夏期参詣御利益談②

私は昨年の9月に体調を崩し、長年勤めていた会社を辞めました。これからは無理をしないで、お寺や教区の御奉公を優先出来るような仕事を選ぼうと考えておりました。 

そんな折り、近所の金物店を経営する同級生の友人から、「あなたの都合を優先して良いから、工事のアルバイトをしないか?」とお誘いがありました。これは願ってもいない話だと思い、喜んで承諾致しました。早速、お寺や教区のお参詣や御奉公の日程を優先しようと、シフトを提出致しました。 

しかし、たまたまその月は思いもよらず仕事が忙しく、多くの工程が立て込んでおりました。お店からも「人手が足りないので、お寺の日も仕事を入れてくれないか?」と頼まれ、つい仕事を入れてしまいましたが、それから徐々に甲の御講まで、アルバイトを優先してシフトを組むようになってしまいました。 

今年に入ったある日、朝の御看経を終えると、何故か急にヘルメットのことが気になりました。(前日は、トラックにヘルメットを積んでいないことに気がついていましたが、「まあ良いか!」と軽い気持ちで危険な作業をしておりました。 

店に着いて、トラックに作業道具を詰め込み、朝のことがありましたので、ヘルメットを積んで現場に向かいました。現場に着き、昨日と同じ約三メートルの高さにあるシャッターの上の補修工事に取り組みました。その日は仲間がはしごを支えてくれ私も安心しておりました。 

仕事の途中、はしごを支えていた仲間が、別の用事があるので、「ちょっと待ってくれないか。」とどこかへ行ってしまいました。しばらくの間、待っていましたが、なかなか戻って来ないので、このままだと今日中に仕事は終わらないかもと、少し焦り気味で、そのまま一人で仕事を続行することに致しました。 

足を踏ん張った瞬間、はしごがシャッターから滑り、気がつくと約三メートルの地点から仰向けでコンクリートに叩きつけられておりました。一瞬頭が真っ白になり、身体中に激痛が走りました。私は「うーん」と唸りながら、気がつくと必死に御題目を唱えておりました。

仲間が慌てて近寄ってきて、私が倒れている様子をみて「大変なことになった。」と血の気が引いておりました。15分位は仰向けに寝ながら大丈夫と手で合図をしながら、痛みに耐えていました。しばらくすると壁に手を添えて立ち上がることが出来ました。摺り足ながら、何とか一人で歩くことが出来たので、仲間に補助され、痛みに耐えながらも、その日の内に仕事を再開してしまいました。

帰りの車の中で、仲間達が「奇蹟だ」としきりに言っていました。私はこれは「ご信心のご利益だ!」と声を大にして言いました。今まで、ご信心の事を小馬鹿にしていた仲間もこんな不思議なことが本当に起こるのかと真面目な顔をしていました。この日は土曜日でしたので、湿布でも貼って翌月曜日に医者へ行こうと軽い気持ちでいました。 

ところが翌日は激痛でベットから身動きが出来なくなってしまいました。1時間くらい掛けて何とか立ち上がることが出来ました。ゆっくりですが、歩くことが出来たので、自転車を支えにして、近所の接骨院に行きました。事故のいきさつを伝えると「本当に歩いて来たのか」と疑いの目で見られました。 

「普通なら救急病院行きだ!下手すれば一生車いすでもおかしくない。何よりヘルメットがなければ、あなたは今ここにいないよ!」と言われ、改めて御法様に助けて頂けた感謝の気持ちで胸が一杯になりました。それから1週間位は仰向けには眠れないので、椅子に座ったり、正座をして膝の上に座布団を重ねてベットに顔を埋め、痛みに耐えながら、起きている限り御題目を唱える日々でした。 

教区長さんに電話をしましたら、「何でもっと早く連絡をくれないの!」とお叱りを受けました。早速、次の日御講師、連合長さん、教区長さんにお助行を頂きました。御講師に事故の話を聞いて頂きますと、「今回の事故は、大難を小難に変えて頂いた大変な御利益ですが、同時に御法様から信心改良をさせて頂きましょうという御罰を頂戴されたのですよ。」とご指導を頂きました。 

この言葉を受けて私は身に覚えがあったので、御法様に対して本当に恥ずかしく申し訳ない気持ちになりました。前の仕事を辞めた時に、「これからはお寺や教区の御奉公を優先し、出来る限り御奉公させて頂きます。」と大見得を切って宣言していたにも関わらず、気がつけば仕事仕事と言って、御奉公に全く顔を出さないでいたことのお叱りを頂戴したのだと思いました。 

