心の御利益

身読会と言う所は何をしているか分からない方がいらっしゃるのでチョットお話させていただきます。

月に二回の十六日と三十日の御総講の時に、境内、洗濯、掃除機のゴミの処理等その他諸々の御奉公です。

私が会員になって長くいつの間にか八十歳を過ぎましたので、これからは若い方に入っていただき頑張ってやって欲しいと思っております。

私が身読会に入って楽しく御奉公を続けて参りましたが、主人が病気になり三、四年が過ぎた頃から、介護疲れのせいか、気の重い苛立つ日々を送るようになって行きました。 投げ出したくなる気持ちになる日も有りました。

月二回の御総講の日だけ娘が主人の世話をしてくれるので、お寺に出かけ身読会の御奉公をする事で気分転換になりましたが、日が経つにつれ、益々心が晴れなくなってしまいました。

お看経を毎日あげていましたが、主人の事を考えると、集中できずにいたので、これではいけないと一生懸命いつも以上に口唱しました。いつの間にか少しずつですが心が穏やかになって行く事が分かりました。

そのお陰で長い介護生活を経て主人を見送る迄、腹を立てる事も少なく一生懸命主人の世話が出来たのも「心の御利益」をいただけたのだと思います。

一人になると今度は寂しい日々になりましたが、八十を過ぎた今でも身読会の人達と楽しく御奉公が出来るのも御利益に違いないと信じております。 

御教歌 くるしみの 海にいづむと 見えつるも 御法の浪に うかぶ諸人
K.E


お役の御奉公をお受けして頂いた御利益

ありがとうございます。昨年暮れのことです。教区の会議中、「村松さん、来年教区長のお役を受けて頂けませんか」という話が持ち上がりました。

私は現在、八王子別院の参事の御奉公をさせて頂いておりますし、明年、平成二十四年度も引き続きお役を続けさせて頂くことになっていますので、両方のお役を頂くことに少々不安を感じてしまいました。

しかし、教区の皆さんが一同に「村松さん、皆で協力させて頂きますので、是非お受けください。」と、心強いお言葉を頂きましたので、教区長のお役をお受けさせて頂くことに致しました。 

それから年が明け、元旦の朝のことでございます。四時半に起きて、自宅の御宝前で新年のご挨拶と、昨年の御奉公成就のお看経をさせて頂き、家族揃って世田谷別院へ初参詣に車で向かう途中、膝に少し痛みを感じました。

その時は大したことはないだろうと思ったのですが、自宅に戻りますと、更に痛みが増してきて膝が曲がらない状態になってしまいました。それでも、正午からは多摩親会場で新年の初お看経と御講師との初顔合わせがありますので、行かない訳にはいきません。膝の痛みをこらえながらも多摩親会場に向かいました。

幸い親会場では椅子なので膝の痛みが少し和らいだ感じがしましたが、いざ御講師と初顔合わせの為、座ろうとしたところ、膝に激痛が走って座れません。膝を曲げることも出来ない状態だったので、早々に自宅へ帰らせていただきました。

医者に行くにも何分お正月のことですから、三が日は休みで行かれません。二日、三日はとにかく痛みを我慢して自宅でのお看経も失礼ながら足を横にして、お参りさせて頂きました。四日の朝になりますと、静かに家で休んでいたこともあり、痛みは幾分和らいでおり、正座も出来るようになったので、この分なら医者に診せなくても大丈夫だなと思い、病院に行くのを見合わせ様子をみることに致しました。

そして翌五日の朝、起きぬけに「今日は痛みはどうかな」と心配したのですが、膝の痛みは驚くことに全くありませんでした。正座をしても全然痛みを感じませんし、普通の生活がまた出来るようになりましたので、六日から始まった寒参詣も現在無事元気でお参詣させて頂いております。

これもひとえに御法様のお陰、特に今回は素直にお役の御奉公をお受けさせて頂いた御利益と感得させて頂いた次第であります。これからもお寺参詣に、お看経、お役の御奉公と一生懸命御奉公に気張らせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
(M.M)

御教歌
ゆけるだけ ゆけとてすゝむ 信行に ゆかれぬやうに ならぬ御利益

信行体験談集 涌出第22号 平成24年寒参詣発表


信心がたりん

甲御講の日、御導師のお迎えの方が急に御奉公が出来なくなり、朝参詣に参詣していた私に連絡が入りました。井上御導師のお迎えは始めてで大変緊張いたしました。

雪の日、麻布別院でご信者の為に雪かきをして下さるお姿や、ご信者にぶっきらぼうですが暖かいお言葉をかけておられるお姿を拝見して、一度お話をさせていただきたいと思っていました。

