東日本大震災における2つのお計らい

3月11日地震発生の2時49分、私は東京駅の日比谷通りにおりました。何十棟にも立ち並ぶ高層ビルが今にも倒れそうな程、大揺れし、ビルの中から「キャー。」という女性達の悲鳴と共に外に溢れだす人波が皇居の方に向かっていました。

私も恐怖心でいっぱいでしたが、犬を自宅に残してきたことを思い出し、とにかく帰ろうと思ったその時、偶然にも空車のタクシーが目の前に現れました。

「あ~お計らいだ、有難い。」と感謝し、タクシーの運転手の方と地震の話をしながら帰っているとラジオから、『九段会館の天井が崩れ落ち、2名が死亡した。』というニュースが飛び込んできました。運転手さんと「可哀そうですね。」と話しましたが、その時はそのニュースは自分には全く関係がないことだと思っておりました。

大きな余震が続く為、乗泉寺に一晩避難させて頂きました。東京に身寄りがなく恐怖と不安でパニック状態でしたが、ご信者の方や毛布や食べ物を持ってきてくださるお講師様に、どれだけ心が温かく安らぎ、助けられたことかわかりません。

仕事も丁度途切れていたため、福岡の実家に一旦帰省しました。そこで一つ目のお計らいを頂戴しました。それは実家の両親、特に父が朝参詣に文句1ついわずに行くようになったことです。昨年9月に両親がお教化になりましたが、父は朝参詣に誘っても「仕事があるから、朝参詣など行けるわけなか!」と言って怒り、母もしぶしぶ「私も行くの?」という返事。私は父のご機嫌を伺いながら「怒鳴られるのは怖いけど、両親のため。」と泣きながら一緒に朝参詣に行こうと訴えました。

そして父はしぶしぶでしたが、3人で朝参詣に行くと、ご法門で『ご信者が頂く13の御利益』のお話があり、お寺から帰るとき「心に響くところがあったな。」「そうでしょ、お父さん。良かった。」と家に帰ると30分後に父に仕事の注文の電話が入り、嬉しそうに仕事にでかけて行きました。何度か朝参詣に行くうちに、あんなにお寺参詣や朝参詣を嫌がっていた74歳の父が、5時に起床し身支度をし、ちょこんと車の後ろに乗って朝参詣に3人で行き、二人のお看経の声がお寺の中で日に日に大きく聞こえ、朝参詣を頑張っていなかった私にも朝参詣に励むお計らいとなりました。

そしてGWを迎え東京に戻ろうと決心した時、先日まで非常勤講師として勤めていた代々木の専門学校の学科長にふと電話をしたくなりました。私はその学校で4月からも授業が組み込まれていました。ですが、不思議なことに他の仕事との日程が合わなくなり、来年に延期してもらうこととなり、専門学校を離れることになりました。

学科長に福岡から電話し、「東京は大丈夫ですか?」「大丈夫。だけど実は地震の日、大変だったんだよ。」「何かあったのですか?」「実は地震の日、九段会館で卒業式があって、私たちのビジネス学科は午前中、そして観光学科が午後だったから、観光学科の女性の非常勤講師がいた場所に天井が落ちてきて、亡くなったんだよ。あと3時間地震の時間がずれていたら、私たちも死んでいたかもしれない。」まさか、あの時ニュースで流れていた被害者の方が、私の勤めていた学校の、しかも同じ女性の非常勤講師。驚いて声がでませんでした。

もしあの時、授業を続け非常勤講師として勤務していたら、私は九段会館で卒業式に出席していたと思います。ご信者さんにこの話をすると、「すごい危険から守って頂いたね。」と言われ、これが大きな2つ目のお計らいだと気付きました。私はまだまだご奉公、ご信行不足の未熟な信者でございますが、今回この有難いお計らいを頂戴し、ご法様に深く強く感謝致しました。

乗泉寺のご法門で、お導師様が「日々の口唱、ご奉公が大事。毎日のご信心、ご奉公に励み、信心の貯金をしなさい」とありました。今思いだすと、自分の意思は専門学校で授業したかったのに都合がつかなかったことや不思議な出来事が地震前から積み重なって、ご法門のとおり、毎日、毎日の朝参詣、お寺参詣、お講参詣やご奉公、お看経口唱の積み重ねがいかに大事かを体感しました。いざという時のお計らいが、日々のご信行の中で作られていくものであるということを。

これからはこれまで以上の尚一層の信心増進に励みたいと思います。

あゆみ会Y.H


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