11月1日お総講の御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただき、内容についてメモを取りましたので、紹介させていただきます。尚、内容につきましては、私自身の主観も入っておりますので、ご了承下さい。

御教歌:わすれぬを たもつといへば 法花経の かたきを責よ おのが心の

人は年を取れば忘れる事が多くなります。どこに物を置いたのか忘れてしまい、辺りを探し回ります。しかし、必ずしも忘れるという事はマイナス面ばかりではありません。嫌な思い出は時間が経てば忘れる事が出来ます。嫌な思い出を一生引きずっていたら大変です。

佛立宗では、ご信者同士のお金の貸し借りを禁じています。何故なら、お金の貸し借りはご信心に傷を付ける事になるからです。お金を貸した方は覚えていますが、借りた方は忘れる事があるからです。結果的に大きな問題が起こってしまいます。

しかし、ご信心は忘れずに持たなければいけません。「持つ(たもつ)」というのは握って離さない事です。つまり、懈怠なく日々ご信心に気張らせて頂くという事です。

(所感)
色々仕事やご奉公がありますと、どうしても忘れてしまう事もあります。そして、自分自身を責める訳ですが、どうしても私達は物事のマイナス面だけを見る傾向にある様です。

この原因を考えますと、やはり日頃 愚痴・悪口が多いからではないでしょうか?上司や友達の悪口を言い過ぎていないでしょうか?確かに愚痴・悪口をなくす事は出来ないでしょう。しかし、少しでも減らす努力をする事は出来ます。そうする事により今回の御法門の様に物事のプラス面を見出す習慣がつくはずです。(S.M.)


10月25日御総講の御法門

乗泉寺川口日智上人の御法門を拝聴させていただき、内容についてメモを取りましたので、紹介させていただきます。尚、内容につきましては、私自身の主観も入っておりますので、ご了承下さい。

御教歌:うれしさは 人と生まれし かひありて みのりのために けふもくらしつ

年齢には下記の3種類があります。

①生活年齢:私達が毎年重ねていく年齢の事です。

②生理年齢:体の年齢の事です。若くても内臓の弱い人もいれば、ご年配でも内臓の丈夫 な人もいます。

③精神年齢:人は大人になれば人の気持ちが分かる様になります。しかし中には勉強は出 来ても、人の気持ちを無視した生き方をする人は少なくありません。そうい った人は、頭は良くても精神的には未熟と言わざる得ません。

当宗のご信心で大切なのは、功徳・罪障の積み方を心得るという事です。そして私達信者は、水の流れの様に途絶える事なくご信心をさせて頂く事が肝心です。

(所感)
確かに現代は変化が著しく、人に対する思いやりの心がなくなっている事は間違いないでしょう。人に思いやりの心がなければ決して良い社会を築き上げる事は出来ません。

今後、科学技術がどれだけ進歩しても、この心の問題までは解決する事は出来ないでしょう。

だからこそ、法華経のご弘通が必要なのだと思います。何故なら、この心の問題を解決出来るのは法華経以外にはないからです。現代の私達に必要なのは科学技術の進歩と法華経の相乗効果なのだと思います。

(S.M)

 


10月13日御総講の御法門

10月13日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

御教歌:思ふ事 口にいはせる 心こそ うべことの葉の たねにしありけれ

喜びの心についてお示しでございます。喜びの心があれば素直な気持ちが口から出てきます。しかし反対に喜びがなければ私達凡夫は愚痴が出てきてまいります。

御奉公で嫌なことがあって、他の人の愚痴ばかり出てしまうと、罪障を積んでしまうことになります。考え方一つで自分の信心の強弱がハッキリと出てきます。心の持ち方、考え方で信心を鍛えることが大切であるとお示しの御法門でした。

喜び、悲しみ、怒りや、妬み、色んな感情で信心が左右される事を忘れてはいけないと思いました。私は、感情のコントロールや言葉の使い方は全くできていない部分もありますが、喜びの心に近づけるようこれからも信行ご奉公に励ませていただきたいと思いました。(k.t)


9月17日御総講の御法門

9月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

 御教歌:よろこびて 持たばたもて 法華経を うたがふならば たもつかひなし

 当宗のご信心には下記の3つの信心前があります。

 ① 初心:朝夕のお看経を欠かさない。

 ② 中心:異体同心を守る。協調性がある。

 ③ 後心:ご信心第一の生活を送る。

 御教歌の「たもつ」は「握って離さない」ということです。私達のご信心は常に揺れ動いているものですから、握って離さないことが肝心です。ご信心を握って離さないことが、ご利益の頂き方です。その為にも、ご信者はおしゃべり、お食事をしながら、互いに懈怠しない様に励まし合うことが大切です。

 ご信心をさせて頂いていると、御奉公を大変に思うことがあるもので、特に一人信心の場合ですと、懈怠におちいりやすいものです。もちろん、一人信心であってもお看経をさせていただくことはでいますが、それだと御法門を聴聞して教えの筋を学ぶことはできませんし、ご信者同士の会話で思わず笑ってしまうといったことがありません。

 やはりご信心を続けさせて頂く為には、そういった喜びも必要だと思います。お寺参詣の帰り道や、御講終了後に世間話をして楽しい時間を過ごすのも信心増進の秘訣なのではないでしょうか? (S.M.)

