「礼儀正しさ・マナーの良さ」について

先日、買い物が終わり、お寺の帰り道で坂を登る途中に、道を譲る一人の女性外国人を見かけました。女性は自転車で運送業務をしている方と、交差点で出くわしたところでした。

たいていは歩行者優先で、しかもレディファーストが常識であると思います。しかし、その女性は男性が疲れていることを察して、道を譲られたのでした。その姿に大変感激しました。

また別の日には、御奉公先へ向かう途中の工事現場近くで、交通誘導員の指示に従い、そして深々と礼をしてから、すばやく歩く一人の男性外国人を見かけました。

その工事現場では、ダンプカーやタンクローリーが歩行者の歩道を頻繁に出入りして危ないため、交通整理の方が誘導をしていたのですが、日本人よりも礼儀正しく挨拶されている姿が脳に焼き付きました。

私達、日本人は「マナーがよい」「礼儀正しい」などと海礼儀外の人から見られております。しかし、このごろは「いただきます」「ごちそうさま」などの基本的な挨拶を、普段の生活で使わない方も増えているように感じます。

また、電車の乗り降りの際、降りる人が優先のところを、われ先にと乗り込んでくる人も見受けます。電車の車内においても、二人分の座席を一人で座る方、ご年配の方が立っているのにもかかわらず、席を譲らない方なども頻繁に見かけます。

 

日本人の美徳とされる礼儀正しさ、マナーの良さが失われているように感じる光景を目にする場面が増えてきたように感じます。

私自身、一人の日本人として、胸を張って礼儀のことをとやかく言えるのかと問われますと、只々反省する次第です。あらためて、日本人が大切にしてきた、礼儀正しさ、マナーの良さの大切さに気付かされました。

今、その意味を考えながら、一つ一つの所作振る舞いを、自分にしつけているところです。

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所作振る舞い

「一期一会」という言葉があります。これはもともと茶の場の世界で使う言葉で、毎回催す茶会でも一生に一度きりという思いを込めて行いなさいということを説いたものなのですが、人との出会いもそうありたいものという意味で使われるようになりました。

人との出会いを一生に一度きりの出会いだと思って大切にすると自分自身がどう変わっていくでしょうか。

出会いを大切にするということは、人を大切にする気持ちだと言ってもよいはずです。人を大切にするには、相手に好印象を与えられるように、姿勢も良くしなくてはいけないし、言葉も選ぶようになります、顔の表情も意識的に明るくするようになります。

ですから「一期一会」の気持ちで人と接するということは自分を高めて行くことにつながっていきます。でも人に好かれるような姿勢、言葉顔の表情を保つためには、自分自身を監視するモニターのような心の眼、自分自身を客観的に見ることが大事になってくるのです。

これが案外難しいもので常に意識していないと猫背になったり、話し方も言語不明長、顔も無表情になるものです。

開導聖人御教歌にも「言の葉と身の不行儀をたしなめば それで世間の常の人なり」とあるように私自身も日常生活の中でこういったことを意識するのは大変ですが、少しずつ意識して実行してみれば徐々に印象が変わっていくのではないかと思います。継続は力なりですのでみなさんも日頃から意識して実行してみてはいかがでしょうか?

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立教開宗

お祖師様が立教開宗するにあたり、十二歳で小湊の清澄寺に道善坊を師匠として入寺しました。当時、師匠の道善坊は念仏を唱えていたようですから、清澄寺は浄土宗系のお寺のようでした。

そして、お祖師様は得度し名を蓮長と改め、様々な疑問が脳裏にわき起こりました。其の代表的な疑問が、仏のみ教えがなぜ八宗・九宗というように数多く分散してしまったか、仏の真意を求めるため、お祖師様は十数年に渡り、鎌倉・三井・京都・比叡山方面に遊学に出るのであります。

この遊学の間、お祖師様は、浄土宗、禅宗、真言宗、儒学、国学、歌道等を学び、仏の一切経をも読破したのです。このようにして、お祖師様は十数年に及ぶ遊学の後に、仏の真実の教えは法華経であると言う確信に至り、故郷の房州に帰られたのです。

