日本国中を悲しみに包んだ戦争が終わり、今年は70年目に当たります。 この戦争は国内に限らず、南洋諸島でも多くの若い命が犠牲になったことは皆さまもご存知のことと思います。 この他、現在のロシアに近い北方の地、満州でも尊い人命が多数失われたことをご存知でしょうか。
昭和初期、世界的金融恐慌のあおりを受けた日本経済は、その後低迷を続けておりましたが、資源に乏しく狭い国内では、大勢の国民を養う事はできませんでした。 そこで日本政府は、明治の日露戦争で戦勝の権益として、南満州鉄道を設立していた満州に着目します。その後、当地に駐留していた関東軍は、現在の中国である清王朝の女帝であった西太后の縁籍、愛新覚羅溥儀を擁立し、満州国を建国。この地に活路を求めました。 そして政府は国内の人員削減と、北方防備の必要性から、満州の開拓を宣伝し、移住者を奨励するようになりました。
こうした世情の中、当宗も大阪のご信者が満州での御弘通をすすめ、東京からは二百家族が移住。その後、関東の七州が結束して当地へ開拓団を送る事になりました。 この後、敗北を喫した日本はポツダム宣言を受諾し、8月15日に終戦を迎えますが、満州国内ではここからが悲劇の始まりでした。
日ソ不可侵条約を破り、満州に侵入してきたソ連軍。また日本人に反感を持っていた現地人によって、言語に絶する殺戮や暴行、略奪が繰り返され、当地に移住した人々の大半が命を落としたのです。
氷点下、銃声と爆音のとどろく中、足の裏から血を流し、飢えに苦しみ、死の恐怖におびえながら逃げたこと。 多くの女性は戦利品として扱われ、尊厳を踏みにじられ、自ら命を絶つ人もいたこと。 目の前で両親や家族が、無残な最期を遂げたこと。
かろうじて生き伸びた引揚者の重い口からは、およそ想像を超えた地獄のような光景が語られ、戦争のむごさ、愚かさに改めて慄然とさせられます。 この悲劇による殉難者の数は20万人以上とも伝えられております。 佛立第二十二世講有井上日慶上人は、ご晩年もこの問題を思い出されては、殉難者のねんごろな御回向の必要性を涙ながらに訴えておられました。
今月25日、乗泉寺では、御総講に併修し「終戦70年戦争犠牲者・仁義佛立開拓団殉難者慰霊法要」を執り行い、殉難者を追悼致します。
罪のない多くの人々が理不尽な戦争により、かけがえのない人生を奪われました。
現在の日本の繁栄は、こうした不条理な犠牲の上に成り立っています。私達はその事を決して忘れてはなりません。二度と同じ悲劇を繰り返さないため、若い世代の方にも多数お参詣頂き、共に平和への祈りを捧げていただくよう、心よりお願い申し上げます。
※恐れ入りますが、御供養の準備がございますため、御参詣できる方は各部部長さんを通じて、15日までに申込みをお願いいたします。たくさんのお参詣、心よりお待ち申し上げます。