罪障の重み

御教歌 罪障を消滅すれば難はこず 難のこぬをば御利益といふ 

御利益が頂けないのは、罪障が重くのしかかっているからです。罪障は信心に背く罪の障りで、み仏の道からはずれ自分の好き勝手な行動をします。それが私達の持って生まれた罪障です。罪障との闘いが一生の問題で、払っても払っても、なお湧いてくるのが私達を悩まし続けて行く罪障です。 

常々御宝前に向かって朝夕御看経を頂く時には、「無始己来謗法罪障消滅」と御祈願しながら、謗法をおかし罪障を積み重ねて、それに振り回され続けています。そこで、罪障を身・口・意の三業に分けて説いてみます。 

まず、身体です。良い行いはせず悪いことにはすぐ飛びつきます。より良く生きるための行いはなかなかできません。

○殺生-生き物をむやみやたらに殺す。

○偸盗-人のものを盗む。

○邪淫-よこしまな、淫らな行いをする。 

暇になるとろくな行いしかしません。また、見方を変えると、人間の身体は四百四病といわれる程の器です。無病息災というのは言葉の上だけで、生まれながらにして様々な病気を持っております。健康そのもので身体に欠陥のない人はありません。 

しかも、年をとるに伴いどの機能も衰えてくるもので、取替えのきかないものばかりです。人間の臓器は交換のできないもので、脳を始めとして目でも耳でも歯でも一度失ったら代わりはありません。両親から頂いた身体を大切にして行かねばなりません。かけがえのきかないたった一つの命です。生来弱ければ弱いなりに長持ちさせることです。弱い身体を持って生まれてきたというのも身体についた罪障です。 

「病によりて道心(信心)起こり候か」でして、病が緑で信心を掴むことができます。 

第二は「口業」。口の上の罪障です。

○妄語-嘘や偽り。

○綺語-意味のない無益なおしゃべり。上辺だけの誠意のない巧みに飾った言葉。

○悪口-人の欠点。

○両舌-他人の仲を裂く言葉。一方で聞いたことを他方に告げ口し、双方の間に不和を生ぜしめること。一つのことを二様にいう二枚舌。 

御教歌 よの人のさがなしごとをまた人に つたへてわれに罪なつくりそ 

第三は 「意業」 です。

○食欲(とんよく)-むさぼり。これでよいという満足感はない。

○瞋意(しんに)-いかり狂う。怒ると自分で自分が分からなくなる。

○愚痴-因果の道理が分からなくなる。善因善果・悪因悪果。これが鉄則。 

御教歌 世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが報ひ也けり 

自分の業は自分自身のもので、決して世の中や他人に責任を転嫁しないことです。因果の道理からすれば、私達の現在の境遇(おかれている状態)は、全て自分の蒔いた種の結果ですから、世の中を怨んだり妬んだりしてはいけません。まして根も葉もない流言飛語に惑わされ、他人の短所をあげつらうのは止めましょう。 

信心はいつでもこれからどう功徳を積み重ねさせて頂くか。他人より自分はどうするか。悪い因縁を良い因縁に変えて行くのは妙法の不可思議な働きによる以外にありません。 

御教歌 罪障の有無は心にかけずして 経力たのめ南無妙法蓮華経                   

平成14年3月発行 慈悲廣大より


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