門祖会信行体験談

ありがとうございます。私は祖母、父、母と暮らす、四人家族で、現在高校2年生です。私の家族が、ご信心を始めたキッカケは、私の祖母の母が、病気がちだった祖母を心配して入信されたとのことで、私は四代目にあたります。私が物心ついた頃から、日常の家庭生活の中で、ご信心がありました。幼少の頃より母に連れられてお寺参詣やお講参詣をさせて頂いておりました。 

自分から自発的にお参詣や御奉公をさせて頂こうと思えたキッカケは小学5年生に参加した、乗泉寺の森の学校でした。その時にお世話して下さったMさんがとても優しくて「自分もいつかあんな風になれたらいいな」と思い、それから少しずつ青年会の御奉公にも参加するようになりました。 

お寺のご奉公をさせて頂いて思うことと言えば、何よりもまず人の笑顔が溢れていることです。例えば、お会式の時は、青年会で「にこにこパーク」ご奉公をさせて頂きます。その時に子供が笑ってくれる。親御さんが子供を引き取りに来られる時にも、お互いに笑顔で「ありがとうございます」と挨拶を交わします。本当に何気ないことかも知れませんが、お寺には笑顔の交流が沢山あります。こんな時には「自分はご奉公をして本当に良かったな」と思えます。 

勿論、ご信心をしていて辛いなと思ったことも沢山あります。今日みたいに人前に立って話さなくてはならない時、一緒に遊んだ子供が無茶苦茶生意気だった時、力仕事だったり、朝早起きをしなくてはならない時などですが、普段なら絶対にしないようなことをすることもしばしばです。ただ、最近は、お寺でのご奉公が終わった時に「ああ、今日はご奉公をして良かったな」と自然に思えるようになりました。振り返りますと、こうしたお寺での御奉公の一つ一つが、自分にとって貴重な人生経験になっていると共に、巡り巡って、自分と人の笑顔を作っているんだと気がつくことが出来ました。 

次に、自分の経験から感じたことを幾つか述べさせて頂きます。私は乗泉寺の青年会でご奉公させて頂けることを誇りに思っています。はっきり言って、今のご時世、「◯◯宗の信者です。」と言うと、たとえどんな良い宗旨であっても、無宗教の人から見れば、多少冷たい目で見られてしまうものです。私も、以前は何も知らない友人へ、自分が佛立宗のご信者であることを話すのには抵抗がありました。 

ある時、友人に「自分は乗泉寺へお参詣をしている」と話すと「怪しい宗教をやっている」と囃し立てられたことがあります。私は先祖や家族までバカにされたみたいで、少しムッとしましたが、それからは、ただ、漠然とご信心をするのではなく、「佛立宗がどういうご信心なのか」ということに、具体的に友人にも説明が出来るように勉強するように心掛けています。それからは、友人も理解を示してくれ、応援もしてくれるように変わりました。だから、今は他人に話すことには抵抗はありません。むしろ、機会があれば自分からどんどん周りに話すようにしています。 

もう一つは、お寺でのご奉公は絶対に楽しんでさせて頂きましょう。これは如何なることにも共通していることですが、何事も、楽しいと前向きに感じることが出来れば、良い方向に向かっていくものです。最初は、青年会ってどんなことやってるんだろう。友達が出来るかな、と不安に感じることもあると思いますが、最初から物事を否定的に見てしまっては、どんな良いことでも、楽しくはありません。 

お寺は、学校では学ぶことが出来ない沢山のことをお講師方や先輩のご信者さんから教えて頂きます。またお寺でのご奉公を通して、様々な友人も出来ますし、普段は知り合うことが出来ないような世代の方々の話も伺え、高校生という今の自分にとっても様々な発見があります。またみんなで旅行やキャンプに行ったりと色々なことも体験出来ます。 

そんな私自身も青年会の活動を始めて、まだまだ日が浅く、わからないことも沢山ありますが、頼れるお兄さん、お姉さん達に囲まれ楽しく御奉公させて頂いております。どうぞ、本日青年の一座へお参詣の皆様も、楽しんで、誇りを持って、ご奉公してさせて頂きましょう。 

青年会S.S


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