お祖師様は、この上行所伝の御題目をお弘め遊ばされるに際して「蓮長」という御名を「日蓮」とお改めになられました。
この「日蓮」という御名にも深い御意があります。それは本化菩薩の御生まれかわりということを表わされたものです。お祖師様は、
「一切の物にわたりて名の大切なるなり、乃至、日蓮となのる事、自解仏乗とも云つべし」
(寂日房御書)とお示し遊ばされています。
何事によらず名前というものは大事であるが、いまここに日蓮とわたしは名乗っているが、この名前には、仏の教えの真実の御意をはっきり会得したわけがある、と仰せられたのです。
つまり仏様の本当の教え・本門法華経の御意を顕されたものであります。
四条金吾女房御書には「日蓮」という名のわけを述べられて、「明かなる事、日月にすぎんや、浄き事、蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり、故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」とお示しになっています。
法華経本門の教えは、太陽と蓮の花のような効用があります。太陽はこの世を照らして人々に光を与えます。法華経の教えは煩悩の闇に迷うわれわれに光を与え、行くべき道を示されます。また、太陽は地上の一切のものに熱を与え、その生命を育み伸ばします。
法華経本門の教えは、お互いの心の奥深くにひそんでいる仏性を育てあげ、凡夫を仏にまで育てあげる力があります。更に太陽が空高く在ってまどかに一切下界を見守っているかのように、ちょうど本門の大法がわれわれを守護し給うのです。
また、蓮華というものは泥池に美しい清らかな姿を現わしています。これは本門の御題目は末法悪世に現われ、濁った汚ない世の中を浄化する効用をあらわしたものです。また、蓮華の蓮はハチスの種でもあります。これは一切衆生成仏の種・本門の御題目の効用をあらわしたものです。
このように、日の徳・蓮の徳という本門法華経、本門八品上行所伝の御題目の功徳をそのまま身に体して、一切衆生を助けるために、久遠本仏の命令に従って、この世に出現されましたのが、本化上行菩薩です。そしてわれわれと同じ人間に生まれ大法弘通を遊ばすために、ここに俗界のならわしに従って名を「日蓮」と称されたのです。
本化上行菩薩は、人界に生を受け、日蓮と名乗らねばならないことは、御経文に明らかに示されています。法華経本門八品のはじめ、涌出品には、
「世間の法に染らざること蓮華の水に在るが如し」
とあります。また、本門八品の終りに近い神力品には
「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く」
とあります。
これらの御文が日と蓮との御名の出所であり、滅後末法下種の導師・本化上行菩薩の御徳を表現した御文です。上行菩薩のご再誕であらせられるお祖師様としてはどうしても「日蓮」と名乗らなければならなかったのであります。
御教歌に
わが祖師の 御名は日蓮 世の人の こゝろのやみを てらす妙法
(本門佛立宗・機関雑誌 大放光社刊 御法門用語の解説より)
10月の13日はお祖師様の御祥月命日です。乗泉寺では渋谷で10時半から御総講が奉修されますので、報恩の気持ちでお参詣させていただきましょう。
尚、お会式は11月9日・10日にお寺全体を挙げて奉修させていただきますので、今からご予定に入れていただき、またご家族・友人にもお声かけいただき、誘い合ってのお参詣をお待ちしております。