ロコモ

先日の朝日新聞に、ロコモティブシンドロームについての記事が掲載されていた。

気になったので、記事を読んでみたところ、ロコモティブシンドロームとは、運動器症候群と訳される言葉だそうで、運動をする際に関係する、筋肉や骨、関節や神経のいずれかが衰えて、立つ、座る、歩くといった運動が困難になるとのこと。このロコモティブシンドローム(略してロコモ)がひどくなると、介護が必要になったり、寝たきりの状態になってしまうので、十分注意が必要とのことである。

さらにロコモをネットで検索すると、数多くのHPがヒットした。その中から、「ロコモチャレンジ」(https://locomo-joa.jp/)を参照したところ、ロコモについての詳しい説明がされていた。ロコモの説明は先のHPをご覧頂きたいが、「ロコモを調べて予防しよう」というタグを見ると、自分のロコモ度を調べる簡単なテストが掲載されていた。

その一つを紹介すると、自分の「脚力」を調べるテストとして「立ち上がりテスト」というものがある。このテストは、片足である高さから立ち上がれるかどうかを確認するテストで、腕を前に組み、40cmの高さの台から片足で立ちあり、そのまま3秒間片足で立った状態がキープできるかどうかというテストである。

ちなみに台の高さは、20代は20cm、30代は30cm、40代から60代は40cmが目安だそうだ。(年齢が低いほど、低い台から立ち上がれる。)

30代も後半に差し掛かった私も挑戦したところ、30cm強の高さから片足で立ち上がることが大変難しく、なんとかして片足の状態をキープすることができたという体たらくであった。

「この位のテストなど簡単だ」と、考えていた私は大変ショックを受け、自分のロコモ度について不安を抱く結果となった。他にもロコモテストはHPに掲載されているので、ぜひ一度試して頂きたい。

また、ロコモの改善方法もHPに掲載されているが、体を動かす、食生活を改善するということが基本となるようで、メタボ予備軍(というかほぼメタボ)の私からすると、メタボとロコモ両面から改善を迫られている状態に陥ってしまった。

ロコモチャレンジ

いずれにしても、日常生活の改善をしなくてはならないことが分ったので、早速取り組んでいきたい。皆さんも、自分は大丈夫という慢心は禁物。ぜひ自分のロコモ度の確認し、ロコモチャレンジを心掛けましょう。

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絞り工芸を見学して

疋田絞り先日、二条城近くの「京都絞り工芸館」へ見学に訪れました。着物をお召しの方はご存知でしょうが、絞り染めというのは、糸などで生地をくくったり、染めたくない部分に染料が入らないようにし、高温に沸かした染料で色を染めて仕上げる、という非常に手の込んだ日本の伝統工芸です。

館内にはさまざまな作品が展示されていましたが、私が特に感銘を受けたのは、疋田鹿の子(ひったかのこ)の手絡(てがら)でした。手のひらに収まる、ほんの小さな作品ですが、実に微細に丁寧に作られていることに驚かされました。


この手絡は、歌舞伎俳優の中でもひときわ審美眼の高い、板東玉三郎さんのお眼鏡にかなったものだそうです。この手絡をふんだんにあしらい、傾城八ッ橋(けいせいやつはし)などを演じる玉三郎丈は無類の美しさだそうですが、こうした役者たちの髪飾りひとつにも意地をかけ、魂を注ぐ職人さんたちの存在もまた忘れてはならないものだと思います。籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。世の中のどんな事も、縁の下の力持ちがいて結実する事を、改めて知らされた思いでした。

こうした小さな作品の一方で、非常に大きなものもあります。中でも圧巻だったのは、京都の春夏秋冬の風物詩を、それぞれ四枚の布に描き出した巨大な几帳(きちょう)でした。夜桜にかがり火、月あかりに照らされた紅葉などを色とりどりに染めあげたもので、夢幻的、神秘的な雰囲気さえ漂う見事なものでした。こうした力作、大作になると、一朝一夕には仕上がらず、一年半から二年という長い時間が必要になるそうです。

説明をして下さった吉岡さんによると、この絞り染めという仕事は、ひとりではなく、多くの人の手を経て、完成に至るものだそうです。

まず職人さんたちがアイデアを出しあい、デザインする所から始まって、下絵を描く人がいる。次には型紙を掘る人がいる。さらに絞る人、染める人がいて、染めあがった布をほどく人がいる。その他多くの人の手を伝ってようやく美しい一枚の布が出来上がるというのです。多くの技術者たちが、それぞれ長年の勘を頼りに自信と誇りを持って仕上げていく総合的な仕事で、こうしたチームワークと、手仕事のぬくもりの中に、美しさの秘密がある、と語っておられました。

