6月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。
「ひとつより なきいのち也 今度は みのりの為に もちひたらなん」
人の一生とは大切なものです。ことわざに「虎は死して皮を残す 人は死して名を残す」とございまして、さらにお互いご信者においては、「信者は死して功徳を残す」と昔から言われております。
私達の信心修行は一生かけて努めるものです。その一生のうちに、どうやって功徳を積みあげていくか、それはやはり毎日の御題目口唱、素直な信心をさせて頂くことです。
そうして時がたつと能力がついてきます。頭が良くなり、ご奉公がよくできるようになるものです。
私たちの心は目には見えない器があります。大きさは人それぞれで、Lサイズの人もいれば、Sサイズの人もいます、ましてや高学歴や低学歴という格差も時にはあるかもしれません。
しかし、佛立信心で一番大切なのは、信の一字でご奉公させて頂くことが肝心で、どんなに頭が良くてご奉公ができても、最終的には御題目口唱、そして素直正直なご信心が何よりも大切なのです。
素直な心とは言葉にも表れます、ごめんなさい、という言葉を正直に言うことができれば喧嘩も起こりません。そんな素直な信心ができていても、一生のうちにゴールや卒業はありません。
最期の臨終を迎えるその時まで、信心第一で御題目をお唱えさせて頂ければ、必ず寂光参拝させて頂く事ができるとお示し下された御法門でございました。
この御法門を聴聞させて頂き、確かに私も頭はよくありませんし、学歴もありません。しかしそんな私でも、臨終の最期まで信心修行をさせて頂けるよう、御法様のお使いとならせて頂けるよう、尚一層精進をさせて頂きたいと思います。(k,t)