 


9月1日御総講の御法門

9月1日の御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

御教歌 ひとつより なきいのち也 今度は みのりの為にもとひたらなん

命を大切にしなさいとお示しの御教歌です

人間は誰でも、三種類の年齢があります

生活年齢    人は毎日、年齢を重ねます。男性の平均寿命は80才、女性は85才だと言われております。

生理年齢   人の健康は、人それぞれです。年を取っても若々しい方も居れば、歳が若いのに身体が衰えてくる方もいます

精神年齢   人は歳を重ねるごとに、心を育てることができます。子供のころは自己中心的ですが、大人になると、他人の気持ちが分かってきて、気を使うようになります。

私達佛立信者は、この三つの年齢を常に大切に考えることが大切です。70才、80才、90才になっても、御法様の為に元気で御題目口唱、信行御奉公させていただけるように、自分の命は大切にしなさいとお示しの御教歌どございます。

私自身、まだ若いからといって安心してられないと思いました。これからも自分の身体を大切にし、日々精進させていただきたいと思います

 


8月17日御総講の御法門

8月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

 御教歌:信心のまなこひらけば この娑婆が 即寂光と 見えわたるかな

 世間一般の楽しみというのは貪欲によるものですから、結局それだけでは満足できず、更にその上を求めるあまり、返って苦しむことになってしまいます。楽しそうに見えるものが実は苦しみの種なのです。

 しかし、信心の眼が開きますと、今まで見えなかったものが見えるようになります。娑婆(世間の上での楽しみ)が寂光(ご信心での喜び)である事も分かってくるのです。

 ご信心の楽しみが感得できれば、その分だけ自分が功徳を積むことができ、実りある人生を送らせて頂くことができるのです。ですから、世間一般の楽しみとご信心の楽しみとでは性質が全く異なる訳です。

 喜びは嫌な事から湧いてくるものです。人生は順調に行き過ぎるとつまずいた時に立ち上がる事が出来ないものです。 困っている時、失敗した時というのは、その問題を解決しようと色々悩み、考えますから、そこから成長する事ができるのです。

 無病短命、一病息災、二病息災と言うように、健康な人ほど油断して無理をしがちですから、短命で終わる人も少なくありません。逆に、幾つか病気を抱えている人は、病院などにこまめに通って自分の体を気遣いますから、長生きをする傾向にあるのです。

 御導師の御法門を聴聞させて頂きまして、私自身の経験を思い返してみますと、やはり挫折しそうになった時の気持ちの持ち方が大切だと思います。

 例えば難しい試験でも、何度不合格になろうとも、努力して合格できた時には、自分が気づかないうちに、実力が大幅に向上していたということもよくあることです。 本当の実力は失敗や挫折といった経験からしか得ることができないのかもしれません。

 失敗にいつまでもくよくよせず、何ごとも前向きに取り組んでいきたいと感じました。(S.M.)


7月17日御総講の御法門

7月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

御教歌「歌にして教へておけばいつまでも 御法門をばわすれざりけり」
御題「これは歌の徳を歌にしたる也」

歌の徳を歌にしたるとは、歌の良い所、持ち味を歌にするという意味です。

御教歌は、約3千余首あると言われていますが、開導聖人は意識的に3千余りの御教歌をお詠みになられた訳ではありません。

御教歌の他に御教句というものがあり、御教歌は、五・七・五・七・七の文字数で成り立つのに対して、御教句は、五・七・五で成り立ちます。御教句は、約二百句あると言われており、開導聖人の御教歌、御教句、それから御指南などは、後世の方々が信心を増進させたり、ご弘通の方法を示す為に残されたものでございます。

開導聖人は、御教歌をお講席の前に予め作っておられたり、その御講席の、場の雰囲気に合わせて、御教歌をお作りになられたのでございます。

御教歌の中には、矛盾しているように思えるお歌もあります。極端な言い方ですと、「ご供養をいっぱい出しなさい」という御教歌と「ご供養は程ほどにしてお講を奉修しなさい」といった御教歌もございます。開導聖人は、その人それぞれの信心前に合わせて、御教歌をお詠みになられたのです。

後世の信者の為に御教歌をお残し下されたのですから、私たち信者は、この三千余首ある御教歌を一首でも多く覚えるために御法門聴聞を心がけることが大切とお示し下された御法門でした。


