秋季彼岸会のご案内

9月23日は世田谷別院、八王子別院にで各々午前11時より秋季彼岸会が開催されます。お彼岸の時期は普段お参詣をされないご家族ご信者をお寺にお連れする絶好の機会です。

また、他宗の方も御回向を意識する時期ですから、佛立宗のご信心の大切さをお話させて頂き、将引の徹底に努めましょう。

当宗では、常盆・常彼岸といって常日頃から、ご先祖のお陰を常に感じ、信心修行に励み、御塔婆を建立しご回向をしており、そういう意味で本来の彼岸への修行を純粋に守っているのですが、このお彼岸の時期には、重ねて懇ろにご回向をしております。

 私達佛立信徒は、お彼岸の時には、この命があるのもご先祖のお陰という心を強めて、より信行に励み、数多くの御塔婆をご先祖が眠るお墓や納骨堂に建立させていただくことが大切です。そして、功徳という幸せを御題目の声に乗せてご先祖にお届けさせていただきましょう。

 ちなみに、彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われるそうです。


甘えん坊

年寄りっ子は三文甘いといわれる。目に入れても痛くない孫にたいして、きびしい躾けなど要求する方が無理な話である。

 親は子供にきびしい要求をしたい。どんな困難にも、へこたれぬたくましい生活力を身に付けてやりたい。当然、親と祖父母と、微妙な差異があるのはやむえない。

 子供は、その微妙なちがいを察知して、自然甘やかされる方へ傾斜していく。これも人情というものだろう。所詮、一人立ちしたとき、甘やかされたものと、きたえられたものとの差は歴然とあらわれる。

 横綱の胸をかりて、きたえられたものと、仲間同士の稽古とでは差があろう。お互い同志には、妥協の甘さがあって、きびしさがないからだ。しかし横綱の胸をかりても、必ずしも、いいとは限らない。

 胸をかりるという言葉にもある通り、所詮は、自分自身の工夫と研究に帰するのである。いくら横綱に教えられても、おんぶにだっこというように、一から十まで甘えていたのでは強くなれない。横綱は、相手の中から出てくるものを引き出す、産婆役にすぎないのである。

 語学の勉強も例外ではない。どんな名誉教授についても、受身で教えられている間はものにならない。積極的に、自身で意欲を起こさない限り、お嬢さん芸の域を脱しきれない。

 「心、仏、及衆生、是三無別」といわれているが、いわば、仏の胸をかりて、仏になろうというのが修行である。修行である限り、甘いものではない。

 末代の衆生を救済する仏の慈悲の広大さに、甘えすぎている傾向がありはしないか。法華経の修行は、少しはきびしいことを知ってほしい。日本人全体が、稍々、甘えん坊になりすぎている。世界のきびしい視線を知らねばならぬ。

 (乗泉寺通信48年9月号掲載)

 


お泊まり勉強会・青年会会員の感想

流しそうめんの様子
「E.S君の感想」
8月16日、17日の両日にわたって青年会とくんげ会のお泊まり交流会が渋谷・乗泉寺で行われました。寺内を舞台に勉強会や法鼓練習、寺内見学が行われ、お寺のお風呂に入り、夕食には流しそうめんをみんなで楽しく食べていました。

 

食後には花火で盛り上がり、ゲーム大会をして1日目を終えました。2日目は開門参詣に始まり、寺内のお掃除体験をして交流会は終了。

子供たちは騒ぎながらも青年会や保護者らの見守る中、楽しく過ごしていました。くんげ会と青年会の交流の機会を作った今回、とても意義があったと個人的には感じております。この体験が今後のご奉公に生かせれば幸いです。

「R.Nさんの感想」
今回初めてくんげ会との合同お泊まり会で、少し緊張はしましたが充実した楽しい二日間を過ごすことができました。お会式で会ったことのある子とは今まで以上の交流ができ、初対面の子とも仲良くなれて、参加できてよかったと感じます。

実行委員という役割をいただいていたのですが、それらしいご奉公ができなかったことが反省点です。今回のことが、お会式や、これからお泊まり行事など、次の行事に繋げられたらと思います。

「I.M君の感想」
子どもの余りあるパワーに驚き、親御さんに尊敬した2日間でした。
最初から最後まで内容が盛りだくさんで、休みなくあっという間に終わった感じですが、暇が大嫌いな子どもたちにはそれくらいのほうがちょうどよかったようです。夏休みの思い出のひとつとして心に残ってくれればうれしいです。

私個人としても、お寺に泊まるという経験はできないことで、講務館地下にある存在も知らなかったお風呂に入ったり、普段入ることのできない教務館の中を案内していただいたりと、新鮮で貴重な体験をさせていただきました。参加できなかった青年会の皆さん、次は是非参加しましょう!