今改めて思うことは、私自身、御法様や連合教区の皆様に常にお守りを頂いているのだと確信をした次第です。今後は更なる信心改良に努め、何事に於いても信心第一で、精一杯お参詣・御奉公に頑張らせて頂きます。ありがとうございました。(K.T)


息子の御利益を通して

息子は現在、青年会で主事のご奉公をさせていただいております。青年会へのきっかけは、高校受験の際に青年会の方々がお助行に来て下さったことでした。当時、4ブロックの青年会には、得度される前のN.go師がいらっしやいましたが、熱心に奨引して下さり、それを機に息子はお参詣・ご奉公をさせていただくようになりました。 

その後、大学受験の時にも、お講師を始め青年会の皆さんに大変お世話になりました。高校・大学と志望校合格のお計らいを、また青年会でも充実した日々を送らせていただき、いよいよ社会人として第一歩を踏み出そうと胸をふくらませて就職活動を始めました。 

ところが折からの就職氷河期で、希望する就職先は思うにかなわず、就職浪人することになりました。お講師や青年会の皆さんには、「必ずお計らいをいただけるから大丈夫!」と励ましを受け、就職活動を続けながら、一生懸命にお寺参詣・ご奉公をさせていただいておりました。 

しかしながら、さすがに焦りを感じ始めた今年初め、登録していた就職情報機関の担当者から、「希望する条件に合いそうなところがありますよ」と連絡をいただき、さっそく筆記試験に臨み、合格後、面接の通知がありました。ところが、面接当日、採用は1名のみとわかり、その場には30名におよぶ精鋭が控えていたのです。

本人曰く「雰囲気からして、これは無理だとわかったけれど、心のなかでお題目をあげ順番を待っていた」と。そして1週間後に来た連絡は、なんと合格通知でした。「奇跡としか言い様がない…」と本人は震えておりました。まさに、お計らいをいただいたのです。すぐご宝前に手を合わせ、家族全員で喜びを分かち合いました。 

翌日、御礼のお参詣に私が乗泉寺へ参りましたところ、早くも合格の報が伝わっており、お講師を始め、青年会の皆さん、さらに婦人会の方々からも「就職、おめでとう!」と言われ、周りの方々がこんなにも心配して下さっていたのだと、改めて恐縮しつつ感謝の気持ちで一杯になりました。

自分がひとり頑張っても、それはほんのわずかな力でしかなく、周りの方々の温かい思いや願いがひとつになって初めて、大きな力になることを息子共々、感得させていただきました。平目は仕事、土日はご奉公と息子は休む間もありませんが、不思議なことにご奉公を終えて帰宅した際は、晴れ晴れとして嬉しそうです。

私自身も2年間、婦人会本部でご奉公をさせていただき、ご奉公の大切さ、喜びを肌で感じ、実に多くのことを学ばせていただきました。それは一言でいえば「私心なく与えることと受け取ること」ということでしょうか。ご信心を通して、人のために何かをし、相手の身になって思い願えば、その喜びは自分に返ってくる。そのことを学ばせていただいたのです。多くの方々の支えがあって初めて今の自分が存在するということを忘れてはいけない、と。息子の祖母を含め、家族全員でご信心をさせていただいているからこそ、それが理解でき、感謝できるのです。

ある仏教書に、「すべて利益となるものは人のもとへ すべて損失となるものは我がもとへ‥…・このわたしが旅するものの先導者となりますように 彼岸をめざすものの 舟と、橋と、道となりますように……」とありました。このような菩薩行の境地に至ることができるのは、いったいいつなのでしょうか‥…・。 

息子がいただいたご利益を、今度は皆さんにお返ししていかなければなりません。常に慈悲なる自利利他の心をもって、尊い菩提心を育てられるよう親子共々、これからも精進し、ご奉公させていただきたいと思います。ありがとうございました。(M.M) 

甲御講ちょっといい話より


夏期参詣御利益談

去る5月6日の夕方の事です。「自転車で転倒し怪我をした。今から仕事仲間が迎えに来てくれるから、このまま病院に行ってくる」と長男から電話が入りました。 

帰ってきた息子の話しによると、その日は茨城県で竜巻が起きた日で、東京でもとても強い風が吹いており、新宿ビルの間を走っていた所、突風に煽られ転倒してしまったとの事。転倒した場所が車道だったので、とり合えず自転車を歩道に移し、また乗って帰ろうと思った時、右肩に痛みを感じ、近くの交番で手当を受け、病院に向かったそうです。 