一方、故郷の清澄寺では長い遊学から戻られた、蓮長の有り難い念仏の御説法を早く聞きたいと人々は念願していましたが、しかし、師匠の道善坊は念仏を唱えていましたし、地頭の東条影信、清澄寺の人々は熱心な念仏の信者でした。

その様な人々の前で、お祖師様は突然仏様の真実の教えは法華経のみであると他宗をすべて否定するわけでありますから、人々の反発が予想されお祖師様は悩みに悩んだわけです。

このことをお祖師様は御妙判の中で「いかんがせん、いはんとすれば世間をそろし止んとすれば仏の諫暁のがれがたし、進退此に谷れり。」と仰せであります。

そして、このような苦悩を経て、建長5年4月28日お祖師様が、清澄山上に於いて、初めて旭に向かって声高らかに上行所伝の御題目をお唱えし、立教開宗を宣言され、名を日蓮と改めたのであります。

蓮お祖師様の生涯には、様々な奇瑞が顕れたと、言い伝えられています。先ず、お祖師様がお生まれになったとき庭には清水が涌き、季節外れの花が咲き乱れ、海には鯛が群れを作って飛び跳ね、立教開宗には旭のそらに鶴が舞ったたと云われています。

 

そして、もっともお祖師様の不思議な現証は、龍ノ口の首の座に於いて、まさにお祖師様が首を切られそうになったときに鞠のような光り物が顕れ、お祖師様の命を奪うことが出来なかったと云うことです。

このように法華経の行者にはいざというときには、仏祖が諸天、諸菩薩を使わせて、御題目の信者を護らせ給うと言うことであります。このことを佛立信心では現証の御利益と言います。

又御経には「随処楽」と説かれ、仏様の真実のみ教えである法華経本門の御題目を謗法の汚れなく、御題目を我も唱え人にも勧める、菩薩行に励む信者には幸せがついて回ると言うことであります。

毎年、4月28日のお祖師様が立教開宗記念日では全国の佛立寺院では口唱会等が行われ、私共信者は教化折伏の御弘通御奉公に励ませていただくのでありますが、私達信者は臨終の夕べには寂光の本宮に於いて、仏様より御奉公ご苦労様と言われるような信行御奉公をお互い心懸けたいものです。

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元気に挨拶

先日、本屋さんに出かけた時のことです。小さい子供が泣いているのを見かけました。すると、近くにいた別の子供が、「だいじょーぶ? どしたの?」と話しかけていました。

程なく、泣いていた子供は泣き止み、話しかけた子供と一緒に絵本を読み始め、いつしか二人してキャッキャと笑い合っていました。

別の日の事です。

こども

 

お寺にお参りしておりましたら、やはり小さな子供が、「ありがとーごじゃーます!ありがとーごじゃーます!」と、通りすがった人たち全員に、元気な声でご挨拶をしていました。

子供達を見て思います。物怖じせず、誰にでも声をかけ交われるって、すごいことなんだな、と。

大人だったら、どうだったでしょう。泣いている人や、苦しんでいる人がいたら、声をかけられるでしょうか。見ず知らずの人に、笑顔で挨拶できるでしょうか。

あまり、できませんよね。年を取ると、いつしか恥や外聞というものを気にし始めてしまい、普通にすればいいことが出来なくなります。

苦しんでいる人がいたとしても、
「その人それぞれの事情があるのだから…」
「トラブルだったら巻き込まれたくないから…」
なんて打算的に考えてしまいます。

挨拶をすること一つにとっても、知っている人ならともかく、知らない人とは素通りです。大人になって分別が出来るようになっただけ。取捨選択をするようになっただけ。なんとでも言えるでしょうけれど。

信者として物を考えるならば、躊躇することはマイナスでしかありえません。御題目様を、自分自身でもしっかりとお唱えし、人にもオススメして共に功徳を積み、御利益をいただこうというのが佛立信者の信心修行であります。

