-朝参詣-

御教歌 朝起は なる程妙な 徳がある して見ぬ人は これもわからず

信者の一日はまず朝参詣から始まります。早朝に起床、身じたくをし、自宅の御宝前のお清めをすませ、それからお寺に向かいます。元気一杯、今日という一日を無事にすごせますようにという願いをこめて、お寺参詣はげみましょう。

都合により、朝早くお詣りできない人は日中でも結構、一日に一回はお寺の御宝前に参詣しましょう。「一日一生」でして、一日のなかにその人の今日までの累積の徳と、これから先の予測とがこめられております。

まずは健康のお計らいと、それと同時に心のお計らいをいただきましょう。思いかたが上手になって、明るく前向きで、笑顔と微笑とをたやさない、陽気で物を善意に受けとり、罪障に負けずに功徳の積める一日を送ることができますように、という願いをこめてお詣りにはげんで下さい。

朝詣りはお初穂です。一日の始めに体を御宝前にささげる。人間生活の大切な水をお上げする。お賽銭などの財を奉納する。一日24時間のうちの最初の時間を御宝前に、更に御仏飯をお供えする。

などなど、体とお水と財と時間と食物などのお初を御宝前にお上げさせていただくことになります。次にお詣りしたら心をこめて御看経をいただき、よく御法門を聴聞し自分の信心改良と信心増進とにつとめましょう。善聴参詣ですので善く聴くことです。

聴きかたを上手にするには、なかなか努力が要ります。「口耳(こうじ)四寸の学」(旬子)と申して、耳から口までわずか四寸、耳から聞いて口に出すので身体に残りませんが、それでも何回も聴聞しているうちに身体にしみこんでゆきます。

そのことが分かったというのは、人に自信と勇気とをもって話ができることです。「教えるは学ぶの半ば」(書経)でして、教えることは自分が学ぶことに外なりません。更に御経文には、
「若し一人を勧めて、将引して法華を聴かしむ」(法華経随喜功徳品)と仰せです。

自分ばかりでなく、たとえ一人でも将引して御法の尊さを体得させることは大切な御奉公です。たえず、部内教区内など周囲の人々にも朝参詣の功徳をきめこまかく、丁寧に心をこめて説き聞かせましょう。お寺の御看経は御弘通が主流です。

御教化が一戸授かりますようにと、お祖師様のお袖におすがりして、心をこめて口唱行にはげんで下さい。信心修行には横と縦とがあります。横とは部内、教区内、連合などの人間関係で、お互いに切瑳琢磨し、異体同心の実をあげてゆきましょう。

信者同志はすすめはげまし合いながらも、お互いの関係がくずれない、こわれない、これが異体同心ということです。できるだけ相手の長所とつきあうようにしましょう。よく世間では、みつけよう長所、みなおそう今、みがこう己、ということを申します。

また一方、縦の面では、口唱行にはげんで御法のめぐみをいただくようにつとめましょう。当宗の信心は口唱の味を感得することにあります。

「又われと日参してみよ、いかなる願も成ぜずといふことなし」
「朝参り日参のお人は眞の信者也。早く帰りて一日の用を弁ずる人也。五年十年つづく人也」

      


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