病院では複雑骨折と診断され、一週間後に手術をするようにとの話しでした。しかし、右肩はタスキで固定されているものの、会話も普通にでき、痛そうな表情をしているわけでもなく、とても複雑骨折をしている様には見えませんでしたので、私は、大した怪我ではないと思っておりました。 

手術は、怪我から約1週間後の14日に決まり、前日13日の午前9時に入院。13日は我が家であゆみ会御講が勤まり、お講師はじめ、皆様にお助行を頂け心強い思いがいたしました。また当日の14日にも、部の御講があり、そこでも皆様のお助行を頂くことができました。  

手術は4時からでしたので、御講席から次男と病院に行き、仕事仲間も心配して駆けつけてくれていました。手術は予定通り2時間ほどで終りました。その後、先生からのレントゲン写真を前に説明を頂き、私はある一枚の写真に愕然としました。肩の欠損部分と肩の奥の部分が空洞になっており、骨が粉々になっていたのです。先生は、「これには僕の予想以上でした。人工骨も使いボルトで止めてあります。」と言われました。私は言葉を失いましたが、続いて先生が「手術には何の問題もありません。後は回復のみです。」との言葉に少し安心しました。 

その夜、私は誰に言うとは無しに、「兄ちゃん自転車乗りこなすのに上手くかわせなかったのかな、残念ね」とつい愚痴ってしまいました。側にいた次男が、「お母さん、兄ちゃんが転倒した所は何処だと思う?車道だよ、それに頭を強く打っていたら今頃どうなっていたと思う」と諭され、これは御宝前に不足を訴えていたのではと思い、速お懺悔をさせていただきました。お寺では、手術成功のお礼をさせていただき、次の日には罪障消滅の願いも込め、術後経過良好のお看経をさせていただきました。 

すると、1週間の入院が必要な所を何と術後3日目には、いつ退院しても良いとの話しを先生より頂いたのです。それには私もびっくり。寝起きする時に、ちょっと肩に負担が掛かるようですが、術後の4日後の18日に退院することが出来ました。 

私は、これは皆様のお助行のおかげと随喜いたしました。また、息子も入院中、ハンガーに掛けた上着のポケットから、懐中御本尊を覗かせ朝夕の御看経を頂いていたそうです。退院後も思った以上の早い回復をみせ、ボルトを外すのは1年後と言われておりましたが、術後4週間目の診断では、半年、早ければ4ヶ月で外せるとの話しを先生より頂きました。 

振り返りますと、息子が複雑骨折という大きな怪我をしながらも、私達家族はいつもとあまり変わらない生活を送ることが出来ていたように思います。日々の御奉公に支障がでることもなく、息子も良い仕事仲間に恵まれ、肩に負担が掛からない仕事を回してくれ、退院の翌日には仕事に復帰していました。これも、御信心のお陰だと随喜しております。 

また、私がつい愚痴を言ってしまった時には、次男が折伏をしてくれ、そして、入院中にも御看経をしていた長男の話しを聞いて、かえって息子たちに御信心の大切さを教えてもらったようにも感じております。 

このような家族一同で御信心に励める喜びを改めて感じることができたのも、御法様からの大きなお計らいだと受け止めさせて頂いております。今後は、この御恩に少しでも報いることができるように、家族一同で、報恩御奉公に励ませていただきたいと思います。(A.A)


開導会御利益談

「初めての甲御講」

ありがとうございます。昨年の十月に初めて、甲の御講をお受け致しました。私は、信行相続三代目の信者です。祖母の代から、乙御講の願主として、御講席は受けさせて頂いておりましたが、甲御講は受けておりませんでした。 

その理由の一つに、甲の御講は連合の皆さんが、大勢お参詣に来られます。我が家のお戒壇を安置してる部屋は、皆さんが入れるだけの広さがありませんので、長年「無理です」とお断りをしておりました。ご信心に対する喜びや感謝の思いはありました。しかし、先のような不安から甲御講を受けさせて頂こうという気持ちには、今一歩踏み出せないでおりました。 

六年前、母が亡くなった後、私は今まで以上にお参詣や御奉公の改良をして、二年前から部長のお役を頂きました。そうなりますと、私は部長として、お参詣将引・お講願主や席主のお勧めをさせて頂かなければなりません。「私自身も甲御講の願主としてお席を受けた方が良いのでは」と戸惑いもある中、でも「やっぱり現状では無理」と自分に言い聞かせておりました。 

