ご飯をいただくこころが仏のこころ

お講席でご供養を頂戴するとき、食前偈を唱和する教区があります。

乗泉寺では、
①妙法流布に生きんがために、いまこの食(じき)をいただきます。
または、
②願くは、生々世々、菩薩の道を行じ、無辺の衆生を度して、永く退転なからん事をおもうものなり。
です。

今、口にすることのできるご飯は、つくった農家の方、家までとどけてくれた人、炊いてくれた人、更に米を育んだ太陽の光・空気・水・土地などの天地自然など、数えきれない万象のお陰をこうむって、やっといただけるような状態になったことに気づき、私たちは心から「ありがとうございます」と感謝いたしましょう。

また、世間のお役に立つ妙法流布を成し遂げるために、このご飯をいただきます。という意味がこめられています。

日蓮聖人のご妙判に、
「天の三光に身をあたため地の五穀(ごこく)に神を養うこと、皆是国王の恩なり」(四恩抄)

三光とは日・月・星のこと。五穀とは米・麦・きび・粟・豆のこと。
国の安定は、ひとえに、それをまとめている(統治)国王や政体のお陰です。 

日扇聖人のご教歌に、
塩なめてくらした時を忘るるな 朝からさかなでめしをくふとも

今朝、目がさめたということは、昨日まで食べさせていただいた食物・住ませていただいた家屋・からだを守っていただいた衣料など、どこのどなたかはわかりませんが、これを与えてくださった大勢の人、宇宙万象のお陰をこうむった結果です。

昼も夜もお守り下さるご法様のお陰です。

昭和62年発行 「泉の光」より


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