匠をめざして!

私事で恐縮ですが、一時期、大工を目指そうと考えていたことがありました。

結局、そこに一生をかけてゆくことを決断しきれず、断念したのですが、そんな話をしていた折、御講師から、本門仏立宗・本山宥清寺の本堂を建てた、『金剛組』という建設会社の話を聞き、とても興味が湧いたので、今回この文章を書かせて頂くにあたり、少々調べてみることに致しました。

金剛組、西暦578年飛鳥時代創業。世界最古の企業にして、日本初の建設会社だそうで、創業以来1430年余の歴史を持ちます。

ちなみに、竹口吉郎さん設計の乗泉寺を建てた清水建設や、現在、お寺の前の大きなマンションを建てている鹿島建設は、江戸時代から創業とのことです。

578年、聖徳太子の命を受け、百済の国から日本へ三人の工匠が招かれ、日本最初の官寺である、四天王寺を手がけました。そして、その工匠のうちの一人が、金剛組初代の金剛重光さんでした。それから、江戸時代に至るまで、四天王寺お抱えの宮大工となったそうです。

大阪に本社を構え、神社仏閣建築の建設・施工、城郭や文化財建築物の復元や修理を主に専門に手掛けていて、山車・神輿の修復等もしています。

大工に限らずですが、職人さんの数の減少と、高齢化が進み、技術・技能の継承が困難な中、金剛組では、宮大工さんを約110名も抱え、伝統工法を続けているそうです。

柱と梁の接続部分の継手や仕口の加工にも、金物を使わずに、木材をさまざまな形に削って組んでゆきます。

現代の建物は木造でも釘やネジ等、普通に金属を使いますが、素材の劣化や歪等に加え、建築法規においても新工法と伝統工法には色々な制約があるらしいのですが、もし、このまま技術者が減り続けてしまうと、建物が崩れても、修復できる人がいなくなってしまい、世界に誇れる日本の文化遺産は、そのうち全て消えてしまいます。。

現在、日本の木造建築の伝承者の減少を懸念して、国家プロジェクトとして、大工職人の育成をしているほど、技術の問われる職業なのです。

大学に入るまで、本山を建築として考えたことがあまりなかったのですが、本堂は高い天井なのに、中央で支えるわけでもなく、柱は御参詣の邪魔にならない位置に配され、寺務所側の屋根の美しい曲線など、構造体からして、全くもって未知です。

挙げだしたらキリがないし、景観美についてだったらいくらでも語れるので、控えますが、そんな技術を持った職人さん達が生み出した造形物に、日々全国から沢山の御信者さんが訪れ、数々の想いのこっもったお題目が何遍も何遍もあがり、それがしみ込み、年月を経て建築物から、私たちのお寺になってゆく姿が、とても美しいです。

そして、本山を訪れた時に感じる、温かみや心地よさは、もちろん佛立宗のお寺だからなのですが、そこには少なからずの工匠方の想いも積まれているのではないかと感じます。

御講師が金剛組を教えて下さったことに感謝しています。

自分も大工ではないのですが、将来、多技能工の匠(マイスター)になりたく、日々学んでおります。職人さんの技術と精神とを受け継いでゆけるよう、努力していきたいです。 

ありがとうございました。

青年会S.A

 


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