母の臨終に学ぶ

私は、三代目信者の主人の元に、ご信心とは全く無縁の家から嫁いで参りました。ご信心の事は一緒に住む二代目信者の義母に、いろはから教わりました。同居生活の中で、朝晩のお看経を欠かさない義母の姿を見て、「このご信心を大切にお守りしていこう」という気持ちが自然と涌いてきました。 

義母の口癖は「このご信心を続けていると、こんな良い死に方ができるのだという姿を家族に見せたい」というものでした。そんな義母に、一昨年末期がんが見つかりました。義母は、抗がん剤治療をせず、緩和ケア病院で最期の時を迎えたいと望んでおりました。

普通なら3ケ月から半年待ちと言われた第一希望の病院に、運よくすぐ入院できるというお計らいを頂き、痛みも苦しみもほとんどない、本人の希望通りの穏やかな最期の日々を過ごしておりました。 

ところが、いよいよ危篤状態となった時、なぜか目がかっと見開き、まるで能の般若の面のような恐ろしい形相になってしまいました。私には、義母が「何か伝えたいことがあるのでは…」と思えました。 

そして、私は、義母が入院してから1ヶ月半、毎日お寺と病院の往復で家にいる時間がなく、御戒壇のお掃除は朝のはたき掛けだけになっており、元々義母に任せきりにしていたお道具のお磨きや部屋のお掃除は殆どできていなかったことにハタと気づきました。 

少し容態が安定したので、私は慌てて御戒壇のお掃除をさせて頂きに帰りました。1ヶ月半分の挨は大変なことになっており、お掃除が苦手な私は義母の倍の時間をかけて丁寧にお掃除をさせて項きました。 

御戒壇と部屋がピカピカになった日の翌朝、まるで安心したかのように、静かに息を引き取った義母の顔の相は、もう般若の相ではなく、大変穏やかな相に変わっておりました。私ども遺族は、義母が寂光参拝させて頂けたことを確信し、有難い気持ちで一杯になりました。 

義母が、命を懸けて「ご信心を続けて行くことの大切さ」と「お戒壇のお掃除を怠ってはならない」と教えてくれたことを忘れず、これからも日々の信行御奉公に励みたいと思います。(K.S) 

平成25年寒参詣発表


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