なんで腹を立てるか

どういう場合に立腹するかということを、いろいろの角度から考えてみるとちょっと興味があるものです。

豊臣秀吉が信長の前に初めて出たとき、信長はお前の顔はまるで猿のようじゃと無遠慮に言い放ったそうですが、秀吉は少しも気にかける様子もなく平然としていたとのことです。意気地がないために腹を立てることができないのかというとそうではなく、大望を抱く身であれば小事に腹を立てぬと決意したからでしょうし、心底から敬いのある場合には、そんなことでは腹が立ちません。すぐ怒るのは身勝手の方が強いからです。

ところが世間にはくだらぬことに青筋立てて怒る人の方が多いようで困ったことです。しかしまた発憤して奮励努力してついに成功したという美談もありますから、腹を立てるのが一概に悪いというわけでもありません。宗教界が腐敗して教師がその本分を忘れて日を送っていることに業をにやして宗教改革に身を投じたというような、宗教史上の傑僧の話などで業をにやすということも腹の立て方の一種です。公憤とか私憤とかいう怒り方の区別もあります。

以上のようなことを前提にして、さて身近な人を眺めまわしてどんなことで腹を立てているかを検討してごらんなさい。同じ事柄で若人は怒るが老人は怒らぬ場合があります。老人にでも、うるさ型になる人と、好々爺になる傾向の人とがあります。内ずらはやかましく、外ずらのおだやかな人、またそれと反対の人もあります。年中ぶつぶつ不平をならべている人もあり、いつでも目上に突っかかっている人があります。代議士で演壇に上がればいつでも反対派に対して大声叱咤しているのなどは、公憤のうちに入りそうですが、どうも自己宣伝をやっている感じを受けます。腹を立てるのにも十人十色でかんにさわるところが異なっているようです。

そこであの人はどんなときに腹を立てるか、それをしらべるとその人の心持ちがわかるようです。煽動されて腹を立てるのはおっちょこちょいの感じがします。えらがり屋はどんな場合に怒るか想像がつきましょう。欲ばりは、出す話になると、ぶつぶつ言い出します。妖妬心の強い人の怒るのは陰険で、怒る理由がわからぬときがあります。また、高血圧患者の中には、ほんの些細なことにどなり出すのがいますし、心配事があったり多忙でいらいらしているときなどは、一触即発の危険が多いようです。

ですからなんで立腹したのかをしらべると、その人の心の動きがわかるわけです。したがって腹の立ちやすい人は用心が肝心で自分では正しいといばっていても、見る人が見ればその人の性質をちゃんと見抜いてしまいます。思い内にあれば色外にあらわれるのです。怒りを敵と思えと教えた家康の言葉や忍の一字が成功の元だということも、仇やおろそかに聞いては罰があたります。


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