そのような時、連合長さんから「部屋の狭さや環境などを理由に御講席が受けられないのは、単なる断り文句であり、お受けする気持ちが足りないからではないか」と問われ、「お席をお受けする気持ちがあれば、たとえ、どんなに狭くてもどんな環境でも、皆さん工夫され、努力してお受けしているのです。その工夫や努力が功徳になるんですよ。」と言われました。 

振り返りますと確かに、お席をお受け出来ない理由を自分の都合で安易に答えていたように思い「これではいけない」と思い切って甲御講を受けさせて頂こうと決心を致しました。 

丁度同じ頃に、私の生活環境が大きく変わる出来事がありました。それは、所属する玉川連合の甲御講にお参詣をさせて頂いた時のことです。急に私の携帯電話にマンションの大家さんから連絡が入り「こちらの事情で申し訳ないが、今すぐに部屋を立ち退いて欲しい。」とのことでした。私は一瞬、頭の中が真っ白になり、どうしたらよいのかわからなくなり、不安で一杯になりました。こうした事情を連合の方々に相談させて頂いたところ、皆さん大変心配して下さり、少しずつですが、気持ちも楽になってきました。 

しかし私が、思い切って甲御講を受けさせて頂こうという気持ちになって、準備をさせて頂いていた最中の出来事でしたので、「何でこんな事になるのか」と少し疑問を持ちながらも、連合長さんのお折伏を改めて思い出し、ただひたすら、無事に我が家で甲御講を受けられるようにとご祈願を続けておりました。 

すると立ち退きをお願いされていた大家さんから、「急なことで申し訳ないことであるから、良かったら新しく建てた所があるので。」と、別の部屋を用意して下さいました。私は、まず第一に「甲御講が受けられる部屋に引っ越しを」という思いでしたので、その旨を伝えた処、大家さんは大変ご信心に理解を示して下さり、部屋の環境も申し分なく、すぐ転居を決めさせて頂きました。 

最初は急な出来事で、不安が重なりましたが、気付けばトントン拍子に事は進み、連合の皆さんに励まされ、御法門聴聞で学んだこと、お折伏を素直に実行させて頂けば、全てが良い方向へ導いて頂け、必ず御利益が頂けることを改めて感得させて頂きました。引っ越しなどもある中で、当初予定していた甲御講の日程も変更や延期をすることなく、喜びと感謝の思いで、私は甲御講の願主となり、お席を受けさせて頂く事が出来ました。 

新たな環境の下で不安はありましたが、初めての甲の御講席は、素晴らしい秋晴れにも恵まれ、御導師に奉修して頂き、連合の皆さんのご協力と沢山のお参詣を頂き、亡き祖父母、両親が間違いなく喜んでくれていると思いました。私は正宗徒になってまだ三年足らずで、ご信者として更なる努力が必要であります。 

本年の総祈願には、「正宗徒各教区三戸増加」と掲げられていますように、一人でも多くの方が、喜びをもって正宗徒になられるよう、私の経験、そしてこれからも熱意をもって、周りの方々にお伝えさせて頂き、お役中として育成の御奉公に励まさせて頂きます。ありがとうございます。(S.K)


お教化の出来た喜び

「私のご信心は三年前に妻を亡くし、妻にまかせっきりだったご信心を引き継いだのが切っ掛けでした、その後、教区長をはじめ諸先輩にお世話になりながらお講参詣、お寺参詣、お助行に励んでまいりましたが、お教化だけは出来ませんでしたし、又、やる気もありませんでした。何故なら私自身がいまだ信心の喜びということに懐疑的であり御利益、お計らいと言う事にも素直になれずにいた為です。 

しかしながら最近「信じる」 と言う事に関心を持ち始めました。御導師やお講師の御法門の中に信じるという言葉が良く出てまいります。お話の内容から解釈すると「信じる」 と言う言葉は単に信用すると言うことではなく、ご信心のお計らいを持ってすべての事柄が改良(良い方向に向かう又は良くなった)すると考え 「妙」 の不思議を信じる事だと気づきました。  

それからはお看経の度に必ず「妙」により良いことが起きる。たとえ悪いことであってもお計らいで少しでも良い方向に向かっていると信じております。その結果すべての事が前向きに考えられるようになりました。この信じるということに気づいてからは自分が前向きになるだけでなく、お教化により一人でも多くの人に前向きな生活の術を知ってもらおうと考えました。 

