座の位置

入口ふさげば一人で満員、という標語がある。うまい表現と思う。乗り物(バスとか電車)を利用する人の当然な心得である。 

お講席やお寺の本堂で、入口に座を占領したら、あとからお参詣する人のために迷惑になる。全体のことを考えて座の位置をきめるという、バランス感覚をもってほしいものである。お講席は、導師を中心にしてこれを原則として、人員が多くなれは、次第にその後に続けばよろしいもちろん部屋の広狭・御宝前(御戒壇)の位置による。 

太陽(朝日)がさしてくる側、手洗いの場所、床の間の有無など、いろいろのことを配慮した上で、御戒壇の位置をきめる。その精神は、あくまでもその部屋の最も上座におくということが大切である。 

旅館に泊まった方は、気がつかれると思う。テレビの位置、床の軸物を背にした座る位置、お給仕の出入りする入口、これらがよく考えられていて、調和を失なわぬようになっている。妙講一座の第二段には、御本尊の儀相が説かれていて、諸仏諸天の座の位置が、はっきり定められている。 

宝塔が虚空にあらわれて、その中央に妙法蓮華経。その左右に、釈迦・多宝と明示されている。釈尊の脇士は、上行等の四菩薩がひかえ座しておられる。 

文殊・弥勧菩薩は、更に末座に位置しておられ、迹化他方の菩薩方は、虚空に位置してはいない。大地に処を指定されるといった儀相があきらかにのべられてある。これが秩序というものであろう。

日頃から座の位置を少し考えて、折り目正しい日本の伝統を、みつめ直してほしいものである。

昭和57年11月発行 乗泉寺通信より


<青少年の一座>予告

来る8月4日・5日、「第4回青少年の一座」が開催されます。場所は京都にあります本山宥清寺です。

全国から、大勢の10~30代の佛立青年が集います。本門佛立宗のご信心について勉強できる良い機会です。ご興 味のある方は、是非ともご参加下さい。 

【スケジュール予定】

◎Aコース 青少年の一座

8月4日 乗泉寺集合 7時30(口唱会参詣)品川出発→京都到着→ホテルチェックイン→本山参詣 →宗務本庁見学→前夜祭

8月5日 京都駅集合 9時00
青少年の一座 10時30~12時00
(本山にてご供養)→自由行動
京都駅集合 16時30
東京駅到着解散 19時00 

◎Bコース
8月5日 東京駅集合 6時00
京都駅前集合 9時00
青少年の一座 10時30~12時00
(本山にてご供養)→自由行動
京都駅集合 16時30分
東京駅到着解散19時00分 

※申込みは6月中に、寺務所にご提出ください


和気あいあい堅信会御講

堅信会お講新座別院の4月の堅信会御講は、お看経の後、お花見という企画で一人でも多くの会員さんにお参詣していただきたいときたいと思い、準備をしてきました。 

御講席の後、ガレージに出てお講師も自ら炭の火起こしをしてくださって、お楽しみのバーベキューが始まりました。この日ばかりは、飛び入りの婦人会はイスに座ってゆっくりおしゃべりを楽しんで、堅信会が火のまわりでビールを片手に食材を焼いて接待役です。 

お花見をした方がいたかどうかわかりませんが、とても楽しい一日になったことは間違いありません。 

お参詣者、堅信会9名、婦人会8名、計17名は、笑顔で帰宅しました。 

今、私達は教養会の縦の繋がりをもっと強くしていきたいと思って、ご奉公させていただいていますので、これからもみんなで楽しめる企画をしていきます。


信徒教養講座のお知らせ

乗泉寺 竹林今月27日(日)は、午前11時より、渋谷の講習会室において、信徒教養講座を開催いたします。テーマは「冥の照覧、智目行足、お講」。 

乗泉寺の信徒であれば、どなたでもお気軽にご参加ください。乗泉寺賞の対象となります。 

特に各部の班長さんは、信行と教養を身につけるために積極的に参加させていただきましょう。


日本一の弘通家

恩師 日歓上人誕生:明治2年5月2日 京都今出川 幼名弥惣吉入信:明治28年25歳

教化親:森下トミ(田中家に出入りの魚売人)
得度:明治27年7月1日 日聞上人ご剃髪
師憎:日教上人の最初のお弟子
乗泉寺住職:明治34年12月28日拝命
寒参詣のはじまり:明治36年正月より寒30日間
第2支部設立:大正4年本門佛立講東京第2支部設立
日本第一の弘通家:大正4年日随上人より称賛される
住職継承:大正12年11月12日 日晨上人に継承
中興開基:大正13年御弘通の功績により尊称がおくられる
世田谷御隠居:大正13年7月11日
講有位御加歴:昭和11年4月 講有位加歴進達式
御遷化:昭和19年5月30日法寿76歳

