう。


その原因は

新聞やテレビを見てみますと、殺人事件や詐欺や虐待、芸能人や政治家の不祥事、国同士の対立など、連日さまざまな事件が連日、報道されております。

このようなさまざまな事件は一見それぞれ違った原因があるように見えますが、その根本にあるものは私どもの貪欲という心に原因となっている場合が多いものです。

私たち人間は欲がなければ生きていくことも、向上することもできませんが、欲を必要以上に貪ってしまうという所があるのです。お金や物を必要以上に追い求め、自分の名誉心を必要以上に押し通してしまう。法律や道徳の上、間違いをしているのではないかと思いながらも貪欲の心が抑えられずに問題を作ってしまうのです。 

それは昔から現在にいたるまで、同じような事件が繰り返され、それも学歴や才能や常識がある人さえも問題を起こしていることからも分かる所です。

私たちは、どうしても時代や政治、他の人に原因を求めるものですが、実は、一人一人の貪欲が身近な問題、さらには社会問題を引き起こしているといっても過言ではないのです。

仏様は小欲知足という生き方のみ教えをお残しくだされました。その生き方を実践する方法は、今の時代においては信心の力を強くしていくことだと教わる所です。

貪欲に振り回されず、毎日を平穏無事な生活に、そし社会全体をよくていくためにも、お互いに日々の信心修行を大切に考えていきたいものです。

 


よく聴く

世間で流れる流行歌、ハヤリの歌は、テレビやラジオから繰り返し聞こえて参ります。何となしに聞いていましても、自然と耳に入り、知らずのうちにメロディーを憶えてしまうものです。

それでも、いざ歌うとなりますと、何となく聞いているだけでは、歌詞も分からず、上手く歌うことはできません。カラオケの発表会などで、人前で歌うとなりますと、CDを買って繰り返し聞き、また歌詞カードを見ながら聞いて、憶えようとするものです。

さらに、一流のプロともなりますと、たとえ人が歌ったカバー曲でも、その歌詞の奥にある人の情念や、時代背景なども勉強して、歌う場にのぞむというのです。

このように、ただ聞いているだけと、目的を持って真剣に聞くということでは、大きな違いがありまして、ご法門聴聞でも、ご法門の場に参ること自体、功徳を積むことができますが、それ以上に、自らの信心改良、他の人にご信心をお勧めしようとしての聴聞は、大きな功徳を積ませていただけるのでございます。

御教歌

何となくうかと心にきくものゝ しらず仏の種をうゑけり

 


知ってるつもり!?

テレビのクイズ番組で「小学○年生の問題です」「中学○年生の問題です」と言われるような設問に、大人の私たちが正しく答えられないような場合もあります。そのような時には、自分は今まで学校で習いわかったつもりでいたことを、本当はよく理解していなかったのだと、痛感させられるものです。

さて、ご信心のうえで、これと似たようなことは無いでしょうか。仏様は私たちのことを何もかもお見通しですよ、と教えられても、平気で御宝前(仏前)にご無礼を働いてしまう。ご信者さん同士は仲良くしなければいけませんよ、と教えられても、悪口や陰口を言ってしまう。他の人にご信心をお勧めしたら自分も必ず幸せになれますよ、と教えられても、勧めようとしない。このような状態では、一応本門佛立宗にはこのような教えがあるのだという知識を持ってはいても、それが真実の教えなのだということを、本当にわかっているとは言えないでしょう。

何事においても、自分は何でもわかっている、もう他人から何も聞く必要は無い、と驕り高ぶる思いが起きたなら、そこから先へ進歩していくことは難しくなってしまうでしょう。他の人が一回でできることなら、自分は十回やってみる、何回でも他人に聞いて、何回でも実践してみよう、というくらいの心がけが必要です。

あのイチロー選手は、現役を引退した後も、自分のバッティングはまだ完成されていないと言って、素振りを続けておられるそうです。あれほどの大記録を残してもなお、さらに高い次元のものを求めようとする姿勢は、私たちも見習っていかなければなりません。

本門佛立宗では、お寺や御講席の御法門で、仏様の御教えを伺うことが出来ます。お互いに、ご信心のことは何でもわかっている、という思いは捨てて、自分は何か心得違いをしていないだろうか、仏様の御心に沿っていないようなところはないだろうか、という謙虚な思いを忘れず、一度でも多く御法門を聞いて、聞いた教えの通りに実践していくよう心がけ、御利益を頂けるよう、改良を重ねてゆきましょう。

※乗泉寺(渋谷)では、今月31日まで、夏期参詣という夏のご修行期間です。毎日朝と夕方に御法門が説かれ、午前8時半から午後8時までは、本堂後方の「御法門聴聞室」で御法門のビデオを見ることができます。是非、お寺へいらしてご信心の教えを伺ってみてください。


Gohomon words

34. world of heavenly beings

   When we get married, pass an entrance exam or make money, we feel happy (souls of heavenly beings). But we will fall in the six agonizing worlds by losing the merits. For example, there is a possibility that we’ll get involved in a criminal case due to such money. On the other hand, thanks to merits accumulated through chanting, we can ensure any protections of the guardian kings of heaven as well as the Buddha in the past, present and future lives.