さて、実際にお教化をさせていただこうと考えたときに正法帰入のご祈願をしている中に現役時代の同僚で難病に苦しんでいる友人がいる事に思い当たりました。闘病生活を前向きに過ごしてもらう為に彼をお教化してみようと考えました。

先ずは彼をお寺へ連れて行くことでした。彼はかねがね仏法に関心を持って他宗の講話などに興味を持ち、よくTVなどで講話を聞いていたようですが、メディアを通してでは無く、直に講話を聞いてみたいとの話しをしていました。

そこで乗泉寺で御導師の御法門を聴聞してはと話を持ちかけ、お総講の日にお寺へ参詣することを勧めました。妻が亡くなったとき葬儀をお寺でやった関係で彼が一度お寺へ来ていた事も幸いし、これもお計らいかも知れません。立派なお寺へ行けることでもあり、行ってみようかと承諾を得ることが出来ました。

最初は4月25日のお総講の日でした。お寺では受持のお講師ともご挨拶が出来、お参詣の後、偶々お会いした教区長を交え食事をしながら和やかに話をする事が出来ました。その後も2回程お寺へ誘い、5月の中旬に会った時、佛立宗へ入信してみないかと持ちかけたところ以外に簡単に費用が余り掛からないのであれば信心してみようとの了承を得ました。

早速、次に会った時に入信書をもらうことにして、細かい話を聞いてみますとお墓は他宗で兄が亡くなっているので自分が継ぐと言うし、奥さんは他の宗教に入っていると言う、その他色々と難題がありそうで無事奉安することが出来るかどうか自信が無くなりかけたとき、教区長に相談すると、「何を弱気なことを言っているのですか、先ずは無事奉安のご祈願をかけましょう。今日から御本尊奉安の為、お線香もう一本お看経をしましょう」と心強い返事をもらいました。お講師とも相談していただき、ともかく入信書をもらうことにしました。

その後も教区長のアドバイスもあり、御本尊を奉安する厨子等の仏具をそろえて御本尊奉安の準備をしてもらいました。家が散らかっているので余り人には来て欲しくないなどと話しておりましたが、お計らいをいただき6月16日に無事ご奉安を確認して頂きました。 

以上、実際にあった事を並べてみましたが、色々反省もあります。先ず自分自身がもっと強く「妙」の不思議さを信じ。、ご信心に邁進しなければならないこと。次にせっかくお計らいでいただけた教化子をお寺参詣やお講参詣へ一回でも多く誘い早く一人前の信者に育てること等、問題山積です。お教化は出来ましたが本当に大切なことはこれからだとの思いが現在の正直な感想です。(M.H)

平成16年 信行体験談集 『法灯』より


正宗徒増加へ向けて

参詣風景ありがとうございます。正宗徒とはなんでしょうか?このような質問に対して、長年ご信心をさせて頂いている私共が正しく理解出来ていない、若しくは説明不足に終わっていることも十分にあり得ることです。 

正宗徒とは、入信後、満三年が経過し、常講を勤修する宗徒のことであります。御教歌に「怠りの心の汚れあらはんと思はばせめて三年(みとせ)つとめよ」とございます。正宗徒とは、会社でいう正社員のようなものですから、正宗徒証を頂戴することは、容易なことではありません。 

教区内には、入信後満三年を経過されたご信者は数多くいらっしゃいます。しかし、今まではお役中である私たちも何かと理由を付けて御講願主をオススメするお折伏の御奉公が出来ずにおりました。 

皆様もご存じの通り、本年度、乗泉寺の総祈願には「正宗徒各教区3戸増加」と掲げられております。私の所属する教区は、お陰様で現在教区内3戸増加の御奉公目標を達成することが出来ました。 

本日は、私の所属する教区に於ける正宗徒増加の御奉公を紹介させて頂きます。 

①まずお一人目がA.Sさんです。Sさんの今は亡きご両親は、乗泉寺の麻布別院の時代より、お参詣や御奉公をされていたとのことですが、Sさんご自身は長年教区内のご信者とは疎遠な関係が続いておりました。4年前にようやくご本尊様のお塵払いをさせて頂くことが出来、3年前から法城護持のご有志を受けて下さいました。そして、昨年12月に乙の御講願主をオススメしたところ、快く受けて下さいました。 