私の目の回りと頸の一部がアトピーでかぶれていました。薬を付けずお供水とおろうさん(御題目のあがった蝋燭)で直していただきたいと思ってご信心に一生懸命でした。そのことをお話して、「なぜ治らないのでしょう」とお尋ねしました。 

「信心がたりん」と一言、私の中の何かがすーと消え、そのお言葉をゴックンと呑み込んでしまいました。

それからはお薬を付け、我を張らず、このアトピーが薬を使わなくなった時、私の罪障が一つ消えるのだと思い、朝参詣、御講参詣、口唱と教化と頑張っています。

何かあると 『信心がたりん』 のお言葉を思い出しています。(K.H)


無事手術成功のお計らいを頂いて

ありがとうございます。この度、無事手術成功、早期ご奉公のお計らいを頂戴したお話をさせて頂きます。

7年前の中学2年生の終わり頃、学校検診によって、思春期に発症する脊柱側彎症という、背骨がS字に曲がってしまう病気が見つかりました。すぐに専門の病院を受診し、精密検査を受けたところ、素人目にもわかるぐらい、背骨がはっきりとS字に彎曲し、ひどいものでした。

今もこの病気は、原因不明で、治療方法も確立しておりません。できることは、これ以上進行しないように、毎日学校に行くときや寝るときに、一日中、重く固いコルセットをつける生活をおくることでした。3ヵ月に一度の通院。何度もレントゲンを撮り、経過とともにコルセットを作り替え、治療を進めていきました。

コルセット治療を始めて、5年が経った高校3年生の通院の日。担当の先生から、この曲がり具合になると進行を止める事が困難で、手術が必要と言われ、別の病院の紹介状を書いてもらいました。

紹介された病院の先生から、このまま放置すると、腰痛に悩まされ、肺機能に支障がでてくること、手術は背骨をまっすぐにするために金属を使って、骨を固定し、金属部分に骨を移植するという手術で、背中に大きくメスを入れる分、術後の痛みも激しく、術後1年は慎重に経過観察をしなければならないということを言われました。

私はその日から、手術がうまくいくようにと、御法様におすがりし必死でお看経させて頂きました。高校3年生の受験期でもあり、複雑な思いにかられていたので、ただただ御宝前に手を合わすことしかできませんでした。

自分以外のまわりにいる同世代の子たちは、健康で普通の生活を送っているのに、なぜこんな思いをしなければならないのか、どうして私が?と思い悩み、友達の前では笑って過ごしていましたが、自分の中ではとても苦しく悲しい思いでいっぱいでした。

そんな気持ちの中、手術当日は、多摩親会場にて、内田照肇師はじめご信者の皆様が手術無事成功のお助行をして下さることになりました。大勢の皆様が私のために、お看経を上げて下さることになり、私はとても嬉しく感謝の思いでいっぱいになり、ひとりではないのだと励まされました。

そして一年前の8月、私は手術を受けました。手術は無事に成功し、術後の痛みが激しいと言われていましたが、痛み止めが良く効いたおかげでひどい痛みはなく、痛みがひどくなった時に自分で投与する薬も1、2回使った程度でした。順調に回復し、二日後には立って歩けるまでになりました。

入院中は手術をしてくださった先生や多くの看護師さんが、優しく親身に治療にあたってくださり、おかげで2週間後に無事退院。その後何回かの通院を繰り返し、今年8月、1年を元気に迎えることができました。

この7年間で私は、自分がどれだけ御法様にお守りいただいているか、そしてお助行がどれだけ支えになるかを、身をもって経験させていただきました。

思い悩み、この試練を乗り越えることができなくなりそうになった時もありましたが、良い病院や、とても素晴らしい先生、看護師さんにめぐりあえたこと、術後の痛みが軽く、治療も順調に進み、今元気でいられることは、御法様、そして手術当日、お助行してくださった、お講師、多摩親会場の皆様、そして支えてくれた家族、全ての皆様のおかげと思っております。

この先、また辛く苦しいことがあると思いますが、その時は御題目をお唱えし、御法様のお力をお借りして、乗り越えていこうと思います。ありがとうございました。(M.I)


