ありがとうございます。私達家族は、お祖師様の700回御遠諱の昭和56年の5月に入信させていただてから、山あり谷ありの、このご信心生活も、今年で28年になりました。
私は毎日の家事や雑事におわれ、朝タのお看経する余裕が少しずつなくなって朝タのお看経を数日間、怠ってしまったある日の事でした。
幼い頃食べていた記憶のある、綿菓子の様な形のよく分からない、両手に乗せられる位の大きさの、まわり全体を薄い灰色の真綿で覆ったような物の中に黒い何か分からない物が入っている物体が、突然私の目の前に現われたのでした。
始めは、びっくりして不思議な感覚で、その物体を見つめていましたが、家族には何も見えないとの事、けれど依然として私の目の前から消える事なく存在し続ける不気味さに、私は眼科や病院に行きましたが、眼にも体にも何も異常がないという診断でした。一時はほっとするのですが物体そのものは変わる事なく、私の中で日に日にその存在が大きくなり、不安と恐怖と苛立ちで、何も手につかず身も心もつかれはて、憔悴しきった日が数日間続き、私は自宅の居間でぼんやりしていた時でした。雲のあい間から日の光がさし込んだような明るさを、感じた瞬間、私の目の前の物体が突然、はっきりと形を現わしたのでした。
それは何んと私の家の御宝前に奉安させていただいている御尊像のうしろ姿でした。その瞬間のおどろきは、今でも忘れる事が出来ません。無意織のうちに、お許し下さいと、深くお懺悔をして頭を下げていました。頭を上げて目の前を見ますと、うしろ姿だった御尊像が前向きのお姿に変わっていました。私は無中で南無妙法蓮華経と唱えますと目の前の御尊像のお姿は見えなくなりました。
一瞬の出来事で、一時は茫然としていた私でしたが、すぐにこの現証は、ご信心から目をそらし、ご信心を見失いそうになっていた、私へのお祖師様からの大きな厳しいお叱りだった事に気がつきました。何とも不思議な厳しい尊い教訓を深く胸に刻みこんで、これからは、朝夕のお看経は、怠らないようにしよう、忙しくて大変な日でも少しの時間をみつけてお看経させていただこう、どうしても出来ない日には、お懺悔をさせていただこう、出来る日は出来なかった日の分迄少しでも多くロ唱させていただこう、今迄このようなロ唱の積み重ねで今日に至っています。
その当時を振り返りますと、嬉しさや、喜びや、有難さで歓喜の気特一杯にロ唱した日々、悲しみや、つらい事等で、目に涙を浮かべてロ唱した日々、又心の葛藤に苦しみながら歯をくいしばって、ロ唱した日々等、当時、このようなお看経をしている自分の姿が今では、走馬灯のように、懐かしく蘇ります。又、以前の私と現在の私とでは、客観的な物の見方や、色々な立場から物事を見つめ考え、色々な視点を通して洞察して行く事等、少しずつでも身につけさせていただいたお祖師様のお計らいを感じます。
又、日常生活の中で以前よりも、とても穏やかに毎日を過させていただいている私に気がつきました。私にとって大切な寛容な心、穏やかな心を少しずつでも、身つけさせていただいた、お計らいの有難さ、このご信心の尊さや大切さ、このご信心にお出合いさせていただいた喜び私達にとって大切な教化親の故人、今年17回忌を迎えるTさん事等思うたびに感謝の気持でいっぱいになります。
このごろ私は、御宝前に手を合わせ、どうぞ臨終のタ迄朝夕のお看経を成就させて、いただけますように、又、私達家族が1人1人の罪障を少しずつでも消滅させていただけますようにと、願いをこめて、以前よりも、とても穏やかな気特で朝夕ご宝前に手を合せ、お看経をさせていただいている日々でございます。
教講の皆様のおかげでこの長い歳月、ご信心を続けさせていただいている事に、又、いつも大変お世話になっています、湘南教区の皆様と共にご信心をさせていただいていることに、とても感謝をしています。(C.I)
平成20年度夏期参詣 信行体験談集「涌出」より