ですから、自分は何とでも頑張れるけれど、人様に声をかけるのやチョット…と言っていては、私たちの修行は成り立ちません。むしろ、困っている人に程、積極的にお声がけして、共にご信心の道を歩みましょう、とオススメして救って差し上げることが菩薩の修行でありますから、躊躇してる間は無いはずなのです。

泣いている子供を見れば、同じ子供が見て見ぬふりをせずに慰めるように。知っている人も知らない人も、誰にでも元気にご挨拶できるように。子供のその物怖じしない、迷わない心というものを、むしろ大人が見習い、取り戻さなければならないように思います。

誰だって、無視されるよりは元気な挨拶が嬉しいに決まってます。たとえ、相手に「ハァ?」と反応されても、知らんぷりはダメです。何度でも繰り返し挨拶できていれば、そのうち必ず相手からも返事は返ってくるようになります。

自信と勇気と誇りを持って、躊躇わずに「ありがとうございます!」と子供のように元気にご挨拶できることの大事。そんな素直な心根を持たせていただくことが大事なんだな、と、小さな子供に教わった気持ちであります。

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東京での御奉公

ありがとうございます。

今年に入って、補助講師として、御講・お助行で東京各地を回らさせて頂いています。私は東京に住んだ事がありませんが、少しずつ色々な場所を勉強しています。

表参道にあるご信者さん宅での御講席にて、非常に綺麗で素晴らしい御戒壇を拝見させて頂きました。室内も広々としておりましたので、他のご信者さん共々に充実した御看経をあげさせて頂きました。

原宿

 

御講の帰りに、表参道から原宿に向かうメイン通りを歩きましたところ、そこでの人の多さと美しさには驚きました。この通りを歩く為に、東京都外からも人が来るという話を聞いて、納得致しました。

 

次に、銀座のご信者さん宅でのお助行です。ご信者さん宅は銀座の下町にあり、昔の雰囲気を感じさせる室内でした。周辺の町並みも、やはり昔ながらの雰囲気がある一方で、近代的な建物も立ち並び、品格のある所です。

私にとって銀座といえばテレビの中だけの町というイメージでしたので、実際にそこを歩いているのですから、少し不思議な感じでした。

今後更に、御講・お助行などで東京各地を回らさせて頂きますので、その都度東京の町並みもブログで報告させて頂きます。

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カレー大好き

カレー先日、世田谷別院近くのカレー屋「世田谷クミン」さんにお邪魔しようとした所、しばらくお昼をお休みしますとのことでした。なんでも、新たに2号店を開店されるとのことで、そちらの準備にかかっていたそうでした。

2号店は2月末に無事オープンされたとのことで、慣れない道に迷いながらも早速お邪魔してみました。が、しかし、生憎その日のお昼は臨時休業とのこと。

夜は開いているそうで、その日のお昼は別のカレー屋さんへ伺いました。自分で言うのも何ですが、私は大のカレー好きで、カレーと名前が付いていればとりあえずなんでも頂戴してみる、といったような風です。

カレーと一口に申しましても、日本風、欧風、インド風、東南アジア風と様々な種類があるのは皆様も承知の通りですが、日本にカレーが伝わったのは明治の頃で、欧州(特にイギリス)から伝わったのだ、というのが定説です。ですが、当時伝わったカレーというものが、そもそもどんなものであったかは実はよくわかっていないのです。

当時のイギリスのカレーは、今でいう処のスープカレーの様にサラサラだったので、米食にあわせる為に日本人がとろみをつけたのだ。いや、イギリスのカレーもとろみがついており、米飯にあわせて食べるものなのだ。いやいや、そもそもイギリスのカレーとは肉が主役であって、米やパンなどは付け合わせに過ぎない、などなど諸説あり、何が正解かは判らないのです。

ただし確かな事は、この明治の頃に日本へ「カレー粉」が伝わったという事です。私個人としては、当時の日本の料理風俗とカレー粉が出会ったことで、「日本食」としての「カレーライス」が作られてきたのではないかなと考えており、食とは実に奥深いものだと感じている次第です。

カレー2閑話休題。という事で夜になり、世田谷クミンにお邪魔しました。こちらの2号店、テーマは「ヤサイとすぱいすのおみせ」だそうで、肉料理や野菜料理など、カレー以外のメニューも豊富でした。