私はこのお話からも多くの示唆を与えられました。

・良いものを作る為に、手間暇を惜しまない事。
・一つのものを完成させる為に力を合わせる事の大切さ。

これは、私達信者にもあてはまる事で、一人ひとりがそれぞれの場所で分相応の力を発揮してこそ、よい御奉公も成り立つのものです。

一口にお参詣と言っても、早起きし山門を開ける人がいて、御宝前のお給仕をする教務がいる。そしてお看経を勤められる御導師がいらっしゃり、傍らには寺内のお掃除に励む御奉公者がいる、その方たちの為にご供養を作られるご婦人方の存在もある。

このように見ていくと、私達一人ひとりが大きなパズルのピースさながら、それぞれに役割を担っており、何事も自分一人の力ではない事を痛感します。

人は多くの人の支えの中で生かされております。こうした恵みに感謝をして、自分もまた、この世の中を美しくするため、少しでもお役に立つべく、仏様から頂いたお役目を全うしたい、そんな事を考えました。

※疋田鹿の子(ひったかのこ) 鹿の斑点模様に似せて、隙間なく絞った精緻な技法)
※手絡(てがら) 日本髪を結う際に、髷に巻きつけ飾る布
※傾城八ッ橋(けいせいやつはし) 歌舞伎の演目、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)に登場するヒロイン。
※几帳(きちょう) 平安時代以降公家の邸宅に使われた、二本のT字型の柱に薄絹を 下げた間仕切りの一種。
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金子みすゞさんの詩に魅せられて

金子みすゞさん山口県萩市から国道191号線を長門市方面に約1時間くらい走ると、金子みすゞさんの『ふるさと』である漁師町、仙崎湾に到着する。金子さんは明治36年この地に生まれ、こよなくこの仙崎の町を愛したという。

当時の仙崎は今よりももっと漁業が盛んで町は活気にあふれ、とくに『おおばいわし』の収穫時期になると夜から明け方にかけて、海には漁船が所狭しと並び、1キロに及ぶガス灯の明かりをたよりに、子どもまでもが総出で網を引いたといい、その姿は、まるで祭りのようだったという。

そんな金子さんの童謡集の中にある一つが次の『大漁』という詩だ。

『大漁』
朝焼け小焼けだ
大漁だ
おおばいわしの
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。

※金子みすゞ童謡集 ハルキ文庫より 

小中学校の教科書にも掲載されている有名な金子さんの詩であるが、現代の私達日本人が失ってしまった、自然への思いやりや暖かな心を持つことの大切さを金子さんは数々の詩を通じて私達に教えてくれているのだと思う。 

金子さんは3歳の時父親を失ない、結婚をされてからも夫に詩を書くことを反対されたり、多難な人生を歩まれた金子さん。誠に残念なことに26歳の若さで自らの命を絶たれこの世を去るのだが、生涯に残された詩、512編の中すべてに、今も金子さんが生き続けているような気がする。金子さん、本当にありがとう! 

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宝の山

乗泉寺通信2月号に掲載された文章を抜粋してお届けします。

死への道から乗泉寺にふらりとお参りしたことで、苦しみのどん底から救われた一人のご年配の女性より昨年、一通の手紙と金一封が送られてきました。

「今から40年前の事です。夫からの暴力より逃れる為に、3歳の長女の手を引き、2歳半の次女をおんぶして、渋谷付近を歩いていました。私の手を強く握りしめる長女をみて、その悲しそうな、心配そうな顔で私は『はっ』としました。電車の線路の上を歩いていたのです。

あの時、線路から出て歩いていると、お年寄りや40~50代の大勢の方が歩いて行くのが見えたので、その後をなんとはなしに付いて行くと、「乗泉寺」というお寺さんの石段を上がって行き、さも信者さんのような顔をして、こっそりお参りして帰ってきました。あの石段、お参りに来られた人達のことを今でもよく思い出します。

今まで何度も何度も、あの長女の強く握った手、私を見ていたあの目……思い出す度に泣けてきます。長女は憶えていないようです。お寺さんにお参りして『これから、二人の娘を大切に育ててまいります』と心で約束させて頂きました。

本当に今日まで頑張って来られたのも、乗泉寺さんでの一時の間があって、仏様にお約束したという気持ちが、私を今日まで頑張らせてくれたのだと思います。私もやっと年金を頂いて、静かに暮らしております。長女も次女も、優しくて静かな婿さんに恵まれて暮らしいています。心ばかりですが、仏様にお花をお供えして下さい。」 とのお手紙です。

