御教歌 御利益を うらやまんより かうふりし 人のこころに ならへ人みな
御利益をいただいた人をうらやんだり、ねたんだりするより、むしろその人の信心前を学ぶことが大切とお示し下された御教歌です。
うらやむとは、うらは表に対する裏、やむとは病と解しますと、心の病の一つで、みにくい、なさけない心のありかたです。「隣の家で倉がたてば、こちらでは腹がたつ」といって、人が良くなってゆくのを喜べないと同時に、「他人の不幸は鴨の味」といって人の不幸を蔭でほくそえんだりします。「隣の花は赤い」といって、隣の家に咲いている花は、自分の家の花より美しいと思いこみます。
イソップの寓話集に次のような話があります。ある時、肉屋さんがうっかり一切れの肉をおとしました。それを見ていた犬がすかさず肉をひろって口にくわえ、喜び勇んで歩き出しました。犬は橋を渡っておりますと、橋の下の川のなかに何かいるので覗きこみますと、何と水の中に犬が歩いており、しかも大きな肉をくわえているではありませんか。おれの肉より大きく、また美味そうな肉をくわえている。よしあの肉を食べようと思い、犬は川の中の肉をくわえている犬に向かって、「ワン」と吠えました。すると、その途端、肉は川の中に落ち、川の中の大の肉も無くなってしまいました。川の中の犬は水に映った自分の姿だったのです。
他は案外よく見えるものです。うらみ、ねたみをおこすより、御利益をいただいた人の信心前を学ぶことが肝心です。当宗の御利益は教化にあります。病気全快、健康増進、心願成就、商売繁昌などの御利益も大事ですが、それより一歩すすんで、教化成就がまことの御利益です。
御利益はお寺の御宝前から信心の手を出していただくものです。口唱と参詣が基本でして、一日に一回はお寺参詣をさせていただき、その上更に命の続く限りつとめぬき、生涯参詣を目指して下さい。決して途中で止めてはなりません。
本堂での御看経は弘通が中心です。お寺は弘通の道場でして、道場である以上、信心を磨き信心を鍛える場所です。生きる勇気なり希望なりが湧いてこなくてはなりません。朝参詣にはげんで日々を明るく前向きに輝いて生きる。これが信者の生き方です。
弘通が至上命令です。教化が一年に二戸授かりますように、信心の喜びや尊さを人々に説き聞かせることができますように、部内の信者の一人一人がお計らいをいただいて信心が増進できますように、などと弘通の願いのこもった御看経をいただくことです。全信者が全弘通者となること、これが建前でなく本音でなくてはなりません。
この御題目は弘める為の題目であると同時に、御本意に叶った御奉公にはげみますと、必ず弘まる題目です。下種の大法を人々の心の田に植えつけねばなりません。それにより、お互いに崩れない幸せをいただくことができます。
正しい信心前に徹しますと、必ず教化というすばらしい御利益がいただけるのです。信心は生きものです。一寸の油断も許されません。ゆめゆめ、気をゆるめないで下さい。随喜心をおこし、弘通意欲を燃やし続けましょう。教化成就した人の良い所をみつめて見習うこと。そこに運命を開拓する、いわば、定業能転のお計らいがいただける鍵(かぎ)があります。まずはお寺参詣にはげみましょう。
御指南 「誓へば寺あり、何の為に建たるや、弘通所也。其所弘の法は題目也。乃至、佛立講何の為に立たるぞや。要法弘通の為也。宗内折伏の為也。」
平成17年4月より