問題意識を楽しむ

人は努力する限り迷うものである、という言葉があります。完全とか完璧とかいうことはないので、目標に向かって努力し、問題解決につとめぬく、そこに喜びと楽しみが湧いて来ます。たえず、信心の見直し、洗い直しにつとめてください。 

当宗は弘通の集団です。弘通意欲を燃やして、足をはこんで一回一回丁寧に信心の喜びを語りかける。これの繰り返しが下種折伏の修行です。全信者、全弘通者がそろって弘通誓願を御宝前にご祈願させていただくこと。 

寒参詣が一年の出発点です。皆参を目指すと同時に健康でしかも前向きに、明るく日々がおくれますようにおすがりする。身心一如で、身体と心の健康が第一。班、部、教区の充実強化が大事。これらの組織がお寺を根底からしっかりと支えておるので、土台になります。そして、役中が多くなれば分部するというのが、弘通の基本です。 

◎御弘通の 御奉公とて 外になし  御講まゐりや 又つとめたり  (扇仝14巻192頁) 

御講の充実が弘通の原点です。御講席の増加とお参詣者をふやすこと、この二つの御奉公に重点をおくこと。弘通意欲を燃やす為には御利益談の発表は必須条件。 

特に賞罰現証の体験談が参詣者に大きな感銘を与えます。ちょっといい話、信心の喜び、部や教区の生い立ち、苦労話や自慢話、苦しかったこと、楽しかったこと、悲喜こもごもの思い出、喜びと哀しみ、感謝と愚痴、それらが入りみだれて毎日が足早に過ぎ去ります。 

特に馬齢を重ねると時は早く感じられます。一日二十四時間、誰人にも平等ですが、子供の時は一日が長く、青年、壮年、老年となるに伴い、段々早く過ぎ去るように感じられます。 

特に御奉公にはげんでおりますと、一日の早さは驚く程です。夢中になっている場合には時が停止しているように感じられ、ほんのちょっとと思っても時の経つのが早いです。物理的時間と心理的時間とは異なります。待つ人の時間は長く、待たせる人の時間は短いです。 

たとえ五分でも、待つ人は「まだ来ない。まだ来ない」とやきもきし、時計を気にしながらいらいらします。待たせる人は、時間におくれて申し訳ないと、気ぜわしく急ぎます。待つ時間と待たせる時間も、時の感じかたが異なります。 

御奉公は毎日が真剣勝負の連続です。役職が多いと次から次へと待ったなしの用事が山積。朝詣り、引き続き寺内の御奉公、これで午前中は終わり。午後は教区や部内の御奉公、あっという間の一日です。どこの教区や部でも問題が山積。それを一つ一つ根気強く解きほぐしていく。終わりはありません。「忍」 の一字に住して粘り強く、根気よく、おしすすめていく。途中で投げ出さない。あきらめないこと。 

よく組織疲労ということを申します。どんな組織でも三年いや五年、長い間には欠点が生じますので、改良していかねばなりません。良い方向に方法論を変えていくことが必要です。組織を動かすのは人です。人が変われば従来の組織を変えていかねばなりません。柔軟性を持たせることも大事です。 

私たちの御奉公はまさに終わりのない旅。終着点はありません。お互いに大悲闡提の菩薩 (あらゆる衆生が成仏する迄自分は成仏しない)に徹して、教化折伏の日々を送りましょう。 

平成25年1月発行 乗泉寺通信より


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