このご家族は、どのようなご因縁でしょうか、線路の上を歩いていた所が乗泉寺の近く、お参詣に励むご信者の姿に引かれて、ふらりと参った本堂で、沢山の信者の御題目口唱の音声につつまれ、自然と生きる力を授かったのです。佛立のお寺は、何と素晴らしく、貴い有難い場所でありましょう。

お寺は積功累徳の場、御利益の宝の山ですから、お寺の土を踏むことが大事なのです。また、そのお参詣の姿が他の人を導くことにも繋がるのです。

本日と明日の二日間、開導会が奉修されております。家族みんなでお参詣させて頂くことをお勧め申し上げます。

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チャレンジ

先日、大相撲の中継を見ていたら、貴乃花親方が解説をされておりました。解説の合間に、親方自身の優勝22回目の映像が流れた。平成の大横綱といわれた親方。しかし、22回目の優勝はこれまでと違い、並大抵の事ではなかった。

足の故障で千秋楽は休場か、あるいは武蔵丸に負けるかと、誰もが思っていた。それをくつがえして見事に優勝を飾った。トロフィーを授与した時の総理大臣、小泉さんも感激したと述べられていた。

ご本人いわく、頭の中では最高のコンディションだと自分に言い聞かせながら相撲を取ったそうで、これを聞いて凄いと思った。

エベレスト

 

そういえば、エベレスト山を80歳で登頂した三浦さんも言っていたことだが、必ず登れる、登頂できると念じながら上へ上へと足を運んだ、と述べられていた。

 

頭のなかでポジティブなイメージを持つことで、怪我や年齢からくる身体の衰えを克服し、決して希望を失わない偉大な二人の姿を見たら、人間の秘めたる力の凄さを感じた。

世の中不況でダメだ。政治が悪い。会社が悪いと他人に責任を転嫁している間は、自分自身は絶対に変われないのではないか。苦しい状況にある時こそ、自分の持っている力を出し切ろう、まだまだ才能をためす時だと、つねに挑戦する意識を持つことが肝心だと感じる。

先人の言葉に「人に勝つより己に勝て」とあるように、お互いも己の力を存分に発揮しようではありませんか。

御教歌
していけば でけていくもの でけぬとて やめたらやめた だけのびんぼふ
と、開導聖人は御奉公の姿勢をお示しくだされました。 

自分の力を信じ、果敢に先へ先へと挑戦していこう。運命は、己が開いていくものです。お互いに、御奉公に積極性を持って頑張らせていただきましょう。

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責任感

京都から戻り、御奉公をいただけるようになった最近ではこの責任感ということを特に意識するようになりました。頼まれたことをちゃんと実行する、ということは当り前のことなのですが、これが結構ぬけてしまうものです。

私も入寺したての時は頼まれごとに対してとりあえず返事をして、そのまま忘れてしまう・・・なんていうこともよくありました。責任感を持っていれば、手の甲にでもペンでメモして絶対に忘れないように、などいくらでも手段はあるはずです。 

もっと悪質なのが分かっていて放棄してしまう、ということです。有名なのが年始の年賀状の事件で、配達することによりお金をもらっているバイトが、年賀状を面倒だからと雪の中に埋めてしまう、ということがありました。

バレないだろう、ましてやバレても問題ないだろう、大したことじゃないだろう、と思ってしまっているという責任感の無いことが、このような行動に繋がってしまうのかもしれません。

まして私達佛立信者は「冥の照覧」と申しまして、いつでも行いを御法様は見ております。この事をしっかりと意識をして、やらなくてもバレないこと、手を抜いても良い所こそ、しっかりさせて頂くことが大事なことであり、それが功徳が積めることにもなるのです。

自分のやるべき事をきっちりとこなすということが、今は当たり前でなくなってきているのかもしれません。こういったことが多い世の中、今は責任感という言葉を強く意識することが大事なことだなぁと思う、京都帰り2ヶ月の今日この頃です。

 

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境内の花々

あじさい

6月に入り境内のアジサイが一斉に開花しました。一見の価値ありです。

お参りの際には、ぜひともちょっと足を止めて、アジサイの淡い色合いとその芳香を楽しんでください(^o^)

その他にも、境内の花々を写真に撮ってみました。情けながら花には無知でアジサイ以外の名前は分からないのですが…(>_<) 

でも、どこに咲いている花か探して頂くのも、なかなか楽しいものだと思います♪

 

あじさい②境内の花①

 

 

 

 

境内の花②境内の花③

 

 

 

 

境内の花④境内の花⑤

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佛立青年教務会・全ヵ寺助行②

1日目は、お昼に東京を出発。一路車で東北自動車道を北上。19時に今回の宿泊所としてお世話になった盛岡・廣宣寺さんに到着し、2日目からの御奉公内容を確認しました。 

応護寺・お助行2日目は、御奉公者9人を
Aグループ・東北・日本海側
(横手・応護寺、応護寺・大曲別院、応護寺・秋田別院、能代・能持寺)