「寒参詣のはじまり!」
日歓上人が乗泉寺第十八世住職に御就任されましたのは、明治34年12月28日のことです。当時の乗泉寺は信徒数7戸の小さなお寺で、建物も荒廃したお寺でした。その年も暮れ、翌明治36年正月から寒30日間には、教化誓願成就の祈願寒参詣をはじめられ、一軒一軒お助行をされての寒参詣のはじまりでし。この寒参詣がその後定着し、宗門の年中行事の一つとなったのであります。 

「口唱一途と関東一円の弘通教線拡大」
日歓上人は口唱一途のお方でありました。あくまで不言実行の人理屈よりも信心。勉強よりもまず口唱。それが日頃の信条で、行住坐臥ただ口唱の一途のお方でありました。 

一、私は日本国中誰にも負けないように御弘通をさせていただこう。
二、私は日本国中誰にも負けないように沢山御看経をさせていただこう。
三、私は大尊師の御教え通り信心で押し通させていただこう。
と三つの誓願をされての御弘通御奉公でした。 

関東一円の弘通教線拡大は、大正5年鎌倉親会場の設立が、その始まりでありました。明治の末から大正12年までに得度されたお弟子の方々は72師の多きに達し、御弘通もその教線は関東一円にと拡大されたのであります。 

「日歓上人の御指南、3つの急所」
1、第一は口唱也
この有難い御題目は、心がすすまなくてもよけいに唱えさせて頂け。それが結構である。心で有難いと思うても唱えねば徳にはならない。現世未来の御利益はみな口唱にある。 

2、第二は御奉公の心得
◎部や教区内が発展するように御奉公させて頂け。
◎お講参詣、またはお助行でも、家は汚なくても、お茶一杯出さなくても、どうかこのご信心が増進するようにと御奉公させて頂け。
◎お教化でも自分の力の及ばぬ処を、御法にお願いしてさせて頂くことが大切である。 

3、第三は家の御宝前へのお給仕
自分の家が元で他に及ぶ。外のことをしても家のことをおろそかにするようではいかん。

御教歌     損すると おもふな得の ある事ぞ みのりのために 骨惜みすな
             日蓮は ものしりでなし 信者也  門祖も祖師の御弟子也けり 

おぴにおん91,92より


お教化の出来た喜び

「私のご信心は三年前に妻を亡くし、妻にまかせっきりだったご信心を引き継いだのが切っ掛けでした、その後、教区長をはじめ諸先輩にお世話になりながらお講参詣、お寺参詣、お助行に励んでまいりましたが、お教化だけは出来ませんでしたし、又、やる気もありませんでした。何故なら私自身がいまだ信心の喜びということに懐疑的であり御利益、お計らいと言う事にも素直になれずにいた為です。 

しかしながら最近「信じる」 と言う事に関心を持ち始めました。御導師やお講師の御法門の中に信じるという言葉が良く出てまいります。お話の内容から解釈すると「信じる」 と言う言葉は単に信用すると言うことではなく、ご信心のお計らいを持ってすべての事柄が改良(良い方向に向かう又は良くなった)すると考え 「妙」 の不思議を信じる事だと気づきました。  

それからはお看経の度に必ず「妙」により良いことが起きる。たとえ悪いことであってもお計らいで少しでも良い方向に向かっていると信じております。その結果すべての事が前向きに考えられるようになりました。この信じるということに気づいてからは自分が前向きになるだけでなく、お教化により一人でも多くの人に前向きな生活の術を知ってもらおうと考えました。 

さて、実際にお教化をさせていただこうと考えたときに正法帰入のご祈願をしている中に現役時代の同僚で難病に苦しんでいる友人がいる事に思い当たりました。闘病生活を前向きに過ごしてもらう為に彼をお教化してみようと考えました。

先ずは彼をお寺へ連れて行くことでした。彼はかねがね仏法に関心を持って他宗の講話などに興味を持ち、よくTVなどで講話を聞いていたようですが、メディアを通してでは無く、直に講話を聞いてみたいとの話しをしていました。

そこで乗泉寺で御導師の御法門を聴聞してはと話を持ちかけ、お総講の日にお寺へ参詣することを勧めました。妻が亡くなったとき葬儀をお寺でやった関係で彼が一度お寺へ来ていた事も幸いし、これもお計らいかも知れません。立派なお寺へ行けることでもあり、行ってみようかと承諾を得ることが出来ました。

最初は4月25日のお総講の日でした。お寺では受持のお講師ともご挨拶が出来、お参詣の後、偶々お会いした教区長を交え食事をしながら和やかに話をする事が出来ました。その後も2回程お寺へ誘い、5月の中旬に会った時、佛立宗へ入信してみないかと持ちかけたところ以外に簡単に費用が余り掛からないのであれば信心してみようとの了承を得ました。