佛立信者の臨終のスガタ

先日、93才で亡くなった塩野さんは、昭和60年に新座別院に移籍して来られました。その頃から、部内の方々に「塩野さんのおばあちゃん」と呼ばれて親しまれていました。

「塩野さんのおばあちゃん」は、数年前からお一人での外出は控えられていましたが、お寺参詣やお講席も車でお迎えに伺えば喜んでお参詣されていました。ご自宅の御宝前のお給仕も、娘さんに任せることなく、全てご自分でされ、ご尊像のお綿かけ、お綿はずしも最後まで御奉公なさってました。

亡くなる前日もいつもの様に、朝起きると自分で布団を上げ押し入れに片付けて、身支度を整えると、まず一番に御宝前のお給仕をされ、朝のお看経を済ませてから朝食をいただくという、いつも通りの生活をされ、昼食の後、テレビを見ながらお昼寝をされました。

ところがその日は夕看経にも起きず、夕食の支度ができても身動きせず様子がおかしいので、すぐに救急車を呼び病院に運ばれました。そして一日入院して、翌日の深夜に眠るように静かに息を引き取りました。

亡くなる前日まで自分の事は全て自分でされ、毎日欠かさずに上げているお看経もされて、誰の手もわずらわせることなく、眠るように寂光に旅立たれたお姿に部内一同感激して、見習わせていただかなければと思いました。

御教歌
あひがたき みのりにあひて 唱死 する身となれる 我ぞうれしき

信行体験談集 涌出 第25号より


つみかさねて

昨年の御教化成就に至る迄のお話をさせて頂きます。きっかけは世田谷別院弘通部の教化道場でした。暑い中のお看経が終わって、どうしたらお教化が成就させて頂けるか話し合いがありました。その中で口唱の大事さが一番であり、その方法として十万遍口唱の話がでました。

恥ずかしい事ですが、唱を御祈願したことはありませんでした。他の人達と一緒に一万遍、二万遍と道場等で時間が過ぎるままというお看経をさせて頂いたような気がします。この日は、十万遍口唱は必ず現証があらわれますよと話をされた方がいました。

普段でも開門参詣されて、教区部の御奉公もされていて、その他に十万遍口唱を心掛けている話をして下さいました。私は自分に出来るか自信がありませんでした。始めたはいいが途中でダメになったらどうしよう、といつもは思っていましたがこの時はなぜか、させて頂こうと道場の帰り道に決めました。

翌日から普段のお看経の他に十万遍口唱を祈願して始めました。世田谷別院にお参詣して30分、1時間と別のお看経をお教化成就の御祈願としてさせて頂きました。

一万遍口唱を成就した時にお教化が一戸さずかりました。その時に、嬉しくてやっぱり言われた通りの御利益を頂戴したと感得致しました。その後残りの九万遍も何とか11月迄に成就致しました。

今年も世田谷別院での教化誓願成就の為のお看経を積み重ねていきます。ありがとうございます。(M.I)

御教歌
だいもくは 千遍よりは 万遍と
 唱へかさねて 妙をしる也

平成25年度寒参詣体験談集 涌出24号


大難が小難に

ありがとうございます。昨年11月8日の事です。役中のお宅で教化成就の為のお助行を終え、家に帰り、夕方のお看経を頂いている時に携帯がなりました。息子からでした。

仕事中にフォークリフトに腕をはさまれ、病院に向かうとの事でした。ビックリした私は、御法様におすがりし、必死でお題目をあげました。すぐに救急車を呼べば良かったのに、会社の車で回った為、何軒もの病院で断られたそうです。

そうこうしている間にも腕はどんどん腫れ上がり、府中の多摩総合医療センターに受け入れられた時には、事故から6時間も経っておりました。幸い専門の先生がいらっしゃり、急いで腕にかかった圧力を外に逃がさないと、神経、血管が壊痘(えそ)を起こして大変な事になる、との判断で、親の承諾を待たずに緊急手術となりました。

手術は主人と私が病院に着いて1時間程で終わりました。手術を終えて、集中治療室に向かう息子は既に麻酔から覚めていて、意識もハッキリしておりました。息子の顔を見た時は、本当に御法様にお救い頂いたと、ありがたさで胸が一杯になりました。

術後の経過は順調でした。本人は右腕が動かせないだけで、いたって元気。食欲もあり、元来身体を動かす事が大好きで、ボクシングジムにも15年も通っています。元気な身体をもてあまし、病院の中庭をジョギングしていたのにはあきれてしまいました。