この日は、「オリエンタルカレー」というカレーを頂戴した。鶏肉とキノコを具材に、グリーンカレーをベースにして、ココナッツミルクで仕上げていた為か口当たりは甘く感じましたが、後からじわじわと辛みが効いてきます。とても美味しく頂戴いたしました。

世田谷クミン2号店さんは、経堂西通りを経堂コルティから西へ、2つ目の交差点を右へ入った所です。よろしければ皆様もお試し下さい。
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親鳩の愛情

親鳩乗泉寺受付入口の右側にあるスピーカーのに鳩が巣を作っているのに皆さんお気付きでしょうか?

現在は母鳩が産卵の準備中なのか、それとも既に卵を温めているのか、どちらにしても鳩の赤ちゃんが生れる時が楽しみです。

 

当たり前の事ですが人間以外の動物でも始めは親の手がなければ生きてはいけません。私もいまだに母親に助けてもらっています。人間の愛情表現は人それぞれで、いちいち怒られて育つ人もいれば、褒められて育つ人もいます。

どんな教育が正しいのかは、私にはまったく分からない事ですが、ただどんな事があろうと子を立派に育てたいと思う親の気持ちには間違いがないと思います。

ですが人間にしても、これから生まれる鳩の赤ちゃんにしても、中々親の愛情には気付かない内に、巣立ってしまうものです。(私はいまだに巣立てていませんが・・・(>_<))。 そして巣立った後に、社会に出て、親の有り難みを味わったりします。

自分がある程度大きくなったら今度は親孝行で倍返しだ!( ゚Д゚)。と思う気持ちが大事だと思います。私たち人間にしても、これから生れる鳩の赤ちゃんにしても、そういった思いを持って欲しいと思う今日この頃でした。

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知恩報恩

佛立開導日扇聖人がお示しくだされた御教歌(み教え歌)に
はし鷹の こぶしの下の ぬくめ鳥  恩をしらぬは 人にぞ有ける 

ハイタカ
御教歌の上の句の「はし鷹」とは「はい鷹」とも言い、鷹狩によく用いられる鷹のことです。

この鷹は冬の寒い夜、小鳥を捕らえて自分の足をあたためるそうで、翌朝になると小鳥を放し、飛び去った方向に、その日は餌を求めに行かないといいます。

これは鷹が寒さをしのげたのは、小鳥のお陰だと知って、その恩に報いる行いしていると昔から言われております。

この話をお聞きになられた開導聖人は、それに比べて我々人間というのは、万物の霊長と言われながらも、鳥よりも恩を忘れることが多いではないか、なんとも恥ずかしいことだとお諭しになられたのがこの御教歌なのでございます。

「恩知らず」「恩を仇で返す」などの言葉が使われるように、我々人間は、どこまでも自己が強く、周囲からの恩恵をいつまでも覚えていられないものです。そして、いただいたお陰を自分の力として誇ってしまうなど、恩を踏みにじる哀れな行いをしてしまう所があるものです。

御信心においても、大きな御利益をいただきながら、いつしか御法の御恩を忘れ、自分の力でここまでやってきたと錯覚をし、御奉公に愚痴や不平が出てくるものです。

しかし、恩という感謝の気持ちを忘れた所に真の幸せは訪れるものではありません。周囲からの恩恵を忘れて、自分の我を必要以上に押し通せば、結局は周りからの信頼を失うことになります。また、感謝の気持ちが薄らげば、今の生活に不足ばかりを感じて、少しのことで心が苛立ち、自らの生活をすさんだものに変えてしまいます。当然、そうした心では御利益を感得できるはずもありません。

そこで、仏様は我々凡夫が幸せになる道として、恩を知り恩に報いることの大事をお教えになられました。

その恩に大きく四つあります。
一つ目は、親の恩。親をはじめ先祖のお陰を受けています。
二つ目に衆生の恩。先生や先輩、後輩など多くの人々から力添えを受けています。
三つ目に国の恩。政治や経済の恩恵もさることながら、水や空気などの自然の恵みを受けています。
四つ目は仏法僧の三宝の恩。仏様のお慈悲という広大無辺のお守りを頂いております。