②二人目は、Y.Iさんというお方です。Iさんご夫妻は、共々ご高齢の為、お会式やお墓にもお参詣するのが困難となってしまいました。それでは御講願主とならせて頂き、家内安全や身体健全の御祈願と先祖代々のご回向をさせて頂きましょうとオススメし、御講願主となられ、今月の5月10日には御講のお席も受けて下さいます。 

③三人目は、N.Sさんです。所属教区の一部には、Sさんのお兄様であるM.Sさんが御奉公をされておられます。お兄様の鶴の一声で、御講願主となられ、無事に正宗徒となられました。 

以上が、教区内に於ける正宗徒増加の現状です。本日お参詣の皆様方の教区は、正宗徒実質増加へ向けて、具体的にどのような御奉公を推進しておりますでしょうか?私の好きな武田信玄の言葉に「為せば成る為さねば成らぬ成る業を成らぬと捨つる人のはかなき」といった格言がございます。これはどのような分野にも共通して言えることですが、どんなに頭で立派なことを考えていても、実際の行動に移さなければ意味がありません。実践の中で、更なる改良点や新たな問題点を見出し、また改良と実践を重ねることが、成就への近道です。

さがみ教区では、全信徒へ御講願主へなって頂くように声をお掛けすることから御奉公が始まりました。今回、御講願主となり、正宗徒となられたご信者方も、三人三様、様々なご事情を抱えておられました。私達の教区では、毎月の連合事務の際、御講師へチェックして頂く「現勢報告」をお役中がしっかり確認して、所属するご信者方に対するお折伏の進展状況などを逐一ご報告させて頂いております。 

今回の御奉公で気付かせて頂いたことは、こちらがダメと決め付けたり、尻込みをすることなく、相手に一声でも、声をお掛けすることの大切さです。遠回りのように思えるかも知れませんが、教区内で異体同心の御祈願口唱に励ませて頂き、お一人お一人のご信者方に対して、丁寧に一声一声掛けさせて頂くことが、最終的には御奉公成就の近道であると思います。

本日お参詣の皆様方のお声掛けを待っていらっしゃるご信者さんも沢山いらっしゃるハズです。御宝前のお計らいを信じて共々御奉公させて頂きましょう。ご静聴ありがとうございました。(K.S)


お教化の御奉公を通して感じたこと

ありがとうございます。私は母の死をきっかけに平成3年に入信致しました。初代の信者ですから、私の身内や友人知人には、ご信者さんは一人もおりませんし、ご信心のことは何もわかりませんでした。それでも、私の周りには、次々と佛様に助けて欲しいと感じる人達があらわれ、その度に入信のお手伝いをさせて頂いておりました。その事が後になって、お教化の御奉公だと知りました。 

このようにして毎年、お教化は出来るのですが、その中には残念ながら辞める人もおります。代々のご信者さんからは「あなたはお教化だけしてたらいいの。」と言われて、仕事等で日常に追われている私はご信心とは、そんなものかとも思っていました。また、入れるだけ入れて結局は育てられないとの非難も受けました。 

勉強不足の私には、どうすることも出来ません。そのうち私自身がご信心を辞めたいと思うようになって来ました。一般社会の組織の中で生活している人間には、ご信心の世界で生きる人との感覚にズレを感じるようになったからです。それでも、コツコツと長年に亘って御奉公に励んでいらっしゃるご信者さんの姿を見ると、自然と頭が下がり、辞めたいという気持ちをなんとか抑えておりました。 

当時、私には5人程、教化子がおりました。信心が後退している私にはこれ以上どうすることも出来ないので、それぞれ近くのお寺へ移っていただくことにしましたが、私は母親と主人が世田谷の納骨堂にお世話になっているので、他寺院へ移ることはしませんでした。 

その間にも佛様へすがりたいという人達が次々とあらわれました。ふらつく私に入信したいという人が、お寺へ連れていって欲しいと呼びかけます。私もお寺の事を話した責任上、本堂にお参りすることをお勧めします。この様なことが重なり、気が付いたら又も何人かの教化子が出来ておりました。恥ずかしながら、自分自身がご信心にあまり励んでもいないのに、どうして私に救いを求めてくる人がいるのか。その原因を知りたいと思うのと同時に、自分の教化子の為にもと、平成21年に班長のお役をいただくことにしました。 

その後も平成22年に4人、23年に4人とお教化を成就させて頂くことが出来ましたが、中には辞める方もいます。家庭の事情がそれぞれありますので、無理には引き止めませんでした。現在は8人の教化子がおります。一度、離れて戻って来た人達もいます。しかし、これまでの私の信心前では、育成も疎かになり、また新しい人達をお教化することも難しいと考えていました。そこで今年より、部長のお役を思い切ってお受けさせていただくことにしたのです。 