その後、傷口を塞ぐ手術も予定通り終わり、リハビリに励みました。右手の中指、薬指、小指の三本が最初はまったく動かなかったのですが、日に日に良くなり、大分動くようになってきました。年が明けて1月7日、2ヶ月ぶりに仕事に復帰が叶い、何よりのお計らいを頂きました。

大難を小難にして頂いたと思っております。一つ間違っていたら、腕ではなく、頭をはさまれていたかもしれません。またこの事故が自分で運転していて人に危害を与えたのでなく、自分自身だった事。他の人に加えられた事故でなかった事。そして専門の先生が当直でいて下さった事と、思い返せばどれだけのお計らいを頂いた事でしょう。

御法様にお救い頂き、心配をかけた部内や信者さんには沢山のお看経を上げて頂きました。本当にありがたく心より随喜致しております。これからは息子の信心増進を願い、家族全員で一層ご信心に励みたいと思います。ありがとうございます。(K.H)

平成24年 寒参詣発表 涌出22号より


安らかなお顔を拝見して

ありがとうございます。豊浦教区の桐生と申します。私達の部内で、長いこと2代目の御信者として御奉公されていた浅見さんが5月18日、83歳で帰寂されました。 

お題目のお力で寂光浄土に向かわれたお姿は本当に美しく、まるで生きておられる様でありました。総しぼりのお着物を召して、ほほえんでいる口元は、皆様に「ありがとうございました」と御挨拶しているようでした。

この様な立派なお姿を見せて頂き、私達も元気で御奉公させて頂きたいと心から思いました。 

浅見さんには娘さんと息子さんのお二人のお子様がおりまして、娘さんは働きながら、お母さんの看護とお寺参詣、部の会計の御奉公を一生懸命にされております。

息子さんの方は、あまり御信心にはふれていませんでしたが、お母さんの最後の素晴らしいお顔を見て、また御講師をはじめとして、部内の御信者さんのお力添をいただき、法灯相続に繋がることができました。

これからも皆さまのご指導のもと、御奉公させて頂きたいと思います。(T.K)


お助行とお供水で頂いた現証御利益

この度、主人の父が頂いた御利益をお話させて頂きます。父は長年にわたり、腰痛がひどく3月下旬に激痛と血便が出た為、救急車で病院へ行きました。 

血便は腰痛の痛み止めの薬からくる副作用で、2、3日で退院できるということで安心しました。しかし、2日後の朝、病院から「深夜に吐血し、急変したので直ぐに来るように」と言われかけつけました。病名は「十二指腸潰瘍破裂」。その際、脳に酸素、血液がいかなかった為、意識障害があり集中治療室へ移動する所でした。 

父には何種類もの点滴と頭から足までいろいろな装置がつけられており、体をゆさぶっても、呼びかけても全く反応がありませんでした。先生から「3日間意識が戻らなければ脳死の状態。ただ心臓は動いているので十二指腸潰瘍の治療はしていく」と説明を受けました。 

わずか2日前に会話していた父がこんな姿になるとは「急変」とは恐ろしいものだと思いました。家族は皆、腰痛だと思っていましたので、気が動転し混乱し正常心を失っていました。 

私達はお看経にすがり開門参詣をさせて頂きました。どうしたら良いのか?どんな気持ちでお題目をあげれば良いのか?等を考えながら、3日目を迎えていました。集中治療室の面会は毎日2回でその日は親戚が多く来るので、私は昼の面会には行かず家に1人居ました。 

そこへ、お受持のお講師より連絡が入り「今、教化道場が終わり近くにいますので、いらっしゃる様でしたらお助行させて頂きたいのですが」との事でした。私は何てタイミングが良いのだろう!と驚く気持ちでお助行をうけさせて頂きました。道場でお参詣していたご信者さん方々もお講師と一緒にかけつけて下さり、お助行が始まりました。すぐに主人に連絡をし母達も病院から帰ってきました。お助行後、主人の兄が現状の説明と今後の計画を話しました。

お講師、教区長より「教化道場でお供えしたお供水をガーゼに含ませ、口の周りを拭く様にし、お父さんの体の中に御題目を入れてあげてください」と言われ、迷っている気持ちをお折伏して頂いているように思え、うれし涙がとまりませんでした。.I)

面会へ行き、看護士さんに顔や体を拭く許可を頂き、お題目を唱えながら口を拭き父の体にお題目を入れました。 

先生方が来られ検査の結果、肝臓、腎臓、意識レベル全てが極めて悪い状態という説明を受けている時でした。父の体が少しずつ動き始め意識レベルが上がり始め先生方から「ご家族の皆さん声をかけて!」と言われ茫然としていた私達は必死にお父さん!お父さん!と叫び続けていると、その声に反応し始めたのです。