これら四つ恩を全身で感じることができれば、感謝の気持ちが心に湧き出でて、謙虚で明るく前向きな心で生活が送れ、幸せがめぐり廻ってくるものです。

そのためにも、お互いは、感謝の心を押しつぶす凡夫心に負けないよう、日々、御題目を唱え続けることが大切です。唱える中にあらゆる恩を感じることができ、そして、何よりも、妙法という大きな命の働きの中で、生かされているという大恩に気付かせていただけ、大恩報謝の御奉公に明るく前向きに取り組むことができるようになるのでございます。

本日と明日は、上行所伝の御題目の御教えを正しく継承された門祖日隆聖人に対する報恩の気持ちを表す門祖会が乗泉寺で奉修されます。御題目を唱え、仏様のご加護がいただけるのも門祖聖人のお陰だということを知って、報恩感謝の気持ちでお参詣、各部署での御奉公に励ませていただきましょう。

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伝統をうけついで

20年前ぐらいさかのぼること、乗泉寺では年に三回のお会式と、お正月にお供えするお鏡餅を、教務部で用意をしていました。

去年の暮れに、年末の人事移動が決まって、引っ越しも一段落し、新しい渋谷のメンバーで話しをしていた中で、若手の教務の中からお会式などのお鏡餅を昔のように自分達でやれないかとの声が上がりました。

乗泉寺の長老教務である秋山泉隆師にお伺いを立てたら、一言「できるよ」と仰います。そこでさっそく執事長や執事の方々にご相談をしたところ、若手中心で出来るならやってみればいいじゃないかと、ご許可を頂けたのです。

しかし、いざやってみようとすると、私たちにはどういう手順で準備をすればよいのか、また、餅米をどれくらい用意すればよいのかなど、何も分かりません。そこで立ち上がって下されたのが、泉隆師と執事長です。

泉隆師は頭の中におおよそのことが記憶に残っていて、また執事長は古いレシピを持っていたのでそれを持ってきてくださいました。そして、お二人の指示のもと、道具の確認、お米の発注など、具体的な作業が始まりました。

皆さんは講務館の地下二階にある釜場をご存知でしょうか?今は倉庫のように使用されていて、余ほどのことがないかぎり近寄ることもない場所ですが、昔はそこでお会式のご供養を何万食も調整したり、お鏡餅をついていたそうです。

道具を確認しているときにビックリしたのですが、この乗泉寺にはあらゆる必要な道具がそろっていて、しかもあの講務館でやりやすいように工夫された道具なのです。先人達の努力や工夫にただただ頭が下がる思いでした。

さぁ道具も材料もすべてそろい、餅つきが始まりました!何せ泉隆師以外の若手教務は何をすればよいのかさっぱり分かりません。右往左往していると、泉隆師の怒号が飛びます!「だから馬鹿なんだ」「何やってんだ」「違うだろ」…(>_<)

みんな汗をかきかき、ものすごく熱い大量の餅と格闘し、多少の手違いもありましたが、お鏡餅の型に納めることができ、何とか形になりました。しかし、型にはめてもこれで完成ではありません。しっかり餅を冷やして固めなければご宝前にお上げすることは出来ません。

二日待つこと、本日午前、みんなでドキドキしながら、おそるおそる型をはずしました。するとどうしでしょう!すんごくきれいに出来ているではありませんか!!!外注の業者さんに負けないぐらい、良くできているように思いました!(自画自賛ということで)

自分達が苦労してつきあげたお鏡がご宝前にお供えされた瞬間には、みんな本当に感動して、御奉公の楽しみや喜びをかみしめて自然と笑顔があふれてきました。

今回の御奉公を通じて感じたことは、お鏡を作るという目標に向かって教務部が一致団結し、古き良き伝統を継承していくことが、大変良かったと思います。乗泉寺にはまだまだ良い伝統がたくさんありますので、これからも先輩方から積極的に学んでいきたいと思います。

餅2餅1

 

 

 

餅3餅4

 

 

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あえて御宝前にお供えしたお鏡餅は写真に載せません(笑)私たちの汗と涙の結晶を、門祖会お参詣の際は是非是非みてください!

