本年は八月に、我らが恩師日晨上人の御三十三回忌を迎えます。
それに先だって寒参詣の日曜大会では「日晨上人から教わったこと」と題して、
教務、講務それぞれの代表者から、日晨上人にまつわる思い出を語って頂くことになりました。
十七日は局長からのお話で、特に印象的な点が三つございましたので、以下に挙げさせていただきます。
①社会人としてマナーを教わったこと
青年会常任理事として御奉公されていた局長は、門祖会青年の一座の報告をしに日晨上人のもとに伺いました。御会式の前日は息つく間もない忙しさで、やっとの思いで仕上げた報告書を日晨上人のもとにお届けしました。しかし提出した報告書を一目ご覧になるや、何もおっしゃらず、書類を脇にさっと置かれた、というのです。
局長は内心、「人が寝る間を惜しんで書いたものをそんな風に扱うなんて、随分失礼な方だ」と思ったそうです。しかし三日後庫裡に呼ばれた局長は日晨上人から、「君ね、あんな誤字だらけの文章をもってきたはダメだよ」とお叱りを受けたというのです。一人の社会人としてマナーや心構えをそのような形で厳しく教えていただいたことに、身の引き締まる思いだった、との事でした。
②御奉公者としての心構えを教わったこと。
日晨上人はお役の辞令を渡される時は必ず、
「願わくはつかひ給はれ奉公を するなんどいふ身分ではなし」の御教歌を、声に出しておっしゃったそうです。この御教歌は「少しでも御法のお役に立つのなら、存分にお使い下さい」という心をお示し下された御教歌です。私たちが謙虚な心をもって、御奉公に励む大事を、そのような時にしっかりとお教え下されたとの事でした。
③御奉公に創意工夫をこらすよう、教わったこと。
局長は毎年9月から10月にかけて、来年の御奉公内容を日晨上人にご報告していたそうですが、ある時「今年の青年会は上手くいったので、来年も同じような流れでいきたいと思います」と報告したところ、「同じことをしては意味がない。御奉公は創意と工夫が大事なのだから」とお折伏を頂いたそうです。御奉公は考えに考え抜く姿勢が大事なのだということを、この時痛切に感じたそうです。
また、もう一つ印象に残った事は、「お看経に逃げるな」という日晨上人のお言葉です。
日頃、お看経が第一と教わる私たちとしては、少々意外に感じますが、要は「ただ惰性
的に御題目さえ唱えていればなんとかなるでしょう」といった安易な態度をお戒め下され
と拝察します。「せっかく若さと活気を持った青年達が集まっているのだから、できる限り
将引の対象者、下種先の人たちの立場に立って、頭や身体を使いなさい」という事を、
このような斬新なお言葉で表現されたのだと思います。
私たちの知らない日晨上人の息づかいを感じることのできた、貴重なお話でした。