照泉院様十三回忌法要のご報告

先日、十月三十日、照泉院様十三回忌法要が世田谷別院において、厳粛に執り行われました。

照泉院様(俗名田中麗子《よしこ》さま)は、大正6年6月20日に、現在の東京都品川区大崎において、父・山内豊政、母・男爵真木長の娘アイ、その五男四女の末娘として生まれました。
山内家は由緒正しきお家柄です。その先祖をさかのぼりますと藤原鎌足で、源平時代には北鎌倉「やまのうち」を領有していました。 

戦国時代には、「一豊の妻」のお話で有名な山内一豊がおり、この方は豊臣秀吉の家臣として仕えた後、関ヶ原の戦いを経て、徳川家康より土佐国主を任せられました。

時代は下り、明治維新のときには、土佐藩主・山内容堂が薩長土肥同盟の一翼を担い、活躍をしました。

さてその末裔である照泉院様は、昭和32年11月22日に、乗泉寺御住職・佛立第十五世講有の田中日晨上人の後室として乗泉寺に入られ、上人の御奉公を日夜陰で支えられました。

その御奉公とは主に、乗泉寺、乗泉寺の門末寺院、全国、海外の御弘通や乗泉寺史編纂、宗制改正、御法門の勉強会などです。
日晨上人はある時期からお目を悪くされたため、代わりに照泉院様が本や新聞を音読されました。また海外のご巡教にもたびたびお伴され、上人の身の回りのお世話に従事されました。
ご多忙な中、暇を見つけては、日晨上人のお召しものを自ら編むなどして、文字通り、目となり、足となって、日晨上人の御奉公を陰で支えられ、私たちに「給仕第一」のお手本を見せてくださいました。
もともと、照泉院様はリウマチを患っていらっしゃいましたが、御宝前より病気平癒の御利益を賜り、この事を通じて、御法の有り難さを常に周囲の方々に話しておられました。
そして日晨上人の今日御命日と同じ日ある、平成15年10月31日、寂光へお帰りになりました。行年87歳。法号は「照泉院法勲妙信日麗大姉」とおっしゃいます。


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