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食事の躾け

先日、御講席でお伺いした方のことですが、その方は息子さん夫婦と同居をしておられまして、また、息子さんには2人お子さん、席主から見ますとお孫さんがおられます。

さらに、ご自宅の近くには娘さん夫婦もお住まいとのことで、娘さん夫婦にも3人のお子さんがおられますので、席主の方は合計5人のお孫さんがおられることになります。

そして、ほぼ毎日、息子さん夫婦、娘さん夫婦また5人のお孫さんと夕ご飯を食べられているとのことでした。

食事「2世帯の家族、また5人のお孫さんのご飯の支度をするのは大変ではないですか」、とお伺いすると、「大変と感じたことはないです。毎日何を作ろうかと楽しんでいます」とのお返事をいただきました。

席主のエネルギーには、唯々感服するばかりでありますが、そればかりでなく、お孫さんへの食育に関しても参考になる話しが多々ありました。

 

その一つに、「料理を作ってくれた人のことを考えて、食事をいただく」ということでした。一番上のお孫さんは、おばあちゃんが作ってくれた食事に対して「こんな料理たべたくない。」とわがままを言うこともあるそうです。

そんな時、「作ってもらえることに感謝をしなさい。食べたくなければ、外で食べてきなさい。給食でも作ってくれる人のことを思って、ありがたくいただきなさい。」と厳しく叱るそうです。また、ご飯粒がお茶碗に残っている時も、「ご飯が可哀想ね」と叱るとのことでした。

このような厳しい躾けもありながら、お孫さんは元気に成長していっているそうです。

また、ご家族一同、それぞれ仕事や学業がありながらも、都合を付けてお寺参詣にも励まれておられます。門祖会も、家族総出でお参詣をしていただけるということです。

時には厳しく、そして家族みんなでご信心に励まれている方のお姿、私自身も見習っていきたいと思います。

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左 or 右

コーヒー少し前の御講席で上がった話題に、「コーヒーカップの置く向き」がありました。相手から見て、カップの取っ手が左右どちらに向くのが正しいのでしょうか、ということです。

最初は私も、取っ手が右に来る方がそのまま飲みやすいから、右に来るようにカップをお出しするのが正しいと思っていました。

しかし確かに向かって左に取っ手がある場合が多い気がして、どちらが正しいのか詳しく調べてみました

結論は左向きが正式ですが、右向きも間違ってはいないということです。左向きに置くのは、カップに砂糖やミルクを入れ、それを右手のスプーンでかき混ぜる為、そして混ぜた後に取っ手を右に回していただく、これをイギリス式というそうです。

逆に右向きに置くのはアメリカ式といい、アメリカ人はそのままブラックで飲むことが多いため、右向きに置きそのままいただけるようにするということです。

ですので通常のミルクや砂糖がある場合は左向きに、相手がブラックとわかっていて、砂糖もミルクも出していない場合はそのまま右向きに置くのが一番良いということですね。

カップの向きひとつでも、ここまでのマナーがあることに驚きました。今後とも教務として、こういったマナーにも対応できるよう、覚えていきたいと思います。

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お花見

お花見東京も先月の終わりに桜の開花宣言があって、今はどこの桜も満開状態です。

私の受持教区内には目黒川が流れていて、その目黒川沿いにはたくさんの桜が植えてあり東京の有名お花見スポットのひとつに数えられています。


二三日前、御奉公に向かう途中この目黒川を渡ろうとしたのですが、たくさんの花見客の人の流れに押し流され、危うくご信者さんとの待ち合わせ時間に遅れそうになってしまいました。つくづく日本人はお花見が好きなんだなぁ~と思った次第であります。

さて、そのお花見。一体いつごろから日本人はこのお花見をしていたのか皆さんはご存じですか?私も気になったので、私なりに簡単に調べてみました。するとその起源は奈良時代にまでさかのぼるそうです。