婦人会大会のご案内

来る、9月15日(月・祝)渋谷乗泉寺において婦人会大会を開催いたします。
本年は、落語家の林家染二師匠をお招きして「お寺で落語」をテーマに明るく楽しいお話を聞かせていただきます。

新しい婦人会会員や下種先の方、お子さんやお孫さん等をお誘いして御参詣させていただきましょう。詳細は下記ポスターをご覧下さい。

婦人会大会ポスター

 


9月1日御総講の御法門

9月1日の御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

御教歌 ひとつより なきいのち也 今度は みのりの為にもとひたらなん

命を大切にしなさいとお示しの御教歌です

人間は誰でも、三種類の年齢があります

生活年齢    人は毎日、年齢を重ねます。男性の平均寿命は80才、女性は85才だと言われております。

生理年齢   人の健康は、人それぞれです。年を取っても若々しい方も居れば、歳が若いのに身体が衰えてくる方もいます

精神年齢   人は歳を重ねるごとに、心を育てることができます。子供のころは自己中心的ですが、大人になると、他人の気持ちが分かってきて、気を使うようになります。

私達佛立信者は、この三つの年齢を常に大切に考えることが大切です。70才、80才、90才になっても、御法様の為に元気で御題目口唱、信行御奉公させていただけるように、自分の命は大切にしなさいとお示しの御教歌どございます。

私自身、まだ若いからといって安心してられないと思いました。これからも自分の身体を大切にし、日々精進させていただきたいと思います

 


9月に入りました

8月後半より涼しい日が増えて参りましたが、暑さ寒さも彼岸までと申しますように、まだまだ暑い日が続く模様です。日毎に朝晩の寒暖の差が激しくなって参りますので、体調に十分ご留意され、毎日の生活そして信心修行に励みましょう!

今月の12日は、お祖師様が龍ノ口において、光物の現証を顕し御法の真実とお守りを証明され、多くの人々をお教化された記念の日です。私達も現証御利益を感得し、その喜びで人々を感化できるように、まずは龍ノ口記念口唱会(12日9:30から)に参加いたしましょう。

また、9月は秋のお彼岸月です。先祖のご回向の大事をお互い信者だけでなく、世間一般の方にもお伝えさせて頂きましょう。当宗では、お彼岸も大事でありますが、常盆常彼岸と申しまして、毎日の御題目口唱によるご回向の大事を教えられております。

日頃からの信心修行によるご回向の大事、そこで頂く功徳の有り難さを感得させて頂きましょう。


日晨上人について

日晨上人日晨上人は、明治三十二年(1899)十月二十六日、東京府麻布区竜土町(りゅうどちょう)でご誕生、佛立第四世講有日教上人より「清長」(せいちょう)と命名されました。

東京府立一中在学中、十六歳で乗泉寺において日歓上人のご剃髪(ていはつ)をいただきました。大正十年より受持ご奉公を拝命し、同十二年には早くもその資質を認められて副導師に任命され、恩師・日歓(にちかん)上人のご息女「愛子様」と結婚され、同年十一月十二日弱冠二十五歳にして、乗泉寺第十九世の法灯を継承遊ばされました。

昭和二年五月、住職として麻布乗泉寺の開筵式、同四年十月には世田谷別院の開堂式を挙行する等、乗泉寺の寺観を整える一方、教勢の拡大、弟子の教育に類を見ない程の充実ぶりを示し、都内全域は言うに及ばず、そのご弘通は東海道から信越・東北と及び、遠く北海道にまで教線は浸透していきました。

その間、昭和九年には佛立講の教務長に就任され、昭和十一年四月、恩師・日歓上人の佛立第八世講有位進達式をご奉公されて、昭和十三年七月に本門佛立講副講有に就任されたのです。そして同十一月には昇進して「信照院日晨」と号されました。

やがて太平洋戦争も熾烈を極めた昭和十九年五月三十日、恩師・日歓上人のご遷化にあわれ、翌二十年五月二十五日には、乗泉寺本堂の戦災という悲運にも見舞われました。しかし逆境を克服され、二十一年に早くも復興、開筵式を挙行されました。

