目標を持て

日々の生活に目標のある人は幸福な人です。目標を持った生活にこそ人間の底力とか、尊さがあらわれるのであって、目標のない生活には、それがあらわれないからです。

無目標ではすること、なすことに力が入らず、惰力で暮らす状態ですから、下落こそすれ、向上発展の活力は出ないのです。そしてさらに気の毒と思うのは、目標なしの生活が、下の生活だと気がつかず、平気でいる人が多いことです。

むろん、失業でもして不安裏に今日を送っている人々比べれば、職を持って暮らしている人は幸せにちがいありませんが、無目標の生活を繰り返していると、いつの間にか目標を持つことをぜんぜん考えぬようになり、目標をめざして努力する勇気がなくなり、輝かしい希望を失い、したがって人間本来の楽しみが消滅してしまうことです。

信者でも、目標なしの信心では低調となります。たとえば、ご祈願をかけても、そのご祈願が自分にとっては大事な目標だと自覚せずお願いしておけば、自然に成就するぐらいの考えでは、ご祈願が御利益を生み出す機縁にはなりません。

御宝前にご祈願した以上は、目標達成にさらに拍車をかけ、何がなんでもという意気込みを起こす。天は自ら助くるものを助くと心得た方がよいのです。万難を排しても目的達成に精進するという真剣さでご祈願をしてこそ、その験が見えるのです。

またご祈願申し上げたのだからさらに信心改良をして気張らねばとなってこそ、ご祈願の真意を心得たやり方と申すべきです。そうなれば、気構えが違ってきますから、信仰に生きがいを感じ、信心ぶりも、生活の態度も能転し、婆婆が積功累徳の場となります。

目標を持つ信心、目標のある生活、それが信者の理想です。手近なところから目標を立てる練習をやってみてください。


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