Bグループ・東北・北部
(廣宣寺・八戸別院、青森・青松寺、弘前・安穏寺、応護寺・大館別院)

Cグループ・東北・太平洋側
(釜石・慈念寺、慈念寺・宮古別院、気仙沼・清護寺、一関・一乗寺)

と3つのグループに分け、それぞれ盛岡を朝5時に出発。(Bグループは距離の関係上、前日に八戸別院泊まり)1日かけて各寺院をお助行させて頂き、20時、全グループ盛岡・廣宣寺着。

3日目は全員で廣宣寺の朝参詣に出仕。その後東京へ向かう帰路の途中、古川・福寿寺さんへ全員でお助行させて頂き、17時半東京着の往復約1500キロのお助行御奉公でした。

激励①私は、Aグループの担当で秋田県のお寺をお助行させて頂きました。印象に残ったのは、秋田は日本海側の為、冬は雪で大変苦労されているということ。

その除雪で御奉公に出られない日もある。また、高齢化の為、除雪を外部に委託せねばならず、その除雪費用が結構かかってしまい費用の面でも苦労があることなどのお話を伺いました。

そしてご信者さんから、「今度は真冬の秋田へ来て下さい。こんな季節の良い時に来てもダメよ」とお叱りを頂いてしまいました。(笑)(必ず別の機会に真冬の秋田に御奉公に上がらせて頂きます!)

都会で御奉公している私には想像できない御苦労がある中、秋田のご信者さんは一生懸命御弘通御奉公に励まれています。また、こういう自然が厳しい所へ御題目を御弘通された、先師上人やご信者方の情熱、ご信心に頭が下がると同時に、都会でぬくぬく御奉公している自分を恥ずかしく思い、とても反省させられました。

そして、日頃なかなか一緒に御奉公する機会の少ない他寺院の教務さんと共に御奉公出来たことは、自分にとってとてもよい刺激になりました。また、太平洋側を廻った教務の中には、東日本大震災発生時、京都の佛立教育専門学校での勉学の為、支援御奉公等に参加出来ずにいた者がいたのですが、今回のお助行で日頃テレビ等では解らない現地の様子、津波の爪痕等を肌で感じ、被災された方々のお話などをお聞かせ頂いて、教務として大変勉強になったという者もおり、二泊三日という非常に短い期間ではありましたが、我々青年教務には大変有意義なお助行御奉公とすることが出来ました。

激励②

 

今回お助行を快くお受け下さり、また、笑顔でお迎え下された14ヵ寺のご住職方、ご信者方の皆様に心から御礼申し上げると共に、今後もまだまだ未熟な我々青年教務にご指導のほどよろしく御願い申し上げます。

 

全ヵ寺助行は始まったばかりですが、異体同心でこの記念御奉公が円成出来るよう更にがんばりたいと思います。

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佛立青年教務会・全ヵ寺助行

みなさん、「佛立青年教務会」をご存じですか?青年教務会とは宗門の40歳以下の教務(お講師)で構成されている宗門の外郭団体です。略して「青教」(せいきょう)と申しております。会の目的は、全国各地で御奉公に励む若手教務が、所属寺院・布教区・支庁の枠を超えて、全国のご信者のお役に立つ御奉公をさせて頂くこと、またその御奉公を通じて会員各自の教務としての成長をはかり、同世代の教務同士のつながりを作っていくことを目的としています。

私は現在その青教の本部役員の御奉公をさせて頂いているのですが、来年(平成26年)10月に青教は発足50年を迎えます。この節目の年を迎えるにあたり、今の青教に何が出来るかを本部役員で考えた結果、本門佛立宗の一つの特色であり、開導聖人が菩薩行の実践の場としてお遺しになった「お助行」という御奉公を通して、宗門各寺院の御弘通御奉公のお役に立つ御奉公をさせて頂くという結論に至りました。

そして、そのお助行も一部のごく数ヵ寺に限って御奉公させて頂くのではなく、国内にある全ての佛立寺院・教会・別院・親会場、約350ヵ所を、約120名の会員総出で廻り、平成25年度中に「全ヵ寺助行」完結を目標に御奉公させて頂くことを青教50周年記念御奉公とさせて頂くことと致しました。

また、宗務総長からのご依頼で今年から宗門の御奉公として始まっている、「佛立開導日扇聖人ご生誕200年慶讃・佛立開花運動」の推進を、全ヶ寺助行の御奉公の中で微力ながらお手伝いさせて頂くこととなりました。