   結婚、入学試験の合格、或いは商売が上手く行けば、私達は喜びを感じます(天上界の心)。しかし、その徳がなくなれば、苦しみの多い六道の世界に転落する事になります。例えば、商売で儲けたお金が原因で、事件に巻き込まれる場合もあります。これに対し、口唱信行の功徳により、私達は三世に亘って仏さま、諸天善神の御守護をいただく事が出来ます。

*1. world of heavenly beings: 天上界 


Gohomon words

33. world of pretas

   All of us have souls of pretas, the second lowest among the ten worlds. Making fortunes, we aren’t satisfied with them. On the contrary, we will increasingly want goods and money, resulting in signing our own death warrants. However, it’s possible to minimize such greed causing sufferings and troubles by chanting the Odaimoku.

   私達には餓鬼の心(十界の中で下から二番目の心)があります。たとえ財産を築き上げても、私達はそれで満足する事はありません。それどころか更に物やお金を追い求め、最後には自身の首を絞める結果となります。ところが、御題目をお唱えすれば、苦しみの元である欲心を抑える事が出来るのです。

*1. world of pretas: 餓鬼界


罪障というもの

私たち人間は、自分の行いに対する結果を期待するもので、これだけやったのだからこれだけ報われるだろう、と期待をしてしまうものです。

しかしそこで報われなかったり、悪いことをしていないのに辛い目にあうと、どうしてこんな目にあうのか、理不尽だと感じてしまいます。

ですがそこで世の中を恨んでふて腐れたり、他の人に八つ当たりをしても環境は悪くなるばかりです。そこで自分の力不足も原因であると反省して、改良することが大切です。

仏様は因果の道理を説かれており、どんな理不尽なことも原因があると仰せです。それは過去世からの自身の罪障です。過去世のことなど知らないと思うかもしれません。しかしここで自暴自棄になってはさらに未来へ向かって罪障を積み重ねてしまいます。

人生波の連続で、思いもよらぬ災難に出会います。しかし困難にあったときに他を恨まず、自分の罪障が顕れた、これは過去の罪障を消滅する機会と心得て、逆境に立ち向かいましょう。

 


懺悔の心を忘れずに

懺悔(さんげ)とは、自らの心持ち方や行いを悔い改めるということです。お互いは常によい心の持ち方をしているわけではなく、ですから懺悔の心を忘れずに生きていくことが大切で、この懺悔によって、よい心の持ち方で日々の生活を送ることができるのです。

このことはご信心でも同様で、お互いの信心前というのは残念ながら常に安定しているわけではなく、どちらかというと疑い迷い誇る怠るといった信心とは反対の心をいただきやすいものです。ですから日々懺悔の心を離さないことが大事なのです。

そのためにもお互いは次の5つのことを常に反省しながら御題目をお唱えすることが大切です。

懺悔・・・御法を謗る思いをもっていること。
勧請・・・先師聖人方や先輩のご信者のお陰を感じられないこと。
回向・・・ご先祖の敬う心や他の方を助けようという思いが薄いこと。
随喜・・・人して生まれ御法のお出会いできた身の上を喜べないこと。
発願・・・命が続く限り御奉公させていただきたいと思えないこと。

こうした思い方を反省しながら、御題目をお唱えすることによって素直な信心前に立ちかえることができ、御利益という仏様からのご冥加をいただくことができるのです。


小言の人、追従の人

人は誰でも自分のことが分からないもので、他の人から自らの誤りを指摘される。小言を言われたりするものです。

小言を言われた時は、自分は間違っていないのになんでそんなことを言われなければいけないのかと思い、自分のことを悪く言わない人の所にいき愚痴や不平、そして慰めの言葉をかけてもらいたいものです。

追従という言葉がありますが、意味は、他人の気に入るような言動をすること。こびへつらうこと。とありますが世の中には相手の間違いが分かっていても、あえて言わない人がいます。

こういう人は相手のことを思っているように見えて、本当は自分の保身ばかりを考え、相手のことを思っていないものです。

小言をいってくれた人の言葉は年齢や経験を重ねることで身にしみるものです。誰でも追従の人に近づきたいし、それによって助かる部分もあるものですが、小言を言ってくれる人も大切にしていかないと、自らの成長にもつながらず、よりよい社会にもならないものです。