6月28日の御法門

平成26年6月28日(土)
晨朝勤行でU.S師の御法門を聴聞させていただきました。  

御教歌 : 福の神 来て下されと たのもより  貧乏がみの いぬ工夫せよ

私たちはつい御利益のみを欲しいと望んでしまいがち。その前に、どうすれば御利益を頂戴できる身となれるのか、その心構えの大切をお示しの御教歌。

労せずに御利益をいただきたい、その考え自体が已に欲にまみれた考え。大切なことは、御利益感得のみを目指すのではなく、その障りとなる罪障を消滅させていただこうとすることが信心修行の第一。

日常の信行ご奉公においては、「これだけをしていればいい」というかたよった信行におちいらないようにすることが大切。やりたいことだけやっているだけではダメ。

入信後、なにもせずに御利益をいただけるという教えは無い。毎日の信行ご奉公に励み、しっかりと功徳を積ませていただいた結果、信心前が誤っていない証拠として現証の御利益が顕れる。

逆に、罪障ばかりが積もってしまうと、お戒めとして御罰が顕れる。罪障とは、法を謗り、法に逆らった罪。身に覚えがあっても無くても、罪障は必ず積んでしまっている。罪障がある限り、御利益感得からは遠ざかってしまう。

日頃お唱えさせていただく無始已来の御文は、過去世から積み重ねてきた罪障を消滅させていただく為に、いつか仏の身となれる日まで御題目様をけして離さず、懺悔改良し常精進努力いたしますというお誓いの言葉。

お金が欲しくても、稼いでも、借金があれば貯金ができないのであり、借金は積みやすく、貯金はしづらい。功徳と罪障の関係と同じ。

福の神(御利益)が欲しいと思ったら、まず貧乏神(罪障)に立ち去ってもらえるような日常信行を心がけることが大切。

御指南「罪障も借財も同じ。消滅せざれば助かる期なし」

感想:日常信行の大切さ、その積み重ねこそが罪障消滅につながり、自分の過去世の足りない功徳を積ませていただける。 (O.N)


6月17日御総講の御法門

6月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

「ひとつより なきいのち也 今度は みのりの為に もちひたらなん」

人の一生とは大切なものです。ことわざに「虎は死して皮を残す 人は死して名を残す」とございまして、さらにお互いご信者においては、「信者は死して功徳を残す」と昔から言われております。

私達の信心修行は一生かけて努めるものです。その一生のうちに、どうやって功徳を積みあげていくか、それはやはり毎日の御題目口唱、素直な信心をさせて頂くことです。

そうして時がたつと能力がついてきます。頭が良くなり、ご奉公がよくできるようになるものです。

私たちの心は目には見えない器があります。大きさは人それぞれで、Lサイズの人もいれば、Sサイズの人もいます、ましてや高学歴や低学歴という格差も時にはあるかもしれません。

しかし、佛立信心で一番大切なのは、信の一字でご奉公させて頂くことが肝心で、どんなに頭が良くてご奉公ができても、最終的には御題目口唱、そして素直正直なご信心が何よりも大切なのです。

素直な心とは言葉にも表れます、ごめんなさい、という言葉を正直に言うことができれば喧嘩も起こりません。そんな素直な信心ができていても、一生のうちにゴールや卒業はありません。

最期の臨終を迎えるその時まで、信心第一で御題目をお唱えさせて頂ければ、必ず寂光参拝させて頂く事ができるとお示し下された御法門でございました。

この御法門を聴聞させて頂き、確かに私も頭はよくありませんし、学歴もありません。しかしそんな私でも、臨終の最期まで信心修行をさせて頂けるよう、御法様のお使いとならせて頂けるよう、尚一層精進をさせて頂きたいと思います。(k,t


5月1日御総講の御法門

5月1日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

「何となく うかと心に きくものの しらず仏の 種をうえけり」

御題 御講聴聞

内容(抜粋)
「御講席とは弘通の道場です。御講とは、個人の家で行うのが原則。そのお宅で沢山御題目が上がりますから、お席を受けた家の功徳となります。また、御講席では御法門が説かれますので、お互いに信心を鍛え磨きあげるためにも御法門聴聞は大事な事です。

また、ご信者同士の雑談も大切なことです。雑談も、御利益談とか信行体験談ばかりであれば結構ですが、なかなかそうはいかないこともあります。世間話しばかりになってしまうこともありますが、そういった話しにも耳を傾けることが大事。いろいろな話しを聞く中で、信心増進に繋がることもあるものです。

人の言葉に耳を傾ける。人の悲しみに耳をそばたてる。人の苦しみに耳を貸し、人の嫌がる話しを聞き、耳の痛い話しを聞いても怒らないこと。」

私もよく、人の話を最後まで聞かず御法門も上の空になっしまう時があります。しかし、今日の御法門でとにかくどのような話しでも人の話を最後まできちんと聞き、もっと耳を鍛えて行こうと、また一つ勉強させていただきました。(K.T)