具体的には、全国を東ブロック(静岡県から東)西ブロック(愛知から西)に分け、さらに各ブロックにそれぞれ4つの班を作り、合計8班で10人~20人を1班として、全国の会員で手分けをしてお助行させて頂こうというものです。

私が所属する東C班の担当は第7支庁(東北)と第5支庁(東京・千葉・茨城)の一部で合計40ヵ所が担当です。そしてその全ヵ寺助行御奉公のトップバッターとして東C班13人のうち、私も含め9人の班員が5月13日から15日の二泊三日で東北北部14ヵ所へお助行させて頂きました。(続きは明日アップします。)

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認知の歪みpart2

15日の続き「認知の歪み」の残り5つをご紹介させて頂きます。 

⑥誇大視と過小評価
この思考パターンに陥ると、双眼鏡を覗いた時のように、自分の短所や失敗を必要以上に大きくに捉えて、逆に長所や成功した時であっても、あまり自分を評価することが出来なくなってしまいます。

例えば、「小さなミス」を犯してしまったりすると、「なんてことだ!!これで自分の人生は台無しだ!!」と考えてしまい、すぐに一番悪い結果へ結びつけてしまうことです。客観的にみると何でもないことが、自分のことになると必要以上に大きく捉えてしまいます。 

⑦感情的決めつけ
自分の感情を根拠に、モノゴトを決め付けてしまう思考パターンです。私たちは、時に自分の感情が現実世界と直接結びついているような錯覚をしてしまいます。 

例えば「私は不安を感じている。だからこれは上手くはいかないはずだ。」「私はあの人が苦手だ。だから間違いなく私のことも嫌いだろう。」と答えをすぐに決め付けてしまうことがあります。 

私たちの心ほど不安定なモノはなく、「不安」「怒り」「悲しみ」「憎しみ」といった感情の変化で、目の前の景色も変わるのですから、飛躍的な決めつけをしないで現実の姿を見失わないよう注意しましょう。 

⑧すべき思考
何かやろうとする時に「~すべき]「~すべきでない」と考えることです。常に「~すべき」「~すべきでない」と考えると、極端な場合その基準に合わせようとして、なにかと自分自身を追い詰めてしまうことになります。勿論、自分自身を正しく律することでプラスに働くことは多くあります。 

しかし、一度大きな失敗をしたり、思い通りにならなかった場合は、出来なかった自分に対して大きな罪悪感が生まれてしまいます。 

特にこの「すべき思考」を他人や社会へ向けると、「親として~すべきでない」「◯◯(職業)だから~すべき」「人間として~すべきでない」「一般的に~すべき」など、こうあるべきだ、あるべきでないという縛りによって、常にイライラとした気持ちを抱えてしまうことになります。 

誰であっても完璧な人は存在しません。自分は勿論、人の失敗や過ちに対して寛容になりましょう。 

⑨レッテル貼り
日常の中でちょっとしたミスや失敗をした時に「自分は負け犬だ!」「私は本当に意気地なしだ!」などと自分自身にネガティブな「レッテル」を貼ってしまうことです。 

私たちはその場の感情に流されて、たった一度でも自分にマイナスなレッテル貼ってしまうと、以後こうしたマイナスのレッテルは中々剥がれることはありません。誰よりも自分を理解出来るのは自分だけですから、自分で自分を傷付けることがないように気をつけましょう。 

⑩自己関連づけ
自分に責任がないような場合でも、原因を自分に求めてしまうことです。「私のせいで雨が降ってしまった」というような極論も含まれます。何か良くないことが起こった場合、それを自分だけの責任と考えるよりは、どうすれば今直面している問題を解決出来るのだろうかと考えた方がより健全で大切なことでしょう。 

「自己関連づけ」の思考パターンを繰り返すと、結果として物事を客観的に判断出来なくなってしまいます。

以上、私たちの考え方のクセである「認知の歪み」として10種類のパターンをご紹介させて頂きました。 

お互いに「今」自分が直面をしている様々な諸問題を客観的に振り返ってみると、自分自身が「認知の歪み」を生み出してしまったり、いたづらに拡げてしまい、悩み苦しんでしまっている場合が案外多いものだと思います。

part1でも申し上げましたが、この「認知の歪み」は誰にでも例外なく起こり得ることです。日々の営みの中で、私たちの思考の偏りやクセを知っておく為のツールとして、この「認知の歪み」のパターンを頭に入れておくと、些細なストレスを抱えた時に、フッと我に返ることができるかもしれません。