一方、宗門の一宗独立にも尽力され、ついに昭和二十二年三月、本門彿立宗は法華宗より分離独立を果たしたのでした。一宗独立後、日晨上人は初の宗務総長に就任され、権大僧正に昇晋されました。

昭和二十五年五月、日晨上人は英断をもって旧地麻布から渋谷鴬谷に乗泉寺を移され、仮本堂の開筵式を挙行されました。昭和三十年にはご内室愛子様の急逝という悲しみにあわれましたが、この時、日晨上人は宗門の中枢にあって、宗制改正の大事業を完了されたのでした。

やがて昭和三十年の開講百年のご奉公を経て、昭和三十二年に「山内麗子 (やまのうちよしこ) 様」 と再婚されました。宗門はますます上人の行政手腕に期待を託し、昭和三十三年本宗参議、昭和三十五年に再び宗務総長に就任され、更に三十七年には日颯上人ご遷化により、講育代務者を拝命されました。

そして同年十月には、本宗第十五世講有位を継承遊ばされたのであります。講有ご在位中における業績は、ブラジル弘通を初め、枚挙 (まいきょ) にいとまがありません。又、和光学園育ての親としても、「泉の光」 の著名人との対話を通じても、対社会的貢献度は計り知れないものがありました。

昭和四十一年に講尊となられてからも、「佛立信心像」 「ある角度から」それに「宗風の考え方」等、多<の著述(ちょじゅつ)を残され、弟子信徒の薫育にも意をそそがれて、佛立第十七世講有石同日養上人、佛立第廿二世講有井上日慶(にちけい)上人をはじめ、幾多の人材を育てられました。

昭和五十年乗泉寺住職ご退任後も、高祖七百回御遠諱・新宗制の制定等、為すことをすべて果たされて、昭和五十九年八月三十一日、弟子信徒の晨朝勤行の中、ご遷化遊ばされたのであります。

日晨上人のご門下に加えていただけた私共一同の果報、これに過ぎるものはございません。明日は、世田谷別院に於いて日晨上人祥月御命日総講が奉修されます。日晨上人のお残し下されたお徳をお偲びして教講一同さらなるご弘通ご奉公に励ませていただきましょう。


お泊まり交流会の様子

去る8月16日、17日乗泉寺に於いて、一泊二日でくんげ会・青年会・あゆみ会による「お泊まり交流会」を開催いたしました。

当日は御看経を頂いた後、リトミック教室や青年会のお兄さんお姉さん達に夏休みの宿題を見てもらったり、法鼓体験、寺内見学、みんなでお風呂、流しそうめん、花火、青年会の交流会、行道、寺内お掃除体験等々盛りだくさんの企画でした。その様子を写真でご案内いたします。

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8月17日御総講の御法門

8月17日御総講にて、川口御導師の御法門を聴聞させていただきました。

 御教歌:信心のまなこひらけば この娑婆が 即寂光と 見えわたるかな

 世間一般の楽しみというのは貪欲によるものですから、結局それだけでは満足できず、更にその上を求めるあまり、返って苦しむことになってしまいます。楽しそうに見えるものが実は苦しみの種なのです。

 しかし、信心の眼が開きますと、今まで見えなかったものが見えるようになります。娑婆(世間の上での楽しみ)が寂光(ご信心での喜び)である事も分かってくるのです。

 ご信心の楽しみが感得できれば、その分だけ自分が功徳を積むことができ、実りある人生を送らせて頂くことができるのです。ですから、世間一般の楽しみとご信心の楽しみとでは性質が全く異なる訳です。

 喜びは嫌な事から湧いてくるものです。人生は順調に行き過ぎるとつまずいた時に立ち上がる事が出来ないものです。 困っている時、失敗した時というのは、その問題を解決しようと色々悩み、考えますから、そこから成長する事ができるのです。

 無病短命、一病息災、二病息災と言うように、健康な人ほど油断して無理をしがちですから、短命で終わる人も少なくありません。逆に、幾つか病気を抱えている人は、病院などにこまめに通って自分の体を気遣いますから、長生きをする傾向にあるのです。

 御導師の御法門を聴聞させて頂きまして、私自身の経験を思い返してみますと、やはり挫折しそうになった時の気持ちの持ち方が大切だと思います。

 例えば難しい試験でも、何度不合格になろうとも、努力して合格できた時には、自分が気づかないうちに、実力が大幅に向上していたということもよくあることです。 本当の実力は失敗や挫折といった経験からしか得ることができないのかもしれません。

 失敗にいつまでもくよくよせず、何ごとも前向きに取り組んでいきたいと感じました。(S.M.)