早速、次に会った時に入信書をもらうことにして、細かい話を聞いてみますとお墓は他宗で兄が亡くなっているので自分が継ぐと言うし、奥さんは他の宗教に入っていると言う、その他色々と難題がありそうで無事奉安することが出来るかどうか自信が無くなりかけたとき、教区長に相談すると、「何を弱気なことを言っているのですか、先ずは無事奉安のご祈願をかけましょう。今日から御本尊奉安の為、お線香もう一本お看経をしましょう」と心強い返事をもらいました。お講師とも相談していただき、ともかく入信書をもらうことにしました。

その後も教区長のアドバイスもあり、御本尊を奉安する厨子等の仏具をそろえて御本尊奉安の準備をしてもらいました。家が散らかっているので余り人には来て欲しくないなどと話しておりましたが、お計らいをいただき6月16日に無事ご奉安を確認して頂きました。 

以上、実際にあった事を並べてみましたが、色々反省もあります。先ず自分自身がもっと強く「妙」の不思議さを信じ。、ご信心に邁進しなければならないこと。次にせっかくお計らいでいただけた教化子をお寺参詣やお講参詣へ一回でも多く誘い早く一人前の信者に育てること等、問題山積です。お教化は出来ましたが本当に大切なことはこれからだとの思いが現在の正直な感想です。(M.H)

平成16年 信行体験談集 『法灯』より


続ける工夫

「あまだれ石をうがつ」のことわざのごとく微力なものも、これが積もると大きな力になるものです。「成仏は持つにあり」で、持つとは持続すること、続けなければ所願は成就いたしません。世間のことも同様、「石の上にも三年」です。ですからどうしたら持続するかを考えて、その工夫が大事です。信心も毎日信心持続の誓願を立て、その達成を一心にご祈願するようにならねば本物ではありません。そして、いわゆる薬種信心にならぬよう用心することです。 

「天に従うものは存し、天に逆うものは亡ぶ」と、孟子の言葉にありますように天道を無視し、それに逆行するものは結局亡び去りますから、永続きしようと思えば、悪事を断固排除して、人を泣かせるような行為は慎んで世を渡ることが肝要です。 

また、御教歌に、「はなつ矢の弓いる程はのばれどものぼり果てなばおつといふなり」とあるごとく、満月のごとく引きしぼって力一杯放った矢も、その力相応の高さには行きついても、限界に達すればそこから真っ逆さまに落ちてきます。次から次へと続けて力を加えることができなければ、ある点までは昇ってもそこが終点で今度は転落し始めます。兎と亀のかけ比べのように、とかく力のあるものは一気珂成に突進するかわりに疲れが早く、あるいは優越感にひたって気がゆるみ、道草をくって目標を忘れたりして時間を空費しがちです。その間に微力のものがコツコツと追い越すことがあります。ですから手腕のあるなし、力の強弱よりも、むしろ持久力の有無が成功の鍵です。 

それでは今度ほ、人間はコツコツと不眠不休でいつまでも物事を続けられるかという問題ですが、これはできない相談です。適当の休養はぜひ必要です。夜の熟睡が明日の活力となるのですから、休んでも次つぎに手順よく立ち上がる工夫が上手ならば持久戦は勝つのです。

教化運動でも一戸の教化がようやくできて、御本尊の奉安が終わっても次から次へと親切心を奮い起こして育成の手を積極的に打つことが肝心で、これでよしと中途半端で手を抜くとせっかくの教化子も育たぬことがあります。 

また、上手に立ち上がるには、その前の休み方がうまくないとだめですから、そこにもおおいに工夫が必要です。立つ鳥あとを濁さず式に、よしや失敗しても他に迷惑を少なくする努力がなされてあれば、再起の機会が多く恵まれますが、下手に悪あがきをしていっそう信用を落とすと、なかなか再起が困難になります。ですから休みの方の工夫を上手にして次に起き上がりよいようにすることも大事です。 

当宗の信心は、朝は御題目で始まり夜も御題目で休みます。始終ともにこれほど立派なものはありません。その繰り返しが修行ですがそこに大事な教訓があるのです。

日晨上人要語録より


正宗徒増加へ向けて

参詣風景ありがとうございます。正宗徒とはなんでしょうか?このような質問に対して、長年ご信心をさせて頂いている私共が正しく理解出来ていない、若しくは説明不足に終わっていることも十分にあり得ることです。 

正宗徒とは、入信後、満三年が経過し、常講を勤修する宗徒のことであります。御教歌に「怠りの心の汚れあらはんと思はばせめて三年(みとせ)つとめよ」とございます。正宗徒とは、会社でいう正社員のようなものですから、正宗徒証を頂戴することは、容易なことではありません。 

教区内には、入信後満三年を経過されたご信者は数多くいらっしゃいます。しかし、今まではお役中である私たちも何かと理由を付けて御講願主をオススメするお折伏の御奉公が出来ずにおりました。 