これで御弘通の道が開くと思いました。お教化の御奉公を通して、自分自身の信心増進と信心改良が計れ、ふらつく私の信心前が少しずつ定まってきたように思います。御法門を聴聞させて頂く機会も増え、以前に、連合内のご信者さんから頂戴した厳しいお折伏も、今では自分を育てるための言葉と受け取れるようになり、ご信心に喜びを感じられるようになってきました。この内面の変化、思い方や受け止め方の変化、心の充実が私にとって大きな喜びであり、御題目口唱の大きな御利益だと感じております。 

よく、どうすればお教化が出来るかと聞かれることが多いのですが、特別なことはありません。御題目口唱はもちろんのことですが、他の人達の心の声を聞いてあげることが大切だと思います。言葉に出来ない、人には云えない、辛いこと、悩み事等を持つ相手に、あえて悩み事等を聞かず、まずお寺やお講席にお誘いするようにしております。「お寺に行って、人には言えないこと、人に言っても解決できないことを、佛様にお話をすれば、どうすればよいかお答えをいただけるでしょう。」と伝え、自分が御題目をお唱えし答えを見つけていただくよう、お寺やお講席にお誘いをしているだけです。 

最近では、正法帰入の御祈願と教化子をはじめ、下種先の方々の先祖代々のご回向をさせていただいております。今思えば、こうして、私に次々と佛様へお縋りしたい人達があらわれるのも、私に信心を起こさせる為の御法様のお導きだと受け止めさせて頂いております。御法様に助けられ、御題目に巡り会えた幸せ者だと感じております。(K.T)

H24年 立教開宗記念口唱会おいて


詰め助行のおかげで、意識が戻る

この度、私が頂いた御利益をお話させていただきます。三月十五日午後三時頃、急に胃のあたりが痛くなり、それもかなりの激痛でした。近くに住む娘に電話を掛け、救急車を呼んでもらいました。 

八王子の病院に運ばれましたが治療の設備が整っていないため、非常に危険な状態に成り、再び救急車で立川の東京災害医療センターに運ばれました。病名は重症急性すい炎という国の指定難病でした。後で知りましたが、この病気は大変致死率が高いとのことです。 

十日間救命救急室の中で生死をさまよいました。その十日間、お講師・世田谷中連合の皆様をはじめ、ご信者の皆様がお助行をしてくださったとの事でした。 

十日間のお助行が終わった翌日に意識が戻り、娘から皆様がお助行をしてくださった事を聞き、会いたい、声を聞きたいと強く思いました。娘に頼みましたが当然面会など許されず、信者の皆様に手紙を書いていただきました。頂いた手紙でどれだけ励まされ、力を頂いたかわかりません。早く良くなり、お寺の御宝前にこの気持ちを報告し、また信者の皆様にも会いたいという気持ちが心の励みになって、リハビリも頑張りました。 

日に日に良くなり、ご信心をさせて頂いて本当に良かったと思っています。お蔭様で六月の御会式にもお参詣出来るようになり、この猛暑の中、夏期参詣も何日か出来るようになりました。 

これからも体の続く限り、素晴らしく、大切なご信心の道を歩いて行きたいと思って居ります。ありがとうございます。(K.S) 

平成16年 信行体験談集 『法灯』より


90歳を迎えて想う

ご披露ほ、日時・場所・内容の説明ほもちろん必要であるが、もう一歩突っ込んで、その精神をつけ加えてもらうとよいと思う。「‥‥ということです。」とか、「‥‥だそうです。」というご披露をする人がある。きいている人びとは、どういう風に感じられるでしょうか。 

なんとなく、空ぞらしさを感じて、他人様のことで、私には責任はありませんよ、頼まれたからご披露しているのですよ、というような心ではないのかと思われる。形式的ではなく、私自身のことにかかわる大事で、ぜひ理解してもらいたいという、気迫のこもったご披露をしてほしい。 

内容をよく理解したご披露は、きいていても安心である。あやふやな表現であると、きいている方でもハラハラしながら、きいているので、聞くにたえないような気にさえなってくる。きいている方から、逆に質問されたり、修正されるようなことでは、見ていられない。ご披露の御奉公は、御法門についで重要な役目であるから、もっと研究して心をこめさせて頂くべきものである。 