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タケノコ

タケノコ5月も中旬を過ぎまして、なんだかジメジメした日が多くなってきたように思います。

ところで、この時期になると決まって乗泉寺の境内はあるニオイで充満いたします。そのニオイの発生源は、境内にある竹やぶです。

タケノコが地面を掘り起こして土っぽいニオイをたて、さらに皮がむけたタケノコから青臭いニオイが発生するようです。

鼻をつくこのニオイを嗅ぐと、もうすぐ梅雨入り間近か~鬱陶しいなと思う反面、そろそろ若竹煮が食べられるか~楽しみだなと、毎年こころがウキウキします(^^)

筍、土を掘り起こすしかし、今年は竹やぶの横にある幼稚園側の壁を工事しまして、作業の邪魔になる竹をだいぶ伐採したので、その影響からタケノコが生えないのではないかと危惧していました。

そこで先日、竹やぶの調査に行きましたら、ちゃんと生えておりました!


竹林

でも例年よりだいぶ本数が少ないし、なんだか幹も細いように思います。やっぱり工事で根っこをいじめてしまったから、エネルギーが不足しているのでしょうか
<(_ _)>

 

若竹煮


例年だと、間引きした乗泉寺産のタケノコを、教務食堂で若竹煮をご馳走になるのですが、さすがに今年は竹やぶに無理を強いたので、せっかく生えた数少ないタケノコを食べる気にはなれません(^_^;)

それから、数年前から乗泉寺にも分煙ブームが到来しまして、竹やぶの横にベンチが置かれて野外喫煙所が設置されました。この喫煙所がひそかに地元の人達から愛されているようです。

 

竹やぶを横に見て、正面には妙証池と霊堂、本堂をバックに豊かな樹木が立ち並ぶ、
こんな絶景ポイントでタバコを一服すれば、ひと味ちがって心も癒されるでしょうね(^o^)。o0

喫煙所喫煙所

 

竹やぶの場所は、普段みなさんがお参詣されるときには通らない場所なので、人通りも少なくゆっくり出来る空間でもあります。ちょっとだけ回り道をして竹やぶの風景を眺めながらマッタリするのも、乗泉寺へお参詣する際の一つの楽しみといえるかも知れません。

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記念法要の思い出

去る4月27日~29日の3日間にわたり、京都・本山において「門祖550回御遠諱記念大法要」が盛大に奉修され、日本全国はもとより世界各地から沢山の佛立信徒がお参詣されました。

この記念となる日を迎えるにあたり、宗門では平成22年度から3カ年にわたり「教務員増加」「助行達成者の増加」「正宗徒の増加」の報恩御奉公に励んでまいりました。

私もこの運動の際に入寺得度させて頂き、それまでまったくご信心に背いてた自分が、わずかながらもご信心の大事さに気づき、人生を大きく変えて頂いたことを感慨深く感じております。

そして、この3カ年にわたる報恩御奉公の間に得度をゆるされた教務が各座の前座御法門の拝読を任命され、わたくしも29日の一座目にお参詣させて頂き、本山の御宝前にて御法門を拝読させて頂くという栄誉を賜りました。

このお話を頂いたときは、私のような未熟者が本山の記念大法要で御法門を説かせて頂くなど、とても恐れ多いことだと思いましたが、先輩からこんなチャンスは滅多にないのだから、謹んでお受けして精一杯に拝読の練習をしなさいとご指導を頂きました。

私も初心に立ちかえるつもりで、3年前に乗泉寺で初御法門をさせて頂いた時のように、自分が出せる精一杯の声で「大きな声で、ゆっくり、ハッキリ、自信を持って」を心がけ、せめて私の必死な思いだけでも伝えることができるようにと、拝読の練習に励みました。

頂戴した御教歌は

何もよし 人と生まれて 要法に あひし縁しは 有難の身や

この御教歌は、妙法にお出値いした自分の幸せに気付き、感謝の出来る信者となることが大切で、私達佛立信者の挨拶「ありがとうございます」の心を教えて頂く御教歌でございます。

当日は沢山のご信者さんの前での拝読でした。乗泉寺で御法門を拝読させて頂くときも緊張いたしますが、特に今回は本山での初舞台でしたから、いつも以上に気を張ってのぞみました。おかげさまで何度も拝読を練習した成果が顕れたのでしょうか、何とか無事に御法門を拝ませて頂くことが出来たのではないかと思っております。

そして、一座が終了して本山をあとにする際には、お参詣ご奉公されていたご信者方から、励ましの声をかけて頂いたことが、何よりも嬉しかったです。

今回の記念すべき大法要で、京都・本山において、また全国の皆さんの前で、前座御法門をさせて頂けたことは、これからの人生の中でも一度あるかないかの貴重な体験をさせて頂けたと心から随喜しております。