しかも、最初はその当時中国から伝来したばかりの梅の花を観賞していたんだそうです。最初は桜じゃなかったんですね!そして、平安時代になって桜を観賞することがお花見となって定着したみたいです。

ちなみにそれを裏付けるひとつが当時の和歌にも現れており、日本最古の和歌集「万葉集」には、桜を詠んだ歌が約40首、梅を詠んだ歌が約100首程度詠まれたのに対し、平安時代前期の和歌集「古今和歌集」では、梅を詠んだ歌よりも桜を詠んだ歌の方が多くなり、この頃から、「花といったら桜」というふうに「花」が桜の別称として使われ始めたみたいです。

そして武士の時代になり、それまで貴族の風習だったお花見も武士達の間でも行われるようになり、安土桃山時代には屋外に出てお花見をするようになったそうです。このころの有名なお花見が豊臣秀吉がした「醍醐の花見」で、京都・醍醐寺裏の山麓で家来など約1300人を召し出した盛大なお花見だったそうです。天下人のすることはスケールが違いますね。

このお花見の風習が広く庶民に浸透していったのは江戸時代で、江戸随一の桜の名所といえば上野の寛永寺の境内。今の上野公園です。

しかしお寺の境内で人々が花見で酒を飲み、浮かれ騒ぐことが許されなかった為、江戸中期にあの「暴れん坊将軍」で有名な八代将軍徳川吉宗が浅草、隅田川沿いの堤防や、王子の飛鳥山にたくさんの桜を植えて庶民の憩いの場として整備したそうです。さすが「暴れん坊将軍」話がわかります!そして、お花見は庶民の楽しみとして広く世間に広まり、現在まで伝わっています。

私もお寺に入る前に仕事をしていた時代には、よくお花見の場所取りをさせられました。前の日の夜から寒い中、段ボールにくるまり、一人酒を飲みながらみんなが来るのをひたすら待ち続ける。その時は「まったく冗談じゃねーよ!」と思っていましたが、今思えば懐かしい思い出です。(笑)

毎日忙しくて、ゆっくり花なんか見てる時間なんかないのに、満開になった桜をみると足が止まってしまい、少しの時間桜にみとれてしまうのは私だけではないのではないでしょうか。日本人にはどこかこの桜に惹かれてしまう何かがあるみたいです。

でも結局いろんな事をいっても私達は「花より団子」です。お花見シーズン真っ盛り。最近はコミュニケーション不足が指摘され、人間関係が希薄になったといわれています。日本の良き風習であるお花見で大いに盛り上がり、よい人間関係を築いて行きましょう!

でもお花見でのお酒の飲み過ぎにはくれぐれもご注意を!

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思いやる心

ベビーマーク最近、電車に於けるベビーカーの使用について話題になっています。国土交通省も「子どもの安全を守る」「子育てしやすい環境をつくる」といった目的でベビーカーマークを設定しました。しかし、交通機関におけるベビーカーの使用に関しては賛否両論あるようです。

子どもに関する問題は、飲食店などでも昔から様々な意見があるようで、親のマナーの悪さも指摘されております。

 

確かに、電車などで子どもが走り回っていても、注意しない親御さんもおります。「子どもだからしょうがない」ではなく、なるべく周りに迷惑が掛からないような心遣いが大切なのではないでしょうか。勿論、幼児が騒いでしまい、どうしようもない時もあります。

その度に電車を降り、泣きやんだら乗り、騒いだら降りるといった苦労をされている方もいます。また、気を遣いすぎて車でも1時間近くかかる道を、仕事場まで自転車で通う母親もいます。お互いが「思いやる心」を持てばこんな事にはならないのではないでしょうか。

私自身、子どもを連れ飲食店を訪れた際、少し騒いでしまい、七十代くらいの女性がいらしたのですが、謝ったことがあります。しかしその方はニコッと笑い、「順番よ」と一言。その一言に、なるほど確かに誰もが昔は子どもで迷惑を掛けてきたんだなと感じ、その思いやりに感動しました。

