友が大事

御教歌     白糸のそむればそまる人心なるゝは友よ友をえらめよ 

白糸がどのようにも染まるように、人の心もつき合う人の影響を受けます。「水は方円の器に随う、人は善悪の友による」せ言い、水が四角の器、円い器、どの容れ物にも自由自在に入りますように、人は善き友、悪き友によって性格が変わるのでして、まさに友は人間形成に大事な働きをします。 

論語に益者三友、損者三友という教えがあります。

○有益な人

①直を友とする。裏表のない正直な人。

②諒を友とする。誠実な人、真面目な性格の持ち主。

③多聞を友とする。見聞の豊かな人。たえず、新しい知識を求める人。 

○有害な人

①便辟(べんべき)=世なれたかたちで、こびへつらう人。

②善柔(ぜんじゅう)=あたりは柔らかくて誠実さに欠ける人。

③便佞(べんねい)=心なく口先だけ達者な人。口に蜜あり、腹に剣のある人。およそ人とのつきあいには縦と横とがあります。 

縦とは、親子、兄弟、親戚。これは必然的なつきあい、自分の自由意志に関係ありません。親子は個人の選択できないつきあい。物心がつき、気がついたら親子兄弟がいたという間柄です。 

横というのは、自由に選べるつきあい。気の合う人、合わない人、仕事上の人、その他、さまざまでして、それらの人たちにより、教えられ育ってまいります。「自分以外みな師なり」です。最近は生涯教育ということが叫ばれており、一生涯、教えられることばかりです。人生には賞味期限がありませんので、たえず、問題意識を楽しんでいろいろの知識を吸収してゆきましょう。 

愛別離苦、親しい人と別れる時の苦しみ、会うは別れの始めかな。どんなに好きな人でも必ず別離の悲しみがおとずれます。怨憎会苦、憎しみ合うもの同志、会っていかねばならない苦しみもあります。 

人間関係は難しいです。最初はよくても疎遠になることもあれば、始めは悪くても、つき合っていくうちに親密さが増して来る時もあります。深みと味のある人ですと、つきあえばつきあう程、喜びが増してきます。噛めば噛む程、味のある人、それは思いやりと温かみのある人です。「まさかの時こそ真の友」、「順境は友を与え、逆境は友を確かめる」とも言われ、苦しい時、救いの手をさしのべる人こそ真の友人です。 

当宗ではお助行という御奉公があります。病気や災難の時、お互いは御題目を唱え、御法におすがりして転重軽受のお計らいをいただくことが肝心です。信者同志のつきあいは佛縁によるもの。それだけに大切にしてください。信心という土俵の上でつきあうこと。そのなかでも、いわば信友、信心の強い人とのつき合いは大事にしてださい。めぐみとも申せます。 

功徳と罪障とをはっきり峻別し、功徳を積み重ねることを前向きにおしすすめる人、自信と勇気とをもって、口唱の尊さ、参詣と教化の喜びを説いてくださる人、つねに積極的に明るく、はげましてくれる人。そのような人とは積極的につきあっていきましょう。 

人の世の幸不幸は人と人との出会いから始まります。人生は出会い、ふれ合い、支え合いが肝心。よき人との出会いを求めていくと同時に人の世話を喜んでできる役中になってください。 

御指南    「信者は信心の事ばかりをいひもし、おもひもし、今日世上の迷のことを人がいふとも、随分相手にならぬ様にするこそ用心なれ。四五抄云、若値悪友、則矢本心(もし、悪友にあえば、すなわち、本心を失う)。」 

平成22年9月発行 乗泉寺通信より


聞法の徳

御教歌

聞度に いつも始の 心地して よろこんできけ 妙の御法を 

新しい年を迎え、心をあらたにして信心の改良につとめ、御利益のいただける御奉公に励みましょう。初心にかえって、お祖師さまの教えを素直に聞く善聴参詣に心がけ、即聞即行、随喜転教につとめて下さい。 

「一音意解(いっとんいげ)」と申しまして、同じ教えを聞いても受け方によりかなり相違が生じます。上手な聞き方をすると信心が増進するのです。「手を打てば、下女は答える、魚はよる、鳥は飛び立つ猿沢の池」。奈良の猿沢の池のほとりで手を打ちますと、女中さんはハイと答え、池の中の魚は餌をくれると思い寄って来て、鳥はいっせいに飛び立ちます。何事も受け方により千差万別です。 

お互いに御法門を聴聞したら信心の洗い直し、見直しに励み、素直な聴き方につとめること。笊耳(ざるみみ)ですと、笊は目が粗く水が漏れるように、聞いてもすぐに忘れます。剪耳(きりみみ)の場合、前に聞いたことがあるといって切り捨てます。袋耳(ふくろみみ)になりますと、一度聞いたら忘れません。盗み聞きというのは、人に知られないようにこっそり聞くことです。「壁に耳あり障子に目あり」でお互いに用心が大事です。 

その他、いろいろな聞き方があり、心配事があったり、心が他に奪われておりますと、相手の話がこちらの心の中に入ってきません。真剣に聞くというのは難しいのです。聞き上手につとめましょう。また「口耳四寸の学」といって、耳から聞いたことを自分がよく理解せずすぐに話してしまい、自分の頭には何も残らない、ということもありがちです。 

御指南

「我信を決せんには法を聞べし、他を化せんには法門を習ふべし。」(扇全2巻371頁)

「信心は身の柱、家の柱、当講に法門なくば家に柱なきが如し。」(扇全27巻259頁) 

御法門を拝聴したら仏の正しい教えを人に説くことが大事。分かったというのは、人に話ができることなので、自分の中にしまっていたのではいけません。話をしますと自分も内容がよく理解できます。御題目の尊さ、参詣の喜び、教化の功徳などを、人に自信と勇気とをもって説きましょう。特に新入信者には丁寧に信心の基本を話してください。 