これからもこの喜び、そして初心の気持ちを忘れることなく、次なる目標である平成29年の「佛立開導日扇聖人ご生誕200年」にむけて、「弘通の人づくり」のご奉公に精進してまいります。

また、今回本山にお参詣出来なかった方は、本庁のホームページより3日間にわたる各座ごとの法要奉修映像を視聴することができますので、是非ご覧にになって頂いて、新たな気持ちで御奉公をスタートして頂けたら幸いでございます。

https://www.youtube.com/user/HBSmuseum?feature=watch

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清風寺子どもお会式参詣記

御講風景
今月の5日にJSK(乗泉寺・清風寺教務部論)で清風寺の第百回目子どもお会式にお参詣させて頂きました。 

前日の夜に清風寺に入り、早速に役中御講にお参詣し、御講の法要式にも違いがありまして、よい経験をさせて頂きました。

なかでも教化の御祈願では、各誓願者がお参詣の度に祈願カードを持参して言上頂く、下種先発見のお願いから正法帰入へ、そして無事育成のお願いへと段階を進めて御祈願させて頂く様は、一度毎の御祈願をとても大切にしているように感じました。

通信を拝読したりお助行の予定、御奉公の確認などと乗泉寺の役中会に似ている部分もありました。また、寒参詣の皆参賞の伝達もありまして、1年皆参、5年連続皆参、さらに25年皆参、50年皆参と褒賞いただけるそうで複数年のモチベーションの維持になりますでしょうし、その管理もえらい事だと感じました。

大太鼓

 

さて、翌日は子どもお会式を見学させていただき、第1部は本堂で式典が行われました。昇堂の大太鼓は、大きな物を揃えたと聞いていましたので楽しみにしていました。

目の当たりにすると、でけえwとその大きさと音の迫力、そして思ったよりお手頃のお値段に驚きました。ちょっと欲しい…。

 


式典中の言上の薫化会参詣誓願に
「一、毎月の薫化会御講に会員162名を目標に年間延べ、1830名お参詣いただけるよう将引に励みます。一、夏期修行参詣に会員1日120名。
 一、5日間延べ1624名お参詣いただけるよう将引を徹底します。」とありました。  

月162名の参詣の御講とは如何様なものか是非とも見学に行かせて頂かなければと思います。 

子ども御会式風景12部の清興、模擬店も各連合の御信者さん方が趣向を凝らして子ども達が喜ぶようにとご奉公なされておりました。

部の抽選会にも沢山の子ども達が最後まで残り、御礼の御看経が上がっており、流石と百年の積み重ねだというおもいです。

 

子ども御会式風景2参詣数は薫化会218名。一般その他で645名で合計863名です。

教養会などの一部の組織で薫化会を盛り上げていると言うよりも、お寺のご信者さん一人一人が自分の御奉公として、積極的にされている姿勢が素晴らしく、私達乗泉寺も後続者育成の姿勢を学ばさせて頂かなければと強く感じました。

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認知のゆがみ part1

現代はストレス社会と言われて久しいですが、そもそもストレスが生み出される要因ってなんでしょうか?「原因は自分にあり!!」と言われてしまうと、私たちはますます落ち込んでしまったり、そんな相手に対して腹を立ててしまうものですが、とにかく自分を責めてばかりいては精神的にも辛くなってしまいます。

しかし、ストレスを感じてしまった時、心が晴れない時には、私たちの思い方、物事の受け止め方にも原因があるかも知れません。「認知のゆがみ」って言葉を聞いたことはありませんか?僕もつい先日遅まきながら新聞のコラムを読んで知りました。

「認知」とは、辞書で調べてみますと「外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」という意味があります。心理学では「言語化された思考」という意味があるそうです。そんな考え方のクセから私たちの思考回路に歪みが生じてしまうことがあるそうです。

心理学では、この「認知のゆがみ」は10種類に分類されるそうです。本日はその中より5つを紹介させて頂きます。(他の5つは後日ご紹介させていただきます。)

①「全か無か思考」
ほとんどの問題は, 白か黒かのどちらかに決めることは出来ません。灰色や赤色、黄色や青色が存在するように、全ての事実というものは、それらの中間にあるものです。しかし、物事を見るときに「良いか悪いか」、「好きか嫌いか」、「0か1か」という2つに1つのの見方をしてしまうことを「全か無か思考」といいます。

普段は一歩引いて客観的に色々なモノの見方が出来ている人でも、ストレスが掛かった状況が長く続くと、知らず知らず思考パターンが狭まってしまいやすいようです。

②「一般化のしすぎ」
自分の思い通りにならないことや失敗することが続くと、「いつも決まってこうだ」、「自分は上手くいったためしがない」、「結局はこうなんだ」などとマイナス思考で物事をとらえてしまうということです。