父の体にお題目が入り、30分後の事でした。次の日には目を開け、その次の日には検査の結果全ての数値が正常に戻ってきていると先生は私達以上に驚いて話されていました。

それから、すべてが良い方に向かって行きました。6月中旬に退院し、現在リハビリをがんばって続けています。お寺参詣、お講参詣もさせて頂けるようになりました。生かされた命です。私達は、最高の喜びを感得させて頂きました。

私が辛い時に一緒に考え、励まして、御利益を頂いた話しを泣いて喜んでくださった教区長をはじめ、お助行してくださった皆様に心から感謝しております。この御恩に少しでも報いることができるように、ご信心、ご奉公に励ませて頂きます。(K.I)


育児うつにも感謝して

私が沸立宗に入信させていただいたのは、夫の母からの強い勧めによるものでした。入信当時の私は、平成16年に誕生した長男の成長に伴い育てにくさを感じていたことから育児うつに陥り、育児に楽しさも見だせなくなり、それが重症化して生活そのものが楽しめない本格的なうつが1年以上続いている状態でした。

睡眠障害があり、思考カ・集中カも低下し、引き籠もりがちで、不安感・焦燥感に駆られ、当時4歳と2歳の2人の子どもを抱えながらも日々の生活が全く回らない状況でした。義母にはそれまで、本音で話せないでいた私ですが、自分でもこの状態から扱け出したいという思いから、義母にうつ病のことを打ち明けることにしました。

思い切って心の内を話した私に対し、義母は笑顔で「とにかくお寺に行きなさい」とお寺参詣を勧めてきただけでした。当時無宗教で、宗教には絶対に染まりたくないと考えていた私は、「乗泉寺に行って、南無妙法蓮華経とお唱えしなさい」という義母の回答に正直全く腑に落ちませんでした。

義母は私のうつ病を治そうと教化折伏の熱意を高める一方、生活面でも本当にいろいろと助けてくれました。全面軌に協カしてくれる義母への恩義から、同年4月に入信を決意しました。入信当初は信心も薄く、参詣もしない名ばかりの信者で、入信後も私のうつ病は改善することはありませんでした。

それどころかうつ病は一層重くなり、入信して半年が過ぎた頃から睡眠障害は強くなり、重い頭痛や体のだるさも加わり、人と会うのも辛くなり、強い不安感・焦燥感に駆られ、自責の念が強くなり、死んでしまいたいと思うまでになりました。

しかし、2人の幼い子どもたちを思うと〝何とかしなければいけない〝と思い直し、折角御法様にお出値いしたのだから、義母の言う通り、まずは御法様を信じ、信心改良に努めることにいたしました。朝、目が覚めたら無心で開門目指して世田谷別院へ向かい、御題目口唱を始めてみました。

朝参詣を始めて1ヶ月程すると、不思議と不安が落ち着き、再び精神科の受診を決意し、投薬治療にも前向きに臨むことができました。有り難いことに2週間ほど経つと薬も効いてきて、気持ちが軽くなり家事もこなせるようになってきて生活が戻り笑顔も出せるようになりました。

前向きに物事に取り組めるようにもなり、人と接することへの抵抗もなくなりました。自分の子どもには理想を追い求めるのを止め、ありのままの姿で受け入れられるようになり、再び愛情を持って接することができるようになりました。投薬開始後1ヶ月で、元の普通の生活が送れるようになりました。

私にとって、地獄にも思えた闇の生活から普通の生活に戻れたことが一番の御利益でした。家族への愛情や生きる喜び・楽しみを取り戻し、健康で普通の生活が何よりも有難いことに気づかせていただきました。今でも毎朝欠かさず御宝前に向かって、健康で当たり前に朝を迎えられたことを感謝し、一日の無事をお願いしています。

いろいろなことが好転し、3人のこども達が無事成長を遂げる中、4人目の次女を授かり今年の4月に無事出産いたしました。あれほど辛く感じた子育ても今では大変さの中にも幸せを感じて楽しみながら励んでいます。うつ病のおかげで御法様にもおであいでき、それを乗り越えた今、全てをありのまま受け入れ御法様にお任せする気持ちで、感謝の気持ちを忘れず、私がいただいたかけがえのない御利益をしっかり胸に止め、信心増進に努めて参りたいと思っています。ありがとうございます。(Y.A)

平成25年 開導会御利益談