原典をたしかめてはいないが、多分、雑宝蔵経に?無財の七施ということが説かれてある。その中に和顔悦色施ということがあって、ニコニコとして他によろこびの顔を見せるだけで、立派に布施の行をすることになるという意味です。
果して顔施(げんぜ)ということです。いろいろな雑誌にも書かれているので読者の方も知っていられるにちがいないと思うが、少し広く拡大して解しておきたいので、これについてのべます。
イ、お互いに顔を見合ったとき、心配そうな顔付きだと、こちらの心もそれに影響されて曇りがちとなりますが、ニコニコしていればやはりこちらまで愉快になるのは人情です。最近は車が多いのでとてもあぶないので注意しないといけないと同時に、我れ勝ちに先行しないで、人に一歩譲る気持ちで運転するのが、一種の顔施となるのです。布施行となるのです。
ロ、先輩とか同僚とかで多少、言葉の使い方のちがいはあってもよろしいのですが、朝、夕顔を見たら、先きに「お早よう」とか、「ありがとうございます」等のあいさつをしたいものです。相手よりも先に和顔を以て挨拶したら、こちらが布施の供養をしたことになるのです。内心は、俺の方が先輩だから、相手が云うまでは、知らんふりをしてようという気の小さい根性では、とても顔施の功徳はつめません。家庭内でも同様であってほしいものです。
ハ、御宝前でお看経するときの顔は、最高に、和顔を以て、口唱行にはげむのがよろしいのです。眼を閉じたり、顔をしかめたり、よそ見をしながらのお看経は、心の乱れを表現しているのです。
人間の和顔がどれほど美しいものか、そして、相互にどれ位いよい影響があるのか、ニコニコ美学を研究することを提唱します。お互いに実行いたしましょう。
(乗泉寺通信47年1月号掲載)