背負っているもの

ニュースで、ある国で日本の飲食店の真似をしたとの報道がされていました。そこで少し気になったのは、それを指摘した時に某国の対応はどうだったのだろうかとの内容でした。

某国の対応というより、その国の一個人がしたことだと思うので、それを国の責任として報じられていることに少し違和感を覚えました。

こうした個人の問題が全体の責任としても考えられることは、あらゆる団体、グループでもよくあることですが、それを国まで広げてしまうと、変に争いの種を蒔いているようで、行き過ぎのような気もしました。

しかしながら、それが他からの指摘ではなく、一個人の認識としてあるならば、それはそれでよいことだとも思います。国までとは考えられなくても、全体を背負っている責任を少しでも感じていれば、ルールやモラルを簡単には無視できないものだと思うからです。

個人の行動が社会によい影響をあたえ、社会が住みやすくなれば、一個人にも還元されるに違いないはずです。

妙法の信者は、一人一人が妙法を背負っていると感じて、できるだけ妙法の邪魔をせず、妙法のお役に立てるような生き方をしていかなくては、そのように思いました。


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