顕れ方いろいろ

御利益の顕れ方にはいろいろとありますが、4つほど挙げさせていただきますと、

1つ目は、お願いをして、そのお願いを叶えていただける御利益。病気平癒の御利益など。

2つ目は、お願いをして、違う形でいただく御利益。希望の会社に進めなかったが、違う会社で生涯を共にする友人に巡りあえたなど。

3つ目は、特別にお願いをしていなくても、いただける御利益。思わぬ災難から助けをいただけるのなどの御利益。

4つ目は、特別なお願いをしていなくても、日常を無事に過ごさせていただけいている御利益。

4つ目の御利益が本当は有り難いことで、自分のお願いごとにとらわれることなく、今日も御奉公させていただくことができて有り難いと法悦を感じとれれば、日常の生活は心豊かなものになるものです。

このような御利益を感得する、感じとるためには、やはり日頃の御題目口唱によります。あらゆる御利益、仏様のご加護、お計らいというものを感じ取れるように、御題目をお唱えさせていただきましょう。


縁を感じる力

天台大師というお方が仏様のみ教えにお出会い出来るのは、本来難しいことだと仰せになられています。

1,仏様がこの世にお出ましになられることは難しい。
2,仏様がみ教えをお説きくだされたことは難しい。
3,仏様のみ教えが聞き伝えられ経典として残っていることは難しい。
4,仏様がみ教えが他国の言語に訳されていることは難しい。

このように私たちが何気なくご信心をしているようでも、み教えをいただくのは本来難しいことで、そのみ教えにお出会いできたご縁を喜ぶことが大切です。

小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす

これは柳生 宗矩の言葉とのことですが、お互いに他の方との縁を大切に、人びとの幸せを願い、み教えとのご縁を結ばせていただきましょう。


Gohomon words

32. capability for practicing

  Capabilities of people in this Mappo period are much lower than those of people during the Buddha’s lifetime and the Sho-Zobo period. In other words, people in the Mappo period don’t have any capabilities for ascetic practices such as meditating and fasting. In this Mappo period, eradicating sins in the past life resulting in attaining Buddhahood can be achieved only by chanting and spreading the Odaimoku.

  この末法時代に生きる人々の機根(仏道修行を行じる能力)は、仏さまご在世の時代や正・像法時代の人々の機根と比べ遥かに劣っています。すなわち、末法時代の人々には瞑想や断食といった苦行を行じるだけの機根が備わっていません。この末法時代においては、御題目の口唱と御弘通に励む事によってのみ、過去世からの罪障消滅と成仏が適うのです。

*1. capability for practicing: 機根・仏道修行を行じる能力

*2. Buddha’s lifetime:  仏さまご在世の時代

*3. ascetic practice: 苦行

*4. fasting: 断食


Gohomon words

31. spark

   In addition to offering incense sticks, candle light, food and others, we clean the Gohozen by using dusters, cloths and mops three times a day in this Josenji temple. After the Okyuji, it is required to purify the Gohozen by striking sparks with a flint and a steel.

   乗泉寺では、御宝前にお線香、お灯、食べ物などをお供えさせていただくだけでなく、一日三回、おはたき、お布巾、モップを用いて御宝前のお掃除をさせていただいています。お給仕後は、火打ち石と火打ち鎌を使って切り火を打ち、御宝前のお清めを行う必要があります。

*1. flint: 火打ち石

*2. steel: 火打ち鎌

*3. spark: 切り火


結婚式

去る4月27日、乗泉寺において御導師御奉修のもと、結婚式を挙げさせていただきました。

当日は良い天気にも恵まれて、緑に囲まれた境内にて良い写真も撮らせていただき、これもお計らいと感謝しております。

また、ご出座いただきましたお教務方、司会や三三九度、接待等の御奉公をいただいた方々のお陰で、晴れやかな結婚式となりました。本当にありがとうございました。

何分自分が主役の1人となり、これほど大きな行事を開催させていただくのは初めてなこともあり、色々不手際もあったかと思いますが、先輩諸師のアドバイス、沢山の方々の助けもあり、妻と2人で協力して無事に披露宴を終えることが出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。

今回の披露宴開催にあたり、挨拶をいただいた御導師はじめ、上司、先輩、友人、そして余興をしてくださった新婦の妹さんたち、弟さんと、友人の方々、受付の方、プランナーさん、映像や案内の方等、大勢の方々のお力添えで、本当に素敵な披露宴となりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

結婚式、披露宴を無事に終えることができたのも、御法様のお陰、また日頃から皆様方より頂いているご指導のお陰と感謝しております。

乗泉寺では、今後も教務の結婚が続きます。若い世代の信者家庭が増えていくことになります。一層お看経に力を入れて、信心を柱とした家庭を築き、家庭内の信行相続に力を入れていきたいと思います。