皆様もご存じの通り、本年度、乗泉寺の総祈願には「正宗徒各教区3戸増加」と掲げられております。私の所属する教区は、お陰様で現在教区内3戸増加の御奉公目標を達成することが出来ました。 

本日は、私の所属する教区に於ける正宗徒増加の御奉公を紹介させて頂きます。 

①まずお一人目がA.Sさんです。Sさんの今は亡きご両親は、乗泉寺の麻布別院の時代より、お参詣や御奉公をされていたとのことですが、Sさんご自身は長年教区内のご信者とは疎遠な関係が続いておりました。4年前にようやくご本尊様のお塵払いをさせて頂くことが出来、3年前から法城護持のご有志を受けて下さいました。そして、昨年12月に乙の御講願主をオススメしたところ、快く受けて下さいました。 

②二人目は、Y.Iさんというお方です。Iさんご夫妻は、共々ご高齢の為、お会式やお墓にもお参詣するのが困難となってしまいました。それでは御講願主とならせて頂き、家内安全や身体健全の御祈願と先祖代々のご回向をさせて頂きましょうとオススメし、御講願主となられ、今月の5月10日には御講のお席も受けて下さいます。 

③三人目は、N.Sさんです。所属教区の一部には、Sさんのお兄様であるM.Sさんが御奉公をされておられます。お兄様の鶴の一声で、御講願主となられ、無事に正宗徒となられました。 

以上が、教区内に於ける正宗徒増加の現状です。本日お参詣の皆様方の教区は、正宗徒実質増加へ向けて、具体的にどのような御奉公を推進しておりますでしょうか?私の好きな武田信玄の言葉に「為せば成る為さねば成らぬ成る業を成らぬと捨つる人のはかなき」といった格言がございます。これはどのような分野にも共通して言えることですが、どんなに頭で立派なことを考えていても、実際の行動に移さなければ意味がありません。実践の中で、更なる改良点や新たな問題点を見出し、また改良と実践を重ねることが、成就への近道です。

さがみ教区では、全信徒へ御講願主へなって頂くように声をお掛けすることから御奉公が始まりました。今回、御講願主となり、正宗徒となられたご信者方も、三人三様、様々なご事情を抱えておられました。私達の教区では、毎月の連合事務の際、御講師へチェックして頂く「現勢報告」をお役中がしっかり確認して、所属するご信者方に対するお折伏の進展状況などを逐一ご報告させて頂いております。 

今回の御奉公で気付かせて頂いたことは、こちらがダメと決め付けたり、尻込みをすることなく、相手に一声でも、声をお掛けすることの大切さです。遠回りのように思えるかも知れませんが、教区内で異体同心の御祈願口唱に励ませて頂き、お一人お一人のご信者方に対して、丁寧に一声一声掛けさせて頂くことが、最終的には御奉公成就の近道であると思います。

本日お参詣の皆様方のお声掛けを待っていらっしゃるご信者さんも沢山いらっしゃるハズです。御宝前のお計らいを信じて共々御奉公させて頂きましょう。ご静聴ありがとうございました。(K.S)


JSK

清風寺のお教務方1ヶ月前ほどになりますが、3月18日~21日乗泉寺清風寺交流会・JSKが開催されました。 

前回は清風寺へ伺わさせて頂きました。(教務BLOG2月に記事掲載)今回は乗泉寺の彼岸会の見学を第一義として、清風寺のお講師方にご来寺頂きました。 

19日には、新宿港・五反田・品川の各連合への御講席へ参詣していただき、自坊清風寺との違いなどを意見交換させて頂きました。 20日彼岸会当日には世田谷別院へ御参詣、塔婆浄書のご奉公も頂きました。 

JSKは今年から再開をし、2回目の交流です。主に教務師同士の交流がメインでありますが御講や御助行など御信者さんとも関わる機会があると思いますし、むしろ作りたいと考えております。その際にはよろしくご協力下さい。 

第3回目は、本日4日から明日までで、乗泉寺から2師のお講師が清風寺に伺います。今回は、こどもお会式の御奉公の様子を見学して来る予定です。


5月に入りました

乗泉寺 霊堂吹き抜ける風がなんとも心地よく、新緑の木々が目にまぶしく感じ、気持ちのいい季節になってきました。 

乗泉寺では、5月は「教化」をテーマに下種先、ご家族にもご信心をお勧めすることに力を入れる月です。積極的にお助行に励ませて頂き、30日の日歓上人祥月御命日までに、各部1戸の報恩お供え教化をさせて頂きましょう。 

5月の予定
6日(日)弘通促進大会(午前10時半~)
27日(日)信徒教養講座(午前11時~)
30日(水)日歓上人祥月御命日法要(世田谷午前10時~)