ご披露の原稿作成して、それを読む人もある。勿論、それであやまりはないのであるが、もう一歩、そのことに関しては、どんな質問にも応じられるよう、事前に研究してほしい。 

逆に能弁な方は、しゃべりすぎる傾向がある。ご披露のわくを超えて自分の宣伝となったり、長すぎたり同じことの繰返しであったりして、過ぎたるは及ばざるが如しという例もある。 

要領よくまとめて、長からず、短かからず、しかもわかりよいご披露がききたいものである。声のよい人・態度のよい人・精神をよく理解している人など、よいお手本も沢山ありますから、人のするご披露を学んで、上手になってほしいものと念願している。 

昭和56年3月発行 乗泉寺通信より


京都本山参詣にて

私たち夫婦は、平成21年12月27日から一泊二日で京都本山(宥清寺)へのお参詣と旅行を楽しみにしていました。ところが23日朝、ギックリ腰を再発。以前より腰痛やギックリ腰の治療を続けてきましたが、今回は祝日のため安静を保ち翌日から治療を始めました。 

京都出発の27日朝、歩けるようになっていたので荷物を最小限にし、キャリーバックを杖代わりに出発しました。新幹線での移動等に不安もありましたが無事京都駅に着きました。観光客で賑わいをみせる地下街へと移動しましたが、突然倒れんばかりの強烈な激痛が腰を襲いました。もう一歩も歩くこともできず、カタツムリの様に近くのベンチまで移動するのがやっとでした。 

私も妻も旅行中止、もしくは京都で入院と覚悟したほどでした。その後、数時間を近くの喫茶店で過ごし宿泊する新都ホテルまでゆっくりと移動、チェックインまでロビーの椅子で休みましたが痛みが強く、心の中でお題目を唱えていました。部屋に案内されるなりベッドに横になり痛さが和らぐのを待ちつつ安静にしていましたが、不安な気持ちでいっぱいでした。午後三時を過ぎた頃、少し動けるようになりました。私は今から宥清寺へ行く、と妻に話しました。実はこの時妻も本山参詣ができますように、と強く念じていたとのこと。 

妻の肩を借り、ゆっくりと痛さに堪えつつタクシーに乗り行き先を告げると、宥清寺には何度も客を運んでいるとのこと。佛立宗の事を話している間に到着、ギックリ腰を気遣い境内で下車。私は数十年の時を感じつつ、新しく葺き替えられた本堂の大屋根や境内を眺めました。大屋根が夕日を受けキラキラと眩しく輝いていました。その本堂から夕方のお看経が大きく響いてきます。早く…早く…と招いているようでした。急ぎ(ゆっくりしか歩けませんが)本堂へと上がり、前列中央へ着座した時、再び激痛が襲いました。 

すぐ目の前に御本尊と御尊像が、本堂内には大きな声で口唱する若い教務さんと私たちの後方末席で拍子木を打つ信者さんだけ・・私たちもさらに大きな声でお題目を口唱し始めました。しばらくするともう一人の若い教務さんが太鼓を叩き始めました。本堂の中で一瞬、御本尊様以外何も見えず何も聞こえなくなったように感じました。

もう夢中でお題目を大きな声で唱えていました(私たちだけでなく本堂の隅々まで大勢の参詣者が唱和しているように感じました)お看経が終わり静寂になった時、隣の妻が「こんなに気持ちよく唱和できて感動した」と、私は一緒に唱和した教務さんが御信者さんにお礼を述べ、私も「すごく良いお看経で気持ちよかったね」と静かに立ち上がりました。・・・なんと驚いた事に腰の痛みがなくなっていたのです。普通に歩けるようになりました!私たちは御宝前に何度もお礼を述べ本堂を出ました。外はすっかり暗くなり冷たい空気も気持ちよく爽やかな感じで深呼吸しました。現証御利益・・・。 

なんとその時偶然にも紫色の衣で正装された御講有上人とお付きのお講師が目の前に。たった今頂いた腰の事をお話した所、にこにこと頷き、暖かな笑顔で「良かったですね」とおっしゃって下さり感激しました。妻はスタスタと歩く私の様子に感激し喜んでくれました。翌日再びお礼のお参詣をし、古都京都を楽しみました。 

その後、心配していたギックリ腰は嘘のように影をひそめ、寒参詣も無事皆参できました。健康で元気にお題目口唱が出来る喜びを教えていただいたのだと思います。ありがとうございました。(S.K)

御教歌      御利益の あまりふしぎの うれしさに うそではないかと うたがはれけり