御指南

「当流の信者、一句聴聞し感得したれば直に人に展転すべし、(乃至)肝要の御法門を聴聞して、常に人にさとして、如来の使ひを勤むべし。人に向って説くを人界の思い出とすべし。」(扇全15巻416頁)

 

平成24年1月発行 乗泉寺通信より


新年のあいさつ

元旦御導師あけましておめでとうございます。昨年は思いもかけない東日本大震災に遭遇し、全国の寺院より望外の御支援と御協力をいただき、感謝の至りに存じます。

災害寺院はこれからが正念場、復興に向かって一歩一歩前進しつづけてゆくので、それには長い時間とたゆまざる協力を必要とします。経力を頂いて再出発せねばなりません。

「渦福は糾(あざな)える縄(なわ)の如し」といい、渦が先、福が後、災いを轉じて幸せをもたらしていくことです。さて、宗門では門祖日隆聖人550回御遠諱に向かっての御奉公、お互い教講一体、協力の徳を発揮、法を弘めるという弘通の道にはげむこと。当宗の生命は弘通にあります。

いつの時代も弘通には困難が伴うので、舗道の上を車が順調に走りつづけるわけにはゆかないです。それには、お寺全体が弘通のできる雰囲気を作り出す。いわば空気づくりが大事。信者一人一人、全信者全弘通者という意気込みをもって、足をはこんで信者の喜びを語りかけるという信者を増やしましょう。

常題目、教化成就の為の口唱会、御利益談、体験談の発表、役中の御奉公の仕方、激励助行の促進など、さまざまな努力が必要です。手を拱いて傍観していたのでは衰微の一途をたどるばかりです。

少子高齢化の波がすごい勢いでおしよせております。幹部役中の老齢化、後継者の著しい減少、それに対し危機意識をもって対応してゆくこと、安閑としてはいけません。たえず後続者養成に取り組んで下さい。寺院は教講一体、お互いに信頼と尊敬の基盤の上に成り立っておりますので、それが崩れると、お寺の存続があやぶまれます。

お寺の宝は信者、信者一人一人に信心と灯を燃やしつづけることに専念。お寺参詣して良かった、楽しかったという喜びや感動、更に生きる勇気や希望を与える。これが大事な御奉公でして、信心は生きものですから一寸の油断もできません。つねにはげまし合いましょう。

御教歌     講中を たがひにすゝめ はげまして    御恩報じの 奉公をせよ


信心の浅深

御教歌「かはるなり おなじみのりを いのれども 願ふこゝろの ふかさあさゝに」 

佛の教えは一切衆生の救済にあり、ひとことで言えば慈悲ー抜苦与楽ー苦しみをのぞき楽しみを与えることです。だれかれの区別なく、みな平等に教えを説きますが、ただし教えをいただく衆生がみな異なります。「一音異解(いっとんいげ)」と申して、「佛一音(いっとん)を以って法を演説したまうに、衆生類に随って各々解を得る」(維摩経)と説かれており、受け手の機根(受容能力)に大きな異なりが生じます。

信心修行浅深抄には、初門、二重、三重と三つに分けて信心の段階を仰せ下されております。 

初門

①「謗法をかたくつつしみ」②「朝夕勤行をこたらず」

この二つは基本中の基本。謗法を払って御本尊を奉安、お看経をいただく。これをしっかり身につけましょう。信心教育には時間がかかります。教育とは教えることと育てること。教えるだけでは半分です。育てる、これが苦労する所です。実行せねばなりません。口唱の一行によって佛の恵みをいただくことができます。信心には、すなおが第一、理屈はいらないです。 

第二重

①「異体同心のこころで信者の上を、実・不実によらず、かげにても一言もそしらず」

②「ひそかに一心にすすめて、たもたしめ、御経の此国にひろまる事をよろこぶ」

教区や部に所属しておりますので、そこに協力すること。一人信心は不可。教区長や部長は教区内部内の信者をまとめるのに、人目につかない所で骨をおって苦労しております。教区や部、それ自体に特色があり歴史がありますので、わがままを言わずに従うこと。蔭口や悪口は言わないことです。

次に大事なことは、人目につかずに、ひっそり、こっそりでも、信心の喜び、信心の尊さを人にすすめる。しかも、自信と勇気とをもって喜んで周囲の人々に説き聞かせる。教化の楽しさと喜びとを感得して下さい。 

第三重

①「信心強く、いさぎよく」

②「信心の為に家業をつとめる」

御法第一とした生活です。この度の一生は御法の為という字のつく生涯。生活に明るさと希望とをもって毎日を輝いて生きる。この生き方が第三重の信行です。 

人生は出合い、ふれ合い、支え合いの連続。特にお互いは助け合い、励まし合って御奉公にはげみましょう。お互い御同前は、初門、第二重、第三重の信心をたえずゆれ動いております。信心は生きもの、一寸の油断もできません。喜びに満ちあふれて御奉公したかと思うと、失意のどん底に沈むこともあります。火の信心でなく、水の信心が大事です。水は泉から湧き出、小川となり、最後は大海に流れます。修行抄の第六段、お祖師さまの弟子檀那となって、あらうれしやうれしやと随喜に満ちあふれて寂光の宝刹(ほうせつ)にお詣りさせていただく。かけがいのない尊い命、一度過ぎ去ったら逆戻りはできません。一日一日を大事に生きぬくこと。それにつけても口唱行とお寺参詣は欠かしてはいけません。 

御指南

「故に御法の為に身を労し、心を尽すを第一の楽しみとすべし。信者之を思へ」 

平成18年発行 「慈聞抄」より