本来、失敗は誰でも多くするものですが、このような考え方になりますと、たった一つの物事でも、イヤなことが繰り返し繰り返し起こっているように感じて、ネガティブな考えしかできなくなってしまうようです。

③「心のフィルター」
たった1つの良くないことにこだわってクヨクヨと悩み、他のことが頭に入らなくなってしまうこと。このような思考になると、良い情報を無視して、悪い情報ばかりを選んで取り上げてしまいまい、何事もネガティブに見てしまいます。

④「マイナス化思考」
単に良いことが頭に残らないだけでなく、何でもない事や良い出来事であっても悪い出来事にすり替えてしまうこと。例えば自分は能力がないと考えている人が、仕事が上手くいっても「これは偶然だ」と考え、仕事が上手くいかない時は、「やっぱり自分はダメなんだ」と考えてしまうことです。

⑤「結論の飛躍」
特に確かな理由もないのに悲観的・自分は良くないんだ・悲しいというような結論を一気に出してしまうこと。根拠のない決め付け型。破局的な判断型に分類されるそうです。

a. 心の読みすぎ:ある人が自分に悪く反応したと早合点して、決めつけてしまうこと。
b. 先読みの誤り:今の様子は確実に将来悪くなると決めつけること。

例えば、重い病気を宣告された時に、「これで人生は終わりだ!」と判断してしまったり、一度や二度の失恋で「もう私は死んだ方が良い」と考えてしまう。また、同僚や同級生、上司との間で失敗をすると、「もう自分は嫌われている」と決めつけてしまうことです。

以上、本日は「認知のゆがみ」より以上の5つのパターンを紹介させて頂きましたが、もし、頭の中でモヤモヤとしている時やストレスを感じている時は、この「認知のゆがみ」という思い方のクセに原因があるのかも知れません。

確かに自分に原因があるとは誰でも思いたくないものですが、やはり自分の考え方を変えていけば日常で起こる失敗も成功も明るく受け取れるものだと思います。私もつい「全か無か思考」になりやすい所があり、自分自身にストレスを与えたように思います。むむむ、反省です(>_<)

常日頃からこうした「認知のゆがみ」と真摯に向き合えるようになれば、より広い視点で物事が見つめられるのではないかと感じました。
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生涯、一年生

早いもので、今年ももうゴールデンウイークが終わりました。 この春進学をした小学校、中学校、高校、そして大学の一年生たちも、新しい環境にすっかり慣れてきた頃でしょうか。

話は変わりますが、かつてJリーグで大活躍した三浦知良選手が昨年フットサルのチームに入団し、話題になりました。その三浦選手は、入団後初めてシュートをきめた時のインタビューで、「これで僕もやっと仲間に入れた、と実感しています。」と語っていました。自分は以前、プロのサッカー選手ではあったが、フットサル選手としては一年生、という謙虚な思いが伝わってくる言葉です。

乗泉寺の御住職川口日智上人は、「お互い佛立信者に卒業証書は無い。70歳は70歳の、80歳は80歳の一年生というつもりで、生涯御奉公に励んでいくことが大切」と、常々お教え下さっています。もとより、本門佛立宗の教えの拠り所である法華経本門八品において釈尊は、「私は久遠の昔から、御題目を唱え、そして他の人にも唱えることを勧める菩薩行を度重ねてきたのだ。」と仰せられ、釈尊の前世のお姿であった常不軽菩薩 は、街角で会う人ごとに、「あなたも菩薩の修行を重ねていけば、必ず成仏できますよ。」と、真の人助けとなる菩薩行を勧めておられます。

たとえ何十年ご信心を続けようと、私共佛立信徒の御奉公の基本は、御題目を一遍でも多く唱え、また一人でも多くの人に勧めることに変わりはありません。自力に限界のある私共は、「仏様、どうか本日も、お知恵をお授け下さい、お力をお貸し下さい。」と、毎日毎日御本尊に向かって御題目を唱え重ね、そして、子供たちが「○○ちゃん、一緒に遊ぼう。」と声をかけあうように、「あなたも御題目をお唱えしましょう。」とお勧めするのです。ご信心の年数を重ね、段々色々なことがわかってくるのも結構ですが、この菩薩行というご信者一年生の修行の姿は、生涯忘れてはなりません。

かくの如く申す私も、そろそろ古株教務になりつつあります。社会人が以前学校で習ったことをきれいさっぱり忘れてしまうように(そちらの方は、私もあまり覚えておりません)「ご信心の一年生」として一番大切な修行をおろそかにしてしまうことのないよう、自戒の念をこめて申し上げる次第です。

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