お互いが理解し合い、相手を思いやる心を持てば、ベビーカーマークも必要なかったのかも知れません。お互いを思いやり、誰もが安全に暮らせる世の中、子育てしやすい環境になればと思います。私も佛立菩薩として思いやりのある行動を心がけようと思います。
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冬は必ず春となる

佛立開導日扇聖人はその御生涯の間、三千四百余首の御教歌を遺されました。

我々教務はそれを元に御法門を作成し、毎日拝ませていただきます。したがって、開導聖人の御教歌は朝夕耳にするおなじみのものですが、これとは別に、お祖師様日蓮聖人も素晴らしい和歌をお認めになられています。

“おのづから よこしまに降 雨はあらじ 風こそ夜の 窓をうつらめ”

この御歌はお祖師様が佐渡御流罪の際、現在の新潟県寺泊にて詠まれたものと伝えられております。

「みずから折れ曲がって降る雨はない。窓を打つ雨は風の仕業であろう。これと同じように、私に迫害を加える人々は誤った教えに動かされているのだろう。だから少しも憎いとは思わない」

人に入信を勧める時。お折伏をさせていただく時。理解を得られず、辛い思いをする事はよくあります。しかし自分を笑う人、刃を向ける人にも、いやそうした人たちにこそ慈悲の心をもって、その罪障を消滅する道に入らしめること。それが真の菩薩の姿であると身をもってお示しくだされているのです。

「法華経を信ずる人は冬のごとし」

お祖師様はまた、法華経の行者の持つべき心構えをこのようにお教え下されました。そしてこれに続けて、次の様に御妙判下されています。

「冬は必ず春となる」春の空

風は暖かさを運び、ようやく長い冬が終わろうとしています。しかし世の人みなが憂いなく心の春を迎えられるには、まだまだ時間がかかります。教講共に教化折伏に邁進し、お教化の花が咲き匂うことを願ってやみません。

 
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変わらずに在る物

先日、外を歩いていましたら、公園を通りかかりました。そこで目にしたのが、木登りをしている子供達。ああ、今の子供達も木登りをして遊ぶんだなーなんて思ったのですが…

よく見たら、木の上で携帯ゲーム機で遊んでました(笑)君たちは、アウトドア派なのか、インドア派なのか、どっちだ!?(笑)

チャンバラごっこそしてまた別の日なのですが、今度は木の枝でチャンバラごっこをしている親子を見かけまして。

おー、時代劇は廃れても、やっぱりチャンバラは不滅だなーと思って見てましたら…お母さんと娘さんでした(笑)女性剣士ですよ!!

男女区別の趣味はないのですが、私の子供の頃にチャンバラといえば男子の遊びで、女子からはよく「男子、野蛮!」なんて言われてたものです。


時が流れれば、変わっていくものがあって当然ですが、変わらずに在る物があるのもまた真実です。
さて、私達のご信心においては、いかがでしょうか。

お寺のスタイルや、ご奉公の在り方など、御開講の時から様変わりしてる部分も沢山あります。しかし、一貫して変わらないこと。それは、上行所伝の御題目口唱の信心修行と、謗法を責めること。

本山の御宝前の左右には、「呵責謗法 当宗持戒 一向令唱 此経本意」という文字が刻まれています。謗法を責める事が、私達の持戒。 御題目をお唱えすることこそが、この御経の本意である。このポイントを外してしまっては、私達の信行ご奉公は成立いたしません。

ご信者さんの中には、「佛立宗は謗法だお看経だと、厳しく言い過ぎなんじゃないですか?もっとリベラルになったほうが、現代人に通用する信心になるんじゃないですか?」なんておっしゃる方もいらっしゃいます。

しかし、時代に迎合して変えていくべき部分と、何があっても絶対に変えてはならないことがあるということを、私達は知っておかなくてないけないのです。

自分の幸福を願い、人とも笑って過ごせる明日を願う。そのためにこそ、佛立宗のご信心はあります。そして、その御利益を頂戴する為の信心修行は、いつの時代もけして変わることはありません。

ゲームに夢中になって木から落ちない為にも、チャンバラで怪我をしないためにも、お互いは毎日御題目をお唱えして、お護りをいただけるようにいたしましょうね☆

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