平成26年6月28日(土)
晨朝勤行でU.S師の御法門を聴聞させていただきました。
御教歌 : 福の神 来て下されと たのもより 貧乏がみの いぬ工夫せよ
私たちはつい御利益のみを欲しいと望んでしまいがち。その前に、どうすれば御利益を頂戴できる身となれるのか、その心構えの大切をお示しの御教歌。
労せずに御利益をいただきたい、その考え自体が已に欲にまみれた考え。大切なことは、御利益感得のみを目指すのではなく、その障りとなる罪障を消滅させていただこうとすることが信心修行の第一。
日常の信行ご奉公においては、「これだけをしていればいい」というかたよった信行におちいらないようにすることが大切。やりたいことだけやっているだけではダメ。
入信後、なにもせずに御利益をいただけるという教えは無い。毎日の信行ご奉公に励み、しっかりと功徳を積ませていただいた結果、信心前が誤っていない証拠として現証の御利益が顕れる。
逆に、罪障ばかりが積もってしまうと、お戒めとして御罰が顕れる。罪障とは、法を謗り、法に逆らった罪。身に覚えがあっても無くても、罪障は必ず積んでしまっている。罪障がある限り、御利益感得からは遠ざかってしまう。
日頃お唱えさせていただく無始已来の御文は、過去世から積み重ねてきた罪障を消滅させていただく為に、いつか仏の身となれる日まで御題目様をけして離さず、懺悔改良し常精進努力いたしますというお誓いの言葉。
お金が欲しくても、稼いでも、借金があれば貯金ができないのであり、借金は積みやすく、貯金はしづらい。功徳と罪障の関係と同じ。
福の神(御利益)が欲しいと思ったら、まず貧乏神(罪障)に立ち去ってもらえるような日常信行を心がけることが大切。
御指南「罪障も借財も同じ。消滅せざれば助かる期なし」
感想:日常信行の大切さ、その積み重ねこそが罪障消滅につながり、自分の過去世の足りない功徳を積ませていただける。 (O.N)