物事を始める最初の段階で目標・方針・計画をハッキリさせて実行に移れば、手順よく万事が運びます。それを「一年の計は元旦にあり」と昔から申します。そして、その次には、目標・計画などの実施の段階、三番目は、実施したことのケリをつける段階があり、そこでは結果を吟味し反省する点に主眼を置きます。
この三段階が一巡すると次の計画・実施・結果の三段階の繰り返しが、また続き、そういう繰り返しで物事は動いています。毎日毎日の繰り返し、月々の、年々の繰り返しもあり仕事によっては長期間のも短期間のもあります。
一生を三段階で幕をとじる人もあり、過去世・現世・未来世の三世にわたる繰り返しも私どもは教えられています。そして、その巡り方が回を重ねるにつれ、上向き、下向き、横ばいの三種の違いが出てきます。私どもの信心ぶりも昨年の十二月、その前の年の十二月と比較すると、違いがわかるはずです。
教化子ができたり、役務が変わったりもしていますが、だれしも自分は良い方へ向かっているとのうぬぼれがあるもの、しかし「始めは事なきようなれども遂に亡びぎるはなし」との御指南のように、懈怠の芽が出だしていて、恐ろしい結果を招く種まきをしていることに気づかぬ人もあるでしょう。宗門とか寺院でも、第一段階の目標・方針・計画をハッキリ明示しておかないと、教講の自主的な動き出しは期待できません。協力者があり、共通のご祈願をよく理解した人々がたくさんいても、よほど気を入れてやらぬと実施の段階で失敗します。
また、やってるうちにソッポを向いている人、だめだだめだという悲観論者、口先だけの協力者などがいて、その味方のデコボコ状態がわかり、石の上にも三年ということわざなどが、身にしみて感じられるときもあります。弱い人だとあきらめムードに引きずり込まれます。そして、光陰ほ矢のごとく教化の締め切りがせまり、暦の上では十二月がやってきたりして、一巡したその年度の結果を吟味し評価する第三の段階に突入します。
ここでまた気を入れて今日までの動向成果を冷静に反省しないと、次の繰り返しがうまくまいりません。教化はどうだったか参詣者は増えたのか、減ったのか、助行の成果はどうだったか、後継者の養成ぶりはどうだったか、などを具体的に吟味して、まずかった点は率直に改良を誓い、適切な方法を講じないとだめです。一人でやってやきもきしないで仲間とも相談し、愚痴はかりこぼさずに体当たりでやる決意ができないと、また来年も無功徳な年になりかねません。そして、一生むなしく過ごしてしまってはたいへんです。
十二月は第三段階のきわめて信心上でも重要な月だということを銘記して、年があけたらやりますなどと、ノンキな先の見えない考え方を拒否し、十二月こそ運命を決する月と信心第一の観点から、光明のかがやく考え方をしてください。
日晨上人要語録より